イエズス会を創設するイグナティウス(注・01)は、
つねに天からの慰めについて語っていたといいます。
またカルメル会の修道女エディト・シュタイン(注・02)は
アウシュヴィッツで殺される前、最後の手紙を修道院長に送ります。
・・・「十字架の学問」の書物は、
自分で十字架を痛いほど感じるような経験をしなくては、
理解することができません。
そのことは始めから確信していましたし、
今心から「ようこそ、十字架よ、われわれの唯一の希望といいたいのです。・・・
マザーテレサはイエズス会系の修道女でした。
修道院長への報告記録「来て、わたしの光になりなさい」を読みますと
同じく十字架の慰めを語っています。
イグナティウス(注・01)
グナティウス=デ=ロヨラ Ignatius de Loyora 1491?~1556 はスペインの北部バスク地方の地方騎士の家に生まれ、フランス軍の侵攻の際に右足を負傷。霊感に導かれて巡礼を重ね、パリ大学で神学・人文学を学び、カトリックへの深い信仰心から1534年にフランシスコ=ザビエルなど6人の同志を得てイエズス会を結成、ローマ教皇への徹底した服従と、伝道に徹することを誓った。イエズス会は、1540年にローマ教皇から修道士会として公認され、ロヨラはその初代総長として宣教師の育成に努め、世界各地、特にアジアとアメリカ新大陸にキリスト教宣教師を派遣した。1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたザビエルはその一人だった。(世界史の窓)
エディト・シュタイン(注・02)
1891年10月12日 - 1942年8月9日)は、ドイツの哲学者、カルメル会修道女。カトリック教会の聖人(殉教者)。改宗ユダヤ人でホロコースト犠牲者。修道名は十字架の聖テレサ・ベネディクタである。ドイツ帝国のブレスラウ(現在のポーランド領ヴロツワフ)でユダヤ人商人の家庭の11番目の子として生まれた。2歳の時、父が死去。以後、母に育てられる。1904年13歳のとき、「自立的人間」を目指して、学校を一旦やめる。ユダヤ教を放棄し、無神論者になった。ケルンにあるカルメル会の修道女となり十字架のテレジア・ベネディクタの修道名を与えられた。彼女はアクィナス、及びフッサールの哲学を結合するため Endliches und ewiges Sein を執筆した。ナチスの迫害を逃れるため、エーディトはオランダに亡命し、「十字架のヨハネに関する科学の研究」を発表したが、捕らえられてアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られ、1942年8月9日、同じく捕らえられていた実姉で既にカトリックに改宗していたローサと共にガス室で殉教(死去)した。(ウィキ)