心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

幸せと不幸せ

2013-03-27 23:25:25 | 日記

今日は送別会があって、たくさんビールを飲んだので

いい気分でいるよ。

 

家に帰ってきてから、お風呂に入っている時に浮かんだ

言葉は、

「幸せは絶対的、不幸せは相対的だと思え!」

 

何が言いたいかはわかるよね。

 

今、自分が幸せだと思ったら、もっと幸せな人がいるんじゃ

ないかなんて思わないこと。反対に、自分が不幸せだと

思ったら、自分よりもっと不幸せな人がいると思うよ。

そう思ったら、元気が出てくるもんね。

 

いろんな悩みが頭の中にあるかも知れないけど、文字にして

書き出してみるといいと思うよ。そしたら、些細なことで悩んで

いたことに気付くかも^^


徒然なるままに

2013-03-23 15:05:44 | 日記

人は、自分の受けた恩恵には鈍感だが、

他人の受けた恩恵には過敏になる生物だ

*****

 

今、読んでる本の中で見つけた言葉だけど、心に留めて

おいた方がいいと思わない?

 

親たちが生前をともに生活してきた子(例えば長男)の世帯と、

家を出て独立していた子(例えば次男)の世帯との間で

起こる相続税争いの話の後に出てきた言葉だけどね。

 

人間は物質的欲望(特に、金銭に対する)が強い生き物と

言うことかな。

 

精神的な欲望は強くてもいいけど、物質的な欲望に支配されて

しまわないように気をつけないといけないね。

 


天狗笑

2013-03-16 10:00:16 | 日記

初めにぷーつとふきだした者は、すぐぬかされて

また「だるまさん」が始まります。

そして一番おしまひまで残つた者が勝ちなのです。

子供たちはそれを何度もくり返しました。

 

いく度目かにまたみんなで、「だるまさん、だるまさん」を

やりだした時です。ふいに、頭の上で、空の真ん中で、

わはゝゝゝゝゝと大きな笑ひ声がしました。

 

おや・・・・・と思って、息をつめたままで、上を見上げますと、

森の上からぬーつと大きな顔がのぞき出して、

それが空いっぱいの大きさになって、

家のやうな大きな眼と鼻と口とで、

わはゝゝゝゝゝと笑つてゐます。

 

とすぐに、その顔も笑い声も消えてしまつて、

日の光のきらきらとしてる青い空ばかりになつてしまひました。

「何だろう。」

 

*****

「天狗笑」という物語だけど知ってた?

 

今、読んでいる「本という不思議」の中に

「わたしにとって忘れられないのは、豊島与志雄の書いた真昼の

世界の話です。それは『天狗笑』という短い物語ですが、

それをわたしは子どものときに読みました。

繰りかえし繰りかえし読んで、すこしも飽きなかった物語です。」

という文章の続きにこの物語が書いてあったんだよね。

 

物語を読んで、子どものころに読んだ本に天狗が笑っている

挿絵と一緒に、この物語が載っていたことをすぐに思い出して、

とても懐かしく感じたよ。 こんなところで、子どものときに

読んだ物語に再会できるとは思っていなかったもんね。

 

ホントに本は不思議だよね。

 

図書館に返してしまったら、二度と『天狗笑』と再会できないかも

知れないので、インターネットで注文したらすぐに届いたよ。

絶版になっているので中古本しか買えないけどね。

 

素敵な本に巡り合えると幸せな気分になれるよね。

 


本という不思議

2013-03-10 12:18:30 | 日記

今、きのう図書館で借りてきた「本という不思議」という本を
読んでいるけど、目に止まった文章を紹介するね。

*****

ふしぎです。

本は読んでも読まなくても、何のちがいもないとしか
見えません。

けれども、ちがいます。

それでいて、どこがちがうと言うことはできません。

ただ、いつか心の深いところで、何かがちがってくると
いうふうにしか、そのちがいを言うことはできません。

本を読む、物語を読むというのは、自分のうちに、
本を読む、物語を読むという心の習慣をもつと
いうことだからです。

*****

もうひとつ、こんな詩も紹介されていたよ。

*****

男は、楡の木を、ユーカリの木を、
ちいさな糸杉の木を植えた。 そして、
水を遣った。夏の長い夕暮れに。

だから、むかし、この乾いた土地では、
たそがれとは、水の音のことだった。

いまでも明るいピンク色の響きを
鳴りひびかせるトランペットのように、
アマリリスが、顔を突きだしている、
そこらじゅうにはびこっている
自生のカラスムギのあいだから。

そう、木を植えた男は、もういない。


木々は、夜のとばりの下りるのを
じっと、そこで待っている。

影だけだ。 そこには、誰もいない。

そこに育ち、そこで朽ちてゆく
誰が植えたのでもない、松の木。

八月の丘を真っ白にしてゆく、
誰が蒔いたのでもない、穀物のみのり。

廃墟のままそこにのこされた一軒家。
そこに見えるものは、
そこにないものの外見なのだ。

答えのないことが、そこでは答えだ。
そこでは歳月は、数えられずに過ぎる。

木々の葉のあいだから、
夕暮れが水のようにみちてくると、
いつものように、ヴェガ(織女星)が瞬きはじめる。

楡の木の一番高いところに。
野生の白いポピーのように。

苦痛の国になって、そこにだけ、
ほんとうに、心みたされるものがある。

(白い星、白い花、
古い給水塔から、乾いた土地の
木々の根におくされてゆく水)

穏やかさのちいさな滴り。

  「そこ(There)」 ル・グウィン

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「木を植えた男」の物語を思い出させるような詩だね。