心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

石川啄木

2023-06-03 12:55:29 | 読書

ドナルド・キーンさんの「石川啄木」を読んだけど、
最後の文章がとてもよかったので書き写すね。

こんな本を読むともっと本を読まないといけないなぁと
いう気持ちになるよね。

最後の「ついには我々にとって忘れ難い人物となる」と
いう一文を見て、Jean Giono(ジャン・ジオノ)の
L'homme qui plantait des arbres(木を植えた男)を
思い出したよ。

冒頭の段落の最後に「忘れがたい人物を私たちは
目の当りにすることになるのだ(on est alors devant
un caractère inoubliable)」とう文章が出てくるよね。

*****
千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ啄木は、
日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録する
ものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「
自伝」として使った。

啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら
奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。
啄木は「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。

日本で最も人気があり愛される詩人だった三十年前に
比べて、今や啄木はあまり読まれていない。

こうした変化が起こったのは、多くの若い日本人が
学校で「古典」として教えられる文学に興味を
失ったからだ。

テレビその他の簡単に楽しめる娯楽が、本に取って
代わった。日本人は昔から読書家として知られてきたが、
今や本はその重要性を剥奪されつつある。
入学試験で必要となった時だけ本を読む若い男女も多い。 

啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、
それは人間が変化を求める時かもしれない。

地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な
行為は、いつか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の
人間性の探求へと人々を駆り立てるようになるのでは
という期待を抱かせる。 

啄木の詩を読んで理解するのは、ヒップホップ・ソングの
歌詞を理解するよりも努力が必要である。 

しかし、ファスト・フードから得られる喜びには
限度があるし、すぐに満腹になってしまう。

石川啄木の詩歌は時に難解だが、 啄木の歌、
啄木の批評、そして啄木の日記を読むとは、
単なる暇つぶしとは違う。

これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは
一人の非凡な人物で、時に破ではあっても
常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって
忘れ難い人物となる。
*****

 

 


こころと身体

2023-04-23 13:57:11 | 日記

身体は服と同じだよね。

服を長い間来ていると汚れたり皺がよったりするけど、
身体も同じで年とともに劣化していくよね。

でも、こころは劣化しないよね。

成長とともにいろんな経験をするけど、
経験を通じて学んだようなことがこころの
中に溜まっていくんだろうね。

それらの溜まったものに基づいて考えると
思うので「考え方」は年とともに変わって
いくと思うけどね。

こころ同士で付き合えるのが一番だと思うけど、
身体を通してでないと相手が見えないし、
その上、服を着たり化粧したりするので、
ますます相手のこころが見えなくなってしまうよね(笑)

こころ同士で付き合うんだったら敬語なんて
使う必要はないと思うけど難しいのかなぁ。

 


般若心経その13 (別の本の意味と解説4)

2023-03-22 17:34:09 | 般若心経

【般若心経その13】

 

=== 別の本の意味と解説その4 ===

*****(7)

① 三世諸仏 さんぜしょぶつ

② 依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ

③ 得阿耨多羅三藐三菩提 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 

【意味】

① 過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は

② 般若波羅蜜多(智慧の完成)を拠り所として

③ 無上の完全な悟りを成就している

 

【解説】

・大乗仏教では、ブッダ(仏)は普遍的なものであり、私たち

 ひとりひとりの内なる存在として、自身のなかに見いだされる

 ものと考えられている。「三世の諸仏」の背景には、こうした

 事情がある。

・本文①の「三世諸仏」が主語で、③の「阿耨多羅三藐三菩提」が

 目的語、「得」(得た)が動詞である。

・三世のすべてのブッダの悟りは「般若波羅蜜多による」と

 協調しているところがポイントである。

・「阿耨多羅三藐三菩提」は「アヌッタラ・サンミャク・サンポーディ」と

 いうサンスクリット語の音写語である。「この上ない完全な悟り」と

 いう意味である。

 

*****(8)

① 故知般若波羅蜜多 こちはんにゃはらみった

② 是大神呪 是大明呪 ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ

③ 是無上呪 是無等等呪 ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ

④ 能除一切苦 のうじょいっさいく

⑤ 真実不虚故 しんじつぶここ

 

【意味】

① それ故に知るべしである。般若波羅蜜多の

② 大いなるマントラ 大いなる明知のマントラ 

③ この上ないマントラ 比類なきマントラは

④ すべての苦を鎮めるものである

⑤ (このことは)真実であり、虚妄ではないから

 

【解説】

・観自在菩薩が舎利子に対し、最終的な伝授を行う部分に

 さしかかってくるので「それ故に知るべし」という強い口調に

 なっている。

・本文②~③では、般若波羅蜜多のマントラ(真言)の4つの

 呼び方が書かれている。②の「神」は「神様」ではなく、

 「きわめて優れた」という意味である。

・「大神呪」(偉大なる真言)⇒「大明呪」(偉大なる明知の

 真言)⇒「無上呪」(この上ない真言)⇒「無等等呪」

 (比類のない真言)と段階的に強調している。

・本文①~⑤の意味は「般若波羅蜜多のマントラは、

 すべての苦を鎮める確実な信頼のおける効き目の

 ある言葉である。なぜなら、矛盾なく、噓偽りのない

 ものだから」ということである。

 

*****(9)

① 説般若波羅蜜多呪 せつはんにゃはらみったしゅ

② 即説呪曰 そくせつしゅわつ

③ 羯諦羯諦波羅羯諦 ぎゃていぎゃていはらぎゃてい

④ 波羅僧羯諦 はらそうぎゃてい

⑤ 菩提薩婆訶 ぼじそわか

⑥ 般若心経 はんにゃしんぎょう

 

【意味】

① 般若波羅蜜多の修行で唱えるマントラは

② すなわち、(マントラは)次のとおりである。

③ ガテー ガテー パーラガテー

④ パーラサンガテー

⑤ ボーディ スヴァーハー

⑥ 以上で、般若波羅蜜多のマントラ、提示し終わる

 

【解説】

・マントラは、「考える」を意味する「マン」に「手段」を意味する

 「トラ」がついた言葉で「思考の手段」、すなわち「言葉」である。

・言葉の中で、祈りの言葉を「マントラ」と言う。

・マントラは一種の呪文なので、意味を言葉で説明することは

 できない。そこで、③~⑤では音写語が使われている。

*****

 

(その14に続く)


般若心経その12 (別の本の意味と解説3)

2023-03-21 17:26:18 | 般若心経

【般若心経その12】

 

=== 別の本の意味と解説その3 ===

*****(5)

① 無無明 むむみょう

② 亦無無明尽 やくむむみょうじん

③ 乃至無老死 ないしむろうし

④ 亦無老死尽 やくむろうしじん

⑤ 無苦集滅道 むくしゅうめつどう

⑥ 無智亦無得 むちゃくむとく

 

【意味】

① 無明なく

② 無明の滅もない

② 老死(までの苦が生じる過程)はなく

③ 老死の滅もない

④ 苦・集・滅・道もない

⑤ 知るということもなく、得るということもない

 

【解説】

・人はなぜ苦しむのか。釈迦はその原因を追究し、

 苦が生まれる因果関係をつきとめた。

 それを、十二縁起(十二支縁起、十二因縁)と言う。

・十二縁起とは、

① 無明(むみょう):無知

⇒ ② 行(ぎょう):自己形成

⇒ ③ 識(しき):認識作用

⇒ ④ 各色(みょうしき):自我の諸要素

⇒ ⑤ 六処(ろくしょ):6つの感覚

⇒ ⑥ 蝕(そく):対象との接触

⇒ ⑦ 受(じゅ):感情

⇒ ⑧ 愛(あい):欲望

⇒ ⑨ 取(しゅ):執着

⇒ ⑩ 有(う):生存

⇒ ⑪ 生(しょう):生活

⇒ ⑫ 老死(ろうし):老いと死

・十二縁起を「①が②を生み、②が③を生み・・・」と

 「原因⇒結果」として観察することを「順観」という。

 これに対して「①がなくなれば(滅尽すれば)②が

 なくなり(滅尽し)・・・」と「原因の滅尽⇒結果の

 滅尽」として観察することを「逆観」という

・本文①~④は、4階「五蘊(自己)は空であるとする

 観自在菩薩のフロア」から眺めると、十二縁起は

(順観と逆観のいずれにおいても)すべて無いと

いう意味である。

・本文⑤は「四諦」は無いと言っている。

 「諦」は「明らかにする」と意味である。

・本文⑥の「」は、釈迦が四諦八正道によって

 得た「智」のことである。

・「自己を突き詰めると、諸法という要素に解体され、

 固定した自我は存在しない」が仏教の基本的な考え方である。

・なぜ自己があるように見えるのか、研究者たちは、「どこかに

 諸法を結合させたり分離させたりする働きがあるため、

 個性が生じて自己が存在しているように見える」と考えた。

・この諸法を結合させる働きを「」、分離させる働きを「非得」と

 言う。

・本文⑥は、上記の「智」も「得」もないと言っている。なお、

 大本では「得もなく」の後に「得もなく非得もない」と続く。

 すなわち、般若心経(小本)では「非得もない」が省略されている。

 

*****(6)

① 以無所得故 菩提薩埵  いむしょとくこ ぼだいさった

③ 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 えはんにゃはらみったこ しんむけいげ

③ 無罜礙故 無有恐怖 むけいげこ むうくふ

④ 遠離一切顛倒夢想 おんりいっさいでんどうむそう

⑤ 究竟涅槃 くぎょうねはん

 

【意味】

① (この故に)ここにはいかなるものもないから、菩薩は

② 般若波羅蜜多(智慧の完成)を拠り所として、心の妨げなく安住している

③ 心の妨げがないので恐れがなく

④ ないものをあると考えるような見方を超越していて

⑤ まったく開放された境地にいる

 

【解説】

・大本に書かれている舎利子のふたつ目の質問

 「そのビジョンを得る手段は何か?」の答えが

 この箇所から始まっている。

・菩提は「悟り」、薩埵は「一人」という意味の音写語で、

 菩提薩埵は「修行者」のことである。

・菩薩たちは、般若波羅蜜多をスローガンとして祈り、

 瞑想し、この言葉に込められた意味を追求したのである。

・そのことを、菩提の代表として、観自在菩薩が語っている。

・本文②は、「般若波羅蜜多(という真言)によらずして、

 このような成果は得られないのだ」と強調している。

・「罜礙」の「罜」は「ひっかけるもの」、「礙」は「妨げるもの」を

 意味する。原語の「アーヴァナラ」(妨げるもの、閉ざされたもの、

 覆うもの)を漢訳するために作られた学術用語。

・本文②の「妨げ」は「諸法の実在観」のことである。

・恐怖の原因は「閉ざされている」という感覚である。

 例えば、死の恐怖は「死から逃れられない」と思うから

 生じる。「逃れられない」は「閉ざされている」と同じ

 意味である。

・本文③は、妨げるものがないので、心が開放され、

 恐れがなくなるという意味になる。

*****

 

(その13に続く)


般若心経その11 (別の本の意味と解説2)

2023-03-20 18:17:22 | 般若心経

【般若心経その11

 

=== 別の本の意味と解説その2 ===

 

*****(3)

① 舎利子 しゃりし 

② 是諸法空相 ぜしょほうくうそう 

③ 不生不滅 不垢不浄 不増不減 ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 

【意味】

① シャーリープトラよ、

② (ここにおいて)存在するものは、全て空性を特徴として、

③ 生じたというものでなく 滅したというものでなく

  汚れたものでなく 汚れを離れたものでなく

  足りなくなることもなく 満たされることもない

 

【解説】

・「法」は仏教では大変重要な言葉で、サンスクリット語では

 「ダルマ」と言う。「法」には多様の意味があり、漢訳が

 示す「法則」や「規範」の他に、「正義、善、教え、性質」など

 幅広い意味がある。

・「法」の原意は「保持されるもの」で、インドの哲学用語では

 「存在するもの」を意味する。

・釈迦は「この世にあるすべてのものは移りゆく」と見抜いた。

 これを「諸行無常」と言う。「存在するものは全て空性を

 特徴としているので、生じたり滅したりすると見えるのは

 錯覚であると言っている。

・1階は「自己が確立されていない幼児のフロア」、

 2階は「自己は確立するが執着で苦しい大人のフロア」、

 3階は「自己は五蘊にしか過ぎないと考える舎利子のフロア」、

 4階は「五蘊(自己)は空であるとする観自在菩薩のフロア」と

 すると、②の是(ここ)は4階のことを言っている。

・4階から3階を眺めると、五蘊は空なので、「不生不滅 

 不垢不浄 不増不減」に見えるということである。

 

*****(4)

① 是故空中無色 ぜこくうちゅうむしき

② 無受想行識 むじゅそうぎょうしき

③ 無眼耳鼻舌身意 むげんにびぜつしんい

④ 無色声香味触法 むしきしょうこうみそくほう

⑤ 無眼界乃至無意識界 むげんかいないしむいしきかい

 

【意味】

① この故に、空性においては色なく

② 受なく、想なく、行なく、識もない

③ 眼耳鼻舌身意もない

④ 色声香味触法もない

⑤ 眼界から意識界に至るまで悉くない

 

【解説】

・この箇所は、舎利子への3回目の呼びかけである。

・(2)の「色即是空」と(3)の「諸法空相」をさらに突き詰めて

 語っている。そのため、ここでは「無」という文字が続く。

・262文字の般若心経中、「無」は21個。

・(3)の解説の4階では「五蘊は自分ではない」。よって、

 4階から見ると、色受想行識は全て無いことになる。

・同様に、六根の眼耳鼻舌身意も、六機の色声香味触法も

 六識の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識/意識も全て

 無いことになる。

*****

 

(その12に続く)