心の休憩室 パート2

何度か中断していますが、書きたいことがでてくると復帰しています。

般若心経その13 (別の本の意味と解説4)

2023-03-22 17:34:09 | 般若心経

【般若心経その13】

 

=== 別の本の意味と解説その4 ===

*****(7)

① 三世諸仏 さんぜしょぶつ

② 依般若波羅蜜多故 えはんにゃはらみったこ

③ 得阿耨多羅三藐三菩提 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

 

【意味】

① 過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は

② 般若波羅蜜多(智慧の完成)を拠り所として

③ 無上の完全な悟りを成就している

 

【解説】

・大乗仏教では、ブッダ(仏)は普遍的なものであり、私たち

 ひとりひとりの内なる存在として、自身のなかに見いだされる

 ものと考えられている。「三世の諸仏」の背景には、こうした

 事情がある。

・本文①の「三世諸仏」が主語で、③の「阿耨多羅三藐三菩提」が

 目的語、「得」(得た)が動詞である。

・三世のすべてのブッダの悟りは「般若波羅蜜多による」と

 協調しているところがポイントである。

・「阿耨多羅三藐三菩提」は「アヌッタラ・サンミャク・サンポーディ」と

 いうサンスクリット語の音写語である。「この上ない完全な悟り」と

 いう意味である。

 

*****(8)

① 故知般若波羅蜜多 こちはんにゃはらみった

② 是大神呪 是大明呪 ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ

③ 是無上呪 是無等等呪 ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ

④ 能除一切苦 のうじょいっさいく

⑤ 真実不虚故 しんじつぶここ

 

【意味】

① それ故に知るべしである。般若波羅蜜多の

② 大いなるマントラ 大いなる明知のマントラ 

③ この上ないマントラ 比類なきマントラは

④ すべての苦を鎮めるものである

⑤ (このことは)真実であり、虚妄ではないから

 

【解説】

・観自在菩薩が舎利子に対し、最終的な伝授を行う部分に

 さしかかってくるので「それ故に知るべし」という強い口調に

 なっている。

・本文②~③では、般若波羅蜜多のマントラ(真言)の4つの

 呼び方が書かれている。②の「神」は「神様」ではなく、

 「きわめて優れた」という意味である。

・「大神呪」(偉大なる真言)⇒「大明呪」(偉大なる明知の

 真言)⇒「無上呪」(この上ない真言)⇒「無等等呪」

 (比類のない真言)と段階的に強調している。

・本文①~⑤の意味は「般若波羅蜜多のマントラは、

 すべての苦を鎮める確実な信頼のおける効き目の

 ある言葉である。なぜなら、矛盾なく、噓偽りのない

 ものだから」ということである。

 

*****(9)

① 説般若波羅蜜多呪 せつはんにゃはらみったしゅ

② 即説呪曰 そくせつしゅわつ

③ 羯諦羯諦波羅羯諦 ぎゃていぎゃていはらぎゃてい

④ 波羅僧羯諦 はらそうぎゃてい

⑤ 菩提薩婆訶 ぼじそわか

⑥ 般若心経 はんにゃしんぎょう

 

【意味】

① 般若波羅蜜多の修行で唱えるマントラは

② すなわち、(マントラは)次のとおりである。

③ ガテー ガテー パーラガテー

④ パーラサンガテー

⑤ ボーディ スヴァーハー

⑥ 以上で、般若波羅蜜多のマントラ、提示し終わる

 

【解説】

・マントラは、「考える」を意味する「マン」に「手段」を意味する

 「トラ」がついた言葉で「思考の手段」、すなわち「言葉」である。

・言葉の中で、祈りの言葉を「マントラ」と言う。

・マントラは一種の呪文なので、意味を言葉で説明することは

 できない。そこで、③~⑤では音写語が使われている。

*****

 

(その14に続く)


般若心経その12 (別の本の意味と解説3)

2023-03-21 17:26:18 | 般若心経

【般若心経その12】

 

=== 別の本の意味と解説その3 ===

*****(5)

① 無無明 むむみょう

② 亦無無明尽 やくむむみょうじん

③ 乃至無老死 ないしむろうし

④ 亦無老死尽 やくむろうしじん

⑤ 無苦集滅道 むくしゅうめつどう

⑥ 無智亦無得 むちゃくむとく

 

【意味】

① 無明なく

② 無明の滅もない

② 老死(までの苦が生じる過程)はなく

③ 老死の滅もない

④ 苦・集・滅・道もない

⑤ 知るということもなく、得るということもない

 

【解説】

・人はなぜ苦しむのか。釈迦はその原因を追究し、

 苦が生まれる因果関係をつきとめた。

 それを、十二縁起(十二支縁起、十二因縁)と言う。

・十二縁起とは、

① 無明(むみょう):無知

⇒ ② 行(ぎょう):自己形成

⇒ ③ 識(しき):認識作用

⇒ ④ 各色(みょうしき):自我の諸要素

⇒ ⑤ 六処(ろくしょ):6つの感覚

⇒ ⑥ 蝕(そく):対象との接触

⇒ ⑦ 受(じゅ):感情

⇒ ⑧ 愛(あい):欲望

⇒ ⑨ 取(しゅ):執着

⇒ ⑩ 有(う):生存

⇒ ⑪ 生(しょう):生活

⇒ ⑫ 老死(ろうし):老いと死

・十二縁起を「①が②を生み、②が③を生み・・・」と

 「原因⇒結果」として観察することを「順観」という。

 これに対して「①がなくなれば(滅尽すれば)②が

 なくなり(滅尽し)・・・」と「原因の滅尽⇒結果の

 滅尽」として観察することを「逆観」という

・本文①~④は、4階「五蘊(自己)は空であるとする

 観自在菩薩のフロア」から眺めると、十二縁起は

(順観と逆観のいずれにおいても)すべて無いと

いう意味である。

・本文⑤は「四諦」は無いと言っている。

 「諦」は「明らかにする」と意味である。

・本文⑥の「」は、釈迦が四諦八正道によって

 得た「智」のことである。

・「自己を突き詰めると、諸法という要素に解体され、

 固定した自我は存在しない」が仏教の基本的な考え方である。

・なぜ自己があるように見えるのか、研究者たちは、「どこかに

 諸法を結合させたり分離させたりする働きがあるため、

 個性が生じて自己が存在しているように見える」と考えた。

・この諸法を結合させる働きを「」、分離させる働きを「非得」と

 言う。

・本文⑥は、上記の「智」も「得」もないと言っている。なお、

 大本では「得もなく」の後に「得もなく非得もない」と続く。

 すなわち、般若心経(小本)では「非得もない」が省略されている。

 

*****(6)

① 以無所得故 菩提薩埵  いむしょとくこ ぼだいさった

③ 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 えはんにゃはらみったこ しんむけいげ

③ 無罜礙故 無有恐怖 むけいげこ むうくふ

④ 遠離一切顛倒夢想 おんりいっさいでんどうむそう

⑤ 究竟涅槃 くぎょうねはん

 

【意味】

① (この故に)ここにはいかなるものもないから、菩薩は

② 般若波羅蜜多(智慧の完成)を拠り所として、心の妨げなく安住している

③ 心の妨げがないので恐れがなく

④ ないものをあると考えるような見方を超越していて

⑤ まったく開放された境地にいる

 

【解説】

・大本に書かれている舎利子のふたつ目の質問

 「そのビジョンを得る手段は何か?」の答えが

 この箇所から始まっている。

・菩提は「悟り」、薩埵は「一人」という意味の音写語で、

 菩提薩埵は「修行者」のことである。

・菩薩たちは、般若波羅蜜多をスローガンとして祈り、

 瞑想し、この言葉に込められた意味を追求したのである。

・そのことを、菩提の代表として、観自在菩薩が語っている。

・本文②は、「般若波羅蜜多(という真言)によらずして、

 このような成果は得られないのだ」と強調している。

・「罜礙」の「罜」は「ひっかけるもの」、「礙」は「妨げるもの」を

 意味する。原語の「アーヴァナラ」(妨げるもの、閉ざされたもの、

 覆うもの)を漢訳するために作られた学術用語。

・本文②の「妨げ」は「諸法の実在観」のことである。

・恐怖の原因は「閉ざされている」という感覚である。

 例えば、死の恐怖は「死から逃れられない」と思うから

 生じる。「逃れられない」は「閉ざされている」と同じ

 意味である。

・本文③は、妨げるものがないので、心が開放され、

 恐れがなくなるという意味になる。

*****

 

(その13に続く)


般若心経その11 (別の本の意味と解説2)

2023-03-20 18:17:22 | 般若心経

【般若心経その11

 

=== 別の本の意味と解説その2 ===

 

*****(3)

① 舎利子 しゃりし 

② 是諸法空相 ぜしょほうくうそう 

③ 不生不滅 不垢不浄 不増不減 ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん

 

【意味】

① シャーリープトラよ、

② (ここにおいて)存在するものは、全て空性を特徴として、

③ 生じたというものでなく 滅したというものでなく

  汚れたものでなく 汚れを離れたものでなく

  足りなくなることもなく 満たされることもない

 

【解説】

・「法」は仏教では大変重要な言葉で、サンスクリット語では

 「ダルマ」と言う。「法」には多様の意味があり、漢訳が

 示す「法則」や「規範」の他に、「正義、善、教え、性質」など

 幅広い意味がある。

・「法」の原意は「保持されるもの」で、インドの哲学用語では

 「存在するもの」を意味する。

・釈迦は「この世にあるすべてのものは移りゆく」と見抜いた。

 これを「諸行無常」と言う。「存在するものは全て空性を

 特徴としているので、生じたり滅したりすると見えるのは

 錯覚であると言っている。

・1階は「自己が確立されていない幼児のフロア」、

 2階は「自己は確立するが執着で苦しい大人のフロア」、

 3階は「自己は五蘊にしか過ぎないと考える舎利子のフロア」、

 4階は「五蘊(自己)は空であるとする観自在菩薩のフロア」と

 すると、②の是(ここ)は4階のことを言っている。

・4階から3階を眺めると、五蘊は空なので、「不生不滅 

 不垢不浄 不増不減」に見えるということである。

 

*****(4)

① 是故空中無色 ぜこくうちゅうむしき

② 無受想行識 むじゅそうぎょうしき

③ 無眼耳鼻舌身意 むげんにびぜつしんい

④ 無色声香味触法 むしきしょうこうみそくほう

⑤ 無眼界乃至無意識界 むげんかいないしむいしきかい

 

【意味】

① この故に、空性においては色なく

② 受なく、想なく、行なく、識もない

③ 眼耳鼻舌身意もない

④ 色声香味触法もない

⑤ 眼界から意識界に至るまで悉くない

 

【解説】

・この箇所は、舎利子への3回目の呼びかけである。

・(2)の「色即是空」と(3)の「諸法空相」をさらに突き詰めて

 語っている。そのため、ここでは「無」という文字が続く。

・262文字の般若心経中、「無」は21個。

・(3)の解説の4階では「五蘊は自分ではない」。よって、

 4階から見ると、色受想行識は全て無いことになる。

・同様に、六根の眼耳鼻舌身意も、六機の色声香味触法も

 六識の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識/意識も全て

 無いことになる。

*****

 

(その12に続く)


般若心経その10 (別の本の意味と解説1)

2023-03-19 18:05:24 | 般若心経

【般若心経その10】

 

=== 別の本の意味と解説その1 ===

 

1冊の本を読んで、その5~その7の「訳と解説」を

まとめましたが、理解しにくい箇所があったため、

もう1冊の本を読んだところ、よく理解できました。

 

そこで、その10~その13では、「意味と解説」を

まとめてみます。

 

「仏説 摩訶般若波羅蜜多心経」

ぶっせつ まかはんにゃはらみつたしんぎょう

 

【意味】

・お釈迦様の言葉

・般若波羅蜜多の心(真言)を説いたお経

 

【解説】

・般若心経のサンスクリット原典の冒頭には、この題はない

・真言宗では、頭に「仏説魔訶」をつけるのが習わし

・「仏説」は「お釈迦様の教え」

・「魔訶」は「大きい」という意味

・「般若波羅蜜多」は原典の「プラジューニャ―・

  パーラミター」の音写語

・音写語とは、漢語に訳さずに、音だけを写した言葉。

・「般若」(プラジューニャ―)は「智慧」、波羅蜜多(パーラミター)は

 「完成」という意味。

・「心」は「心呪」(しんじゅ)、つまり真言(マントラ)のことである。

 

*****(1)

① 観自在菩薩 かんじざいぼさつ

② 行深般若波羅蜜多時 ぎょうじんはんにゃはらみたじ

③ 照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう

④ 度一切苦厄 どいっさいくやく

 

【意味】

① 観世音菩薩(観音様)が、

② 深遠な般若波羅蜜多の修行を実践しているとき、

③ 五蘊あり、しかもそれらの本質が空であると見極めた

④ 一切の苦厄を度したもうた

 

【解説】

・観自在は、観世音、観音のこと

・仏教史上、最も人気のある菩薩が「観音菩薩」

「五蘊」とは「色」(身体がある)、「受」(感覚がある)、

 「想」(イメージを持つ)、「行」(深層意識がある)、

 「識」(判断をする)のこと。

・「(自分を構成する)五蘊は、皆、空なり」と理解せずに、

 「(わが身は)五蘊である」と見極め、次に「それらの

 五蘊は皆、空である」と見極めたと理解する必要がある。

・仏教の基本命題が「一切皆苦」(いっさいかいく)であり、

 観自在菩薩は、これら一切の苦を度したもうた(これらの

 一切の苦から解き放たれた)。

 

*****(2)

① 舎利子 しゃりし

② 色不異空 空不異色 しきふいくう くうふいしき

③ 色即是空 空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき

④ 受想行識 亦復如是 じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ

 

【意味】

① シャーリープトラよ、

② 色とは別に空生はなく 空生とは別に色はない

③ 色はすなわち空であり 空はすなわち色である

④ 受・想・行・識についても全く同じである。

 

【解説】

・「舎利子」は「シャーリープトラ」の音写語

・「舎利子」は、釈迦の十大弟子の筆頭

・「色」とは、「私たちが目にして触れることができる

 全てのもの」のことで、「物質的なもの」である。

・「空」=「無い」ではない。

・「コップが無い」と「コップが空(から)である」とは

 意味が異なる。後者の「空である性質」のことを

 「空生」(くうせい)と呼ぶ。般若心教の「空」は

 「空生」のことである。

・空生をスペースとみなすと、「コップにスペースがないと、

 そこに水は存在できない、水がないとスペースの意味が

 ない」 つまり、「形あるものすべては、空生(スペース)と

 不可分である」と言っている。

*****

 

(その11に続く)


般若心経その9 (業と因果について)

2023-03-19 18:00:54 | 般若心経

【般若心経その9】

 

=== 因果と業について ===

 

この世の法則性を、仏教では「因果」と呼ぶ。

因果とは、ものごとの原因と結果の法則のことである。

 

」とは、私たちがなんらかの意思を持って

ものごとを行おうとする際に発生するパワーで、

悪いことをすれば「悪業」のパワーが生まれ、

善いことをすれば「善業」のパワーが生まれる。

 

これらの「悪業」や「善業」が私たちを将来、

楽なところや嫌なところへ引っ張っていくが、

そこに関係するのが「輪廻」である。

 

輪廻とは「この宇宙には複数の違った生まれがあり、

生き物はそのいずれかの生まれを永遠に転生しつづけると

いう考え方」である。

 

輪廻には、五道輪廻六道輪廻があり、六道

輪廻に含まれる6つの生まれは以下である。

① 天(てん):神々

② 人(じん):人間

③ 阿修羅(あしゅら):悪しき神々

④ 畜生(ちくしょう):牛馬などの動物

⑤ 餓鬼(がき):飢餓などで苦しみ続ける生き物

⑥ 地獄(じごく):ひたすら苦しむ恐ろしい状態

③を覗いたものが、五道輪廻である。

 

端的に言えば、

・善い行いをすれば善業エネルギーに導かれて、

 「天」に生まれ変わる

・悪い行いをすれば悪業エネルギーに導かれて、

 餓鬼道や地獄に落ちる。

 

注:

「天」に生まれたとしても、天にも寿命があり、身心の

衰えはあり、死の恐怖があるので、業が生じ、輪廻が続く。

 

【業の法則1】

・いったん発生してしまった業は自然消滅することはない。

・必ず報いとしてなにがしかの結果をもたらす。

(結果が、いつ現れるかはわからない。百回生まれ変わった

後かも知れない)

 

【業の法則2】

業と、その結果との関係は一回限りである。

(結果が原因となって、その次に別の結果が現れると

いうことはない)

 

=== 釈迦の仏教(小乗仏教) ===

 

善業にせよ悪業にせよ業がある限り輪廻が続く。

よって、輪廻そのものが究極の苦である。

しかし、この世界の因果則は厳然たるもので

変えることができない。

 

そこで、(業の原因となる)煩悩を消すことによって

業のパワーを消して、輪廻を止めることで涅槃を目指す

(つまり、特別な努力をして自分の心のあり方を

変える、ということである)

 

注:涅槃とは、「完全に輪廻を滅した安らぎの境地のこと」である。

 

これが、釈迦が考えた仏教の目的である。

 

なお、輪廻を止めることができるのは「業の法則2」を

前提としている。

 

さらに、この目的を果たすために、釈迦が考えた方法は、

「この世の在り方を正しく理解し、その知識を土台にして

煩悩(苦しみ)を消すために個人的な修行を行うこと」である。

正しく理解することに関係するのが、「五蘊」、「十二処」、「十八界」で、

修行に関係するのが「四諦」、「八正道」である。

 

=== 大乗仏教 ===

 

これに対して、「自分を変えるのではなく、逆に世界の

因果律の方を変えられるようにした」のが大乗仏教である。

 

そのポイントとなるのが、「利他」と「廻向」(えこう)である。

 

釈迦の仏教の場合は、まず自己救済の「自利」があり、

それが回り回って結果的に他者の救済、つまり「利他」に

転ずるという「自利⇒利他」の流れである。

 

これに対して、大乗仏教では、最初から「他利」に目を

向けている。

 

すなわち、最初から人のために身を捧げることを奨励している。

そうした「善行」を日常の中で積んでいけば、出家して仏道修行を

行わなくても悟りに近づけるという考え方である。

 

よって、他者を救った結果として最終的に自分が救われるので、

大乗仏教は「利他⇒自利」の流れとなり、「釈迦の仏教」とは

流れが反対となる。

 

この流れを実現するために、この世で自分がなした善行の

エネルギーは、そのまま輪廻の中で使ってしまうのではなく、

ぐっとため込んでおいて別のほうへ振り向けることが可能だと

考えた。

 

別のほう:

悟りをひらき、ブッダとなって、二度と生まれ変わることのない

涅槃にはいること。

 

このように、本来ならば絶対に転換不可能な原因と結果の

関係にひねりを入れて、望む方向に結果を転向させることを

「廻向」と言う。

このような廻向ができるのは、「空」という概念によって、

それまでの世界のあり方の決まりごとをまぼろしに

してしまったからである。

 

なお、「般若経」では、善行エネルギーを溜めるために、

「般若経を唱えることが最も効果的である」としている。

*****

 

(その10に続く)