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そもそも人が活字を読む場合、漢字にいちいち
執着はするまい。一種の記号として読むだけで
十分なのである。
だからあえて書物を読まなくとも、パソコンでも
ケータイでも文字を読み続ける限りは、人間の
読解力が衰えるわけではなく、むしろそれらが
出現する以前の映像指向の時代のほうが
危機的状況であったと言える。
しかし、一方で書く機会は明らかに少なくなった。
むろんケータイでもパソコンでも、人は「書く」という
表現を用いるが、正しくはそうではなく、ボタン操作に
よって機械に「書く」ことを命じているにすぎない。
つまり読むときと同様に、「書く」に際しても
漢字を一種の記号として認識するようになった。
したがって生活上やむなく「書く」ことを迫られたとき、
正しい「浅」ではなく「、」や「ノ」が抜けた記号が登場して
しまうのである。
読むことと同時に、書くことも奨励していかなければ、
日本語は滅びぬにしても機械の中だけの伝承物と
なってしまうと危惧するのは、いまだこうして原稿用紙に
万年筆を走らせている私ひとりの、思い過ごしであろうか。
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浅田次郎さんの「アイム・ファイン!」というエッセイ集の中で
見つけた言葉だけど、最近、手で文字を書くことがほとんど
なくなったから、ホントに漢字はどんどん記号化して行って
しまうなぁ。
手で文字を書くことは大切だよね。 パソコンやケータイが
漢字に変換してくれても、それで自分が漢字を知ってるとは
言えないもんね。