昨日は『風が強く吹いている』の舞台の初日でした。
拙者の書いた小説が原作の舞台について、こんなことを言うのは「親ばか」かもしれん、とも思うのですが、しかし舞台は舞台を作っていらっしゃるかたたちのもの。やっぱり小説とは全然別個の作品ですので、言わせていただきます!
すごくすごくいいです! すばらしいです!
自分でもちょっとどうかとたじろぐほど、舞台を拝見しながらダーダー泣いてしまいました。
もし、「行こうかどうしようか迷っている」というかたがいらしたら、ぜひ行ってみていただきたいです。私はあと三回行くつもりだったのですが(行きすぎ?)、さらに回数増やしたいと画策してます。とてもいい舞台だと思うから。
さて、どこがどうよかったのか、ねっちり暑苦しく記すとするか。
まず、榊ですね! 小説ではどうも榊をうまく書いてあげられなかったなあ、という後悔がちょっとあり、榊の考えかたとか生きかたとか、共感して実践することは不可能なのだけれど(根性ないから)、とても好きだよ! と思っていた。それを表現しきれなかったのは俺の未熟と不徳のいたすところだすまん榊! と思っていた。
しかし舞台では、役者さんの力によって、榊がものすごく深みと痛みのある人間として立ち現れていて、もうもう感極まった。「よかったな、榊!」とすごくうれしくて、こういうふうに表現していただけるとはと思ったら、ドバーと涙が。
それに対してカケルが必死に言葉を発する姿もよくて、ドバーが二乗。
隣の席にいたパンイチくんが、吾輩の膝にポケットティッシュをそっと載せてくれたほどだ。
終演後、「わたしいま、松田○子みたいなことになってないかね」と化粧チェックをお願いしたら、「たとえが古すぎます」とパンイチくんにダメ出しくらったほどだ。あ、これは感動とは全然関係ないエピソードでした。
榊とカケルのシーン以降は、もうとどめようがなく、ずっと泣いてた。そして、くすくす笑えるシーンもいっぱいあった。
誓って言うが、私は自分の書いたもんを読んで泣いたことなんか一回もない(当たり前だが)。ごくごくたまに、エッセイ読んで笑うことはある。「はは、ばかじゃん」て。そりゃ渇いた笑いってやつだ。
じゃあ、どうしてこんなに感動してるのかなあと考えてみるに、やっぱり舞台と小説はまったく別物だからだろう(当たり前だが)。別物として見ることができる機会を与えていただけて、しかも、どの登場人物も小説よりずっと膨らみのある人間像になっていて、ありがたさで泣いた。生き仏に対して、「ありがたい」って涙流して手を合わせる老婆の気持ちがすごくわかった(このたとえは妥当かしら?)。
もうひとつはやっぱり、生身の肉体を持つ、実力ある役者さんたちが放つ迫力と心情に、否応無しに胸を揺さぶられずにはいられなかった、ということがある。アオタケでの暮らしが、ほんとに目の前で繰り広げられている! 住人たちの喜びや苦しみがすぐそこに、手で触れられる(触れたりしませんけれども)人間の形となって表現されている! うれしい驚きと感激で、あやうく成仏するところだ。
あー、もっと細かく記したいのだが、すでに十二分に暑苦しい日記になっちゃったし、あまりネタバレしすぎてもいけないですね。今宵はここまでにしておこう。
舞台のスケジュールやチケットの入手方法については、下記URLに載っています。
詳しいことは、ここで確認していただければ幸いです。
アトリエ・ダンカンの『風が強く吹いている』のページです。
http://www.duncan.co.jp/web/stage/kaze/shedule.html
拙者の書いた小説が原作の舞台について、こんなことを言うのは「親ばか」かもしれん、とも思うのですが、しかし舞台は舞台を作っていらっしゃるかたたちのもの。やっぱり小説とは全然別個の作品ですので、言わせていただきます!
すごくすごくいいです! すばらしいです!
自分でもちょっとどうかとたじろぐほど、舞台を拝見しながらダーダー泣いてしまいました。
もし、「行こうかどうしようか迷っている」というかたがいらしたら、ぜひ行ってみていただきたいです。私はあと三回行くつもりだったのですが(行きすぎ?)、さらに回数増やしたいと画策してます。とてもいい舞台だと思うから。
さて、どこがどうよかったのか、ねっちり暑苦しく記すとするか。
まず、榊ですね! 小説ではどうも榊をうまく書いてあげられなかったなあ、という後悔がちょっとあり、榊の考えかたとか生きかたとか、共感して実践することは不可能なのだけれど(根性ないから)、とても好きだよ! と思っていた。それを表現しきれなかったのは俺の未熟と不徳のいたすところだすまん榊! と思っていた。
しかし舞台では、役者さんの力によって、榊がものすごく深みと痛みのある人間として立ち現れていて、もうもう感極まった。「よかったな、榊!」とすごくうれしくて、こういうふうに表現していただけるとはと思ったら、ドバーと涙が。
それに対してカケルが必死に言葉を発する姿もよくて、ドバーが二乗。
隣の席にいたパンイチくんが、吾輩の膝にポケットティッシュをそっと載せてくれたほどだ。
終演後、「わたしいま、松田○子みたいなことになってないかね」と化粧チェックをお願いしたら、「たとえが古すぎます」とパンイチくんにダメ出しくらったほどだ。あ、これは感動とは全然関係ないエピソードでした。
榊とカケルのシーン以降は、もうとどめようがなく、ずっと泣いてた。そして、くすくす笑えるシーンもいっぱいあった。
誓って言うが、私は自分の書いたもんを読んで泣いたことなんか一回もない(当たり前だが)。ごくごくたまに、エッセイ読んで笑うことはある。「はは、ばかじゃん」て。そりゃ渇いた笑いってやつだ。
じゃあ、どうしてこんなに感動してるのかなあと考えてみるに、やっぱり舞台と小説はまったく別物だからだろう(当たり前だが)。別物として見ることができる機会を与えていただけて、しかも、どの登場人物も小説よりずっと膨らみのある人間像になっていて、ありがたさで泣いた。生き仏に対して、「ありがたい」って涙流して手を合わせる老婆の気持ちがすごくわかった(このたとえは妥当かしら?)。
もうひとつはやっぱり、生身の肉体を持つ、実力ある役者さんたちが放つ迫力と心情に、否応無しに胸を揺さぶられずにはいられなかった、ということがある。アオタケでの暮らしが、ほんとに目の前で繰り広げられている! 住人たちの喜びや苦しみがすぐそこに、手で触れられる(触れたりしませんけれども)人間の形となって表現されている! うれしい驚きと感激で、あやうく成仏するところだ。
あー、もっと細かく記したいのだが、すでに十二分に暑苦しい日記になっちゃったし、あまりネタバレしすぎてもいけないですね。今宵はここまでにしておこう。
舞台のスケジュールやチケットの入手方法については、下記URLに載っています。
詳しいことは、ここで確認していただければ幸いです。
アトリエ・ダンカンの『風が強く吹いている』のページです。
http://www.duncan.co.jp/web/stage/kaze/shedule.html