日伊文化交流協会

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映画:『塀の中のジュリアスシーザー』

2013年02月11日 01時21分09秒 | おすすめの映画
イタリア映画です。
一言でいうとつまんなかった!!
っていうか、もう半分寝ました。で、その眠気を戦う「あくび」のせいで滂沱の涙・・・
マスカラが取れちゃったぜいぃ~

■映画:塀の中のジュリアス・シーザー(原題/Cesare deve morire)
■監督/脚本:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ
■製作:グラツィア・ヴォルピ
■撮影:シモーネ・ザンパーニ
■音楽:ジュリアーノ・タヴィアーニ&カルメロ・トラヴィア
■出演:コジモ・レーガ/サルバトーレ・ストリアノ/ジョバンニ・アルクーリ/アントニオ・フラスカ/ファン・ダリオ・ボネッティ/ヴィンチェンツォ・ガッロ/ロザーリオ・マイオラーナ、他
■製作:2012年/イタリア映画/76分


塀の中のジュリアスシーザー公式HP


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《あらすじ》HPから抜粋

イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。ここでは囚人たちによる演劇実習が定期的に行われている。 毎年様々な演目を囚人たちが演じて、所内劇場で一般の観客相手にお披露目するのだ。 指導している演出家ファビオ・カヴァッリが今年の演目を、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」と発表した。 早速、俳優のオーディションが始まり、ブルータスが、シーザーが、キャシアスが…、配役が次々と決まっていく。 演じるのは重警備棟の囚人たち。本公演に向けて所内の様々な場所で稽古が始まる…。
ほどなく囚人たちは稽古に夢中になり、日常生活が「ジュリアス・シーザー」一色へと塗りつぶされていく。 各々の監房で、廊下で、遊戯場で、一所懸命に台詞を繰り返す俳優たち=囚人たち。 それぞれの過去や性格などが次第にオーバーラップして演じる役柄と同化していく


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もうあまりにめんどくさいから「あらすじ」さえ、自分で書かず抜粋しちゃったぜい~
なんていうか、ドキュメンタリーでもなく、劇中劇でもなく、で映画としての立ち位置がわからない。
刑務所で撮影したのは事実みたいです。だけどすでに出所している人とかが、以前収監されていた刑務所に戻っての撮影とかだし、本物っていうと変だけど、終身刑の人もいるわけだから、この言い方が正しいかどうかわからないけれど、囚人として出演している人もいるみたいでした。でも、あくまで映画としての作品なんですよねぇ~。
そのあたりが、作られた部分と生の部分の境目がよくわかりませんでした。それが狙いなのかもしれないけど・・・

そりゃね、

囚人たちが何かに一生懸命取り組むことで、自分を見直し、罪の深さを感じて悔悛する

とかそんな安易な終わりにしないあたりは、タヴィアーニ兄弟らしさが出てて、コアなファンが見たら面白いのかもしれません。
でも、刑務所内の生活なども描かれることもなく、ひたすら演技の練習をしているだけでし、とにかくどれもこれもシツコイ。

たとえば、扉が閉まるシーンがあるわけですよ。
演技を終えて独房に戻る服役囚。そこには、やり終えた充実感と、明日から何を目標にするべきかと言う虚脱感があふれている。
だけど、

ガチャ(鍵を開ける)→バタン(ドアが閉まる)→ガチャ(外から鍵がかけられる)

これだけでも、延々8人ぐらい続く。
せっかちながっちゃんは、
3人ぐらいでええやろぉーーーー。って思ってしまう。
オーディションのシーンも同様で、名前と出身地と生年月日を、怒った様子と哀れな様子の2種類で言う。ってことですが、これまた長いっ。このあたりですでに眠気が・・・

イタリアでは、服役囚たちによる“Compagnia dei Liberi Artisti Associati(連携している自由なアーティストによるカンパニー)なるものが実際あるそうで、服役囚たちが参加する刑務所内での演劇実習によって数々の芝居を披露しているんだそうです。
2万人以上が、彼らの芝居を観るために刑務所内に足を踏み入れているとのこと。
そういうシステムについての説明はほとんどなくて、とにかくオーディションに始まり、配役が決まった後は、『ジュリアス・シーザー』の演目の台詞が延々と続く。
それならばいっそ、もうその演目の舞台を流してくれるほうがマシって感じで、画面が白黒で暗いし、もう眠くて眠くて。
この映画にはストーリーっていうのはないんですよ。
とにかく、取りつかれたように熱心に演技衣励む、囚人の表情を見ろと、
つまりそういうことです。でもこれがドキュメンタリーではない。そのあたりがビミョー




イメージとしたら、露出をアンダー気味にした、シャープな白黒写真の写真展を見てるような感じ。
そこには、役に入り込む姿や、流れる汗と共に、熱気が伝わってきます。
だ・け・ど、それだけって感じ。

すいません。芸術的なものに疎くて・・・



↑カラーだったのは冒頭と同じシーンのラストの5分ぐらいだけ



↑この方は、麻薬売買で17年の刑期とのこと。


以前、ご主人が写真家だっていう奥さんがぼやいてたんですけれど、家族でディズニーランドに遊びに行った時、当然カメラは持っていきましたが、ご主人は、やれ構図がとか、光の加減がとか、そんなことを言って、なかなかシャッターを押さない。
奥さんとしては、芸術的な写真じゃなくて、単に思い出としての家族写真なんだからバシャバシャ撮ればいいのに。って思って喧嘩になった。っていうんですよ。
なんとなく気持ちわかるなぁ~。

よくシェフのご主人は家では一切ご飯を作らない。って人が多いみたいで、プロとしての仕事とそうじゃないことと分けてるみたいですけれど、カメラはねぇ~、とりあえず撮ってほしいですよね。
話が脱線しましたが、この映画を見て感じたのはつまりそういうことです。
芸術作品としては評価は高いのかもしれないけれど、見てるほうはもう退屈で退屈で・・・
まぁこれはがっちゃんの主観です。
この映像の迫力に手に汗って人もいるでしょうから。
とにかく、そんなことでがっちゃん的にはNG作品でしたが、その中でもちょっとだけふぅーーーん。って思ったことをいくつか。

たとえば、

1990年生まれ1月25日生まれとします。

私なら、sono nata il 25 gennaio 1990anni
みたいな言い方をするけれど(日本語的に言うと、1990年1月25日生まれです)

でも、この映画では全員が、

25,1,90
(ヴェンティチンクエ、ウーノ、ノヴァンタ)

っていう言い方をする。つまり月の部分が普通に数字なんですよ。
へぇーーーーーって思いました。
これは刑務所で決まった言い方なのか、でもイタリア人って同じように言うってことを絶対しない人種だから、すごく不思議でした。


刑務所の様子については、以前からイタリアはテレビがあるとか聞いていましたが、部屋がかなり広くて、日本の安いビジネスホテルなんかより格段に広い。その上、エスプレッソ用のマッキネッタがあったりしてびっくり。(部屋でお湯が沸かせるってすごくないですか?)
服装も結構自由で(このあたりが白黒で見にくかったけど)フツーの服って感じでした。


あと、舞台の為だけど、凶悪犯を収容している刑務所なのに、舞台で使う偽物のナイフが結構堅そうに見えたり・・・
もし日本だったら絶対紙にアルミホイル張ったようなものになると思う。




最後は音楽。
奇しくも前日に見たばかりの『ローマ、恋のビフォーアフター』と同じ、ジュリアーノ・タヴィアーニ&カルメロ・トラヴィアが担当していました。
でも、この音楽もまた、タヴィアーニの映像にリンクするかのように、同じフレーズの繰り返し。
これが一段と眠気を誘う・・・


いやはや、何も語ることがない映画ですが、映画館に行くと収穫も・・・
この春、

『海と大陸』と言う、シチリア沖の島を舞台にした映画と、『ある海辺の詩人』と言う、ヴェネツィア近くのキオッジャの漁村を舞台にした映画が2本封切されます。

『ある海辺の詩人』の方は、がっちゃんが嫌いな岡本太郎が翻訳したようで、きっと

隠喩に満ちた倒置法のレトリックを駆使した
(この時点でわけわかんない)字幕になるんだろうなぁ~。

なんで岡本太郎使うんだろう・・・
格調高い文章を書く人だとは思うけれど、イタリア映画の退屈な部分を

5割増し

にするんよねぇ。
なんだかネガティブな内容ですけれど、とりあえず、今年はイタリア映画の公開本数が増えることを期待します。


たまにこのブログを、映画関係者の方がみてくれていて、プレスリリース用の写真を先に送ってくれたりするけれど、本当に言いたい!!
岡本太郎は外してくれぇーーーーーーー。
本当に筋がわからなくなっちゃうから。


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2 コメント

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Unknown (とすかーな)
2013-02-16 18:01:25
がっちゃんさん、めっちゃウケちゃいました。
「岡本太郎は外してくれぇーー」って思いっきり書くところ、大好きです(笑)
本人の写真をネットで見たら、「うん、たしかに神経質そうだ・・・」って思いました。哲学者っぽいですね。
ちょっと読んで、この人の訳仕方、キライって言うんじゃなくて、どういう訳し方をしているのか説明できるところまで、読んで知っているところが、すごいです。
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とすかーなさんへ (がっちゃん)
2013-02-18 13:36:00
ブログも、ハンネも一新ですね~。
岡本太郎はね、とにかく主語から述語までが長いんですよ。
それは確かに文学的ではあるけれど、映画の字幕のような極短いセンテンスに凝縮することを求められる文章には本当に不向き。
以前、戸田奈津子さんが何かのインタビューで、とにかくあの文字範囲に文意を入れることがどれほど大変なことなのかを語っていて、

たとえば、映画の中では
「養育費と慰謝料を合わせて毎月2000ドルも支払わなくちゃいけないんだ。まったくあの女の方が俺よりずっと稼いでるっていうのによ。おかげで俺は金欠さ」

と言うような内容だったらしいのですが、これをそのまま書くとすごく長い。
でそれを
「別れた妻にガキが3人。その上、元妻は弁護士ときたもんだ」
としたんですって。(詳細はこうじゃかったと思いますけど、だいたいこんな感じ)
見てる方は、それで十分彼が金欠な様子がわかりますよね。

それがねぇ~岡本太郎の場合、
たとえば、ここに映画パンフレットの一文があるんですけれど、どれもこれも長い!!
↓↓↓↓↓

「イザベラ・ラッゴネーゼを主役に無邪気に前向き、というよりはほとん無条件もしくは能天気に人生肯定的な新卒才媛がコールセンターを舞台に繰り広げる活躍ないしとんでもない奮闘を描いたヴィルズィだが・・・」

いやあの、ヴィルズィって何・・・?
こんなに短い文章の中で、

~というよりは
もしくは
~ないし

なんて入ってくると、結局肯定なんだか、否定なんだか、並列なんだかわかんない。
がっちゃんてば、芥川賞作品はどれもこれも退屈で、基本的に直木賞作品の方が好きなんですが、それとおんなじな気がする。
まぁ読解力不足って言われてしまえばそれまでなんですが、なんていうか、自分の読解力が世間より著しく低いというわけではないと思っているので、やっぱり一般的な感覚で見ても、この文体はキツイんじゃないかと思うワケです。

ハイ
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