ケン・ヘンズレー Kenneth William David "Ken" Hensley
【パート】
オルガン、キーボード、ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1945年8月24日~2020年11月4日(75歳没)
【出生地】
イングランド ロンドン
【経歴】
Kid & The Saracens(1963~1965)
The Jimmy Brown Sound(1965~1967)
ゴッズ/Gods(1967~1969)
クリフ・ベネット・バンド/Cliff Benett Band(1969)
トー・ファット/Toe Fat(1969)
ヘッド・マシーン/Head Machine(1969)
スパイス/Spice(1969)
ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1969~1980)
Shotgun(1981)
Ken Hensley Band(1981~1982)
ブラックフット/Blackfoot(1982~1985)
Ken Hensley & Visible Faith(1999)
Hensley Lawton Band(2000~2001)
Ken Hensley/John Wetton(2001)
Ken Hensley & Free Spirit(2002)
Ken Hensley & The Viking All-Stars Band(2005)
Ken Hensley & Live Fire(2006~)
ケン・ヘンズレーはイギリスのキーボード奏者。
ハード・ロック・バンド「ユーライア・ヒープ」の初代キーボード奏者として知られている。
ユーライア・ヒープ在籍時はオルガン、ギター、ソングライターとしてバンドを支えた。
ヘンズレーは、ロンドン南東のプラムステッドで生まれ、ハートフォードシャー州スティーヴニッジで育った。
12歳の時に、バート・ウィードンの教則本でギターを弾き始める。
1960年、従兄弟たちと組んだ「The Blue Notes」というバンドにギタリストとして参加する。The Blue Notesは、その年9月にスティーヴニッジのメントモア・ペン・ファクトリーで演奏したが、これがヘンズレーの初めてのステージ体験である。その後は「The Blue Stars」「Ken & The Cousins」などというバンド名で活動を続ける。
1963年、「Kid & The Saracens」のメンバーとなる。これがヘンズレーのプロ・ミュージシャンとしての始まりである。このバンドにはすでにギタリストが2人いたため、ヘンズレーはキーボードを担当することになった。
Kid & The Saracensはベン・E・キングのイギリス公演で彼のバック・バンドを務めることになったこともあったが、結局これは実現しなかったという。
1967年、ミック・テイラー(guitar, のちローリング・ストーンズ)やジョン・グラスコック(bass, のちジェスロ・タル)らとともに、自身がリーダーのバンド「ゴッズ」を結成する。
ゴッズにはその後ベースにポール・ニュートンやグレッグ・レイクが、ドラムにリー・カースレイクが在籍している。
1968年10月には、ヘンズレー(vocal, keyboard, guitar)、ジョー・コーナス(guitar, vocal)、ジョン・グラスコック(bass)、リー・カースレイク(drums)というメンバーで、デビュー・アルバム『ジェネシス』を発表。
しかし1969年2月には、アルバム1枚(解散後にセカンド・アルバムを発表)、シングル3枚(解散後に4枚目のシングルを発表)を残してバンドは解散した。
この後ヘンズレーは、親交のあったクリフ・ベネット(vocal)のバンドに加入し、シングル「Memphis Streets」の録音に参加(同年6月リリース)した。
このバンドは、同年6月にジョン・グラスコック(bass)とリー・カースレイク(drums)という、いずれもゴッズの元メンバーを加え、「トー・ファット」として活動を開始する。
1969年11月にトー・ファットを脱退したヘンズレーは、ゴッズの元メンバーらとともに覆面グループ「ヘッド・マシーン」名義でのアルバム制作を企画し、11月から12月にかけてアルバム『Orgasm』を制作する。
1969年12月、キーボード奏者を必要としていた「スパイス」に加入。
スパイスは、ゴッズ時代のバンド・メイトであるポール・ニュートンが在籍していたバンドで、その他のメンバーは、ミック・ボックス(guitar)、デヴィッド・バイロン(vocal)、アレックス・ネピアー(drums)だった。
ヘンズレーの加わったスパイスは、プロデューサー兼マネージャーのジェリー・ブロンの提案で「ユーライア・ヒープ」と改名する。
ユーライア・ヒープは1971年に発表したアルバム『対自核』でブレイクすると、続く『悪魔と魔法使い』『魔の饗宴』と立て続けにヒット・アルバムを発表し、ディープ・パープルやブラック・サバスと並ぶ世界的なハード・ロック・バンドとして認知されるようになった。
ヘンズレーは、ユーライア・ヒープではキーボードとギターを担当したほか、メインのコンポーザーとして多くの代表曲を書いている。バンド最大のヒット曲であるシングル「安息の日々」(全米39位、1972年)もヘンズレーのペンによるものであるが、この曲は移動中の車の中で誰かが発した「これって悠々自適な生活だね」という言葉をきっかけに、わずか15分で書き上げたという。
オルガン奏者としてのヘンズレーは、ジョン・ロード(ディープ・パープル)らと並ぶ1970年代のハード・ロック界を代表するオルガニストとして人気を博した。時には音色を歪ませた彼のハモンド・オルガンは、重厚なヒープ・サウンドには欠かせないものであった。
全盛期を迎えたユーライア・ヒープにあって、ヘンズレーはミック・ボックスやデヴィッド・バイロンらとともに主要メンバーとしてをバンドを支えていたが、1979年に加入したジョン・スローマン(vocal)のパフォーマンスに対して抱えていた不満が大きくなり、それが原因となって11年在籍したヒープを去るのである。アルバム『征服者』発表直後の1980年9月のことであった。
ユーライア・ヒープ脱退後、ヘンズレーは拠点をアメリカに移し、「ケン・ヘンズレー・バンド」を組んでソロ活動を展開する。
ヘンズレーはすでに1970年代にソロ・アルバムを2枚(1973年『誇り高き言霊』、1975年『愛と苦悩』)と、ソロ・シングル1枚(1975年『In the Morninng』)をリリースしており、1981年には3枚目のソロ・アルバム『フリー・スピリット』を発表した。
1982年にはフロリダのバンド「ブラックフット」に参加、1985年まで在籍。
1985年からは音楽活動を休止してミズーリ州セントルイスに居住していたが、1989年に「W.A.S.P.」のアルバム『The Headless Childrenn』で第一線に復帰、活動を再開する。
1990年には「シンデレラ」のサード・アルバム『ハートブレイク・ステーション』にゲスト参加。
2000年にはユーライア・ヒープ時代のバンド・メイト、ジョン・ロートンとのバンド「ヘンズレー・ロートン・バンド」を結成。
2001年12月7日、ロンドンのシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われた「マジシャンズ・バースデイ・パーティ」でジョン・ロートン(vocal)とともにユーライア・ヒープのステージに客演した。このコンサートはアルバム『真・魔の饗宴〜ライヴ2001』としてリリースされている。
2002年にはジョン・ウェットンとのコラボレーション、21年ぶりのソロ・アルバム『Running Blind』をリリース。またこの年にはデイヴ・キルミンスター(guitar)、アンディ・パイル(bass)、ピート・ライリー(drums)と自己のバンド「ケン・ヘンズレー & フリー・スピリット」を結成するなど、精力的な活動を続けた。
2006年には新たな自己のバンド「ケン・ヘンズレー & ライヴ・ファイア」を結成したほか、2007年と2012年にはグレン・ヒューズとコラボレーションしている。
2013年には、ユーライア・ヒープ時代の1973年以来、40年ぶりに来日して、5月28日~29日に高田馬場AREAでライヴを行った。
2020年11月4日、家族に看取られながら、スペインの自宅で死去。75歳であった。
2021年3月には、遺作となるソロアルバム『My Book of Answers』が発表されている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)
<ソロ・アルバム>
1973年 誇り高き言霊/Proud Words on a Dusty Shelf 全豪57位
1975年 愛と苦悩/Eager to Please
1980年 フリー・スピリット/Free Spirit
★1990年 The Best of Ken Hensley
★1994年 From Time to Time
1999年 A Glimpse of Glory
★2000年 Ken Hensley Anthology
2002年 Running Blind
2003年 ザ・ラスト・ダンス/The Last Dance
★2004年 ザ・ウィザーズ・ダイアリー・ヴォリューム・ワン/The Wizard's Diary Vol. 1(※CD&DVD)
2005年 Cold Autumn Sunday
★2006年 Elements – Anthology 1968 To 2005
★2006年 Inside the Mystery
2007年 Blood on the Highway
2012年 Love & Other Mysteries
☆2013年 Live Tales
★2018年 Rare & Timeless
2021年 My Book of Answers(※遺作)
<ゴッズ>
1968年 ジェネシス/Genesis
1970年 トゥ・サミュエル・ア・サン/To Samuel a Son
1976年 The Gods Featuring Ken Hensley
<トー・ファット>
1970年 Toe Fat
<ヘッド・マシーン>
1970年 Orgasm
<ユーライア・ヒープ>
1970年 ユーライア・ヒープ・ファースト/...Very 'Eavy ...Very 'Umble US186位、日本41位
1971年 ソールズベリー/Salisbury US103位、日本47位
1971年 対自核/Look at Yourself UK39位、US93位、日本5位
1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards UK20位、US23位、日本28位
1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday UK28位、US31位、日本43位
☆1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live UK23位、US37位、日本22位
1973年 スイート・フリーダム/Sweet Freedom UK18位、US33位、日本45位
1974年 夢幻劇/Wonderworld UK23位、US38位、日本76位
1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy UK7位、US85位、日本74位
★1976年 ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep US145位
1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty UK55位、US161位
1977年 ファイアフライ/Firefly、US166位
1977年 罪なきいけにえ/Innocent Victim
1978年 堕ちた天使/Fallen Angel US186位
1980年 征服者/Conquest UK37位
☆1986年 Live at Shepperton '74
☆1986年 Live in Europe 1979
★1993年 The Lansdowne Tapes
★1996年 A Time of Revelation(※CD-BOX)
☆1997年 Live in San Diego 1974
☆2002年 真・魔の饗宴〜ライヴ2001/The Magician's Birthday Party(※スペシャル・ゲストとして参加)
ユーライア・ヒープ1973 左からミック・ボックス、デヴィッド・バイロン、ゲイリー・セイン、ケン・ヘンズレー、リー・カースレイク
<ブラックフット>
1983年 革命と反乱/Siogo US82位
1984年 ヴァーティカル・スマイルズ/Vertical Smiles US176位
☆1998年 キング・ビスケット・ライヴ/King Biscuit Flower Hour Presents Blackfoot Live 1983
<ヘンズレー・ロートン・バンド>
☆2001年 The Return
☆2001年 Salisbury Live
<ケン・ヘンズレー & ジョン・ウェットン>
☆2002年 More Than Conquerors
☆One Way Or Another
<ケン・ヘンズレー & ライヴ・ファイア>
2011年 Faster
☆2013年 Live Fire
2013年 Trouble
☆2019年 Live In Russia
<参加アルバム>
1971年 Weed...!(Weed)
1975年 テイク・ノー・プリズナーズ/Take No Prisoners(デヴィッド・バイロン)
1989年 The Headless Children(W.A.S.P.)
1990年 Heartbreak Station(Cinderella)
1999年 Midnight Daydream(Bruce Cameron)
2004年 The Human Equation(Ayreon)
2007年 Gothic Kabbalah(Therion)
ポール・レイモンド Paul Martin Raymond
【パート】
キーボード、ギター、ヴォーカル
【生没年月日】
1945年11月16日~2019年4月13日(73歳没)
【出生地】
イングランド ハートフォードシャー州セントオールバンズ
【経歴】
クリス・ラム&ザ・ユニヴァーサルズ/Chris Lamb & The Universals(1965~1967)
ロード・サッチ&ザ・サヴェイジズ/Lord Sutch & The Saveges(1966)
プラスティック・ペニー/Plastic Penny(1967~1969)
チキン・シャック/Chicken Shack(1969~1970)
サヴォイ・ブラウン/Savoy Brown(1971~1974)
ハングリー・ファイター/Hungry Fighter(1974)
サヴォイ・ブラウン/Savoy Brown(1974~1976)
UFO/UFO(1976~1980)
マイケル・シェンカー・グループ/Michael Schenker Group(1980~1981)
ウェイステッド/Waysted(1982~1984)
UFO/UFO(1984~1986)
ポール・レイモンド・プロジェクト/Paul Raymond Project(1989~ )
トニー・ジャクソン・グループ/Tony Jackson Group
UFO/UFO(1993~1998)
UFO/UFO(2003~2019)
ポール・レイモンドは、UFOやマイケル・シェンカー・グループのキーボーディスト兼ギタリストである。
UFOへは1976年をはじめとして都合4度参加、1970年代半ば以降の主要メンバーのひとりとして活躍した。
レイモンドは、1964年11月にジャズ・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせた。
1965年11月にはキーボード奏者として「クリス・ラム&ザ・ユニヴァーサルズ」に加入。このバンドはスクリーミング・ロード・サッチのバック・バンド「ザ・サヴェイジズ」としても活動していたが、リーダーのクリス・ラムがバンドから離れたのを機に、1967年12月に「プラスティック・ペニー」とバンド名を改めた。当時このバンドにはミック・グラバム(guitar のちプロコル・ハルム)やナイジェル・オルソン(drums のちユーライア・ヒープ、エルトン・ジョン・バンド)が在籍していた。
プラスティック・ペニーは1967年12月にボックス・トップスのカヴァー「Everything I Am」でシングル・デビューし、この曲を全英6位に送り込んだ。
プラスティック・ペニーが1969年に解散すると、レイモンドはクリスティン・パーフェクト(keyboard のちクリスティン・マクヴィー)が脱退したあとの後任キーボード奏者として「チキン・シャック」に加入する。
チキン・シャックでは2枚のアルバムを残し、1970年いっぱいで脱退。その後、1971年初頭にキーボーディスト兼ギタリストとして「サヴォイ・ブラウン」のメンバーとなる。
ちなみに、チキン・シャック、サヴォイ・ブラウンはいずれも「イギリスの三大ブルース・バンド」のひとつであり、同じマネージメントでもあった。
サヴォイ・ブラウンではリーダーのキム・シモンズ(guitar, vocal)とともにバンドの中心的存在として活躍していたが、1974年にデイヴ・ウォーカー(vocal)とともにバンドから離れる。
レイモンドとウォーカーは、ダニー・カーワン(guitar 元フリートウッド・マック)、アンディ・シルヴェスター(bass 元サヴォイ・ブラウン)、マック・プール(drums 元ウォーホース)と合流して「ハングリー・ファイター」を結成したが、このバンドはわずか数度のライヴを行っただけですぐに解散したため、レイモンドは1974年冬にはサヴォイ・ブラウンに復帰した。
サヴォイ・ブラウンでは、1971年の加入時から1976年夏に脱退するまでに通算6年在籍し、6枚のアルバム制作に参加した。
1975年にはダニー・カーワンのソロ・アルバム『セカンド・チャプター』のレコーディングに参加している。
1976年、キーボードとギターの両方を演奏できる人材を探していたUFOにスカウトされ、ダニー・ペイロネル(keyboard)の後任として加入。レイモンドはUFOのために曲も書いたが、かつて交わした出版契約のため、近年までクレジットされていなかった。
UFOはマイケル・シェンカー(guitar)を迎えた1973年頃から上昇気流に乗っていたが、レイモンド加入後はさらに勢いを増し、1977年にリリースしたアルバム『新たなる殺意』は、ビルボード誌における最高位が前作の『ノー・ヘヴィー・ペッティング』の167位から23位(UFOの全アルバム中の最高位)に急上昇。続く1978年の『宇宙征服』もビルボード最高41位を記録した。
UFOではキーボーディストとしてはもちろん、セカンド・ギターとしても活躍。左利きだった彼はレフティ専用のギターを肩にかけてキーボードを弾き、シェンカーのソロではすぐさまリズム・ギターにスウィッチして見事にサポートする姿は、UFOのステージには欠かすことのできないものであった。レイモンドの存在は、シェンカーの、そしてバンドにとっての非常に重要な存在だったと言えるだろう。
レイモンドの加入によって全盛期を迎えたUFOだったが、精神的に追い込まれたマイケル・シェンカーが1978年秋に脱退する。
看板ギタリストの脱退と言う非常事態にあたり、バンドはかつてのメンバーだったポール・チャップマン(guitar)を再度迎え入れて危機を乗り切り、1979年にライヴ・アルバム『UFOライブ』、1980年にはスタジオ・アルバム『ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス』を発表。しかしトリを務める予定だったその年のレディング・フェスティヴァルの開催前にレイモンドはUFOを脱退(後任は元ワイルド・ホーシズのニール・カーター)し、マイケル・シェンカー・グループに参加する。
ポール・レイモンド & マイケル・シェンカー(右)
1980年にマイケル・シェンカー・グループの一員となったレイモンドは、アルバム『神話』『飛翔伝説 MSG武道館ライヴ』の2枚に参加したのち、1983年にUFOのベーシストであるピート・ウェイのバンド「ウェイステッド」に加入。
ウェイステッドではアルバム『Vices』(1983年)を制作したのみで脱退し、1984年に再結成したUFOに参加、1986年まで在籍した。
1980年代末頃には日本に住んでいたことがあり、当時自身がリーダーの「ポール・レイモンド・プロジェクト」名義でアルバムをリリースしている。このバンドは以後も断続的に活動を続けた。
1993年、再々結成後のUFOに復帰したが、バンドは1998年に解散する。
UFOは2000年に活動を再開。レイモンドは2003年に3度目の復帰を果たした。
2019年4月13日、レイモンドは心臓発作により73歳で死去。
UFOは2019年3月から「UFO Last Orders 50th Anniversary」(ラスト・オーダーズ 50周年記念)というタイトルのツアーを行っていた。このツアーを最後にフィル・モグ(vocal)はバンドから離れることを公表しており、レイモンドもバンドの一員としてそのツアーに加わっていた。
バンドは4月5日のロンドンのO2フォーラムでの公演を最後に、最初の行程であるイギリスとアイルランドのツアーを終えた。レイモンドの死去はそのわずか8日後であった。バンドは、1980年から1983年までレイモンドの後任としてUFOに在籍していたニール・カーターを急遽起用し、ツアーを続行した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★コンピレーション・アルバム)
<プラスティック・ペニー>
1968年 Two Sides Of A Penny
1969年 Currency
★1970年 Heads I Win, Tails You Lose
<チキン・シャック>
1969年 100トン・チキン/100 Ton Chicken
1970年 アクセプト・チキン・シャック/Accept Chicken Shack
<サヴォイ・ブラウン>
1971年 Street Corner Talking US75位
1972年 Hellbound Train US34位
1972年 Lion’s Share US151位
1973年 Jack The Toad US84位
1975年 Wire Fire US153位
1976年 Skin ‘N’ Bone US206位
<UFO>
1977年 新たなる殺意/Lights Out UK51位, US23位
1978年 宇宙征服/Obsession UK26位, US41位
☆1979年 UFOライブ/Strangers In The Night UK7位, US42位
1980年 ヘヴィ・メタル・エクスペリエンス/No Place To Run UK11位, US51位
1985年 ミスディミーナー/Misdemeanor UK74位, US106位
☆1992年 BBC Radio 1 Live In Concert ※録音=1974, 1980
1995年 ウォーク・オン・ウォーター/Walk on Water
2000年 聖約/Covenant
2004年 ユー・アー・ヒア/You Are Here
2006年 モンキー・パズル/The Monkey Puzzle
2009年 ザ・ヴィジター/The Visitor UK99位
2012年 セヴン・デッドリー/Seven Deadly UK63位
<マイケル・シェンカー・グループ>
1981年 神話/MSG UK14位, US81位
☆1981年 飛翔伝説 MSG武道館ライヴ/One Night At Budokan UK5位
<ウェイステッド>
1983年 Vices UK78位
<ポール・レイモンド・プロジェクト>
1989年 ライジング・サン/Under The Rising Sun
1999年 Man On A Mission
2013年 Terms & Conditions Apply
<ゲスト参加>
◆ダニー・カーワン
1975年 Second Chapter
デイヴ・グリーンスレイド David John "Dave" Greenslade
【パート】
オルガン、ピアノ、キーボード、ヴィブラフォン
【生没年月日】
1943年1月18日~
【出生地】
イングランド サリー州ウォーキング
【経 歴】
クリス・ファーロウ& ザ・サンダーバーズ(1964.5~1967.4)
ジーノ・ワシントン & ザ・ラム・ジャム・バンド/Geno Washington & The Ram Jam Band
コロシアム/Colosseum(1968~1971)
イフ/If(1972)
グリーンスレイド/Greenslade(1972~1976)
グリーンスレイド/Greenslade(1977)
コロシアム/Colosseum(1994~2015)
グリーンスレイド/Greenslade(2000~2003)
ブリティッシュ・ジャズ・ロック・バンド「コロシアム」のキーボード奏者。コロシアム解散後は自己のグループ「グリーンスレイド」を率いた。
21世紀に入ると、それぞれ再結成されたコロシアムとグリーンスレイドの両バンドで並行して活動を続けた。
1943年、イングランドのサリー州ウォーキングで、オーケストラ・アレンジャーのアーサー・グリーンスレイドの息子として生まれた。
1960年、高校の仲間5人によって結成されたアマチュア・バンドに加わる。メンバーは、グリーンスレイドのほかジョン・ハイズマン(drums)、トニー・リーヴス(bass)、クライヴ・バロウズ(sax)、ポール・マクドウェル(guitar)からなる5人で、ジャズやブルースを演奏していた。
高校卒業とともにこのバンドが解散すると、「ウエス・ミンスター・ファイヴ」(Wes Minster Five)に短期間加わったのち、1964年に当時イギリス屈指のブルースあるいはソウル・シンガーとして大きな人気を誇っていたクリス・ファーロウ率いる「クリス・ファーロウ & ザ・サンダーバーズ」の一員となる。
1967年にサンダーバーズから離れると、「ジーノ・ワシントン & ザ・ラム・ジャム・バンド」を経て、1968年8月、高校時代の友人であるハイズマン、リーヴスらと合流し、「コロシアム」の結成に参加。
ジャズ・ロックあるいはアート・ロックの雄としてブリティッシュ・ロック界に君臨したコロシアムは、1971年までに4枚のアルバムを発表している。
1971年秋にコロシアムが解散すると、グリーンスレイドはジャズ・ロック・バンド「イフ」に短期間在籍。
1972年11月、コロシアムでバンド・メイトだったトニー・リーヴス(bass)、元ウェブ~サムライのデイヴ・ローソン(keyboard)、キング・クリムゾンやフィールズで活動していたアンドリュー・マカロック(drums)とともに、自分の姓を冠した自己のバンド「グリーンスレイド」を結成する。
ロックでは珍しいギターレス・バンド、かつツイン・キーボード・カルテットというユニークな編成で話題となったグリーンスレイドは、1973年にはファースト・アルバムとセカンド・アルバムを立て続けにリリースして注目されたが、4枚のアルバムを残して1976年初頭に解散。
1976年、ファースト・ソロ・アルバム『カクタス・クワイア/Cactus Choir』を発表し、レコーディングに参加したミック・ロジャース(guitar, vocal)、サイモン・フィリップス(drums)らとともにツアーを行う。
1977年にはトニー・リーヴス、ジョン・ハイズマン、ミック・ロジャースとともにグリーンスレイドとして1週間のツアーを行ったが、パーマネントな活動には至らなかった。
1979年、セカンド・ソロ・アルバム『The Pentateuch of the Cosmogony』を発表。これはグリーンスレイドの4枚目のアルバム『タイム・アンド・タイド』のイラストを担当したパトリック・ウッドロフとのコラボレーション作品である。
その後はテレビ業界に活動の拠点を移し、テレビ音楽の制作に専念。「新しいテレビのテーマが必要になったときに、イギリスのすべてのテレビプロデューサーがグリーンスレイドを呼ぶ」と言われる存在となり、BBC放送の番組「Gangsters」(1975~1978)や「Bird of Prey」(1982~1984)、「A Very Peculiar Practice」(1986)など数多くのテレビ音楽を担当した。
1994年、友人でSF作家テリー・プラチェットの小説に触発されて制作した15年ぶりのソロ・アルバム『From the Discworld』を発表し、ロック界に復帰。またこの年にはコロシアムの再結成に参加している。
1997年、コロシアムは27年ぶりのスタジオ・アルバム『Bread & Circuses』を発表。
1999年、グリーンスレイドは、リーヴス、ジョン・ヤング(keyboard, vocal)、クリス・コゼンス(drums)の4人でグリーンスレイドを再結成し、コロシアムと並行して活動する。2000年には25年ぶりのグリーンスレイド5thアルバム『ラージ・アフタヌーン』を発表。
グリーンスレイドはライヴ中心に2003年まで活動を続けた。
2007年、コロシアムはジョン・ハイズマン(drums)、デイヴ・クレムソン(guitar)、デイヴ・グリーンスレイド(keyboards)、マーク・クラーク(bass)、クリス・ファーロウ(vocal)、バーバラ・トンプソン(sax)の編成で初来日を果たした。
2015年、コロシアムは2月28日のロンドン公演を最後に活動を停止。
2021年、グリーンスレイドの5枚組ライヴ・ボックス・セット『Live Manners 1973-2001』がリリースされる。
【ディスコグラフィ】
<コロシアム>
☆アルバム(*=ライヴ・アルバム)
1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(イギリス15位)
1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(イギリス15位)
1970年 グラス・イズ・グリーナー/Grass Is Greener(『ヴァレンタイン組曲』収録曲を中心としたアメリカ編集盤)
1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(イギリス23位 ドイツ36位)
1971年 *コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(イギリス17位 オーストラリア48位)
1995年 *LiveS The Reunion Concerts 1994
1997年 Bread & Circuses
2003年 Tomorrow's Blues
2003年 *コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994
2003年 *The Complete Reunion Concert
2007年 *コロシアム・ライヴ!05/Live05
2009年 *Theme for a Reunion
2014年 タイム・オン・アワ・サイド/Time on Our Side
2015年 *Live At Boston Tea Party, August 1969
2020年 *Live At Montreux Jazz Festival 1969
2020年 *Live At Ruisrock, Turku, Finland, 1970
2020年 *Live At Oioer Club, Rome, Italy 1971
2020年 *Live '71, Canterbury, Brighton & Manchester
★シングル
1969年 Walking in the Park
1969年 The Kettle
1971年 The Daughter of Time
<グリーンスレイド>
☆アルバム(*=ライヴ・アルバム)
1973年 グリーンスレイド/Greenslade
1973年 ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ/Bedside Manners Are Extra
1973年 *Reading Festival 1973(1曲のみ)
1974年 スパイグラス・ゲスト/Spyglass Guest(イギリス34位)
1975年 タイム・アンド・タイド/Time And Tide
1997年 *Shades of Green(1972-75)
1999年 *ライヴ'73-'75/Live
2000年 *ラージ・アフタヌーン/Large Afternoon
2002年 *Greenslade 2001/Live The Full Edition
2013年 *ライヴ・イン・ストックホルム 1975/Live in Stockholm March 10th, 1975
2016年 *The Birthday Album - Live Switzerland
★シングル
1973年 Temple Song
1975年 Catalan
1976年 Gangsters
<ソロ・アルバム>
1976年 カクタス・クワイア/Cactus Choir
1979年 The Pentateuch of Cosmogony
1994年 From the Discworld
1999年 Going South
2011年 Routes/Roots
<ゲスト参加>
*ディック・ヘクストール=スミス
1972年 ア・ストーリー・エンディッド/A Story Ended
チック・チャーチル Michael George "Chick" Churchill
【パート】
オルガン、ピアノ
【生没年月日】
1946年1月2日~
【出生地】
ダービーシャー イクストン
【経 歴】
イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン(1966)
ブルース・トリップ(1966)
テン・イヤーズ・アフター(1966~1974、1988~ )
イギリスのブルース・ロック・バンド、「テン・イヤーズ・アフター」のキーボード奏者。
チャーチルは6才でピアノを始め、15才までクラシック音楽を学んだ。
彼はブルースとロックに興味を持つようになり、1960年代前半にはノッティンガムのローカル・バンド「The Sons of Adam」に加入、本格的に音楽活動を始める。
その後、同じくノッティンガム出身でロンドンに拠点を移していた「イヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメン」のギタリスト、アルヴィン・リーと出会い、1966年にイヴァン・ジェイ & ザ・ジェイメンのツアー・マネージャーとなる。しかし間もなくキーボード奏者として、改めてバンドの一員となった。バンドはこのあと「Blues Trip」と名を変え、同年11月にはさらに「テン・イヤーズ・アフター」と改名した。
テン・イヤーズ・アフターは1967年にアルバム『テン・イヤーズ・アフター・ファースト』でデビュー。
彼らのの火花を散らすような激しいライブは徐々に評判を呼び、1969年のウッドストック・フェスティヴァルでは後年まで語り継がれるエキサイティングな演奏を繰り広げてバンドの評価を決定づけた。1970年8月29日のワイト島フェスティバルにも出演している。
人気バンドになったテン・イヤーズ・アフターは、1969年~1970年の間にアルバム4枚をリリースしているが、それらはすべて全英トップ10入りしているほか、1971年のアルバム『スペース・イン・タイム』は彼らとしては初の全米ミリオン・セラーとなっている。
1973年、チャーチルは初のソロ・アルバム『ユー・アンド・ミー』を制作。録音に参加したのは、バンド・メイトのレオ・ライオンズ、リック・リーのほか、ゲイリー・ピックフォード・ホプキンス(vocal ワイルド・ターキー)、バーニー・マースデン(guitar UFO)、マーティン・バレ(guitar ジェスロ・タル)、ロジャー・ホジソン(guitar スーパートランプ)、コージー・パウエル(drums 元ジェフ・ベック・グループ)、リック・デイヴィス(keyboard スーパートランプ)ら、錚々たるメンバーであった。
1975年には、レオ・ライオンズがプロデュースしたUFOのアルバム「フォース・イット」の録音に参加。
Chick Churchill『You & Me』
テン・イヤーズ・アフターは、1974年に通算8枚目のスタジオ・アルバム『ヴァイブレーションズ』を発表したが、この頃のバンドにはすでに全盛期の勢いは失われており、このアルバムを最後にテン・イヤーズ・アフターは解散した。
1975年8月4日、サンフランシスコのウィンターランドでテン・イヤーズ・アフターのアメリカでのフェアウェル・コンサートのため再結成。
1976年からはクリサリス・ミュージックのマネージャーを務めたほか、音楽関連出版の会社を設立し、演奏活動からは身を引いた。
テン・イヤーズ・アフターは1983年7月1日に当夜限定で再結成、ロンドンで行われた「マーキー・クラブ25周年記念コンサート」に出演したほか、8月のレディング・フェスティヴァルにも出演している。
1988年、レコーディングやコンサートなどを行うため、テン・イヤーズ・アフターが本格的に再始動。翌89年8月には15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
◆テン・イヤーズ・アフター
1967年 テン・イヤーズ・アフター・ファースト/Ten Years After
☆1968年 イン・コンサート/Undead(イギリス26位 アメリカ115位)
1969年 ストーンヘンジ/Stonehenge(イギリス6位 アメリカ61位)
1969年 夜明けのない朝/Ssssh(イギリス4位 アメリカ20位 ドイツ6位)
1970年 クリックルウッド・グリーン/Cricklewood Green(イギリス4位 アメリカ14位 デンマーク5位 ドイツ8位 ノルウェー8位)
1970年 ワット/Watt(イギリス5位 アメリカ21位 カナダ16位 ドイツ9位 イタリア8位 デンマーク7位 ノルウェー8位)
1971年 スペース・イン・タイム/A Space in Time(イギリス36位 アメリカ17位 デンマーク8位 スウェーデン9位)
1972年 ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド/Rock & Roll Music to the World(イギリス27位 アメリカ43位 デンマーク2位 スウェーデン8位)
☆1973年 ライヴ!/Recorded Live(イギリス36位 アメリ39位 ドイツ10位 ノルウェー9位)
1974年 バイブレーションズ/Positive Vibrations(アメリカ81位 デンマーク15位 スウェーデン11位)
1989年 アバウト・タイム/About Time(アメリカ120位 ドイツ87位)
☆2001年 ライヴ・アット・ザ・フィルモア・イースト/Live at the Fillmore East 1970
2004年 Now
☆2005年 Roadworks
2008年 Evolution
☆2014年 The Name Remains the Same
2017年 A Sting in the Tale
◆ソロ・アルバム
1973年 ユー・アンド・ミー/You & Me
◆参加アルバム
<Bridget St. John>
1974年 Jumblequeen
<UFO>
1975年 フォース・イット/Force It(アメリカ71位 ドイツ35位)
<The Breakers>
1975年 Milan