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リー・カースレイク

2024-04-01 15:32:39 | drums

リー・カースレイク Lee Gary Kerslake

 【パート】
   ドラムス、パーカッション、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1947年4月16日~2020年9月19日(73歳没)

 【出生地】
   イングランド ハンプシャー州ボーンマス

 【経歴】
   ザ・ゴッズ/The Gods(1967~1969)
   トー・ファット/Toe Fat(1969)
   ヘッド・マシーン/Head Machine(1969)

   ナショナル・ヘッド・バンド/National Head Band(1969~1971)
   ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1971~1979)
   ブラインド・アンビション/Blind Ambition(1979~1980)
   オジー・オズボーンズ・ブリザード・オブ・オズ/Ozzy Osbourne's Blizzard Of Ozz(1980~1981)
   ユーライア・ヒープ/Uriah Heep(1981~2006)
   リヴィング・ラウド/Living Loud(2003~2005)



 リー・カースレイクはイングランド出身のロック・ドラマーである。
 通算30年以上の長きにわたってユーライア・ヒープのドラマーを務め、ヒープ在籍時に17枚のスタジオ・アルバムの制作に参加した。


 カースレイクは、1947年4月16日にイングランド西部にあるハンプシャー州(現ドーセット州)ボーンマスで生まれた。
 11歳の時にドラムを叩き始めたカースレイクは、14歳だった1961年に「The Phantoms」という名の、初めてのバンドを結成する。
 その後、Tony Saturn & The Planets(のちTrackmarksと改名)でセミ・プロとして活動していたが、1967年9月にケン・ヘンズレー率いる「ザ・ゴッズ」に加入し、プロのドラマーとしてのキャリアをスタートさせた。
 ゴッズには1969年2月まで在籍し、2枚のアルバムと3枚のシングルの制作に参加した。なおゴッズではヘンズレーのほか、ポール・ニュートン(bass のちユーライア・ヒープ)、グレッグ・レイク(bass のちキング・クリムゾン)、ジョン・グラスコック(bass のちジェスロ・タル)らがバンド・メイトだった。


 ゴッズ脱退後の1969年6月には、ヘンズレーがクリフ・ベネットらと結成した「トー・ファット」に参加。
 1969年11月にトー・ファットから離れると、ヘンズレーらによる変名バンド「ヘッド・マシーン」に短期間参加する。
 1969年12月には「ナショナル・ヘッド・バンド」の結成に参加し、アルバム『Albert One』を残した。


 ナショナル・ヘッド・バンド在籍時、バンドのライヴ・パフォーマンスをブロンズ・レコードのジェリー・ブロンとスティーヴ・バーネットが観たことがあった。この時カースレイクのドラミングに目をつけたブロンは、「ユーライア・ヒープでプレイしてほしい」と声をかけた。目まぐるしくいろいろなバンドに在籍していたカースレイクは、こうした経緯で1971年11月23日にユーライア・ヒープへ5代目ドラマーとして加入したのである。ヒープには、かつてゴッズ~トー・ファット~ヘッド・マシーンと行動を共にした旧知のケン・ヘンズレーが在籍していた。
 それまでのヒープはドラマーがなかなか定着せず、その点がバンドのウィーク・ポイントだったが、カースレイクがレギュラー・ドラマーとなり、その後ゲイリー・セイン(bass)を迎えたバンドは全盛期を迎えることになる。
 カースレイクが加入後初めて制作に参加したアルバムが、1972年に発表された『悪魔と魔法使い』である。このアルバムの制作中、ジェリー・ブロンはカースレイクを「君は最高のドラマーになるだろう」と称賛したという。
 

 カースレイクといえば、そのがっしりした体から叩き出す力強いドラミングに定評がある。
 アルバム『ファイアフライ』では、カースレイクの風貌と体格にちなんで「リー・"ザ・ベア"・カースレイク」とクレジットされているほどである。
 またバッキング・ヴォーカルとしても重要な存在であり、ヒープ独特の美しいコーラス・ワークに貢献している。


     
 
 
 1978年、アルバム『堕ちた天使』の発表後のツアー終了後、ヘンズレーとの対立が表面化し、それが原因で1979年11月にヒープを脱退する。
 この頃カースレイクは、デヴィッド・バイロンやケン・ヘンズレーのソロ・アルバムにも参加している。
 脱退後はコリン・パッテンデン(bass 元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)らと「ブラインド・アンビション」を結成したが、短期間で解散。


 1979年末、カースレイクはオーストラリアのホテルのエレベーターで偶然オジー・オズボーンに出会った。オズボーンは1978年12月にブラック・サバスを脱退しており、当時はソロ活動のための準備を行っていた。この偶然がきっかけで、カースレイクはオズボーンのバンドに加入することになる。
 オズボーンはカースレイクのほかランディ・ローズ(guitar)とボブ・デイズリー(bass)、そしてゲストにドン・エイリー(keyboard レインボウ)を迎えて、1980年9月にアルバム『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』をリリースした。このアルバムは全英7位、全米21位を記録し、RIAAからプラチナ・アルバム(100万枚)×5と認定された大ヒット・アルバムとなった。
 大成功を手にしたバンドは、続いて1981年10月に『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』をリリースし、またも大ヒット(全英14位、全米16位)を記録したが、レコーディング終了後にカースレイクとデイズリーはバンドから解雇される。アルバムにはカースレイクとデイズリーのクレジットはなく、後任のトミー・アルドリッジ(drums)とルディ・サーゾ(bass)の名が記載されていたほか、アルバムのインナー・スリーヴにはアルドリッジとサーゾが写っている写真が使われていた。この件についてカースレイクとデイズリーは、後年訴訟を起こすことになる。
 アルドリッジはのちに「あのアルバムのドラミングは自分ではないのは明らかだ。尋ねらるたびに自分はカースレイクの功績であることを正当に認めてきた。」と述べている。
 

 1980年、この頃のユーライア・ヒープはミック・ボックスを残してメンバーが全員脱退し、実質的には活動停止状態であった。ヒープ再編に向けて奔走していたボックスは、オジー・オズボーンのバンドから離れたカースレイクに再加入を要請し、カースレイクはこれを受けて1981年5月に新生ユーライア・ヒープに復帰した。カースレイクは、以後2007年初頭までの約26年にわたってヒープのドラマーを務めた。
 1983年にはベーシストとしてトレヴァー・ボルダーが加入したが、カースレイクとボルダーの安定したリズム・セクションは24年の長きにわたってヒープを支え続けた。
 カースレイクが復帰してからのヒープは1982年にアルバム『魔界再来』を発表するが、これは「ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル」(NWOBHM)の影響もあって全英34位のヒットを記録、見事にカムバックを果たした。なおこの時全米アルバム・チャートでは56位を記録したが、これは1975年のアルバム『幻想への回帰』以来の全米アルバム・チャート・トップ100入りである。


 1998年、カースレイクとデイズリーは、『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』の2枚のアルバムに係る印税の支払いとクレジットを巡り、オズボーンそしてオズボーン夫人でマネージャーを務めていたシャロンに対して共同訴訟を起こした。オズボーン側は、2002年に再発された両アルバムのリマスター版からカースレイクとデイズリーの演奏を削除し、新たにマイク・ボーディン(drums)とロバート・トゥルージロ(bass)の演奏に差し替えることで対応した。この結果カースレイクとデイズリーの訴訟はロサンゼルス連邦地方裁判所によって却下され、その結果カースレイクは一時破産状態に陥ったという。
 しかしこの裁決に対するファンからの反対は大きく、2011年にアルバムが再発売された時には、カースレイクとデイズリーによるオリジナルの演奏に復元されている。


     


 2003年、カースレイクはボブ・デイズリー(bass)、スティーヴ・モース(guitar)、ジミー・バーンズ(vocal)らと、「スーパー・グループ「リビング・ラウド」に参加し、2005年まで活動した。このプロジェクトには、ゲストとしてドン・エイリー(keyboard)が加わっている。
 またこの時期カースレイクは自身のバンド「リー・カースレイク・バンド」を率いて活動、また「ユーライア・ヒープ・レジェンド」にはケン・ヘンズレーやポール・ニュートンとともに定期的に参加した。



 2007年初め、カースレイクは健康上の問題を理由に長年在籍したユーライア・ヒープを脱退する。以後半ば引退状態となるが、2014年に「バーグレン・カースレイク・バンド」を結成、アルバム『The Sun Has Gone Hazy』を発表して活動を再開した。
 2015年には自身初のソロ・アルバム『イレヴンティーン』のレコーディングを開始する。
 2018年、カースレイクはタイラ・グッドマンと組み、カースレイク自身のドキュメンタリーの制作を開始した。このドキュメンタリーにはイアン・ペイス、ジョー・エリオット(デフ・レパード)、ミック・ボックス、ニコ・マクブレイン(アイアン・メイデン)、ジーン・シモンズ(キッス)らが出演。このドキュメンタリーは2019年9月までに完成する予定だった。


 2018年12月、カースレイクは闘病生活を送っていることを公表する。
 彼は前立腺ガンの治療を行っており、医師から「余命は約8か月である」と宣告されたことを明らかにした。さらに、5年前には「余命4年と宣告されていた」とも述べた。
 余命宣告された
カースレイクは、長年確執のあったオズボーン夫妻に「自身がドラムを担当した『ブリザード・オブ・オズ』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』のふたつアルバムでプラチナ・アルバム認定を受けることが最後の願いである」という手紙を書き、和解の願いを込めてそれを送った。オズボーンはその願いを受け入れた。
 2019年1月、カースレイクはヘヴィ・メタル・ヒストリーの殿堂(Hall of Heavy Metal History)入りを果たした。カリフォルニア州アナハイムで行われた殿堂入りセレモニーでは、カースレイクは団体のCEOパット・ゲザルドからオズボーンとの仕事を称えられ、2枚のプラチナ・ディスクを贈られたのである。


 2018年12月14日に、カースレイクはシェパーズ・ブッシュ・エンパイアで行われたユーライア・ヒープの公演でステージに上がり、ヒープ初期の曲「黒衣の娘」にタンバリンとバッキング・ボーカルで参加した。これがカースレイクの、バンドでの最後のパフォーマンスであった。
 2020年9月19日、カースレイクはガンのため73歳で死去した。この約1ヵ月半後の11月4日には、ゴッズ時代からのバンド・メイトであり、1970年代のユーライア・ヒープで苦楽をともにしたケン・ヘンズレーが75歳で死去している。


 カースレイクは、亡くなる前にソロ・アルバム『イレヴンティーン』のレコーディングを完了させており、このアルバムは2021年2月26日にリリースされた。


     



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ・アルバム>
  2021年 イレヴンティーン/Elventeen

 <ザ・ゴッズ>
  1968年 ジェネシス/Genesis
  1970年 トゥ・サミュエル・ア・サン/To Samuel a Son

 <トー・ファット>
  1970年 Toe Fat

 <ヘッド・マシーン>
  1970年 Orgasm

 <ナショナル・ヘッド・バンド>
  1971年 Albert One

 <ユーライア・ヒープ>

  1972年 悪魔と魔法使い/Demons and Wizards UK20位、US23位、日本28位

  1972年 魔の饗宴/The Magician's Birthday UK28位、US31位、日本43位
 ☆1973年 ユーライア・ヒープ・ライヴ/Uriah Heep Live UK23位、US37位、日本22位
  1973年 スイート・フリーダム/Sweet Freedom UK18位、US33位、日本45位
  1974年 夢幻劇/Wonderworld UK23位、US38位、日本76位
  1975年 幻想への回帰/Return to Fantasy UK7位、US85位、日本74位
 ★1976年 ベスト・オブ・ユーライア・ヒープ/The Best of Uriah Heep US145位

  1976年 ハイ・アンド・マイティ/High and Mighty UK55位、US161位
  1977年 ファイアフライ/Firefly US166位
  1977年 罪なきいけにえ/Innocent Victim
  1978年 堕ちた天使/Fallen Angel US186位
  1982年 魔界再来/Abominog UK34位、US56位

  1983年 ヘッド・ファースト/Head First UK46位、US159位、ノルウェイ19位
  1985年 イクウェイター/Equator UK79位
 ☆1986年 Live in Europe 1979 
 ☆1986年 Live at Shepperton '74 
 ☆1988年 Live in Moscow 1987
  1989年 レイジング・サイレンス/Raging Silence スイス26位
  1991年 ディファレント・ワールド/Different World
  1995年 シー・オブ・ライト/Sea of Light スイス29位、ドイツ87位
 ☆1996年 Spellbinder Live 1994
 ☆1997年 King Biscuit Flower Hour Presents Uriah Heep in Concert 1974
  1998年 ソニック・オリガミ/Sonic Origami
 ☆2000年 Feature Echoes of the Past
 ☆2001年 Acoustically Driven
 ☆2001年 Electrically Driven, Live 2001
 ☆2002年 The Magician's Birthday Party
 ☆2003年 Live in the USA
 ☆2004年 Magic Night

 <Ozzy Osbourne>
  1980年 Blizzard of Ozz
  1981年 Diary of a Madman
  1987年 Tribute(on two Tracks)
  1997年 The Ozzman Cometh(not on the current pressing)

 <Living Loud>
  2004年 Living Loud
  2005年 Live in Sydney 2004 Debut Live Concert

 <Berggren Kerslake Band>
  2014年 The Sun Has Gone Hazy

 <参加アルバム>
 *ケン・ヘンズレー
  1973年 誇り高き言霊/Proud Words on a Dusty Shelf オーストラリア57位
 *デヴィッド・バイロン
  1975年 テイク・ノー・プリズナーズ/Take No Prisone 


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