ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

『ドライヴァーズ・アイズ』(イアン・マクドナルド)

2023-07-14 18:47:32 | albums

ドライヴァーズ・アイズ Drivers Eyes


【歌・演奏】

  イアン・マクドナルド/Ian McDonald

【リリース】
  1999年

【録音】
  クリントン・レコーディング・スタジオ(ニューヨーク)
  パイ・スタジオ(ニューヨーク)
  パイロット・レコーディング・スタジオ(ニューヨーク)
  RPMスタジオ(ニューヨーク)


【プロデューサー】
  イアン・マクドナルド/Ian McDonald

【ミキシング・エンジニア】
  ドミニック・マイタ/Dominick Maita(at RPM Studios)
  イアン・マクドナルド/Ian McDonald

【レーベル】
  カミーノ・レコード/Camino Records


【収録曲】
  ① オーヴァーチュア 2:38
    Overture(Ian McDonald)
  ② イン・ユア・ハンズ 4:19
    In Your Hands(Ian McDonald, Brian Stanley)
  ③ ユー・アー・ア・パート・オブ・ミー 5:04
    You Are a Part of Me(Ian McDonald)
  ④ サックス・フィフス・アヴェニュー 4:21
    Sax Fifth Avenue(Ian McDonald)
  ⑤ フォーエヴァー・アンド・エヴァー 5:08
    Forever and Ever(Ian McDonald, John Wetton)
  ⑥ サタデイ・ナイト・イン・トーキョー 2:52

    Saturday Night in Tokyo(Ian McDonald)
  ⑦ ハワイ 5:14
    Hawaii(Ian McDonald)
  ⑧ ストレート・バック・トゥ・ユー 4:46

    Straight Back to You(Lou Gramm, Ian McDonald)
  ⑨ イフ・アイ・ワズ 4:28
    If I Was(Ken Leray, Ian McDonald)
  ⑩ デミモンド 3:28
    Demimonde(Ian McDonald)
  ⑪ レット・ゼア・ビー・ライト 3:26
    Let There Be Light(Ian McDonald, Pete Sinfield)


【録音メンバー】
   イアン・マクドナルド/Ian McDonald(flute①⑤⑪, alto-sax④⑧⑩, bass-clarinet⑪, clarinet⑪, acoustiv\c-guitar①③④⑤, guitars②⑥~⑩,
                      bass⑩, electric-piano③④⑩, piano⑤⑦⑨, organ⑩, synthesizer, clavinet⑪, percussions③⑩, 

                      lead-vocals②⑥⑨⑩, backing-vocals⑤)
   <ゲスト・ミュージシャン>
   G. E. スミス/G. E. Smith(lead-guitar②③⑥)
   ヒュー・マックラッケン/Hugh McCracken(lead-guitar④)
   スティーヴ・ハケット/Steve Hackett(lead-guitar⑧, harmonica③)

   ピーター・フランプトン/Peter Frampton(lead-guitar⑨)
   スティーブン・ゴスリング/Stephen Gosling(piano②)
   ポール・オッソラ/Paul Ossola(bass①④)
   ケニー・アーロンソン/Kenny Aaronson(bass)
   スティーヴ・ホリー/Steve Holley(drums①~⑨⑪, percussions①③④⑨)
   マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums & percussions⑩, lead-vocals⑩)
   パーク・スティックニー/Park Stickney(harp⑦)
   イマニュエル・デイヴィス/Immanuel Davis(flute & piccolo⑪)
   キース・アンダーウッド/Keith Underwood(flute & piccolo⑪)
   ジョン・ウェイト/John Waite(lead-vocals③)
   ジョン・ウェットン/John Wetton(lead-vocals⑤)
   ミッチ・ウェイスマン/Mitch Weissman(lead-vocals⑥)
   ルー・グラム/Lou Gramm(lead-vocals⑧)
   イアン・ロイド/Ian Lloyd(lead-vocals⑨)
   ゲイリー・ブルッカー(lead-vocals⑪)
   


【チャート】
 1999年週間アルバム・チャート 圏外(UK, US)


【メ  モ】
 イアン・マクドナルドの、最初にして唯一のソロ・アルバム。キング・クリムゾン時代の『クリムゾン・キングの宮殿』から30年以上が過ぎての、初のソロ・アルバムである。


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イアン・マクドナルド

2023-07-13 23:52:43 | others

イアン・マクドナルド Ian Richard McDonald

 【パート】
   サックス、フルート、クラリネット、オルガン、ピアノ、メロトロン、ハープシコード、ヴィブラフォン、シンセサイザー、ギター、ツィター、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1946年6月25日~2022年2月9日(75歳没)

 【出身】
   イングランド ミドルセックス州ハウンズロー区オスタリー

 【経歴】
   インフィニティ/Infinity(1968)
   ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ/Giles, Giles & Fripp(1968)
   キング・クリムゾン/King Crimson(1968~1969)
   マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles(1970)
   センティピード/Centipede(1970, 1971)
   フォリナー/Foreigner(1976~1979)
   21センチュリー・スキッツォイド・バンド/21st Medicine Head(2002~2007)
   ハニー・ウェスト/Honey West(2013~2022)



 イアン・マクドナルドはキング・クリムゾン、そしてフォリナーのオリジナル・メンバーである。
 木管楽器、鍵盤楽器類、ギターなどを操るマルチ・プレイヤーとして知られている。またプロデューサーとしても活躍した。


 1946年6月25日、イアン・マクドナルドは西ロンドンのオスタリーで建築家の父キースと母エイダのあいだに生まれた。
 マクドナルドの生家はいわば音楽一家だったので、幼い頃からレコードで幅広く音楽に親しみ、ギターを独習した。
 マクドナルドはロンドン南西部のバタシーにあるエマニュエル・スクールに入学したが、15歳の時に学校を中退し、英国陸軍の音楽隊で5年間の勤務を開始する。この音楽隊がマクドナルドの音楽のキャリアのスタートである。
 1963年、ネラーホールの王立陸軍音楽学校に入学。そこでクラリネットや音楽理論をマスターし、サックス、フルート、ピアノなども独学で習得した。軍楽隊ではさまざまな音楽のスタイルを身につけなければならなかったが、これがマクドナルドの音楽的適応力を磨くことにつながったと言える。


 除隊後、マクドナルドはロンドンに戻り、ガールフレンドで元フェアポート・コンベンションのヴォーカリスト、ジュディ・ダイブルと一緒に音楽を作り始める。
 1968年、詩人のピート・シンフィールドらと、フォーク・ロック・グループ「インフィニティ」を結成。

 この年6月、ジュディ・ダイブルとともに、メンバーの募集広告に応じてマイケルピーターのジャイルズ兄弟とロバート・フリップからなる「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」に加入する。その後マクドナルドと破局したダイブルは、7月にはバンドから離れた。
 この後専任の作詞家として、インフニティでマクドナルドとバンドメイトだったピート・シンフィールドがメンバーとなり、歌詞と照明を担当するようになる。


 1968年11月、ヴォーカリストとしてグレッグ・レイクが加入したが、ピーター・ジャイルズが12月に脱退したため、レイクはベーシストを兼ねることになった。こうしてマクドナルドのほかフリップ、マイケル・ジャイルズ、レイク、シンフィールドの陣容が整ったジャイルズ・ジャイルズ&フリップは、同年12月にシンフィールドの提案でバンド名を「キング・クリムゾン」と改めた。
 キング・クリムゾンは、1969年4月9日にロンドンのスピーク・イージーでデビューする。7月5日にはハイド・パークで行われたブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)追悼フリー・コンサートに出演し、ガーディアン紙から「センセーショナル」だったと報じられた。8月9日には第9回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演し、さらに広く注目されることとなった。


 キング・クリムゾンのファースト・アルバムの制作は1969年6月に始まった。
 プロデューサーの2度の降板などがあって制作は難航したが、同年10月10日にようやくリリースに漕ぎつける。マクドナルドはサックスやフルート、メロトロンなどを駆使してマルチプレーヤーぶりを存分に発揮したほか、作曲でも大きく貢献した。またアルバムの制作にあたっては、マクドナルドはバンドの誰よりも長い時間スタジオで作業していたと言われており、実質彼がアルバム制作のイニシアティヴを取っていたと考えられている。マクドナルドは後年「時の試練に耐えられる音楽を作ることができるかどうか試してみたかった」と語っており、その結果「クリムゾン・キングの宮殿」と名付けられたこのアルバムは、「ロック史に残る傑作」と言われるほど高く評価されることになったのである。
 しかし、ツアーの連続で疲弊しきったうえ、フリップの音楽性との相違もストレスとなり、アルバム・リリース直後に行なわれたアメリカ・ツアーの最中の1969年12月7日に、ドラマーのマイケル・ジャイルズとともに脱退を表明した。


     


 翌1970年、マクドナルドはマイケルとピーターのジャイルズ兄弟とともに「マクドナルド & ジャイルズ」を結成。同年11月にはアルバム『マクドナルド & ジャイルズ』を発表したが、当時の恋人シャーロット・ベイツとの破局をきっかけに精神に変調を来たし、療養のため渡米してしまう。そのためマクドナルド&ジャイルズはアルバム1枚のみを残して活動を停止した。


 療養を終えて帰国した後はセッション・ミュージシャン、プロデューサーとして活動する。
 帰国後最初に参加したセッションは、サックス奏者として参加したT.レックスのアルバム『電気の武者』のレコーディングである。この時使ったバリトン・サックスはメル・コリンズから借りたものだったという。またジョン・ウェットンからの依頼で、キング・クリムゾンの『レッド』にアルト・サックスで参加している。
 そのほかダリル・ウェイズ・ウルフの『カニス・ループス』、アイルランド出身のプログレッシヴ・ロック・バンド、フループの『当世仮面舞踏会』、アメリカのプログレッシヴ・ロック・バンド、ファイアーバレーの『はげ山の一夜』などでプロデュースを担当した。


 1970年代半ば、マクドナルドはニューヨークに移り住み、1976年に再び本格的な演奏活動を再開させる。
 セッションで元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズ(guitar)と意気投合し、新たな構想のもと1976年2月に英米混成バンド「フォリナー」を結成。
 フォリナーの作りだすオーソドックスなロック・ミュージックはマクドナルドの経歴からすると意外とも言えるものだったが、マクドナルドは依然としてバンドのアレンジとプロデュースに大きく貢献した。
 フォリナーは最初の3枚のアルバムを全米トップ5に送り込んで世界的な成功を収めたが、マクドナルドはサード・アルバム『ヘッド・ゲームス』(1979年)を発表した後、ミック・ジョーンズとの音楽観の相違を理由に1980年9月に脱退し、その後は再びプロデュースやセッション活動を行うようになる。


 1995年、アニー・ハズラム(vocal)の呼びかけによって、ボスニア・ヘルツェゴビナ救済チャリティ・コンサートに出演。 
 1996年末、スティーヴ・ハケット(guitar 元ジェネシス)のツアー・メンバーとして来日公演に帯同。セット・リストにはキング・クリムゾンのレパートリーである「クリムゾン・キングの宮殿」や「風に語りて」も含まれていた。
 1999年には旧友マイケル・ジャイルズ、スティーヴ・ハケット、ジョン・ウェットン、ゲイリー・ブルッカー、ピーター・フランプトンら豪華ゲスト陣を招き、50歳を過ぎて自身初のソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』をリリースした。
 2002年にはジャイルズ兄弟、メル・コリンズらとキング・クリムゾンの作品を演奏する21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成。しかし2007年にドラマーのイアン・ウォーレスが死去したため、活動を停止。
 2009年、ジュディ・ダイブルのアルバム『Talking With Strangers』に参加し、サックスとフルートで数曲レコーディングした。このアルバムの「ハープソング」ではフリップと再会セッションを行っている。
 2013年、マクドナルドとテッド・ズルコウスキー(vocal, guitar)は「ハニー・ウェスト」を結成し、2017年にアルバム「バッド・オールド・ワールド」をリリースした。
 2017年、ルー・グラム(vocal)やアル・グリーンウッド(keyboard)らフォリナーのオリジナル・メンバーと、フォリナーのデビュー40周年記念公演で再結成を果たす。


 2022年2月9日、ニューヨーク市の自宅で結腸ガンのため75歳で死去。最期は家族に囲まれて穏やかに息を引き取ったという。
 マクドナルドの死去1週間前にキング・クリムゾンのドキュメンタリーの予告編が公開されたが、その中でマクドナルドは1969年にキング・クリムゾンを脱退したことについてフリップに謝罪している。


     


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ソロ・アルバム>
  1999年 ドライヴァーズ・アイズ/Drivers Eyes
  2019年 Take Five Steps

 <ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ>
 ★2001年 Metaphormosis ※未発表音源
 ★2001年 ザ・ブロンデスベリー・テープス/The Brondesbury Tapes

 <キング・クリムゾン>
  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In The Court Of The Crimson King(UK5位 US28位)
  1974年 レッド/Red(UK45位 US66位)

 <マクドナルド&ジャイルズ>
  1971年 マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles

 <センティピード>Centipede
  1971年 セプトーバー・エナジー/Septober Energy

 <フォリナー>
  1977年 栄光の旅立ち/Foreigner(US4位)
  1978年 ダブル・ヴィジョン/Double Vision(UK32位 US3位)
  1979年 ヘッド・ゲームス/Head Games(US5位)

 <スティーヴ・ハケット>
  1996年 ジェネシス・リヴィジテッド(新約創世記)/Genesis Revisited
 ☆1998年 TOKYOテープス~ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ1996/The Tokyo Tapes
  1999年 ダークタウン/Darktown
  2003年 トゥ・ウォッチ・ザ・ストームズ/To Watch the Storms

 <21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド>
  2002年 オフィシャル・ブートレグ Vol.1/Official Bootleg Vol.1
 ☆2003年 ライヴ・イン・ジャパン 2002/Live in Japan ※CD+DVD
 ☆2003年 ライヴ・イン・イタリー/Live in Italy
 ☆2006年 ピクチャー・オブ・ア・シティ ライヴ・イン・ニューヨーク/Pictures of a City - Live in New York

 <ハニー・ウェスト>
  2017年 Bad Old World

 <ゲスト参加>
  1970年 クリス・ハーウッド Nice to Meet Miss Christine
  1971年 リンダ・ルイス Say No More
  1971年 T.レックス 電気の武者/Electric Warrior(UK1位 US32位)
  1973年 ダリル・ウェイズ・ウルフ カニス・ループス/Canis Lupus
  1973年 シルヴァーヘッド 16 and Savaged
  1974年 フループ Modern Masquerades
  1974年 ハービー・マン London Underground
  1974年 キース・クリスマス Brighter Day
  1975年 ファイアーバレー はげ山の一夜/Night On Bald Mountain
  1975年 フィル・マンザネラ Diamond Head
  1976年 イアン・ロイド Ian Lloyd
  1980年 イアン・ロイド 3WC/Ian Lloyd
  1985年 スティーヴ・テイラー On The Fritz
 ☆1998年 ジョン・ウェットン Hazy Monet-Live In New York
  1998年 The Wallace & Trainor Conspiracy Take a Train
  1998年 Wachenröder
  2000年 パーク・スティックニー Action Harp Play Set/Park Stickney
  2000年 Cosmic Rough Riders Enjoy The Melodic Sunshine
  2000年 ジョン・ウェットン Sinister
  2001年 マリア・アントナコス Four Corners No Walls
  2001年 ジョーン・ベンダー Star Eyes
  2003年 イアン・ウォーレス Happiness With Minimal Side Effects
  2003年 Waking In The Blue Isn’t It Pretty To Think So ?
  2004年 Pangaea unu
  2006年 Jakko M. Jakszyk The Bruised Romantic Glee Club
  2009年 ジュディ・ダイブル Talking With Strangers
  2010年 The Third International Beautiful Acciden


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『ホエン・ジ・イーグル・フライズ』(トラフィック)

2023-07-13 10:51:17 | albums

ホエン・ジ・イーグル・フライズ When the Eagle Flies


【歌・演奏】

  トラフィック/Traffic

【リリース】
  1974年9月

【録音】
  1973年7月~1974年6月
  Netherturkdonic Studios(イングランド、グロスターシャー)
  ベイシング・ストリート・スタジオ(ロンドン)


【プロデューサー】
  クリス・ブラックウェル/Chris Blackwell

【エンジニア】
  ノビー・クラーク/Nobby Clark
  ブライアン・ハンフリーズ/Brian Humphries

【レーベル】
  アイランド/Island
  アサイラム/Asylum



【収録曲】(★=シングル)
 side:A
  ① サムシング・ニュー 3:15
    Something New(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ② 夢みるジェラード 11:03
    Dream Gerrard(Steve Winwood, Vivian Stanshall)
  ③ グライヴヤード・ピープル 6:05
    Graveyard People(Steve Winwood, Jim Capaldi)
 side:B

 ★④ ウォーキング・イン・ザ・ウインド 6:48
    Walking in the Wind(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ⑤ ロックンローラーの追憶 4:50
    Memories of a Rock n' Rolla(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ⑥ ラヴ 3:20

    Love(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ⑦ ホエン・ジ・イーグル・フライズ 4:24
    When the Eagle Flies(Steve Winwood, Jim Capaldi)


【録音メンバー】
 ☆トラフィック
   スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(acoustic-piano, organ, mellotron, synthesizer, guitars, vocals)
   クリス・ウッド/Chris Wood(flute, sax)
   ロスコ・ジー/Rosko Gee(bass)

   ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(drums, percussions, keyboards, backing-vocals⑤)
   リーバップ・クワク・バー/Rebop Kwaku Baah(percussions③⑦)※uncredited


【チャート】
 1974年週間アルバム・チャート 
   UK31位、US(ビルボード)9位、カナダ16位、オーストラリア43位


【メ  モ】
 トラフィック通算6枚目のスタジオ・アルバム。(本作以外にライヴ・アルバム2、コンピレーショ・アルバム2がある)
 アメリカではゴールド・アルバムに認定された。
 アルバム発表後にツアーを行ったが、その途中でトラフィックは解散した。

 このアルバムからベースはロスコ・ジーが起用されている。
 またパーカッションのリーボップ・クワク・バーは③「グレイヴヤード・ピープル」と⑦「ホエン・ジ・イーグル・フライズ」の2曲に参加しているが、アルバム完成前に解雇されているためクレジットはされていない。

 クリス・ウッドが作曲した「ムーンチャイルド・ヴァルカン」はこのアルバム制作時に録音されたが、結局アルバムには収録されなかった。しかしツアーでは演奏されており、トラフィックによるライヴ録音が、ウッドの死後2008年に発表された彼のアルバム『ヴァルカン』に収録されている。


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『オン・ザ・ロード』(トラフィック)

2023-07-13 10:15:40 | albums

オン・ザ・ロード On the Road


【歌・演奏】

  トラフィック/Traffic

【リリース】
  1973年10月

【録音】
  1973年4月 ドイツ

【プロデューサー】
  クリス・ブラックウェル/Chris Blackwell

【エンジニア】
  ブライアン・ハンフリーズ/Brian Humphries

【レーベル】
  アイランド/Island


【収録曲】
 side:A
  ① グラッド~フリーダム・ライダー 20:49
    Glad(Steve Winwood)/ Freedom Rider(Steve Winwood, Jim Capaldi)
 side:B

  ② トラジック・マジック 8:30
    Tragic Magic(Chris Wood)
  ③ アンインスパイアード 10:20
    (Sometimes I Feel So) Uninspired(Steve Winwood, Jim Capaldi)
 side:C

  ④ シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー 6:40
    Shoot Out at the Fantasy Factory(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ⑤ なんとかしてくれ、さもなきゃほっといてくれ 10:30
    Light up or Leave Me Alone(Jim Capaldi)
 side:D
  ⑥ ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ 17:35

    The Low Spark of High Heeled Boys(Steve Winwood, Jim Capaldi)


【録音メンバー】
 ☆トラフィック
   スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(guitars, piano, lead-vocals①③④⑥)
   クリス・ウッド/Chris Wood(flute, sax)
   バリー・ベケット/Barry Beckett(organ, piano)
   デヴィッド・フッド/David Hood(bass)
   ロジャー・ホーキンス/Roger Hawkins(drums)

   ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(percussions, drums④, lead-vocals⑤, backing-vocals④)
   リーバップ・クワク・バー/Rebop Kwaku Baah(percussions)


【チャート】
 1973年週間アルバム・チャート 
   UK40位、US(ビルボード)29位、カナダ43位、オーストラリア51位


【メ  モ】
 トラフィック通算2枚目のライヴ・アルバム(本作以外にスタジオ・アルバム5、コンピレーショ・アルバム2がある)。2枚組である。
 1973年のヨーロッパ・ツアーのうち、ドイツでのライヴを収録している。
 メンバーに、マッスル・ショールズのバリー・ベケット、デヴィッド・フッド、ロジャー・ホーキンスが加わっている。


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ボズ・バレル

2023-07-12 21:27:16 | bass

ボズ・バレル Raymond "Boz" Burrell

 【パート】
   ベース、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1946年8月1日~2006年9月21日(60歳没)

 【出身】
   イングランド リンカンシャー州ホルビーチ

 【経歴】
   ティー・タイム・フォー/Tea Time Four(1963~1965)
   ボズ・ピープル/Boz People(1965)
   ザ・サイドワインダーズ/The Sidewinders(1965~1966)
   フィール・フォー・ソウル/Feel For Soul(1966~1967)
   パノラマ/Panorama(1968)
   ミラーズ/Mirrors(1970)
   センティピード/Centipede(1970, 1971)
   キング・クリムゾン/King Crimson(1970~1972)
   ディック&ザ・ファイアメン(1971~1976)
   スネイプ/Snape(1972)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1973~1982)
   ヒンクリーズ・ヒーローズ/Hinkley's Heros(1976)
   ロジャー・チャップマン&ザ・ショートリスト/Roger Chapman & The Shortlist(1981~1983)
   チャック・ファーリー/Chuck Farley(1983)
   ナイトフライ/Nightfly(1984)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1986~1988)
   バッド・カンパニー/Bad Company(1998~1999)



 1946年、イングランドのリンカンシャーにあるホルビーチという町で生まれる。
 1963年、学友と「ティー・タイム・フォー」というローカル・バンドを結成し、アコースティック・ギターとして参加する。このバンドはおもにジャズ、ブルース、ソウルなどの黒人音楽を演奏していた。
 1965年春、マネージャーのジャック・バリーの勧めで仲間4人とともにロンドンに拠点を移し、バンド名を「ボズ・ピープル」と改めて、マーキー・クラブやテレビに出演するようになる。ボズ・ピープルは6月にはオーディションによりイアン・マクレガン(keyboard のちスモール・フェイセズ)を加え5人編成となり、EMIのコロンビア・レーベルと契約を交わした。この年後半にはヴォーカルのマイク・プリオールが脱退したため、バレルがヴォーカルを兼ねることになる。しかし商業的な成功には至らず、11月にはやむなく解散した。
 この年、ボズはロジャー・ダルトリーの後任ヴォーカリストとして「ザ・フー」に加入する話もあったということだが、これは結局実現しなかった。


 ボズ・ピープル解散後のバレルは「ザ・サイドワインダーズ」や「フィール・フォー・ソウル」などさまざまなローカル・バンドをバックに起用して活動したほか、1966年に「ボズ」の名でソロとしてデビュー、68年にかけてコロムビアから6枚のソロ・シングルを発表した。
 1968年にリリースしたシングル「アイ・シャル・ビー・リリースト」は、ボブ・ディランの曲のカヴァーであるが、このレコードではベースがチャス・ホッジスのほか、第1期ディープ・パープルのメンバーであるジョン・ロード(organ)、リッチー・ブラックモア(guitar)、イアン・ペイス(drums)が演奏を担当している。


 その後に参加した「ミラーズ」というバンドがロンドン・マーキー・クラブでのギグを最後として1970年10月に解散すると、キース・ティペットによる60人編成のジャズ・オーケストラ「センティピード」に参加して、アルバム『セプトーバー・エナジー』の制作に関わった。この『セプトーバー・エナジー』のプロデューサーを務めたのが、キング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップである。フリップに紹介されたバレルは、キング・クリムゾンのヴォーカリストのオーディションを受け、合格する。
 当時クリムゾンのメンバーだったメル・コリンズ(sax)は、「ボズは、1960年代には「ボズ・ピープル」や「ザ・サイドワインダーズ」での活動によってミュージシャンの間ではよく知られた存在だった。オーディションに来た時点でその実力は群を抜いていたので、即座に"決まり"だと思った」と語っている。
 この頃のキング・クリムゾンはアルバム『リザード』を発表(1970年5月)した後で、ゴードン・ハスケル(bass, vocal)とアンディ・マカロック(drums)が脱退したために新しいメンバーを探していたところだった。


 ヴォーカルにバレル、ドラムスにイアン・ウォーレスの参加が決まったクリムゾンだったが、ベーシストの適任者はなかなか見つからず、ようやく採用したリック・ケンプ(スティーライ・スパン)からもリハーサルの直前に加入を断られてしまう。そんな時、スタジオでたまたまベース・ギターを弾いて遊んでいたバレルを見たフリップは、もともとギターを弾けるバレルにベーシストを兼任させることを思いついた。バレルはフリップから集中的にベース・ギターの指導を受け、わずか2ヵ月という短期間で複雑なクリムゾンのレパートリーを全てマスターしたのである。
 こうしてバレルはヴォーカリスト兼ベーシストとなり、1971年4月に、フランクフルトでフリップ、コリンズ、ウォーレスと共にキング・クリムゾンのステージに立った。これはクリムゾンにとっては実に16ヵ月ぶりのライヴであった。
 またクリムゾン以外にも、クリムゾンやバッド・カンパニーに在籍中の1971年から1976年にかけては「ディック&ザ・ファイアメン」というジャム・セッション系グループで不定期に活動しているが、1976年にはディック&ザ・ファイアメンが発展したやはりジャム・セッション系グループ「ヒンクリーズ・ヒーローズ」にも不定期に参加している。
 

 さてフリップは、バレルがベーシストに決定してからもベーシストを探し続けている。
 ジョン・ウェットンにも加入を打診したが、この時は「今はその時期ではない」として断られている。一方コリンズとウォーレスは、バレルが技術的に向上している事を理由に、バンドの編成を現状のまま維持するようフリップに要望した
 バレルはアルバム『アイランズ』でベースを弾き、一定の成果を上げたが、次第にフリップとそれ以外のメンバーの間で対立が生じるようになる。バレル、コリンズ、ウォーレスの3人はブルース指向であり、フリップとは方向性が異なっていたからである。
 1972年の年明けのリハーサルでは、フリップとバレルら3人との間に生じた亀裂は深刻なものとなっていた。こうした状況からフリップはバンドの解散を決めたが、このときすでにマネジメント側によって北米ツアーのスケジュールが決定していた。このためメンバーはしぶしぶツアーの契約履行に同意し、2月からキング・クリムゾンのアメリカ・ツアーはスタートした。そしてバンドはツアーが終了した4月に解散した。


 キング・クリムゾンでベース・ギターをマスターしたバレルは、これ以降おもにベーシストとして活動してゆくことになる。
 バレルは、キング・クリムゾンの解散後はコリンズ、ウォーレスとともにアメリカに残り、アレクシス・コーナーのバンド「スネイプ」に参加した。
 スネイプではアルバム『アクシデンタリー・ボーン・イン・ニューオーリンズ』と2枚組ライブ・アルバム『ライヴ・オン・ツアー・イン・ジャーマニー』に参加している。


 その後、セッション・ミュージシャンとして活動していたが、1973年にポール・ロジャース(vocal 元フリー)、サイモン・カーク(drums 元フリー)、ミック・ラルフス(guitar 元モット・ザ・フープル)が結成した「バッド・カンパニー」のオーディションを受け、合格する
 バッド・カンパニーはレッド・ツェッペリンが設立したレーベル「スワン・ソング」と契約。この「スーパー・グループ」の出現はロック界の注目を一身に集めた。
 バッド・カンパニーは、1974年にアルバム『バッド・カンパニー』でデビュー。このアルバムは全世界で1200万枚以上を売り上げ、アルバム・チャートで全米1位、全英3位となる大ヒットを記録し、一躍有数の人気バンドにのし上がった。
 バレルは『バッド・カンパニー』から1982年に発表された『ラフ・ダイアモンド』までの、6枚のアルバムの制作に参加している。
 バンドは順調にキャリアを重ねていったが、『ラフ・ダイアモンド』の発表後、メンバー間の軋轢が高じて解散する。 


 その後のバレルの音楽活動は、スタジオ経営のかたわらセッション・ベーシストとして演奏する生活を送る。
 1982年、ジョン・ロードのソロ・アルバム『時の過ぎゆくままに』に収録されている「ハリウッド・ロックンロール」の録音に参加。
 1984年にはスペンサー・ジェイムス(vocal, guitar)、ミッキー・ムーディ(guitar)、ミッキー・シモンズ(keyboard)、ザック・スターキー(drums)らと「ナイトフライ」を結成したが、短命に終わっている。

 1986年、ボーカリストにブライアン・ハウ(元テッド・ニュージェント・バンド)を迎えて再結成したバッド・カンパニーに参加したが、同年秋にアルバム『フェイム・アンド・フォーチュン』リリースした後に脱退する。
 1996年、アルヴィン・リー、ルビー・ターナーらとベスト・オブ・ブリティッシュ・ブルース・ツアーに参加。
 1998年にオリジナル・メンバーによって再結成されたバッド・カンパニーに参加、久々に元気な姿を見せた。1999年には4曲の新曲を含むベスト・アルバム『バッド・カンパニー・アンソロジー』のリリースに伴うツアーが行われた。

 しかし、「本格的にジャズに取り組みたい」という理由により、2002年のツアーには参加しなかった。
 20世紀の終わり頃からは、1960年代からの旧友であるスコットランドのブルース・シンガー、ボーカリストのタム・ホワイトと組み、「シュー・ストリング・バンド」や「ケルティック・グルーヴ・コネクション」で活動した。


 2006年9月21日、スペインの自宅にて心臓発作で死去。60歳だった。
 その日、ボズはタム・ホワイトらとともにとあるパーティで演奏することになっており、その準備をしていたところ、ギターを持って椅子に座った途端に倒れたとのことである。


          


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ソロ・シングル>
  1966年 Isn't That So
  1966年 Meeting Time
  1966年 Pinocchio
  1966年 The Baby Song
  1968年 I Shall Be Released
  1968年 Light my Fire

 <センティピード>
  1971年 セプトーバー・エナジー/Septober Energy

 <キング・クリムゾン>
  1971年 アイランズ/Islands UK30位、UK76位
 ☆1972年 アースバウンド/Earthbound
 ☆2002年 レディース・オブ・ザ・ロード/Ladies of the Road ※録音1971~1972年
 ★2017年 Sailor's Tales(1970-1972)

 <アレクシス・コーナー&スネイプ>
  1973年 アクシデンタリー・ボーン・イン・ニューオーリンズ/Accidentally Born in New Orleans
 ☆1973年 ライヴ・オン・ツアー・イン・ジャーマニー/Live On Tour in Germany

 <バッド・カンパニー>
  1974年 バッド・カンパニー/Bad Company UK3位、US1位
  1975年 ストレート・シューター/Straight Shooter UK3位、US3位
  1976年 ラン・ウィズ・ザ・パック/Run With the Pack UK4位、US5位
  1977年 バーニン・スカイ/Burnin' Sky UK17位、US15位
  1979年 ディソレーション・エンジェル/Desolation Angels UK10位、US3位
  1982年 ラフ・ダイアモンド/Rough Diamonds UK15位、US26位
 ★1985年 ベスト・オブ・バッド・カンパニー/10 from 6 US137位
  1986年 フェイム・アンド・フォーチュン/Fame and Fortune US106位
 ★1999年 バッド・カンパニー・アンソロジー/The Original Bad Company Anthology US189位
 ☆2006年 ライヴ・イン・アルバカーキ1976/Live Albuquerque Nm Usa ※1976年録音

 <ロジャー・チャップマン&ザ・ショートリスト>
  1982年 He Was... She Was... You Was... We Was...
  1982年 Riff Burglar (The Legendary Funny Cider Sessions Vol.1)

 <タム・ホワイト>
  1991年 Keep it under your hat(Tam White & The Band)
  1999年 The Celtic Groove Connection(Tam White/Boz Burrell)

 <ゲスト参加>
 *Ellis
  1972年 Riding on the Crest of A Slump
  1973年 Why Not?

 *アルヴィン・リー&マイロン・ルフェーヴル
  1973年 On the Road to Freedom

 *チリ・チャールズ
  1973年 Busy Corner

 *エディ・ハリス
  1973年 E. H. in the U. K.

 *エスター・フィリップス
  1973年 Black-Eyed Blues

 *ピート・シンフィールド
  1973年 スティル/Still

 *チャップマンーホイットニー
  1974年 Streetwalkers

 *アレクシス・コーナー
  1974年 Alexis Korner

 *アメイジング・ブロンデル
  1974年 Amazing Blondel

 *ダスター・ベネット
  1975年 Fingertips

 *アルヴィン・リー
  1975年 パンプ・アイアン!

 *ピート・タウンゼント&ロニー・レーン
  1977年 Rough Mix

 *ボクサー
  1979年 Bloodletting

 *ジョン・ロード
  1982年 時の過ぎゆくままに/Before I Forget

 *ロジャー・チャップマン
  1983年 Mango Crazy

 *ピーター・グリーン
  1986年 Lastest Game

 *クリス・ファーロウ
  1991年 Farlowe

 *スティーヴ・マリオッツ・スクラバーズ
  1992年 Steve Marriott's Scrubbers ※1974年録音

 *ジョーン・アルマトレーディング
  1995年 What's Inside

 *ルビー・ターナー
  1998年 Call Me By Name


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『シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー』(トラフィック)

2023-07-07 10:00:25 | albums

シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー Shoot Out at the Fantasy Factory


【歌・演奏】

  トラフィック/Traffic

【リリース】
  1973年2月

【録音】
  1972年 ストロベリー・ヒル・スタジオ(ジャマイカ)

【プロデューサー】
  スティーヴ・ウィンウッド/Steve Winwood
  ジム・キャパルディ/Jim Capaldi

【エンジニア】
  ジェリー・マスターズ/Jerry Masters
  スティーヴ・メルトン/Steve Melton

【レーベル】
  アイランド/Island


【収録曲】 
 side:A
  ① シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー 6:05
    Shoot Out at the Fantasy(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ② ロール・ライト・ストーンズ 13:40
    Roll Right Stones(Steve Winwood, Jim Capaldi)
 side:B

  ③ イヴニング・ブルー 5:19
    Evening Blue(Steve Winwood, Jim Capaldi)
  ④ トラジック・マジック 6:43
    Tragic Magic(Chris Wood)
  ⑤ アンインスパイアード 7:31
    (Sometimes I Feel So) Uninspired(Steve Winwood, Jim Capaldi)


【録音メンバー】
 ☆トラフィック
   スティーヴ・ウインウッド/Steve Winwood(acoustic-piano, organ, guitars⑤, lead-vocals, backing-vocals)
   クリス・ウッド/Chris Wood(sax, flute)
   デヴィッド・フッド/David Hood(bass)

   ロジャー・ホーキンス/Roger Hawkins(drums)
   ジム・キャパルディ/Jim Capaldi(percussions, backing-vocals②)
   リーバップ・クワク・バー/Rebop Kwaku Baah(percussions)
   バリー・ベケット/Barry Beckett(keyboards④)
 ★ゲスト・ミュージシャン
   ジミー・ジョンソン/Jimmy Johnson(clarinet④)


【チャート】
 1973年週間アルバム・チャート 
   US(ビルボード)6位、カナダ2位、イタリア20位、オーストラリア35位
 1973年年間アルバム・チャート
   US(ビルボード)62位


【メ  モ】
 トラフィック通算5枚目のスタジオ・アルバム。(本作以外にライヴ・アルバム1、コンピレーショ・アルバム2がある)
 アメリカではゴールド・アルバムに認定された。
 アルバム・ジャケットは変形の六角形である。

 このアルバムの制作には、マッスル・ショールズ・スタジオのミュージシャン4人のメンバーが参加している。
 デヴィッド・フッド(bass)、ロジャー・ホーキンス(drums)、バリー・ベケット(keyboard ④「トラジック・マジック」にのみ参加)はトラフィックのメンバーとしてクレジットされている。ジミー・ジョンソン(clarinet)は④「トラジック・マジック」にのみ参加している。
 その後、フッド、ホーキンス、ベケットの3人はトラフィックのツアーにも参加している。


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『アルマゲドン』(アルマゲドン)

2023-07-06 12:25:40 | albums

アルマゲドン Armageddon


【歌・演奏】
  アルマゲドン/Armageddon

【リリース】
  1975年5月

【録音】
  1974年秋 オリンピック・スタジオ(ロンドン)

【プロデューサー】
  アルマゲドン/Armageddon

【レーベル】
  A&Mレコード/A&M Records


【収録曲】 
 side:A
  ① 肉食鳥 8:16
    Buzzard(Bobby Caldwell, Martin Pugh, Keith Relf)
  ② シルヴァー・タイトロープ 8:23
    Silver Tightrope(Bobby Caldwell, Martin Pugh, Keith Relf)
  ③ 未来への小路 4:30
    Paths and Planes and Future Gains(Bobby Caldwell, Martin Pugh, Keith Relf)
 side:B
  ④ ラスト・スタンド・ビフォア 8:23
    Last Stand Before(Bobby Caldwell, Louis Cennamo, Martin Pugh, Keith Relf)
  ⑤ 真夜中の太陽 11:30
    Basking in the White of the Midnight Sun(Bobby Caldwell, Martin Pugh, Keith Relf)
    a) 警告 1:00
      Warning Comin' On
    b) 真夜中の太陽 3:03
      Basking in the White of the Midnight Sun
    c) ブラザー・エゴ 5:10
      Brother Ego
    d) 真夜中の太陽(リプリーズ) 2:18
      Basking in the White of the Midnight Sun (Reprise)


     


【録音メンバー】
 ☆アルマゲドン
   キース・レルフ/Keith Relf(lead-vocals, harmonica)
   マーティン・ピュー/Martin Pugh(electric-guitars, acoustic-guitars)
   ルイス・セナモ/Louis Cennamo(bass, electric-bowed-bass)
   ボビー・コールドウェル/Bobby Caldwell(drums, percussions, piano, backing-vocals)


【チャート】
 1975年週間アルバム・チャート UK圏外、US圏外 


【メ  モ】
 アルマゲドンがリリースした唯一のアルバム。
 ①「肉食鳥」はセナモとピューが在籍していたスティームハマーの4作目『Speech』に収録されていたものを改作した曲である。


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アルマゲドン

2023-07-05 23:33:25 | band

アルマゲドン Armageddon


活動期間
  1974年~1975年


メンバー
  キース・レルフ/Keith Relf(vocals, harmonica)

  マーティン・ピュー/Martin Pugh(electric-guitars, acoustic-guitars)
  ルイス・セナモ/Louis Cennamo(bass, electric-bowed-bass)
  ボビー・コールドウェル/Bobby Caldwell(drums, percussions, piano, backing-vocals)



 アルマゲドンは1974年に結成されたイングランドのロック・バンド。
 イギリス人3人、アメリカ人1人から成る英米混成バンドである。


 キース・レルフとルイス・セナモは「ルネッサンス」でバンドメイトであった。
 ルネッサンスを脱退したセナモは1971年「スティームハマー」に加入し、ここでマーティン・ピュー(guitar)に出会う。バンドはしばしばメンバー・チェンジを行ったのち、1973年夏にはバンド名を「アクシス」と変えたが、同年の終わりに活動を停止する。そこでセナモとピューは新バンド結成を計画する。


 一方レルフはプロデューサーとして活動していたが、1971年から72年にかけて「メディシン・ヘッド」にべーシストとして在籍。
 1971年冬、レルフは「スティームハマー」の4作目『Speech』の共同プロデューサーとしてアルバムの制作に関わり、その時にピューとも意気投合する。
 1974年にセナモと再会したレルフは、セナモとピューによる新バンド結成の計画に興味を持った。そして三人で音楽的方向性について話し合った結果、レルフも新バンドに加入することになった。


 イギリスのレコード会社は契約に対して消極的だったたため、1974年に3人はアメリカへ渡る。
 ロサンゼルスのハリウッドに着いた夜、彼らは「レインボー・バー」で元キャプテン・ビヨンドのドラマー、ボビー・コールドウェルと知り合った。ドラマー候補はほかにも数人いたが、名ドラマー、エインズレー・ダンバーからも推薦されたことによってコールドウェルとジャム・セッションすることになった。このセッションをA&Mレコードのスタッフが聴いており、翌日にはさっそくA&Mからオファーを受けたのである。
 こうして3人はコールドウェルをバンドに迎えた。
バンドは「アルマゲドン」と命名され、1974年末にリハーサルを開始した。
 ヤードバーズ、ルネッサンス、キャプテン・ビヨンド、スティームハマーの元メンバーで構成されたアルマゲドンは、一部で「スーパー・グループ」と呼ばれ、期待された。
 1975年、ファースト・アルバム『アルマゲドン』を発表。イギリスで制作されたこのアルバムは、プログレッシヴ感覚豊かで個性的なハード・ロックが詰め込まれている。
 『アルマゲドン』は一部からは高く評価されたが、商業的な成功を得ることはできなかった。またバンドとマネージメント側とのコミューニケーションがうまく取れておらず、そのうえピューとコールドウェルの薬物問題もバンドに影を落とすようになった。
 これらの理由から、アルマゲドンはデビュー・アルバムのみを残して、1975年暮れには活動を停止したのである。


 アルマゲドンの解散後、レルフはセナモや妹のジェーン・レルフらルネッサンスの元メンバーを中心として新たなバンド(「Now」と名付けられ、のち「イリュージョン」と改名)を結成するべくリハーサルを行っていたが、1976年5月12日に自宅地下室でエレキ・ギターを弾いている時に感電死した。
 セナモはイリュージョンに参加し、1979年までに2枚のアルバムを残した。
 コールドウェルは1976年にキャプテン・ビヨンドへ復帰。
 ピューはアルマゲドン解散後は音楽業界から離れてカリフォルニアに住んでいたが、21世紀になって「セヴンス・オーダー」の一員として活動を再開させている。


     


【ディスコグラフィ】
 <アルバム>
  1975年 アルマゲドン/Armageddon


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キース・レルフ

2023-07-05 22:23:10 | vocal

キース・レルフ William Keith Relf

 【パート】
   ヴォーカル、マウスハープ、ギター、ベース

 【生没年月日】
   1943年3月22日~1976年5月12日(33歳没)

 【出身】
   イングランド サリー州リッチモンド

 【経歴】
   ヤードバーズ/Mustard(1962~1968)
   トゥゲザー/Together(1968)
   ルネッサンス/Cressida(1969~1970)
   メディシン・ヘッド/Medicine Head(1971~1972)
   アルマゲドン/Armageddon(1974~1975)



 キース・レルフはヤードバーズのオリジナル・メンバー、およびヴォーカリストである。ブルース・ハープの使い手としても評価が高い。
 ルネッサンスのヴォーカリスト、ジェーン・レルフは実妹である。


 キース・レルフは、1943年3月22日にサリー州リッチモンドで生まれた。父ウィリアム・アーサー・パーシー・レルフは建設業者、母メアリー・エルシー・レルフは専業主婦である。
 キースは1956年の夏頃からヴォーカリスト、ギタリスト、そしてハーモニカ奏者として演奏活動を始めた。
 キングストン・アート・カレッジに進んでからは、ポール・サミュエル=スミス(bass)らとともに「メトロポリス・ブルース・カルテット」を結成している。
 当時キングストン・アート・カレッジの学生の溜まり場となっていたパブで、メトロポリス・ブルース・カルテットは、アンソニー・トップハム(guitar)、クリス・ドレヤ(bass)、ジム・マッカーティ(drums)が組んでいたR&Bバンドと知り合う。このふたつのバンドが合流して1963年に結成されたのが「ヤードバーズ」である。
 結成当初、ヤードバーズはロンドンのリッチモンドにあるナイトクラブ「クロウダディ・クラブ」に出演していた。このクラブはローリング・ストーンズがデビューした当時出演していた店だった。クロウダディ・クラブのオーナーであるジョルジオ・ゴメルスキーはヤードバーズのプロデューサー兼マネージャーとなり、彼らをストーンズに代わるクラブの看板バンドに抜擢した。
 1963年秋、アンソニー・トップハムに代わってエリック・クラプトン(guitar)が加わり、コロンビアと契約を交わして、デビュー・シングル「I Wish You Would」をリリースした。


 キースのアイドルにも匹敵するルックスとクラプトンのギターはヤードバーズの看板となり、間もなく彼らは人気バンドとなる。
 1965年にはシングル「フォー・ユア・ラヴ」が全英3位、全米6位の大ヒットを記録。続いてリリースしたシングル「ハートせつなく」も全英2位、全米9位とまたも大ヒットした。
 しかしブルース志向のクラプトンはポップ寄りにシフトしてゆくヤードバーズの音楽性と相容れず、それが原因で脱退。その後ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが後任のギタリストとして加入し、ヤードバーズの人気バンドとしての地位は揺るがなかった。
 キースは、ソロとしては1966年に2枚のソロ・シングルを発表している。デビュー・ソロ・シングル「ミスター・ゼロ」は、1966年5月に全英シングル・チャートで最高50位を記録した。 
 しかしライヴやツアーの連続でキースは疲れ切ってしまい、次第に音楽活動への意欲を失ってゆく。その結果、1968年7月にジム・マッカーティとともにヤードバーズを脱退するのである。


     


 ヤードバーズ脱退後のキースとジム・マッカーティはフォーク・ロック・デュオ「トゥゲザー」を結成し、同年末にシングル・レコードを1枚リリースする。
 翌69年6月、キースとマッカーティは、ベースにルイス・セナモ(元ザ・ハード)、キーボードにジョン・ホウケン(元ナッシュヴィル・ティーンズ)、そしてヴォーカルにキースの実妹であるジェーン・レルフを加え、フォーク・ロックにクラシックの要素を加味したプログレッシヴ・ロック系の新バンド「ルネッサンス」を結成。
 その年にはファースト・アルバム『ルネッサンス』を発表するが、1970年のセカンド・アルバム制作時にはキースの関心はプロデュース業に移っていたためレコーディング途中でバンドを脱退。それが元でバンドは徐々に勢いを失い、1971年に発表したセカンド・アルバム『幻想のルネッサンス』をもって活動を停止した。


 ルネッサンスを脱退したキースは1970年後半からはプロデューサーとして活動。ジム・マッカーティと組んでサントラ作品「Schizom」を制作したり、フォーク・ロック・バンド「Reign」のために曲を提供したりしている。
 1971年、「メディシン・ヘッド」のセカンド・アルバムとシングルのプロデュースを担当したのをきっかけにベーシストとしてメディシン・ヘッドに加入、1972年まで在籍した。
 1973年にはハンター・マスケットのセカンド・アルバムや、サイケデリック・ロック・バンド「サテュラニア」のアルバムをプロデュースしている。


 ルネッサンス時代のバンドメイトだったルイス・セナモは、ルネッサンス脱退後に「スティームハマー」のメンバーとなっていたが、彼はスティームハマーのバンドメイトだったマーティン・ピュー(guitar)と新バンドを組む計画を持っていた。
 一方キースは1971年冬にスティームハマーの4枚目のアルバム『Speech』に共同プロデューサーとして関わったが、この時にピューとも知己を得ている。1974年にセナモと再会したキースはセナモとピューが温めていた新バンド結成の計画に興味を持ち、彼らと音楽的方向性について話し合った結果、メンバーに加わることとなった。
 イギリスのレコード会社から契約を得られなかった3人は、アメリカに渡る。そしてロサンゼルスのハリウッドにある「レインボー・バー」で元キャプテン・ビヨンドのボビー・コールドウェル(drums)と知り合った。西海岸の名ドラマーであるエインズレー・ダンバーの推薦もあってコールドウェルをメンバーとして加えた彼らはバンドを「アルマゲドン」と名付け、活動を開始する。
 アルマゲドンは1975年にファースト・アルバム『アルマゲドン』を発表。スピード感とプログレッシヴ感覚豊かなハード・ロックを展開し、一部からは高く評価されたがセールスには結びつかず、アルバム1枚を残して解散した。


 アルマゲドンの解散後、キースは妹のジェーンらルネッサンスの元メンバーを中心としてバンドを結成し、原点に回帰した音楽を創ることを計画。そのバンドのリハーサルも始まっていた1976年5月12日、キースは自宅地下室でエレキ・ギターを弾きながら作曲している時に、ギターの接触不良が原因で感電死、リッチモンド墓地に埋葬された。33歳であった。
 キースの死亡日を多くの情報源が5月14日としているが、これは新聞に記事が掲載された日であり、公式の死亡診断書には5月12日にウェスト・ミドルセックス病院で死亡が宣告された旨記録されている。
 なおこの新バンドはキースの死後「イリュージョン」と名付けられて1979年まで活動し、2枚のアルバムを残している。


 キースのヴォーカリストとしての実力に対しては今ひとつ物足りないという評もあるが、彼は生涯を通じて喘息に悩まされており、のちには肺気腫を抱えるまでになった。それがキースの歌唱力に影響を及ぼしていた可能性は否定できない。


 1992年、キースはヤードバーズとともにロックの殿堂入りを果たした。
 なおヤードバーズは1992年に再結成され、2003年には35年ぶりの新作『バードランド』を発表したが、このアルバムに収録されている「An Original Man (A Song For Keith)」はキース・レルフに捧げられたものである。


     



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ヤードバーズ>
 ☆1964年 ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ/Five Live Yardbirds
  1965年 フォー・ユア・ラヴ/For Your Love US96位
 ★1966年 ハヴィング・ア・レイヴ・アップ/Having a Rave Up with the Yardbirds US53位
  1966年 ロジャー・ジ・エンジニア/Roger the Engineer UK20位
  1966年 Over Under Sideways Down US52位
  1966年 欲望/Blow-Up ※B面1曲目に収録された「Stroll On」がヤードバーズの演奏
 ★1967年 The Yardbirds Greatest Hits US28位
  1967年 リトル・ゲームズ/Little Games US80位
 ☆1971年 Live Yardbirds Featuring Jimmy Page ※1968年5月録音
☆★1991年 Tardbirds...On Air
☆★2000年 Cumular Limit
☆★2017年 Yardbirds '68

 <ルネッサンス>
  1969年 ルネッサンス/Renaissance UK60位
  1971年 幻想のルネッサンス/Illusion

 <アルマゲドン>
  1975年 アルマゲドン/Armageddon

 <ソロ・シングル>
  1966年 Mr. Zero UK50位
  1966年 Shapes In My Mind
  1989年 Together Now

 <ゲスト参加>
 *スティームハマー
  1972年 Speech


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『魔界再来』(ユーライア・ヒープ)

2023-07-05 09:46:16 | albums

魔界再来 Abominog


【歌・演奏】
  ユーライア・ヒープ/Uriah Heep


【リリース】
  1982年3月(UK)
  1982年7月12日(US)



【録音】
  1981年10月~12月
  ラウンドハウス・スタジオ(ロンドン)


【プロデューサー】
  アシュリー・ハウ/Ashley Howe



【エンジニア】
  ニック・ロジャース/Nick Rogers


【レーベル】
  ブロンズ・レコード/Bronze Records(UK)
  マーキュリー・レコード/Mercury Records(US)



【収録曲】(☆シングル=③⑥)
 side:A
  ① トゥー・スケアード・トゥ・ラン 3:49
    Too Scared to Run(Peter Goalby, Mick Box, John Sinclair, Bob Daisley, Lee Kerslake)
  ② チェイシング・シャドウズ 4:39
    Chasing Shadows(Peter Goalby, Mick Box, John Sinclair, Bob Daisley, Lee Kerslake)
 ☆③ オン・ザ・リバウンド 3:14
    On the Rebound(Russ Ballard)
    *1982年2月リリース

  ④ 無情な街の熱い夜 4:03
    Hot Night in a Cold Town(Geoffrey Cushing-Murray, Richard Littlefield)
  ⑤ ランニング・オール・ナイト 4:28
    Running All Night (With the Lion)(Gary Farr, Peter Goalby, Mick Box, John Sinclair, Bob Daisley, Lee Kerslake)
  side:B
 ☆⑥ ザッツ・ザ・ウェイ・ザット・イット・イズ 4:06
    That's the Way That It Is(Paul Bliss)
    *1982年週間シングル・チャート=US106位、ビルボード・メインストリーム・ロック・チャート25位 1982年5月リリース 

  ⑦ プリズナー 4:33
    Prisoner(James Lance, D.B. Cooper, Tony Riparetti)
  ⑧ ホット・パースウェイジョン 3:48
    Hot Persuasion(Peter Goalby, Mick Box, John Sinclair, Bob Daisley, Lee Kerslake)
  ⑨ セル・ユア・ソウル 5:25
    Sell Your Soul(Peter Goalby, Mick Box, John Sinclair, Bob Daisley, Lee Kerslake)
  ⑩ シンク・イット・オーヴァー 3:42
    Think It Over(John Sloman, Trevor Bolder)


【録音メンバー】
 ☆ユーライア・ヒープ
   ピーター・ゴールビー/Peter Goalby(vocals)
   ミック・ボックス/Mick Box (guitars, backing-vocals)
   ジョン・シンクレア/John Sinclair(keyboards, backing-vocals)
   ボブ・デイズリー/Bob Daisley(bass, backing-vocals)
   リー・カースレイク/Lee Kerslake(drums, backing-vocals)
 

【チャート】
 1982年週間アルバム・チャート
   イギリス34位、アメリカ(ビルボード)56位、ノルウェイ30位、ドイツ52位


     



【メ  モ】
 ユーライア・ヒープ14作目のスタジオ・アルバム。
 いったん解散状態に陥っていたユーライア・ヒープだったが、ただひとり残ったミック・ボックスはメンバーを一新して活動を再開、本作を発表した。
 ヴォーカルに元トラピーズのピーター・ゴールビーが、そしてキーボードに元ヘヴィ・メタル・キッズのジョン・シンクレアが新たに加入。そしてかつてのメンバーで、オジー・オズボーン・バンドに在籍していたリー・カースレイク(drums)がこのアルバムから復帰。また同じくオジー・オズボーン・バンドに在籍していたボブ・デイズリー(bass)が、カースレイクとともに加入した。

 このアルバムは「ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル(NWOBHM)」の波に乗って好セールスを展開した。全英アルバム・チャートでは6週間にわたってトップ100入りし、最高34位を記録。またアメリカではビルボードで最高56位となり、1976年の『幻想への回帰』以来7年ぶりにトップ100入りを果たした。
 ただし、ユーライア・ヒープの人気が高いノルウェイでのアルバム・チャートは最高30位にとどまった。これは1971年の『対自核』以来トップ20入りできなかった初めてのケースである。

 ⑩「シンク・イット・オーヴァー」は、ケン・ヘンズレーの後任として加入したグレッグ・デシャート在籍時の1980年にシングルとしてリリースされた曲で、このアルバムに収録されているのは再録音ヴァージョンである。


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