
左から マックス・ミドルトン、ボブ・テンチ、ジェフ・ベック、クライヴ・チャーマン、コージー・パウエル
ジェフ・ベック・グループ(第2期) Jeff Beck Group
【活動期間】
1970年~1972年
【メンバー】
<Vocal>
アレックス・リガートウッド/Alex Ligertwood 在籍1970~1971
ボブ・テンチ/Bob Tench(vocal, guitar) 在籍1971~1972
<Guitar>
ジェフ・ベック/Jeff Beck 在籍1970~1972
<Keyboard>
マックス・ミドルトン/Max Middleton 在籍1970~1972
<Bass>
クライヴ・チャーマン/Clive Chaman 在籍1970~1972
<Drums>
コージー・パウエル/Cozy Powell 在籍1970~1972
【バンドの歴史】
第1期ジェフ・ベック・グループは、1969年7月から始まったアメリカ・ツアー中に、ジェフ・ベックの意向で突然解散した。出演予定だった8月のウッドストック・フェスティヴァルの前日だった。
解散後のベックは、かねてより注目していたヴァニラ・ファッジのリズム・セクション、ティム・ボガート(bass)とカーマイン・アピス(drums)のふたりに、ロッド・スチュワートを加えて、新たなバンドを結成しようとしていた。スチュワートはクワイエット・メロンに加入したが、ボガートとアピスはベックの新バンドに加わることを承諾する。しかし1969年11月2日、ベックはロンドン南西のケント州で運転中に交通事故を起こして全治3ヵ月の重傷を負ったため、その計画は流れてしまった。
ベックのケガが完治したのは翌1970年である。ボガートとアピスは同年2月にカクタスを結成して活動していた。そのためベックはふたりとの活動をあきらめ、自身の新たなバンドの結成に向かって動き始めた。
まずオーディションによって元ビッグ・バーサのコージー・パウエル(drums)の参加が決定する。ベックは1969年にエース・ケフォード・スタンドのライヴで、当時このバンドのメンバーだったパウエルのプレイに接して以来彼に注目しており、パワフルなドラマーを欲していたベックにとって、これはうってつけの人選だった。
ベックにはモータウンのヒット曲をギター・インストゥルメンタルで演奏してみたいという願望があり、同年6月にパウエルとともにデトロイトに乗り込んで、モータウンのミュージシャンとともにフォー・トップスの「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」や、テンプテーションズの「アイム・ルージング・ユー」などを録音している。しかしこの時の出来は芳しいものではなく、録音した音源は未だに陽の目を見ていない。
ドラマー以外の人選は難航していたが、1971年初頭にまずクライヴ・チャーマン(bass)の参加が決まった。ジェームス・ジェマーソンの影響を受けたモータウン色の濃いチャーマンのベース・プレイがベックに高く評価されたのである。そしてチャーマンの紹介でジャズ・ミュージシャンとしての経験も豊富だったマックス・ミドルトン(keyboard)加入し、その後のちにサンタナなどへ参加するアレックス・リガートウッド(vocal)が抜擢された。陣容が固まるまでに1年近くの時間がかかったが、ここにようやくジェフ・ベック・グループの再結成が実現した。
1971年4月に結成したバンドはさっそくリハーサルを始めたが、次第にリガートウッドの力量不足が明らかになる。
1971年6月にCBSと契約を交わしたベックは、新たなヴォーカリスト探しにも着手していた。そしてガスというバンドで歌っていたソウルフルなヴォーカリスト、ボブ・テンチ(vocal, guitar)をロンドンで発掘し、7月にリガートウッドとテンチを交替させた。
こうしてジェフ・ベック、ボブ・テンチ、クライヴ・チャーマン、マックス・ミドルトン、コージー・パウエルの5人が揃ったジェフ・ベック・グループは、レコーディングに取りかかった。
1971年10月25日、アルバム「ラフ・アンド・レディ」がイギリスでリリースされる。このアルバムは、ブルース・ロックを演奏していたそれまでのベックから一転して、ソウル・フィーリング豊かでモータウン色の濃いサウンドに仕上がっている。これにはふたりの黒人メンバー(チャーマン、テンチ)の存在が大きな役割を果たしていると言えよう。
そしてその3日後の10月28日、新バンドを率いたベックは、アリゾナ州フェニックスで約2年の沈黙を破って約2年ぶりにステージに上がったのである。
「ラフ・アンド・レディ」は、アメリカでは1972年2月にリリースされた。これに続いて16日間のアメリカにおけるプロモーション・ツアーが行われた。同作は結局アルバムチャートで46位を記録した。
1972年1月、バンドはアメリカに渡る。テネシー州メンフィスのTMIスタジオでベックと合流した彼らは、ここでアルバム「ジェフ・ベック・グループ」を録音する。プロデューサーには、R&Bに精通しているブッカーT & MG'sの名ギタリスト、スティーヴ・クロッパーが起用された。
アルバム「ジェフ・ベック・グループ」はアメリカで同年5月に、イギリスで6月にリリースされ、それと前後してイギリス、ヨーロッパ、アメリカでツアーが行われた。6月29日にはBBCラジオ1の番組「In Concert」に出演しているが、この時のセッションで演奏した「デフィニトリー・メイビー」ではボブ・テンチがギターを演奏している。これはテンチとベックがともにギターを演奏した貴重な例である。
ツアーは1972年7月23日に終了したが、その翌日の7月24日、ジェフ・ベック・グループは正式に解散を発表した。活動期間はわずか1年半足らずだった。バンドのパフォーマンスに対するベックの不満が募っていたこと、そして1972年半ばのカクタス解散に伴い、ベックの関心が以前から熱望していたティム・ボガート、カーマイン・アピスとの新グループに移ったことが解散の理由である。
ベックのマネージメントは「様々なメンバーの音楽性の融合は、個々のミュージシャンの観点からはうまくいっていたが、それが彼らが当初求めていた力強く新しい音楽スタイルの創造にはつながらなかったと彼らは感じている」という声明を発表した。
マックス・ミドルトン以外のメンバーを解雇したベックは、ミドルトン、ボガート、アピスにキム・ミルフォード(vocal)を加え、同年8月1日から「ジェフ・ベック・グループ」名義でアメリカ・ツアーを開始する。しかし明らかに力量不足のミルフォードはただちに解雇され、8月8日のシカゴ公演からはボブ・テンチが呼び戻された。8月19日にアメリカでのツアーが終わると、テンチとミドルトンはバンドから離れ、ベックはボガート、アピスとのトリオで活動を再開した。このバンドが「ベック・ボガート & アピス」である。
パウエルはベドラムを経て、チャーマンらとともに自己のバンド「コージー・パウエルズ・ハマー」を結成。
ボブ・テンチ、マックス・ミドルトンは、のちに「ハミングバード」を結成する。このバンドの結成にはチャーマンも参加した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1971年 ラフ・アンド・レディ/Rough and Ready(US46位)
1972年 ジェフ・ベック・グループ/Jeff Beck Group(US19位)
★1991年 ベッコロジー/Beckology
<シングル>
1972年 Got The Feeling
【メンバー変遷】
#1 1971.4~1971.7
アレックス・リガートウッド(vocal)→Brian Auger’s Oblivion Express
ジェフ・ベック(guitar)※ex. Jeff Beck Group 1
マックス・ミドルトン(keyboard)
クライヴ・チャーマン(bass)
コージー・パウエル(drums)※ex. Big Bertha
#2 1971.7~1972.7
ボブ・テンチ(vocal, guitar)※Gass →Hummingbird
ジェフ・ベック(guitar)→Beck, Bogert & Appice
マックス・ミドルトン(keyboard)→Hummingbird
クライヴ・チャーマン(bass)→Cozy Powell's Hammer
コージー・パウエル(drums)→Bedlam