プラスティック・ペニー Plastic Penny
【活動期間】
1967年~1969年
【メンバー】
<Vocal>
ブライアン・キース/Brian Keith 在籍1967~1968
<Guitar>
ミック・グラハム/Mick Graham 在籍1967~1969
<Keyboard, vocal>
ポール・レイモンド/Paul Raymond 在籍1967~1969
<Bass>
トニー・マレー/Tony Murray 在籍1967~1969
<Drums, vocal>
ナイジェル・オルソン/Nigel Olsson 在籍1967~1969
【バンドの歴史】
プラスティック・ペニーは1960年代後半に活躍したイギリスのサイケデリック・ポップ・バンドである。
1967年11月に結成され、2枚のアルバムと5枚のシングルを残して1969年8月に解散しました。1968年初頭にヒットシングル「Everything I Am」をリリースしました。解散後は、メンバーそれぞれが他のバンドやセッション・ワークに参加してより大きな成功を収めている。
1963年に結成されたホーン・セクション入りのショウ・バンド「クリス・ラム & ジ・ユニヴァーサルズ」がプラスティック・ペニーの前身である。
クリス・ラム & ジ・ユニヴァーサルズはさまざまなシンガーのバック・バンドとして活動する。1966年夏にはスクリーミング・ロード・サッチのバック・バンド「サヴェージズ」として活動する一方、「ザ・サークルズ」という変名でシングル・レコードを発表している。
1967年11月にはミック・グラハム(guitar)とナイジェル・オルソン(drums)が参加し、ラインナップはクリス・ラム(trumpet)、モート・サリヴァン(tenor sax)、ブライアン・キース(vocal, trombone)、ポール・レイモンド(keyboard)、トニー・マレー(bass)、グラハム、オルソンの7人編成となった。間もなくリーダーのラムが脱退したためバンドは解散したが、残ったキース、レイモンド、マレー、グラハム、オルソンの5人は「プラスティック・ペニー」としてバンドを発展させた。
1967年12月、プラスティック・ペニーとしてのデビュー・シングル「Everything I Am」がリリースされた。スプーナー・オールダムとダン・ペンによって作曲されたこの曲は、もともとはボックス・トップスが録音したものである。プラスティック・ペニーはこれをスロー・バラードに編曲し、ストリングス・アレンジを施して発表すると、このシングルは全英6位、カナダでは30位まで上昇するヒットを記録した。
1968年3月にはデビュー・アルバム「Two Side of a Penny」とセカンド・シングル「Nobody Knows It 」を発表したが、間もなくフロントマンのブライアン・キース(voval)が脱退し、ソロ・シンガーとして活動を開始する。その後はポール・レイモンドがリード・ヴォーカルを兼ねた。
1968年8月31日には、第1回ワイト島フェスティバルにも出演している。
バンドのレパートリーの多くはブライアン・キース、ポール・レイモンド、トニー・マレーが作曲していたが、キース脱退後のバンドはプログレッシヴ指向を強め、1969年にはフォーキーでサイケデリック色の濃いセカンド・アルバム「Currency」を発表したが、同年4月に解散した。
解散後、ミック・グラハムは「ミック・グラバム」と表記を変え、「コチース」などを経て「プロコル・ハルム」に加入。ポール・レイモンドは、クリスティン・パーフェクト(のちのクリスティン・マクヴィー)の後任として「チキン・シャック」に加入した後、「サヴォイ・ブラウン」や「UFO」のメンバーとして活躍した。ナイジェル・オルソンは「スペンサー・デイヴィス・グループ」「ユーライア・ヒープ」を経て、エルトン・ジョン・バンドのメンバーとして活躍した。トニー・マレーはナイジェル・オルソンとともにエルトン・ジョンのアルバム「エンプティ・スカイ」のレコーディングに参加した後、「ザ・トロッグス」に加入した。
左からミック・グラハム、ブライアン・キース、ナイジェル・オルソン、トニー・マレー、ポール・レイモンド
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1968年 Two Side of a Penny
1969年 Currency
★1970年 Heads I Win, Tails You Lose
<シングル>
1967年 Everything I Am / No Pleasure Without Pain My Love
1968年 Nobody Knows It / Happy Just to Be with You
1968年 Your Way to Tell Me Go / Baby You're Not to Blame
1968年 Hound Dog / Currency
1969年 She Does / Genevieve
1975年 Everything I Am / No Pleasure Without Pain
【メンバー変遷】
#1 1967.12~1968
ブライアン・キース(vocal)※ex. Chris Lamb & The Universals →Solo~Lord Sutch & Heavy Friends
ミック・グラハム(guitar)※ex. Chris Lamb & The Universals
ポール・レイモンド(keyboard)※ex. Chris Lamb & The Universals
トニー・マーレイ(bass)※ex. Chris Lamb & The Universals
ナイジェル・オルソン(drums)※ex. Chris Lamb & The Universals
#2 1968~1969.4
ミック・グラハム(guitar)→Cochise
ポール・レイモンド(keyboard)→Chicken Shack
トニー・マーレイ(bass)→The Troggs
ナイジェル・オルソン(drums)→Spencer Davis Group
左から マックス・ミドルトン、ボブ・テンチ、ジェフ・ベック、クライヴ・チャーマン、コージー・パウエル
ジェフ・ベック・グループ(第2期) Jeff Beck Group
【活動期間】
1970年~1972年
【メンバー】
<Vocal>
アレックス・リガートウッド/Alex Ligertwood 在籍1970~1971
ボブ・テンチ/Bob Tench(vocal, guitar) 在籍1971~1972
<Guitar>
ジェフ・ベック/Jeff Beck 在籍1970~1972
<Keyboard>
マックス・ミドルトン/Max Middleton 在籍1970~1972
<Bass>
クライヴ・チャーマン/Clive Chaman 在籍1970~1972
<Drums>
コージー・パウエル/Cozy Powell 在籍1970~1972
【バンドの歴史】
第1期ジェフ・ベック・グループは、1969年7月から始まったアメリカ・ツアー中に、ジェフ・ベックの意向で突然解散した。出演予定だった8月のウッドストック・フェスティヴァルの前日だった。
解散後のベックは、かねてより注目していたヴァニラ・ファッジのリズム・セクション、ティム・ボガート(bass)とカーマイン・アピス(drums)のふたりに、ロッド・スチュワートを加えて、新たなバンドを結成しようとしていた。スチュワートはクワイエット・メロンに加入したが、ボガートとアピスはベックの新バンドに加わることを承諾する。しかし1969年11月2日、ベックはロンドン南西のケント州で運転中に交通事故を起こして全治3ヵ月の重傷を負ったため、その計画は流れてしまった。
ベックのケガが完治したのは翌1970年である。ボガートとアピスは同年2月にカクタスを結成して活動していた。そのためベックはふたりとの活動をあきらめ、自身の新たなバンドの結成に向かって動き始めた。
まずオーディションによって元ビッグ・バーサのコージー・パウエル(drums)の参加が決定する。ベックは1969年にエース・ケフォード・スタンドのライヴで、当時このバンドのメンバーだったパウエルのプレイに接して以来彼に注目しており、パワフルなドラマーを欲していたベックにとって、これはうってつけの人選だった。
ベックにはモータウンのヒット曲をギター・インストゥルメンタルで演奏してみたいという願望があり、同年6月にパウエルとともにデトロイトに乗り込んで、モータウンのミュージシャンとともにフォー・トップスの「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」や、テンプテーションズの「アイム・ルージング・ユー」などを録音している。しかしこの時の出来は芳しいものではなく、録音した音源は未だに陽の目を見ていない。
ドラマー以外の人選は難航していたが、1971年初頭にまずクライヴ・チャーマン(bass)の参加が決まった。ジェームス・ジェマーソンの影響を受けたモータウン色の濃いチャーマンのベース・プレイがベックに高く評価されたのである。そしてチャーマンの紹介でジャズ・ミュージシャンとしての経験も豊富だったマックス・ミドルトン(keyboard)加入し、その後のちにサンタナなどへ参加するアレックス・リガートウッド(vocal)が抜擢された。陣容が固まるまでに1年近くの時間がかかったが、ここにようやくジェフ・ベック・グループの再結成が実現した。
1971年4月に結成したバンドはさっそくリハーサルを始めたが、次第にリガートウッドの力量不足が明らかになる。
1971年6月にCBSと契約を交わしたベックは、新たなヴォーカリスト探しにも着手していた。そしてガスというバンドで歌っていたソウルフルなヴォーカリスト、ボブ・テンチ(vocal, guitar)をロンドンで発掘し、7月にリガートウッドとテンチを交替させた。
こうしてジェフ・ベック、ボブ・テンチ、クライヴ・チャーマン、マックス・ミドルトン、コージー・パウエルの5人が揃ったジェフ・ベック・グループは、レコーディングに取りかかった。
1971年10月25日、アルバム「ラフ・アンド・レディ」がイギリスでリリースされる。このアルバムは、ブルース・ロックを演奏していたそれまでのベックから一転して、ソウル・フィーリング豊かでモータウン色の濃いサウンドに仕上がっている。これにはふたりの黒人メンバー(チャーマン、テンチ)の存在が大きな役割を果たしていると言えよう。
そしてその3日後の10月28日、新バンドを率いたベックは、アリゾナ州フェニックスで約2年の沈黙を破って約2年ぶりにステージに上がったのである。
「ラフ・アンド・レディ」は、アメリカでは1972年2月にリリースされた。これに続いて16日間のアメリカにおけるプロモーション・ツアーが行われた。同作は結局アルバムチャートで46位を記録した。
1972年1月、バンドはアメリカに渡る。テネシー州メンフィスのTMIスタジオでベックと合流した彼らは、ここでアルバム「ジェフ・ベック・グループ」を録音する。プロデューサーには、R&Bに精通しているブッカーT & MG'sの名ギタリスト、スティーヴ・クロッパーが起用された。
アルバム「ジェフ・ベック・グループ」はアメリカで同年5月に、イギリスで6月にリリースされ、それと前後してイギリス、ヨーロッパ、アメリカでツアーが行われた。6月29日にはBBCラジオ1の番組「In Concert」に出演しているが、この時のセッションで演奏した「デフィニトリー・メイビー」ではボブ・テンチがギターを演奏している。これはテンチとベックがともにギターを演奏した貴重な例である。
ツアーは1972年7月23日に終了したが、その翌日の7月24日、ジェフ・ベック・グループは正式に解散を発表した。活動期間はわずか1年半足らずだった。バンドのパフォーマンスに対するベックの不満が募っていたこと、そして1972年半ばのカクタス解散に伴い、ベックの関心が以前から熱望していたティム・ボガート、カーマイン・アピスとの新グループに移ったことが解散の理由である。
ベックのマネージメントは「様々なメンバーの音楽性の融合は、個々のミュージシャンの観点からはうまくいっていたが、それが彼らが当初求めていた力強く新しい音楽スタイルの創造にはつながらなかったと彼らは感じている」という声明を発表した。
マックス・ミドルトン以外のメンバーを解雇したベックは、ミドルトン、ボガート、アピスにキム・ミルフォード(vocal)を加え、同年8月1日から「ジェフ・ベック・グループ」名義でアメリカ・ツアーを開始する。しかし明らかに力量不足のミルフォードはただちに解雇され、8月8日のシカゴ公演からはボブ・テンチが呼び戻された。8月19日にアメリカでのツアーが終わると、テンチとミドルトンはバンドから離れ、ベックはボガート、アピスとのトリオで活動を再開した。このバンドが「ベック・ボガート & アピス」である。
パウエルはベドラムを経て、チャーマンらとともに自己のバンド「コージー・パウエルズ・ハマー」を結成。
ボブ・テンチ、マックス・ミドルトンは、のちに「ハミングバード」を結成する。このバンドの結成にはチャーマンも参加した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1971年 ラフ・アンド・レディ/Rough and Ready(US46位)
1972年 ジェフ・ベック・グループ/Jeff Beck Group(US19位)
★1991年 ベッコロジー/Beckology
<シングル>
1972年 Got The Feeling
【メンバー変遷】
#1 1971.4~1971.7
アレックス・リガートウッド(vocal)→Brian Auger’s Oblivion Express
ジェフ・ベック(guitar)※ex. Jeff Beck Group 1
マックス・ミドルトン(keyboard)
クライヴ・チャーマン(bass)
コージー・パウエル(drums)※ex. Big Bertha
#2 1971.7~1972.7
ボブ・テンチ(vocal, guitar)※Gass →Hummingbird
ジェフ・ベック(guitar)→Beck, Bogert & Appice
マックス・ミドルトン(keyboard)→Hummingbird
クライヴ・チャーマン(bass)→Cozy Powell's Hammer
コージー・パウエル(drums)→Bedlam
上段左から ロッド・スチュワート、ジェフ・ベック、ロン・ウッド 下段左から ミッキー・ウォーラー、ニッキー・ホプキンス、トニー・ニューマン
ジェフ・ベック・グループ(第1期) Jeff Beck Group
【活動期間】
1967年~1969年
【メンバー】
<Vocal>
ロッド・スチュワート/Rod Stewart 在籍1967~1968
<Guitar>
ジェフ・ベック/Jeff Beck 在籍1967~1969
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1967~1969, 1969(ベースへ転向)
<Keyboard>
ニッキー・ホプキンス/Nicky Hopkins 在籍1968~1969
<Bass>
キム・ガードナー/KimGardner 在籍1967
ジェット・ハリス/Jet Harris 在籍1967
デイヴ・アンブローズ/Dave Ambrose 在籍1967
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1967~1969(ギターから転向)
ダグラス・ブレイク/Douglas Blake 在籍1969
ロン・ウッド/Ronnie Wood 在籍1969(復帰)
<Drums>
クレム・カッティーニ /Clem Cattini 在籍1967
ヴィヴ・プリンス/Viv Prince 在籍1967
ロイ・クック/Roy Cooke 在籍1967
ミック・ウォーラー/Mick Waller 在籍1967
ロッド・クームス/Rod Coombes 在籍1967
エインズレー・ダンバー/Aynsley Dunbar 在籍1967
ミック・ウォーラー/Mick Waller 在籍1967(復帰)~1969
トニー・ニューマン/Tony Newman 在籍1969
【バンドの歴史】
ジェフ・ベック・グループ(第1期)は、ジェフ・ベック(guitar)が自身のソロ活動のためにロンドンで結成したバンドである。
のちスターとなるロッド・スチュワートやロン・ウッドが在籍していたことで知られており、ブルースをベースとしたヘヴィなロック・サウンドは、のちのハード・ロックの誕生に大きな影響を与えた。
1966年、ジェフ・ベックはヤードバーズに在籍していた。
この頃のヤードバーズはメンバー間の不和を抱えており、それが大きなストレスとなっていたベックは、同年12月にヤードバーズを脱退した。公的には「扁桃腺を患った」ことを脱退の理由としているが、実のところヤードバーズにいることに嫌気がさしていたので、バンド・メイトだったジミー・ペイジに「自分はバンドをやめる」と言い残して姿を見せなくなったという。
脱退後のベックは、ミッキー・モストとマネジメント契約を交わし、自身の活動をサポートしてくれるメンバーを探し始める。
まず、ロンドンのクラブで顔なじみだったショットガン・エクスプレスのヴォーカリスト、ロッド・スチュワートに声をかける。さらに、ベックがバンド・メンバーを必要としていることを知って連絡してきた元ザ・バーズのメンバーで旧知のロン・ウッド(guitar)と、ザ・バーズでウッドのバンド・メイトだったキム・ガードナー(bass)が加入。ドラマーには元トルネードスのクレム・カッティーニが加わり、1967年1月に「ジェフ・ベック・グループ」が誕生した。ただしこのバンド名は便宜上マスコミ等が呼称しているもので、当時のレコードや公演の名義はすべて「ジェフ・ベック」である。
こうしてバンドは始動したが、ガードナーとカッティーニはリハーサルのみで結成直後に脱退し、後任として元シャドウズ、元ハリス & ミーハンのジェット・ハリス(bass)と、プリティ・シングスやパトゥーズ・ピープルのメンバーだったヴィヴ・プリンス(drums)が加わる。
ハリスとプリンスも間もなく脱退したため、同年2月にはロン・ウッドがベースにスウィッチし、トライデンツ時代のベックとバンド・メイトだったロイ・クックがドラマーとして加入した。このメンバーで3月3日にロンドンのフィンブベリー・パークで行われたコンサートでデビューしたが、3月7日のBBCラジオ出演後にはウッドがギターに戻り、元ショットガン・エクスプレスのデイヴ・アンブローズ(bass)と、元スティームパケットのミッキー・ウォーラー(drums)が加入するなど、ベーシストとドラマーは目まぐるしく交替を繰り返した。
しかし多忙だったウォーラーはすぐにバンドを離れ、代わりに元ザ・ラヴァーズ(Luluのバック・バンド)のロッド・クームスが加入するが、これも短期間で脱退している。
1967年3月、ベックのソロ・シングル(ジェフ・ベック・グループとしての演奏ではない)「ハイ・ホー・シルヴァー・ライニング c/w ベックス・ボレロ」が発表される。なおB面の「ベックス・ボレロ」は、1967年5月16日と17日にロンドンのIBCスタジオで、ベックのほかジミー・ペイジ(guitar)、ジョン・ポール・ジョーンズ(bass)、キース・ムーン(drums)、ニッキー・ホプキンス(piano)というラインナップによるセッションで録音されたインストゥルメンタルである。このシングルは全英14位のスマッシュ・ヒットとなった。
1967年4月、ドラムスがエインズレー・ダンバーに交替し、アンブローズが脱退したあとのベーシストは再びウッドが務めることになる。このメンバー(ジェフ・ベックguitar、ロッド・スチュワートvocal、ロン・ウッドbass、エインズレー・ダンバーdrums)で5月から7月にかけて国内ツアーを行い、BBCラジオにも何度か出演した。
1967年7月にはジェフ・ベック・グループとしてのシングル「タリー・マン c/w ロック・マイ・プリムソウル」を発表し、バンドの活動は軌道に乗ったかに見えた。しかしベックのマネージャーであるミッキー・モストは、ソロ・アーティストとしてのベックにしか興味がなく、その音楽的方向性をポップ路線に定めたため、ベックが本来やりたかったブルースからは遠ざかることになった。これに不満を抱いたダンバーはバンドから脱退し、自身のバンド「エインズレー・ダンバー・リタリエイション」を結成する。
空いたドラマーの座には代役としてロイ・クックが起用されたが、スチュワートの推薦で同年8月にミック・ウォーラーが復帰する。スチュワートとウォーラーはスティームパケットでバンドメイトだった。
1968年、バンドのロード・マネージャー、ピーター・グラントのお膳立てで、バンドは短期間のアメリカ・ツアーを行った。
ツアーのスタートは、ニューヨークのフィルモア・イーストだった。この時バンドはグレイトフル・デッドの前座を務めたが、そのライヴは非常に好評で、ニューヨーク・タイムズ紙には「グレイトフル・デッドを凌いだ」とまで評された。
高い評価を得たバンドは、グラントの適切なマネージメントもあって、エピック・レコードと新たな契約を結ぶことができた。彼らは帰国するとすぐにアルバム「トゥルース」の制作に取りかかった。
「トゥルース」のレコーディングには、ジョン・ポール・ジョーンズ(organ)、キース・ムーン(drums)、ニッキー・ホプキンス(piano)が参加している。またベックのギター・アンプは出力が大きすぎたため、クローゼットの中に入れられて録音した、という話が残っている。
「トゥルース」は1968年8月にリリースされ、バンドは10月に2度目のアメリカ・ツアーに出発した。このツアーからニッキー・ホプキンスが正式メンバーとして加入している。
1968年12月、3度目のツアーを行う。ホプキンスは健康上の問題があり、またレッド・ツェッペリンからはより多額の報酬を提示されて参加を求められてもいたが、ジェフ・ベック・グループとしてライヴで演奏することを選んだ。しかしホプキンスの体調が思わしくなかったため、このツアーの後半は短縮された。
このツアーの終了後、マネージャーのグラントによりウォーラーとウッドが解雇され、予定されていた4度目のアメリカ・ツアーはキャンセルとなった。
ウォーラーの解雇は、ベックがより重厚でソウルフルなドラマーを求めたためで、後任には元サウンズ・インコーポレイテッドの名手トニー・ニューマンが迎えられた。ウッドの解雇もこれに伴ったものだったが、後任のダグラス・ブレイク(bass)は明らかな力量不足であり、わずか1度のライブで解雇された。そしてベックの意向でウッドが直ちに呼び戻された。
ベック、スチュワート、ウッド、ホプキンス、ニューマンという布陣になったジェフ・ベック・グループは、1969年4月にセカンド・アルバム「ベック・オラ」の制作を始め、また翌5月にはドノヴァンのアルバム「バラバジャガ」のレコーディングに参加した。
1969年5月、バンドは4度目のアメリカ・ツアーを行い、その活動は順調だと思われたが、「ベック・オラ」リリース直前の6月にホプキンスが脱退し、その後は4人編成で活動を続けた。
同年7月、5度目のアメリカ・ツアーに出発。フィルモア・イーストやニューポート・ジャズ・フェスティヴァルなどに出演し、8月15日に始まるウッドストック・フェスティヴァルにも出演する予定だったが、ベックはその前日にバンドを解散させた。
解散後のベックは、ヴァニラ・ファッジのリズム・セクションであるティム・ボガート(bass)、カーマイン・アピス(drums)のふたりと新バンドを結成するべく構想を練っていたが、1969年11月に交通事故を起こして重傷を負ったため、その計画は頓挫した。
スチュワートとウッドは「クワイエット・メロン」を経て「フェイセズ」の結成に参加する。
ニューマンはハード・ロック・トリオ「メイ・ブリッツ」に加入。のち「T.レックス」にも参加している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1968年 トゥルース/Truth(US15位)
1969年 ベック・オラ/Beck-Ola(US15位, UK39位)
★1971年 ザ・ベスト・オブ・ジェフ・ベック/The Best of Jeff Beck
★1991年 ベッコロジー/Beckology
*ゲスト参加
1969年 Barabajagal(US23位)※ドノヴァン
<シングル>
1967年 タリーマン/Tallyman(US30位)
1968年 恋は水色/TLove Is Blue(US23位)
1969年 Goo Goo Barabajagal(UK12位) ※Donovan & Jeff Beck Group
【メンバー変遷】
#1 1967.1
ロッド・スチュワート(vocal)※ex. Shotgun Express
ジェフ・ベック(guitar)※ex. Yardbirds
ロン・ウッド(guitar)※The Birds
キム・ガードナー(bass)※The Birds →The Creation
クレム・カッティーニ(drums)
#2 1967.1
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
ジェット・ハリス(bass)※Jet Harris & Tony Meehan
ヴィヴ・プリンス(drums)※Patto's People →Denny Lane's Electric String Band
#3 1967.2~1967.3
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ロイ・クック(drums)※The Tridents
#4 1967.3
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
デイヴ・アンブローズ(bass)※ex. Shotgun Express
ミッキー・ウォーラー(drums)※ex. Steampacket →John Mayall's Bluesbreakers
#5 1967.3~1967.4
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(guitar)
デイヴ・アンブローズ(bass) →Brian Augar & The Trinity
ロッド・クームス(drums)※ex. The Luvvers
#6 1967.4~1967.8
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
エインズレー・ダンバー(drums)※ex. John Mayall's Bluesbreakers →Aynsley Dunbar Retaliation
#7 1967.8~1968.10
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ミック・ウォーラー(drums)※ex. Cat Stevens Band
#8 1968.10~1969.2
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards)
ミック・ウォーラー(drums) →Steamhammer
#9 1969.2
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ダグラス・ブレイク(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards)
トニー・ニューマン(drums)※ex. Sounds Incorporated
#10 1969.3~1969.6
ロッド・スチュワート(vocal)
ジェフ・ベック(guitar)
ロン・ウッド(bass)
ニッキー・ホプキンス(keyboards) →Quicksilver Messenger Service
トニー・ニューマン(drums)
#11 1969.6~1969.8
ロッド・スチュワート(vocal) →Quiet Melon
ジェフ・ベック(guitar) →Jeff Beck Group
ロン・ウッド(bass) →Quiet Melon
トニー・ニューマン(drums) →May Blitz
ベドラム Bedlam
【活動期間】
1972年~1974年
(Beast=1972~1973、Bedlam=1973~1974)
【メンバー】
フランク・アイエロ/Frank Aiello(vocals) 在籍1972~1974
デイヴ・ボール/Dave Ball(guitars) 在籍1972~1974
デニス・ボール/Dennis Ball(bass) 在籍1972~1974
コージー・パウエル/Cozy Powell(drums) 在籍1972~1974
【バンドの歴史】
「ベドラム」はイギリスのハード・ロック・バンドである。
メンバーはフランク・アイエロ(vocal)、デイヴ・ボール(guitar)、デニス・ボール(bass)、コージー・パウエル(drums)の4人。
デイヴ、デニスのボール兄弟とパウエルは1960年代から交流があり、「ビッグ・バーサ」(1969~1971)のバンド・メイトであった。なかでもデイヴ・ボールとパウエルは、ドイツで活動していた頃にはともに借りていた家をシェアする仲だった。
パウエルはジェフ・ベック・グループ(第2期)に加入するため、1971年4月にビッグ・バーサから離脱。同年8月にはデイヴ・ボールがプロコル・ハルムに加入し、ビッグ・バーサは解散する。
しかしジェフ・ベックは「ベック、ボガート & アピス」を結成するため、1972年7月にジェフ・ベック・グループを解散させる。一方デイヴ・ボールも同年9月にプロコル・ハルムを脱退、すぐにロング・ジョン・ボルドリー・バンドに加わる。このバンドにはデニス・ボールが在籍していた。
1972年11月にロング・ジョン・ボルドリー・バンドを離れたデイヴとデニスのボール兄弟は、フリーとなっていたパウエルと再び合流する。そしてヴォーカル・ハーモニー・デュオ「The Truth」の元メンバーだったフランク・アイエロを迎え、ハード・ロック・バンド「ザ・ビースト」を新たに結成した。しかし同名のバンドがいたため、1973年5月には名を「ベドラム」と改める。ベドラムとは、「精神病院」の古い呼び方、または「不穏な動き」「騒々しい」という意味である。
ベドラムはクリサリスと契約を結び、フェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎え、1973年8月に唯一のアルバム「狂人どもの舞踏会」を発表したが、1年半ほど活動したのみで1974年4月に解散した。
解散後、デイヴ・ボールはセッション・ミュージシャンを経てオーストラリア人シンガー「Duffo」のバック・バンドに在籍。デニス・ボールもセッション・ミュージシャンとして活動したのち、「Delta」を経て自身のバンド「デニー & ザ・ジェッツ」を結成。パウエルはアイエロとともに自身のバンド「コージー・パウエルズ・ハマー」を結成した。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1973年 狂人どもの舞踏会/Bedlam
★1999年 Anthology
☆2003年 Live in London
☆2013年 Live in Binghampton
★2023年 The Bedlam Anthology(Box Set)
<シングル>
1973年 I Believe In You
【メンバー変遷】
#1 1972~1974
フランク・アイエロ(vocal)※ex. The Truth →Cozy Powell's Hammer
デイヴ・ボール(guitars)※ex. Long John Baldry Band →Duffo
デニス・ボール(bass)※ex. Long John Baldry Band →Delta
コージー・パウエル(drums)※ex. Jeff Beck Group →Cozy Powell's Hammer
ワイルド・ホーシズ Wild Horses
【活動期間】
1978年~1981年
【メンバー】
<Guitars, Keyboards>
ブライアン・ロバートソン/Brian Robertson(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
ジミー・マカロック/Jimmy McCulloch(guitars) 在籍1978
ニール・カーター/Neil Carter(guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1980
ジョン・ロックトン/John Lockton(guitars) 在籍1980~1981
ローレンス・アーチャー/Laurence Archer(guitars) 在籍1981
<Bass>
ジミー・ベイン/Jimmy Bain(bass, guitars, keyboards, vocals) 在籍1978~1981
<Drums>
ケニー・ジョーンズ/Kenney Jones(drums) 在籍1978
ディキシー・リー/Dixie Lee(drums) 在籍1978~1979
クライヴ・エドワーズ/Clive Edwards(drums) 在籍1979~1981
フランク・ヌーン/Frank Noon(drums) 在籍1981
<vocals>
リューベン・アーチャー/Reuben Archer(vocals) 在籍1981
【バンドの歴史】
「ワイルド・ホーシズ」は、1977年2月に「レインボー」を解雇されたジミー・ベイン(bass)と、1978年に「シン・リジィ」を脱退したブライアン・ロバートソン(guitar)が中心になって、1978年に結成されたバンドである。
ベインとロバートソンのふたりに、ウイングスを経てスモール・フェイセスに在籍していたジミー・マカロック(guitar)と、元フェイセス~スモール・フェイセスのケニー・ジョーンズ(drums)が加わったこのバンドは、「スーパー・グループ」として一部では注目されたものの、数ヵ月後には早々とマカロックが、さらにはジョーンズも脱退してしまう。
マカロックとジョーンズの後任としては、元ギルバート・オサリヴァン・バンドのニール・カーター(guitar, keyboard)と、元ローン・スターのディキシー・リー(drums)が加わった。
ラインナップが固まったワイルド・ホーシズは地道なライヴ活動を行っていたが、1979年にレディング・フェスティヴァルに出演する機会を得、その後EMIと契約を結ぶことに成功した。
その後今度はリーが脱退し、後釜として元パット・トラヴァース・バンドやウルリッヒ・ロート&エレクトリック・サンのドラマーだったクライヴ・エドワーズが迎えられた。
1980年、トレヴァー・ラビンのプロデュースにより、ファースト・アルバム「ワイルド・ホーシズ」とデビュー・シングル「誘惑の罠」を発表。このアルバムは全英チャートで38位まで上昇したが、シングルはチャート・インを果たせず、思ったほどの結果は残せなかった。
ワイルド・ホーシズは、おりしも1970年代終盤に起きたNWOBHMブームによる追い風を受けたとも言え、とくに日本では「アイアン・メイデン」「デフ・レパード」「ガール」とともに「ヘヴィ・メタル四天王」として紹介された。しかしその音楽性は、ブライアン・ロバートソンのブルージーなギターを活かしたややポップなハード・ロックで、いわゆるヘヴィ・メタルとは方向が異なるものだった。
その後、バンドはテッド・ニュージェントとイギリス・ツアーを行ったが、ツアー終了後の1980年8月にニール・カーターが脱退し、「UFO」に参加する。
カーターの後任として参加したのは元レッド・アラートのジョン・ロックトン(guitar)である。この編成での初めてのライヴは、1980年秋の日本ツアーである。
1981年春にはセカンド・アルバム「スタンド・ユア・グラウンド」をリリースしたが、セールスは全く振るわず、これに失望したロバートソンとエドワーズは1981年6月のロンドン公演を最後に脱退する。ロバートソンはその後モーターヘッドに、エドワーズは「バーニー・マースデンズ S.O.S.」に加入している。
バンドの一方の柱であるロバートソンを失ったベインは、残ったロックトンのほかに、元ロートレックのローレンス・アーチャー(guitar)と彼の継父であるルーベン・アーチャー(vocal)、そしてロックトンのレッド・アラート時代のバンドメイトで、初期のデフ・レパードにも在籍したことのあるフランク・ヌーン(drums)を迎えて新たなラインナップを整えた。
このメンバーで数度のライヴを行いはしたが、数か月後にはアーチャー親子とヌーンは自分たちのバンド「スタンピード」を結成するため脱退し、ワイルド・ホーセズはついにバンドとしての終焉を迎えた。
解散後、ベインはレインボーでバンドメイトだったロニー・ジェイムズ・ディオのバンド「ディオ」に加入する。ロックトンはドイツのハードロックバンド「ヴィクトリー」に加入し、1986年まで在籍した。
2014年になって、1980年10月29日の東京中野サンプラザでのライヴを録音したアルバム「Live In Japan 1980」がKrescendoから海賊版品質で発売されている。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1980年 ザ・ファースト・アルバム/Wild Horses(UK38位)
1981年 スタンド・ユア・グラウンド/Stand Your Ground
☆2014年 Live In Japan 1980
<シングル>
1979年 誘惑の罠/Criminal Tendencies
1980年 フェイス・ダウン (モッズたちへの哀歌)/Face Down
1980年 フライ・アウェイ/Flyaway
1981年 I'll Give You Love
1981年 I'll Give You Love / The Kid(Double single pack)
1981年 Everlasting Love
【メンバー変遷】
#1 1978
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
ジミー・マカロック(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
ケニー・ジョーンズ(drums)
#2 1978~1979
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, vocals)
ニール・カーター(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, vocals)
ディキシー・リー(drums)
#3 1979~1980
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
ニール・カーター(guitars, keyboards, vocal)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
クライヴ・エドワーズ(drums)
#4 1980~1981
ブライアン・ロバートソン(guitars,keyboards, bass, vocals)
ジョン・ロックトン(guitars)
ジミー・ベイン(bass, keyboards, guitar, vocals)
クライヴ・エドワーズ(drums)
#5 1981
ルーベン・アーチャー(vocal)
ジョン・ロックトン(guitar)
ローレンス・アーチャー(guitar)
ジミー・ベイン(bass)
フランク・ヌーン(drums)
シャイ・リムズ Shy Limbs
【活動期間】
1968年~1969年
【メンバー】
グレッグ・レイク/Greg Lake(guitars, vocals)在籍1968
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboards, vocals)在籍1968~1969
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocals)在籍1968~1969
アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)在籍1969
トニー・スウォード/Tony Sword(vocals, bass)在籍1969
アンディ・マカロック/Andy McCulloch(drums)在籍1968~1969
【バンドの歴史】
「シャイ・リムズ」はドーセット州ボーンマスで1968年9月に結成されたバンドである。
グレッグ・レイクがキング・クリムゾン加入直前まで参加していたバンドとして知られている。
バンド名は、直訳すると「恥ずかしがる手足」という意味になる。
オリジナル・メンバーは、グレッグ・レイク(guitar, vocal)、ジョン・ディッケンソン(keyboard)、マルコム・ブラッシャー(bass)、アンディ・マカロック(drums)の4人で、サイケデリックなポップ・ロックを演奏していた。
レイクは「ザ・シェイム」を経て「ゴッズ」に参加したのちにシャイ・リムズを結成したが、ディッケンソンとブラッシャーはザ・シェイム時代のバンド・メイトである。マカロックは当時ドーセット州で活動していたドラマーで、メンバー全員がボーンマス出身であった。
1968年10月、デビュー・シングル「Reputation」をリリース。このB面に収められている「Love」のレコーディングには、ロバート・フリップ(guitar)が参加している。
1968年11月に、キング・クリムゾン結成のためにレイクが離脱し、その後シャイ・リムズはトリオ編成で活動を続ける。
1969年にはアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)が新たに加わり、またベースがトニー・スウォードに交替した。この年11月にはセカンド・シングル「Lady In Black」をリリースしたが、これと前後して解散した。
解散後、アンディ・マカロックは「Jacob’s Ladder」を経て、1970年にキング・クリムゾンのメンバーとなる。アラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)は、1971年にグラハム・フィールド(keyboard)、キング・クリムゾンを脱退したマカロックとともに「フィールズ」の結成に参加。
ジョン・ディッケンソン(keyboard, vocal)は1976年にドラムレスのロック・トリオ「キング・ハリー」を結成したが、このバンドのメンバーはフィールズ脱退後のアラン・ボウリー(bass, guitar, vocal)と、1960年代にロバート・フリップやゴードン・ハスケルらと「リーグ・オブ・ジェントルメン」を組んでいたティノ・リチニオ(guitar, bass, vocal)である。
【ディスコグラフィ】
<シングル>
1969年 5月 Reputation c/w Love
1969年11月 Lady In Black c/w Trick Or Two
【メンバー変遷】
#1 1968~1969
グレッグ・レイク/Greg Lake(vocal, guitar)←ex. Gods →King Crimson
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)
#2 1969
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)
マルコム・ブラッシャー/Malcolm Brasher(bass, vocal)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)
#3 1969
ジョン・ディッケンソン/John Dickenson(keyboard, vocal)→The Bournemouth
アラン・ボウリー/Allan Bowery(bass, guitar, vocal)※別名Alan Barry →Fields
トニー・スウォード/Tony Sword(vocal, bass)
アンディ・マカロック/Andy McCulloc(drums)→Jacob's Ladder
左からボブ・ウエストン、ミッキー・フィン、スティーヴ・マリオット、グレッグ・リドリー、イアン・ウォーレス
スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ Steve Marriott's All Stars
【活動期間】
1975年~1976年
【メンバー】
<Vocal>
スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitars, vocals)在籍1975~1976
<Guitar>
ミッキー・フィン/Micky Finn(guitars) 在籍1975~1976
ボブ・ウエストン/Bob Weston(guitar) 在籍1975
デイヴ・"クレム"・クレムソン(guitar)/Dave Clem Clempson(guitar)在籍1976
<Keyboard>
デモン・ブッチャー/Damon Butcher(keyboard)在籍1976
<Bass>
ニック・サウス/Nick South(bass) 在籍1975
グレッグ・リドリー/Greg Ridley(bass) 在籍1975~1976
<Drums>
イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums) 在籍1975~1976
<Chorus>
ザ・ブラックベリーズ/The Blackberrys(chorus) 在籍1975~1976
【バンドの歴史】
「スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ」は、スティーヴ・マリオットがハンブル・パイ解散後に結成したバンドである。
マリオットはハンブル・パイのフロント・マンとして活躍していたが、1975年にハンブル・パイが解散するとソロ活動を開始した。
そして、ソロ・アルバム「マリオット」の制作に取りかかりながら、1975年7月に自己のバンド「スティーヴ・マリオッツ・オール・スターズ」を結成。
このバンドはマリオットのほか、元ヘヴィ・メタル・キッズのミッキー・フィン(guitar)、元フリートウッド・マックのボブ・ウエストン(guitar)、元キング・クリムゾンのイアン・ウォーレス(drums)、元エリスのニック・サウス(bass)の5人に、ハンブル・パイのレコーディングにも参加していたザ・ブラックベリーズ(chorus)を加えたもので、マリオットのバック・バンド的性格が強かった。
結成の翌月にサウスが脱退するが、すぐにマリオットのハンブル・パイ時代のバンド・メイトであるグレッグ・リドリー(bass)が加入する。
1975年限りでウエストンが脱退したが、後任としてやはりハンブル・パイ時代のバンド・メイトである名手クレム・クレムソンが加わった。
バンドは積極的にライブを行い、1976年3月にはサウンドにより厚みを持たせるためにキーボード奏者のデモン・ブッチャーを加える。
同年5月にマリオットのソロ・アルバムがリリースされる。
この年、スモール・フェイセスの曲「イチクー・パーク」がリバイバル・ヒットしたことをきっかけに、スモール・フェイセスが再結成、マリオットもこれに参加することになったため、オール・スターズは解散した
解散後、クレムソンとブッチャーは「ラフ・ダイアモンド」の結成に参加し、リドリーとフィンは「ザ・フォールン・エンジェルス」を結成した。
マリオットの死後、未発表のセッション音源が発掘され、1995年に「Clear Through the Night」のタイトルで発表された。この未発表セッションがソロ・アルバム「マリオット」の制作につながるのである。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1995年 Clear Through the Night
【メンバー変遷】
#1 1975
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
ボブ・ウエストン(guitar)
ニック・サウス(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#2 1975
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
ボブ・ウエストン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#3 1976
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
デイヴ・クレムソン(guitar)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
#4 1976
スティーヴ・マリオット(vocal, guitar)
ミッキー・フィン(guitar)
デイヴ・クレムソン(guitar)
デモン・ブッチャー(keyboard)
グレッグ・リドリー(bass)
イアン・ウォーレス(drums)
ザ・ブラックベリーズ(chorus)
スリー・ドッグ・ナイト Three Dog Night
【活動期間】
1967年~1976年
1981年~
【メンバー】
<Vocal>
ダニー・ハットン/Danny Hutton(vocals) 在籍1967~1975, 1981~
コリー・ウェルズ/Cory Wells(vocals, guitar) 在籍1967~1976, 1981~2015
チャック・ネグロン/Chuck Negron(vocals) 在籍1967~1976., 1981~1985
ジェイ・グルスカ/Jay Gruska(vocals) 在籍1976
デヴィッド・モーガン/David Morgan(vocals) 在籍2015~
<Guitar>
ロン・モーガン/Ron Morgan(guitars) 在籍1968
マイケル・オールサップ/Michael Allsup(guitar) 在籍1968~1974, 1981~1984, 1991~2021
ジェームス・"スミティ"・スミス/James "Smitty" Smith(guitar) 在籍1974~1975
アル・シナー/Al Ciner(guitar) 在籍1975~1976
ポール・キングリー/Paul Kingery(vocals, guitar, bass1996~2021) 在籍1982~1983(オールサップの代役として), 1985~1988, 1996~
スティーヴィ・エッツォ/Steve Ezzo(guitar) 在籍1983~1984(オールサップの代役として), 1985
T. J. パーカー/T. J. Parker(guitar) 在籍1988~1989
マイク・クネオ/Mike Cuneo(guitar) 在籍1989~1991
<Keyboard>
ジミー・グリーンスプーン/Jimmy Greenspoon(keyboards) 在籍1968~1976, 1981~2015
スキップ・コンテ/Skip Konte(keyboards) 在籍1973~1976
ロン・ストッカート/Ron Stockert(keyboards) 在籍1976
リック・セラッテ/Rick Seratte(keyboards) 在籍1985
エディー・リーゾナー/Eddie Reasoner(keyboards) 在籍2015~2017
ハワード・ララヴェア/Howard Laravea(keyboards) 在籍2017~
デヴィッド・ブルーフィールド/David Bluefield(keyboards ※ツアー・メンバー) 在籍1984
<Bass>
ジョー・シェルミー/Joe Schermie(bass) 在籍1968~1973
ジャック・ライランド/Jack Ryland(bass) 在籍1973~1975
デニス・ベルフィールド/Dennis Belfield(bass) 在籍1975~1976
マイク・セイフリット/Mike Seifrit(bass) 在籍1981~1982
リチャード・グロスマン/Richard Grossmann(bass) 在籍1982~1984
スコット・マンゾ/Scott Manzo(bass) 在籍1985~1988, 2004
ゲイリー・ムーン/Gary Moon(bass, vocals) 在籍1988~1989
リチャード・キャンベル/Richard Campbell(bass, vocal) 在籍1989~1996
ポール・キングリー/Paul Kingery(vocals, guitar, bass1996~2021) 在籍1982~1983, 1985~1988, 1996~
ティモシー・ハットン/Timothy Hutton(bass, vocals) 在籍2021~
<Drums>
フロイド・スニード/Floyd Sneed(drums) 在籍1968~1974, 1981~1984
ミッキー・マクミール/Mickey McMeel(drums) 在籍1974~1976
マイク・キーリー/Mike Keeley(drums) 在籍1985~1993
パット・バウツ/Pat Bautz(drums, vocals) 在籍1993~
【バンドの歴史】
スリー・ドッグ・ナイトは、アメリカ合衆国のロック・バンド。3人のリード・ヴォーカリストと4人のインストゥルメンタリストから成るユニークな編成で知られている。カリフォルニア州ロサンゼルスで結成され、1970年代前半のアメリカン・ロックを代表するバンドのひとつとして活躍した。
デビュー(1968年)から1975年までに23枚のシングル・レコードをリリースしているが、そのうち1位となった3曲を含む21曲をビルボードのトップ40に送り込み、RIAAからゴールド・アルバム12枚、ゴールド・シングル7枚を認定されるという輝かしい実績を残した。
<結成まで>
1967年、ボーカルのダニー・ハットンが中心となってグループの結成を計画する。
ハットンは、1965年に発表したシングル「Roses and Rainbows」がチャート73位を記録するなど、ソロ・シンガーとして活動しており、この頃ソニー&シェールのツアーで前座を務めていた。その時に出会ったのが、コリー・ウェルズである。
ウェルズはロサンゼルスで「ジ・エネミーズ」「コリー・ウェルズ・ブルース・バンド」などのリード・ヴォーカリストとして活動していたが、ウェルズの歌声を聴いたシェールに誘われてソニー&シェールのツアー・メンバーとなった。
意気投合したハットンとウェルズは、チャック・ネグロンを仲間に引き入れてセッションを開始する。ネグロンは1960年代前半に「チャック・ロンデル」の名でシングルをリリースしており、ハットンのシングル・レコードでバッキング・ヴォーカルを務めたこともあった。
この3人のヴォーカリストは1967年に新たなグループを結成し、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)によって「レッドウッド」と名付けられた。
レッドウッドはビーチ・ボーイズのレーベル「ブラザー・レコード」との契約を目指し、ビーチ・ボーイズがアルバム「ワイルド・ハニー」を制作している間にブライアン・ウィルソンのプロデュースで「タイム・トゥ・ゲット・アローン」「ダーリン」のレコーディングを行った。
しかしビーチ・ボーイズのメンバーは、ウィルソンがビーチ・ボーイズの活動に優先的に力を注ぐことを望み、他のバンドをプロデュースすることに反対していたため、この2曲はお蔵入りすることになる。この2曲はのちにビーチ・ボーイズもレコーディングし、アルバム「ワイルド・ハニー」「20/20」に収録している。
ブラザー・レコードとの契約が白紙に戻されたレッドウッドの3人は新たにバンドを編成することを考え、以前から交流のあったロン・モーガン(guitar)、フロイド・スニード(drums)、元コリー・ウェルズ・ブルース・バンドのジョー・シェルミー(bass)、ジミー・グリーンスプーン(keyboard)の4人を集め、バンド名を「スリー・ドッグ・ナイト」に変更した。
「スリー・ドッグ・ナイト」というやや風変わりなバンド名は、オーストラリアの先住民であるアボリジニが寒い夜には2匹の、凍えるような夜には3匹のディンゴ(野生の犬の在来種)と一緒に寝るという習慣にちなんだものである。ハットンのガールフレンドで女優のジューン・フェアチャイルドが、アボリジニについて書かれた雑誌の記事を読んで提案した名前だとされているが、ミュージシャンのヴァン・ダイク・パークスはこの話を否定し、名付けたのは自分だと主張している。
ファースト・アルバムを制作する前にモーガンがバンドは脱退し、その後「エレクトリック・プルーンズ」に加入する。そしてモーガンの後任ギタリストとして採用され、その後長きに渡ってバンドを支えたのがマイケル・オールサップであった。
1968年5月、スリー・ドッグ・ナイトはハリウッドの「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」でデビューのステージを踏む。このライヴに対する聴衆の反応は好意的だったが、その中にはダンヒル・レコードのスタッフもいた。感銘を受けたダンヒル側から声をかけられたスリー・ドッグ・ナイトは、これをきっかけにダンヒルとの契約を得たのである。
<デビュー~1976>
1968年10月、スリー・ドッグ・ナイトはダンヒル・レコードからデビュー・アルバム「ワン」を、翌11月にはデビュー・シングル「ノーバディ」をリリース。
「ノーバディ」のチャート・アクションは今ひとつであったが、アルバム「ワン」は1969年1月にチャート・インを果たす。1969年初頭にリリースしたセカンド・シングル「トライ・ア・リトル・テンダーネス」はオーティス・レディング版を彷彿とさせる熱気のこもった演奏と歌でスマッシュ・ヒットする。そして1969年4月にリリースした3枚目のシングル「ワン」がビルボード5位まで上昇するヒットを記録してバンドはついにブレイク。「ワン」は最終的にアルバム・チャート最高11位を記録してRIAAのゴールド・ディスクに認定された。
1969年8月には早くもセカンド・アルバム「融合」を発表。このアルバムには「シカゴ」のホーン・セクションがゲストで参加していることでも話題となり、発売後2週間でRIAAからゴールド・アルバムに認定された。こうしてスリー・ドッグ・ナイトは当時のロック界でもっとも注目される存在となったのである。
1970年には「ママ・トールド・ミー」(バンド初のミリオン・セラー)、1971年には「喜びの世界」がシングル・チャート1位となり、バンドは押しも押されぬ人気バンドにのし上がった。
人気絶頂にあった1972年、初の来日公演を行う。以後1973年、1975年、1993年にも来日している。
スリー・ドッグ・ナイトはアメリカン・タレント・インターナショナル(ATI)とブッキング・エージェント契約を交わしていたが、1972年10月に改めてウィリアム・モリス・エージェンシーとエージェント契約を結んだ。しかしATIは依然としてスリー・ドッグ・ナイトが自社に所属していると宣伝し続けて、さらにはブッキングの前金を受け取ったりしていたため、スリー・ドッグ・ナイトは1973年にATIに対して600万ドルの訴訟を起こした。
1973年初頭には、シェルミーが「明らかに解決不可能な問題が起きた」として脱退し、後任としてジャック・ライランドが加入した。
1973年後半、元ブルース・イメージのスキップ・コンテが2人目のキーボード奏者として加入、バンドは8人編成となる。
1974年後半になるとオールサップとスニードが脱退し、後任としてジェームズ・スミティ・スミス(guitar)とミッキー・マクミール(drums)が加入。オールサップとスニードは、ボビー・キンボール(vocal のちTOTO)と、先に脱退していたシェルミーとともに新たなバンド「SSフールズ」を結成した。
1975年、スミスはアル・シナー(元ルーファス&ザ・アメリカン・ブリード)に、ライランドはデニス・ベルフィールド(元ルーファス)に交代する。
1973年に発表した「サイアン」以降、バンドの人気は絶頂期を過ぎた感があった。
とくにそれが顕著になったのは、1975年5月に9枚目のスタジオ・アルバムとして「カミング・ダウン・ユア・ウェイ」をリリースしてからである。このアルバムのセールスは、高まるディスコ・ミュージック人気のあおりを受けて低迷。このためバンドは「Til the World Ends」をアルバムからの唯一のシングルとしてリリースして梃入れを図る。この曲はなんとかチャート最高32位を記録したが、これがバンド最後のビルボードトップ40ヒットとなった。
続くアルバム「アメリカ回顧録」もチャート最高123位と不振を極め、凋落に歯止めはかけられなかった。
この1975年以降はメンバー・チェンジもひんぱんに行われた。
まずはヴォーカルの一角、ダニー・ハットンの離脱である。
1973年後半以降、ハットンはドラッグとアルコールへの依存が深刻となり、レコーディング・セッションを欠席することも多くなっていたため、1975年後半にはバンドから解雇された。後任として加入したのはジェイ・グルスカである。
1975年7月、チャック・ネグロンがコカイン不法所持の容疑で逮捕される。すぐに1万ドルの保釈金で釈放され、その後告訴は取り下げられたものの、この件がきっかけとなってバンド内の人間関係が悪化する。
1976年前半、コンテが脱退し、後任として元ルーファスのロン・ストッカートが採用された。
1976年7月26日、バンドはロサンゼルスのグリーク劇場で公演を行い、これを最後に一旦解散した。
スリー・ドッグ・ナイトの特長といえば、やはり強力なヴォーカリスト陣であろう。
渋めでポップなロック・シンガーのハットン、ソウルフルで野性味あふれるウェルズ、艶やかなテナー・ヴォイスで黒人音楽に傾倒しているネグロン、と三者三様の持ち味を発揮した。
スリー・ドッグ・ナイトの音楽性のベースは、黒人音楽に対するリスペクトと、匂いたつようなブラック・フィーリングにある。しかしR&Bチャートにランクされたのは、意外なことに「喜びの世界」のみであり、それも最高46位にすぎない。しかしアダルト・コンテンポラリー・チャートには9曲ランク・インしている。彼らはアコースティックなサウンド、ファンキー・ミュージック、土臭いアメリカン・ロック、アダルト・コンテンポラリーなど、多彩な音楽性を内包しており、キャリアを積むにしたがってスマートに洗練されていった。そして幅広い世代に受け入れられる良質の音楽を生み出し続けたのである。
またバンドのレパートリーの多くが外部のソングライターによって書かれたものである。そしてそのソングライターのほとんどは、曲が取り上げられた時点では無名であった。
スリー・ドッグ・ナイトのレコーディング候補曲はヴォーカルの3人(ハットン、ウェルズ、ネグロン)が持ち寄り、多数決で決めていた。そして選曲した者がリード・ヴォーカルを務めるというやり方だった。これは彼らの音楽性の幅広さと、先入観にとらわれない確かな選曲眼を持っていたことの証明だと言ってよいだろう。
またスリー・ドッグ・ナイトが取り上げたことで注目されるようになり、のちにソロ・アーティストとして成功した者は、レオ・セイヤー(「ショウ・マスト・ゴー・オン)」、ハリー・ニルソン(「ワン」)、ランディ・ニューマン(「ママ・トールド・ミー」)、ローラ・ニーロ(「イーライズ・カミング」)、ポール・ウィリアムス(「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」「アウト・イン・ザ・カントリー」「ファミリー・オブ・マン」)、ラス・バラード(「ライアー」)、ホイト・アクストン(「喜びの世界」)などがいる。またシングル・カットはされなかったが、無名時代のエルトン・ジョンの曲(「レディ・サマンサ」「ユア・ソング」)もいち早く取り上げている。
<1981~現在>
1981年、ダニー・ハットン(vovcal)、コリー・ウェルズ(vocal)、チャック・ネグロン(vocal)、マイケル・オールサップ(guitar)、ジミー・グリーンスプーン(keyboard)、マイク・セイフリット(bass)、フロイド・スニード(drums)の7人編成で再結成。ジョー・シェルミー(bass)を除く6人のオリジナル・メンバーが結集した。
1982年にセイフリットがリック・スプリングフィールドのバック・バンドに加わるため脱退し、後任としてリチャード・グロスマンが参加。このメンバーでスカ風のアルバム「It's a Jungle」を制作し、1983年にパスポート・レコードからリリースした。
1982年から84年にかけては、ポール・キングリーとスティーヴ・エッツォのふたりのギタリストが、オールサップが出演できない時の代役を務めた。エッツォは、1984年後半に家庭の事情で脱退したオールサップの後任を務めている。
1984年にはフロイド・スニードが解雇されたほか、同年後半には病気で休養するグリーンスプーンの代役としてデヴィッド・ブルーフィールドが加入する。
1985年、ブルーフィールドの代わりのキーボード奏者として、元ポコのリック・セラッテ(のちホワイトスネイクなどに参加)が加入し、バンドはヴォーカルの3人とスティーヴ・エッツォ(guitar)、リック・セラッテ(keyboard)、スコット・マンゾ(bass)、マイク・キーリー(drums)によるラインナップでツアーを行った。ツアー後セラッテは脱退し、グリーンスプーンが復帰。この年12月には、薬物依存が再発したチャック・ネグロンが解雇された。これ以降のスリー・ドッグ・ナイトはハットンとウェルズのツイン・リード・ヴォーカル編成となり、ポール・キングリー(guitar, vocal)が復帰してネグロンが担当していたハーモニー・パートをカバーした。
1988年にはギタリストがキングリーからT.J. パーカーへ、ベーシストがスコット・マンゾからゲイリー・ムーンへ代わる。1989年にはギタリストがパーカーからマイク・クネオに、ベーシストが満ぞからリチャード・キャンベルに代わる。
1991年春、クネオに代わるギタリストとして、マイケル・オールサップが復帰。
1993年、キーリーの後任ドラマーとしてパット・バウツが加入。
1996年、キャンベルが脱退すると、キングリーがベーシストとしてバンドに復帰する。この年11月13日、スリー・ドッグ・ナイト2代目ベーシストのジャック・ライランドが45歳で死去。46歳の誕生日の2日前だった。
2002年3月26日、オリジナル・メンバーで初代ベーシストのジョー・シェルミーが死去。
2002年5月、アルバム「Three Dog Night with The London Symphony Orchestra」をリリース。これはロサンゼルスとロンドンのアビーロード・スタジオで、ロンドン交響楽団とともにスリー・ドッグ・ナイトのかつてのヒット曲を再録音したもので、2つの新曲「Overground」と「Sault Ste. Marie」も含まれている。
また、2000年の交響楽団の演奏を収録したDVD「Three Dog Night Live With the Tennessee Symphony Orchestra」も2002年5月にリリースされている。
2004年夏、1985年から88年にかけて在籍したベーシスト、スコット・マンゾがポール・キングリーの代役として短期間復帰した。
2004年10月、アルバム「The 35th Anniversary Hits Collection Featuring The London Symphony Orchestra」がリリースされる。このアルバムには「イーライズ・カミング」、「ブリックヤード・ブルース」、「トライ・ア・リトル・テンダーネス」、「ファミリー・オブ・マン」のライヴ・バージョンが収録されている。
2008年8月には、1972年と1973年にドイツのフランクフルトとロンドンのエドモントンで行われたコンサートの未発表ライヴ録音を収録した「Three Dog Night Greatest Hits Live」を発表した。
2009年10月24日、「Heart of Blues」、「Prayer of the Children」、「Two Lights In The Nighttime」の3曲をリリース。
2012年夏、ギタリストのオールサップが腸の病気で入院したため、キングリーはベースからギターに戻り、ダニーの息子ティモシー・ハットンがベーシストとして加入。
2014年夏、ジミー・グリーンスプーンが病気療養にはいり、代役としてエディ・リーゾナーが参加したが、グリーンスプーンは2015年3月11日にガンのため67歳で死去した。リーゾナーがそのまま後任を務めた。
2015年10月21日、コリー・ウェルズが74歳で死去。
2015年11月、元アソシエーションのデイビッド・モーガン(vocal)が加入。
2017年4月、エディ・リーゾナーに代わるキーボード奏者として、元フランキー・ヴァリ&フォー・シーズンズのハワード・ララヴェアが加入。
2021年8月、スリー・ドッグ・ナイトは久しぶりにツアーに戻る。この時にマイケル・オールサップはツアーに参加しなかった。オールサップは現在もスリー・ドッグ・ナイトのメンバーだが、ツアーからは引退している。
ダニー・ハットンによると、スリー・ドッグ・ナイトは2021年に新作の制作に取りかかったという。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1968年 ワン/Three Dog Night ※旧邦題「トライ・ア・リトル・テンダーネス スリー・ドッグ・ナイト登場」(US11位)
1969年 融合/Suitable for Framing ※旧邦題「話題の新星 スリー・ドッグ・ナイト・セカンド」(US16位)
☆1969年 白熱のライヴ/Captured Live at the Forum(US6位)
1970年 イット・エイント・イージー/It Ain't Easy(US8位)
1970年 ナチュラリー/Naturally(US14位)
★1971年 ゴールデン・ビスケッツ〜スリー・ドッグ・ナイト・アーリー・ヒッツ/Golden Biscuits(US5位)
1971年 ハーモニー/Harmony(US8位)
1972年 セブン・セパレート・フールズ/Seven Separate Fools(US6位)
☆1973年 アラウンド・ザ・ワールド/Around the World with Three Dog Night(US18位)
1973年 サイアン/Cyan(US26位)
1974年 ハード・レイバー/Hard Labor(US20位)
★1974年 喜びの世界/Joy to the World : Their Greatest Hits(US15位)
1975年 カミング・ダウン・ユア・ウェイ/Coming Down Your Way(US70位)
1976年 アメリカ回顧録/American Pastime(US123位)
★1982年 The Best of 3 Dog Night
1983年 It's a Jungle(US210位)
☆1988年 Three Dog Night : Live
★1993年 セレブレイト〜スリー・ドッグ・ナイト・ストーリー1965-1975/Celebrate : The Three Dog Night Story, 1965-1975
★1999年 20th Century Masters - The Millennium Collection : The Best of Three Dog Night(US109位)
2002年 Three Dog Night with the London Symphony Orchestra
★2002年 ジョイ・トゥ・ザ・ワールド〜ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト/Joy to the World - The Best of Three Dog Night
★2004年 The Complete Hit Singles(US178位)
★2004年 35th Anniversary Hits Collection
☆2007年 Super Hits Live
☆2008年 Three Dog Night: Greatest Hits Live
<シングル>(★=リード・シンガー)
1968年 ノーバディ/Nobody(US116位)★ウェルズ
1969年 トライ・ア・リトル・テンダーネス/Try a Little Tenderness(US29位)★ウェルズ
1969年 ワン/One(US5位)★ネグロン
1969年 イージー・トゥ・ビー・ハード/Easy to Be Hard(US4位)★ネグロン
1969年 イーライズ・カミング/Eli's Coming(US10位)★ウェルズ
1970年 セレブレイト/Celebrate(US15位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1970年 ママ・トールド・ミー/Mama Told Me Not to Come(US1位 UK3位)★ウェルズ
1970年 アウト・イン・ザ・カントリー/Out in the Country(US15位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1970年 ワン・マン・バンド/One Man Band(US19位)★ハットン, ネグロン
1971年 喜びの世界/Joy to the World(US1位 UK24位)★ネグロン
1971年 ライアー/Liar(US7位)★ハットン
1971年 オールド・ファッションド・ラヴ・ソング/An Old Fashioned Love Song(US4位)★ネグロン
1971年 ネヴァー・ビーン・トゥ・スペイン/Never Been to Spain(US5位)★ウェルズ
1972年 ファミリー・オブ・マン/The Family of Man(US12位)★ハットン, ネグロン, ウェルズ
1972年 ブラック・アンド・ホワイト/Black and White(US1位)★ハットン
1972年 ピース・オブ・エイプリル/Pieces of April(US19位)★ネグロン
1973年 シャンバラ/Shambala(US3位)★ウェルズ
1973年 レット・ミー・セレナーデ・ユー/Let Me Serenade You(US17位)★ウェルズ
1974年 ショウ・マスト・ゴー・オン/The Show Must Go On(US4位)★ネグロン
1974年 シュア・アズ・アイム・シッティング・ヒア/Sure As I'm Sittin' Here(US16位)★ウェルズ
1974年 ブリックヤード・ブルース/Play Something Sweet (Brickyard Blues)(US33位)★ウェルズ
1975年 Til the World Ends(US32位)★ネグロン
1976年 Everybody Is a Masterpiece
1983年 It's a Jungle Out There
2009年 Heart of Blues
【メンバー変遷】
#1 1968
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ロン・モーガン(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジョー・シェルミー(bass)
フロイド・スニード(drums)
#2 1968~1973
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジョー・シェルミー(bass)
フロイド・スニード(drums)
#3 1973
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
フロイド・スニード(drums)
#4 1973~1974
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
フロイド・スニード(drums)
#5 1974~1975
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェームス・"スミティ"・スミス(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
ジャック・ライランド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#6 1975
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#7 1976
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェイ・グルスカ(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スキップ・コンテ(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#8 1976
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
ジェイ・グルスカ(vocal)
アル・シナー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ロン・ストッカート(keyboard)
デニス・ベルフィールド(bass)
ミッキー・マクミール(drums)
#9 1981~1982
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
マイク・セイフリット(bass)
フロイド・スニード(drums)
#10 1982~1984
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
※ポール・キングリー(guitar:オールサップの代役として 1982~83)
※スティーヴ・エッツォ(guitar:オールサップの代役として 1983~84)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・グロスマン(bass)
フロイド・スニード(drums)
#11 1985
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
チャック・ネグロン(vocal)
スティーヴ・エッツォ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リック・セラッテ(keyboard)
スコット・マンゾ(bass)
マイク・キーリー(drums)
#12 1985~1988
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
ポール・キングリー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
スコット・マンゾ(bass)
マイク・キーリー(drums)
#13 1988~1989
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
T. J. パーカー(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ゲイリー・ムーン(bass)
マイク・キーリー(drums)
#14 1989~1991
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイク・クネオ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
マイク・キーリー(drums)
#15 1991~1993
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
マイク・キーリー(drums)
#16 1993~1996
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
リチャード・キャンベル(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#17 1996~2015
ダニー・ハットン(vocal)
コリー・ウェルズ(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ジミー・グリーンスプーン(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#18 2015~2017
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
エディー・リーゾナー(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#19 2017~2021
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
マイケル・オールサップ(guitar)
ハワード・ララヴェア(keyboard)
ポール・キングリー(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
#20 2021~
ダニー・ハットン(vocal)
デヴィッド・モーガン(vocal)
ポール・キングリー(guitar, vocal)
ハワード・ララヴェア(keyboard)
ティモシー・ハットン(bass, vocal)
パット・バウツ(drums, vocal)
エマーソン・レイク&パウエル Emerson Lake & Powell
【活動期間】
1985年~1986年
【メンバー】
キース・エマーソン/Keith Emerson(Keyboards)
グレッグ・レイク/Lake(bass, guitars, vocals)
コージー・パウエル/Powell(drums, percussions)
【バンドの歴史】
1970年代に世界的な人気バンドとして活躍したエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)は、1979年に活動を停止し、1980年2月に解散した。
解散後、キース・エマーソンとグレッグ・レイクはソロ活動を開始。カール・パーマーは自己のバンド「PM」を結成してアルバムを1枚発表したのち、「エイジア」の結成に参加する。
1984年、エマーソンのソロ・プロジェクトに対して、セールス面を考慮したレーベル側がEL&Pの再結成を提案した。これを受けてエマーソンとレイクはEL&P再結成について話し合うようになり、レイクは再結成に同意する。しかし、当時のパーマーはエイジアでの成功を手にしており、エイジアとしての活動に集中したいという意思が固く、エイジアに対する契約上の義務もあって、EL&Pの再結成は実現しなかった。
このため同じく「P」の頭文字を持つサイモン・フィリップスに声をかけたが、フィリップスも多くのセッションを抱えていたため、加入には至らなかった。ほかにもイアン・ペイスにオファーを送ったが、ペイスはディープ・パープルの再結成に参加した直後であり、それには応えられなかった。最終的に正式に加入したのは、1970年代からエマーソンと親しく交流していたコージー・パウエルであった。
こうして1985年に「エマーソン・レイク&パウエル」の布陣が整い、同年終盤にはアルバムの制作を開始するのである。
エマーソンはこのバンドを「EL&Pの再結成」と公言していたが、パーマーはそれには同意せず、エマーソン・レイク&パーマー以外のバンドが「ELP」または「EL&P」という省略名とELPのロゴを使用することの禁止を求める訴訟を起こした。裁判はパーマーが勝訴し、新たなバンドは「エマーソン・レイク&パウエル」と名乗ることが認められた。しかし同時に、エマーソン・レイク&パウエルのことを「ELP」または「EL&P」と呼ぶことはできなくなった。ただし、エマーソン・レイク&パウエルは、ライヴではエマーソン・レイク&パーマーの作品も演奏している。
1986年7月、ファースト・アルバム「エマーソン・レイク&パウエル」がリリースされ、ビルボード最高23位のスマッシュ・ヒットを記録した。
同年8月15日から11月2日まではアメリカ・ツアーを行ったが、ツアーに対しては賛否両論が起こり、バンドはマネージメントを解雇した。ツアーを終えたのちにパウエルが脱退したため、エマーソン・レイク&パウエルは解散した。
その後パーマーがエイジアから脱退したことにより、は再び「エマーソン・レイク&パーマー」の再結成の計画が持ち上がったが、間もなくレイクが離脱したため、エマーソンとパーマーはロバート・ベリー(bass, guitar)を加えて「3(スリー)」を結成する。
パウエルは1988年にブラック・サバスに加入。
オリジナル・メンバーによるエマーソン・レイク&パーマー再結成は、1991年まで時を待つことになる。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
<アルバム>
1986年 エマーソン・レイク&パウエル/Emerson Lake & Powell
★2003年 ザ・スプロケット・セッションズ/The Sprocket Sessions
☆2010年 ライヴ・イン・コンサート/Live in Concert
★2012年 Live in Concert & More ※2CD combining「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
★2024年 The Complete Collection ※3CD combining「Emerson Lake & Powell」,「The Sprocket Sessions」&「Live in Concert」
<シングル>
1986年 Touch and Go(US60位)
1986年 Lay Down Your Guns
【メンバー変遷】
#1 1985~1986
キース・エマーソン(Keyboards) ex. Emerson Lake & Palmer →3
グレッグ・レイク(bass, guitars, vocals) ex. Asia →Emerson Lake & Palmer
コージー・パウエル(drums, percussions) ex. Whitesnake →Black Sabbath
ナチュラル・ガス Natural Gas
【活動期間】
1975年~1976年
【メンバー】
ジョーイ・モランド/Joey Molland(guitar, vocals)
レス・ニコル/Les Nichol(guitar, vocals)
ピーター・ウッド/Peter Wood(Keyboards)
マーク・クラーク/Mark Clarke(bass, vocals)
ジェリー・シャーリー/Jerry Shirley(drums)
【バンドの歴史】
1974年末にバッドフィンガーを離脱したジョーイ・モランド(guitar, vocals)、1975年に解散したハンブル・パイのジェリー・シャーリー(drums)、1974年に解散したテンペストのマーク・クラーク(bass)、元サザーランド・ブラザーズ&クイーヴァーで,、アル・スチュワートのサポートも務めていたピーター・ウッド(keyboard)の4人が、新たにバンドを結成するべく1975年に集結。シャーリーの発案でバンド名を「ナチュラル・ガス」とし、活動を開始する。
モランドが在籍していたバッドフィンガーがアップル・レコードに所属していたことから、結成当初はアップルのスタッフだったマル・エヴァンスがプロデュースを担当していたが、ナチュラル・ガスがプライヴェート・ストックと契約すると、レーベルの意向によってフェリックス・パパラルディがプロデューサーに迎えられた。
新たなスーパー・グループの誕生として話題となったナチュラル・ガスは、こうして1976年にファースト・アルバム「ナチュラル・ガス」を発表する。申し分のないキャリアを持つ4人が制作したこの作品は、メロディーを大事にした良質のハード・ポップ・アルバムだったが、期待に反してセールスは振るわなかった。
アルバム発表後、ハンブル・パイ時代にシャーリーとバンドメイトだったピーター・フランプトンの全米ツアーにフロント・アクトとして参加。フランプトンは当時日の出の勢いだったこともあり、ツアーは成功裡に終わったが、その後ポップ志向のモランドとハードなサウンドを志向する他の3人の間に音楽的な見解の相違が生じたことに加え、バンドはロサンゼルスに戻りたいモランドとニューヨークに残りたい他の3人に分かれてしまい、モランドは脱退する。1976年末に後任としてレス・ニコルが加入したが、バンドは間もなく解散した。
解散後、モランドは1979年にトム・エヴァンスとともに「バッドフィンガー」名義でアルバム「エアウェイヴス」を発表。
クラークは1977年5月に「レインボー」へ加入。
シャーリーは、ウッド、ニコルとともに結成した「マグネット」を経てハンブル・パイの再結成に参加。
ウッドは「マグネット」を経てジェス・ローデンと「リヴィッツ」を結成した。なおウッドがアル・スチュワートと共作した「イヤー・オブ・ザ・キャット」は、1976年に全米8位の大ヒットを記録している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム)
1976年 ナチュラル・ガス/Natural Gas
☆2018年 Live from the Vault ※録音1976年8月17日
【メンバー変遷】
#1 1975~1976
ジョーイ・モランド(guitar, vocals) ex. Badfinger →Badfinger
ピーター・ウッド(Keyboards) ex. Southerland Brothers & Quiver
マーク・クラーク(bass, vocals) ex. Tempest
ジェリー・シャーリー(drums) ex. Humble Pie
#2 1976
レス・ニコル(guitar, vocals) ex. Leo Sayer →Magnet
ピーター・ウッド(Keyboards) →Magnet
マーク・クラーク(bass, vocals)→Rainbow
ジェリー・シャーリー(drums)→Magnet