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ROCKSTARS

all about my favorite Rocks.

プラスティック・ペニー

2025-04-11 02:27:56 | band

プラスティック・ペニー Plastic Penny


【活動期間】
  1967年~1969年

【メンバー】
 <Vocal>
  ブライアン・キース/Brian Keith 在籍1967~1968
 <Guitar>
  ミック・グラハム/Mick Graham 在籍1967~1969
 <Keyboard, vocal>
  ポール・レイモンド/Paul Raymond 在籍1967~1969
 <Bass>
  トニー・マレー/Tony Murray 在籍1967~1969
 <Drums, vocal>
  ナイジェル・オルソン/Nigel Olsson 在籍1967~1969


【バンドの歴史】
 プラスティック・ペニーは1960年代後半に活躍したイギリスのサイケデリック・ポップ・バンドである。
 1967年11月に結成され、2枚のアルバムと5枚のシングルを残して1969年8月に解散しました。1968年初頭にヒットシングル「Everything I Am」をリリースしました。解散後は、
メンバーそれぞれが他のバンドやセッション・ワークに参加してより大きな成功を収めている。

 1963年に結成されたホーン・セクション入りのショウ・バンド「クリス・ラム & ジ・ユニヴァーサルズ」がプラスティック・ペニーの前身である。
 クリス・ラム & ジ・ユニヴァーサルズはさまざまなシンガーのバック・バンドとして活動する。1966年夏にはスクリーミング・ロード・サッチのバック・バンド「サヴェージズ」として活動する一方、「ザ・サークルズ」という変名でシングル・レコードを発表している。
 1967年11月にはミック・グラハム(guitar)とナイジェル・オルソン(drums)が参加し、ラインナップはクリス・ラム(trumpet)、モート・サリヴァン(tenor sax)、ブライアン・キース(vocal, trombone)、ポール・レイモンド(keyboard)、トニー・マレー(bass)、グラハム、オルソンの7人編成となった。間もなくリーダーのラムが脱退したためバンドは解散したが、残ったキース、レイモンド、マレー、グラハム、オルソンの5人は「プラスティック・ペニー」としてバンドを発展させた。



 1967年12月、プラスティック・ペニーとしてのデビュー・シングル「Everything I Am」がリリースされた。スプーナー・オールダムとダン・ペンによって作曲されたこの曲は、もともとはボックス・トップスが録音したものである。プラスティック・ペニーはこれをスロー・バラードに編曲し、ストリングス・アレンジを施して発表すると、このシングルは全英6位、カナダでは30位まで上昇するヒットを記録した。
 1968年3月にはデビュー・アルバム「Two Side of a Penny」とセカンド・シングル「Nobody Knows It 」を発表したが、間もなくフロントマンのブライアン・キース(voval)が脱退し、ソロ・シンガーとして活動を開始する。その後はポール・レイモンドがリード・ヴォーカルを兼ねた。
 1968年8月31日には、第1回ワイト島フェスティバルにも出演している。
 バンドのレパートリーの多くはブライアン・キース、ポール・レイモンド、トニー・マレーが作曲していたが、キース脱退後のバンドはプログレッシヴ指向を強め、1969年にはフォーキーでサイケデリック色の濃いセカンド・アルバム「Currency」を発表したが、同年4月に解散した。

 解散後、ミック・グラハムは「ミック・グラバム」と表記を変え、「コチース」などを経て「プロコル・ハルム」に加入。ポール・レイモンドは、クリスティン・パーフェクト(のちのクリスティン・マクヴィー)の後任として「チキン・シャック」に加入した後、「サヴォイ・ブラウン」や「UFO」のメンバーとして活躍した。ナイジェル・オルソンは「スペンサー・デイヴィス・グループ」「ユーライア・ヒープ」を経て、エルトン・ジョン・バンドのメンバーとして活躍した。トニー・マレーはナイジェル・オルソンとともにエルトン・ジョンのアルバム「エンプティ・スカイ」のレコーディングに参加した後、「ザ・トロッグス」に加入した。


左からミック・グラハム、ブライアン・キース、ナイジェル・オルソン、トニー・マレー、ポール・レイモンド


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
 <アルバム>
   1968年 Two Side of a Penny
   1969年 Currency
  ★1970年 Heads I Win, Tails You Lose
 <シングル>
   1967年 Everything I Am / No Pleasure Without Pain My Love
   1968年 Nobody Knows It / Happy Just to Be with You
   1968年 Your Way to Tell Me Go / Baby You're Not to Blame
   1968年 Hound Dog / Currency
   1969年 She Does / Genevieve
   1975年 Everything I Am / No Pleasure Without Pain

【メンバー変遷】
#1  1967.12~1968
   ブライアン・キース(vocal)※ex. Chris Lamb & The Universals →Solo~Lord Sutch & Heavy Friends
   ミック・グラハム(guitar)※ex. Chris Lamb & The Universals
   ポール・レイモンド(keyboard)※ex. Chris Lamb & The Universals
   トニー・マーレイ(bass)※ex. Chris Lamb & The Universals
   ナイジェル・オルソン(drums)※ex. Chris Lamb & The Universals

#2  1968~1969.4
   ミック・グラハム(guitar)→Cochise
   ポール・レイモンド(keyboard)→Chicken Shack
   トニー・マーレイ(bass)→The Troggs
   ナイジェル・オルソン(drums)→Spencer Davis Group


『オーヴァー・ザ・トップ』(コージー・パウエル)

2025-04-10 12:39:10 | albums

オーヴァー・ザ・トップ Over the Top


【演奏】

  コージー・パウエル/Cozy Powell

【リリース】
  1979年10月

【録音】
  セントラル・サウンド・スタジオ(マンチェスター)
  タウン・ハウス・スタジオ(ロンドン)
 
【プロデューサー】
  マーティン・バーチ/Martin Birch

【エンジニア】
  マーティン・バーチ/Martin Birch

【レーベル】
  ポリドール/Polydor Records

【収録曲】(☆=シングル ①③⑥)※全曲インストゥルメンタル
 side : A
 ☆① コズミック・ハイウェイ 3:36
    Theme One(George Martin)
    *1979年シングル・チャート UK62位
  ② キラー 7:16
    Killer(Don Airey, Gary Moore)
 ☆③ ハイディ・ゴーズ・トゥ・タウン 2:59
    Heidi Goes to Town(Cozy Powell, Don Airey)
    *1980年リリース
  ④ エル・シッド 5:09
    El Sid(Bernie Marsden)
 side : B
  ⑤ スウィート・ポイズン 6:26
    Sweet Poison(Max Middleton)

 ☆⑥ ザ・ローナー(ジェフ・ベックに捧ぐ)4:52
    The Loner(Max Middleton)
    *1979年リリース
  ⑦ オーヴァー・ザ・トップ 8:38
    Over the Top(Cozy Powell, Don Airey)

【録音メンバー】
   コージー・パウエル/Cozy Powell(drums①②③④⑤⑥⑦, percussions③⑦)
   - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
   バーニー・マースデン/Bernie Marsden(guitar①④)
   ゲイリー・ムーア/Gary Moore(guitars②)
   デイヴ・"クレム"・クレムソン/Dave "Clem" Clempson(guitar⑤⑥)
   ドン・エイリー/Don Airey(piano①④⑦, synthesizer①②③④⑤⑦)
   マックス・ミドルトン/Max Middleton(piano⑤, electric-piano⑤⑥, synthesizer⑥)
   ジャック・ブルース/Jack(bass①②③④⑤⑥⑦)


【チャート】
 1979年週間アルバム・チャート  イギリス34位

【メ  モ】
 コージー・パウエルのファースト・ソロ・アルバム。「レインボー」在籍時に発表した。
 
 レコーディングに参加したドン・エイリーは、当時レインボーに参加して間もない頃だった。マックス・ミドルトンは「第2期ジェフ・ベック・グループ」で、クレム・クレムソンは「ベイカールー」や「ストレンジ・ブリュー」で、バーニー・マースデンは「コージー・パウエルズ・ハマー」」で、それぞれパウエルとバンド・メイトだった。

 ⑥「ザ・ローナー」は、当初はマックス・ミドルトンがジェフ・ベックに提供する予定で作った曲であるが、ベックの演奏した録音は残っていない。2023年のインタビューでは、ミドルトンは「曲名には深い意味はない。タイトルはメロディを元に付けたもので、ベックのことを一匹狼だと思っていたわけではない」と語っている。なおこのアルバムの制作に参加しているゲイリー・ムーアは、1987年の自身のソロ・アルバム「ワイルド・フロンティア」でこの曲を取り上げている。

 ⑦「オーヴァー・ザ・トップ」の元のアイデアは、19世紀のロシアの作曲家ピョートル・チャイコフスキーの「序曲1812年」である。パウエルは以前からライヴでこの曲を流しながらドラム・ソロを演奏していた。


コージー・パウエル

2025-04-06 03:49:29 | drums

コージー・パウエル Cozy Powell


 【出生名】
   コリン・トレヴァー・フルックス/Colin Trevor Flooks

 【パート】

   ドラムス

 【生没年月日】
   1947年12月29日~1998年4月5日(50歳没)

 【出生地】
   イングランド グロスタシャー州サイレンセスター

 【経 歴】
   ザ・コーラルズ/The Corals(1963~1965)
   ケーシー・ジョーンズ & ザ・エンジニアーズ/Casey Jones & The Engineers(1965)
   ザ・ソーサラーズ/The Sorcerers(1966~1968.2)
   ヤングブラッド/Young Blood(1968.2)
   エース・ケフォード・スタンド/Ace Kefford Stand(1968.9~1969)
   ベイカールー/Bakerloo(1969.7~1969.9)
   ビッグ・バーサ/Big Bertha(1969.10~1971.4)
   ジェフ・ベック・グループ/Jeff Beck Group(1971.4
~1972.7)
   ビースト/Beast(1972.11~1973.5)
   ベドラム/Bedlam(1973.5~1974.4)
   コージー・パウエルズ・ハマー/Cozy Powell's Hammer(1974.4~1975.4)
   ストレンジ・ブリュー/Strange Brew(1975.7~1975.8)
   レインボー/Rainbow(1975.9~1980.8)
   グラハム・ボネット & ザ・フーリガンズ/Graham Bonnet & The Hooligans(1980~1981)
   マイケル・シェンカー・グループ/
Michael Schenker Group (1981~1982)
   ホワイトスネイク/Whitesnake(1982.9~1985.1)
   エマーソン・レイク & パウエル/Emerson Lake & Powell(1985~1986)
   ブルー・マーダー/Blue Merder (1987.5-10)
   フォースフィールド(1987~1992)
   ゲイリー・ムーア・バンド/Gary Moore Band (1988.10-1989.2)
   ブラック・サバス/Black Sabbath(1988.10~1990.11)
   ブライアン・メイ・バンド/Brian May Band(1991~
1992)
   コージー・パウエルズ・ハマー/Cozy Powell's Hammer(1992~1993)
   ブライアン・メイ・バンド/Brian May Band(1993~1994)
   ブラック・サバス/Black Sabbath(1994.9-1995.7)
   ティプトン・エントウィッスル & パウエル/Tipton, Entwistle & Powell(1994~1997)
   ピーター・グリーン・スプリンター・グループ/Peter Green Splinter Group(1996~1998)
   イングヴェイ・マルムスティーン・バンド/Yngwie Malmsteen Band(1997~1998)
   スネークス/The Snakes(1997~1998)
   ブライアン・メイ・バンド/Brian May Band(1998)


  名だたるバンドを渡り歩いたロック史上屈指のドラム・ヒーロー。
 とくに1970年代半ば以降は数々の著名なハード・ロック系バンドに在籍し、そのパワフルなドラミングで世界的な名声を得た。多くのドラマーがパウエルから影響を受けたことを公言している。
 身長175cm。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のドラマー」で43位にランクされている。

 <出生~1960年代>
 パウエルは、1947年12月29日にグロスターシャー州サイレンセスターで「コリン・トレヴァー・フルックス」として生まれた。コリン少年は、生後間もなく養子に出されたため実の両親の顔を知らないという。
 コリンは
11歳のとき、学校のオーケストラでドラムを叩き始める。すぐにこの楽器に夢中になった彼は、当時のヒット曲に合わせてドラムを叩くなど練習に没頭し、15歳の頃にはすでに自分ならではのドラム・ソロを創り上げていたという。
 1963年、
「ザ・コーラルズ」というローカル・バンドに加入して本格的に音楽活動をスタートさせる。コーラルズは毎週サイレンセスターや、近隣のラットンのユースクラブで演奏していた。コーラルズが解散すると、「ケーシー・ジョーンズ & ザ・エンジニアーズ」に数ヵ月在籍した。
 
 1966年、ポップ・ヴォーカル・バンド「ザ・ソーサラーズ」のメンバーとなる。コージーの評判を耳にしたメンバーのピート・ボール(keyboard)から声をかけられたのがきっかけであった。コリンはこの頃には「コージー・パウエル」の芸名で活動している。「コージー」はジャズドラマーのコージー・コールにちなんだもので、「パウエル」は養母の旧姓から取ったものである。
 ソーサラーズでの深夜までの演奏やツアーは、パウエルの学業にも影響を及ぼすようになる。やがてパウエルは、昼間は会社員として働くようになり、その給料で新しいドラム・セットを購入することができた。
 ソーサラーズは1966年から67年にかけては西ドイツで活動し、クラブなどで演奏したほか、3枚のシングルをリリースしている。1968年にはイギリスに戻り、バーミンガムとその周辺を拠点として活動し、同年初頭には「ヤングブラッド」と改名する。
 バーミンガムに移ったパウエルは、セッション・ドラマーとしても活動する。またこの時期には、ロバート・プラント、ジョン・ボーナム、トニー・アイオミ、ノディ・ホルダーら多くの地元ミュージシャンと親交を深めている。

 1968年2月にヤングブラッドを脱退したパウエルは、デイヴ・ボール(guitar)とデニス・ボール(bass)のボール兄弟(彼らの兄が、ソーサラーズ~ヤングブラッドでパウエルのバンドメイトだったピート・ボールである)とともにリハーサル・バンド「Ideal Milk」を結成する。Ideal Milkは、元ムーヴのエース・ケフォード(vocal)を加え、1968年9月に「エース・ケフォード・スタンド」に発展するが、間もなくエース・ケフォードが離脱したためバンドは短期間で活動を停止した。
 パウエルは間もなく「ベイカールー」のメンバーとなったが、加入直後にリーダーのクレム・クレムソンが脱退したため、在籍2週間足らず、ステージにはわずか1度立っただけでベイカールーから離れた。
 その後パウエルはデイヴ、デニス、ピートのボール三兄弟と合流し、ヴォーカルにピーター・フレンチを加え、1969年10月に新たなバンド「ビッグ・バーサ」を結成。

 <1970年代>
 1970年、オーディションによってジェフ・ベックのドラマーに迎えられる。ベックは、エース・ケフォード・スタンド時代のパウエルのステージを観ており、その当時からパウエルに注目していたという。
 パウエルは1971年4月に正式にビッグ・バーサから離れ、ベックの新バンド「ジェフ・ベック・グループ(第2期)」のメンバーとなる。
 第2期ジェフ・ベック・グループはブラック・ミュージックから大きな影響を受けており、パウエルも持ち前のパワフルなドラミングに加えてファンキーでグルーヴィーな演奏を披露している。
 ジェフ・ベック・グループは、「ラフ・アンド・レディ」(1971年)と「ジェフ・ベック・グループ」(1972年)の2枚のアルバムをリリースしたが、ベックは次第にバンドのパフォーマンスに不満を募らせるようになり、念願だったティム・ボガートとカーマイン・アピスとのバンドの結成を決意したため、1972年7月に解散した。

 ジェフ・ベック・グループが解散した後、パウエルはセッション・ドラマーとして仕事を続けていたが、1972年11月にデイヴとデニスのボール兄弟と再び合流し、ヴォーカル・デュオ「The Truth」の元メンバーであるフランク・アイエロをヴォーカルに迎え、ハード・ロック・バンド「ザ・ビースト」を結成した。このビーストは1973年5月に名を「ベドラム」と改め、クリサリスと契約を結ぶ。そしてフェリックス・パパラルディをプロデューサーに迎え、1973年8月にアルバム「狂人どもの舞踏会」を発表したが、1974年4月に解散した。



 パウエルはベドラムでの活動と並行してソロ活動を行うほか、RAKレーベルでセッション・マンとして働き、ホット・チョコレート、ドノヴァン、スージー・クアトロなどのレコーディング・セッションに参加した。
 1973年10月にソロ名義でリリースしたシングル「ダンス・ウィズ・ザ・デヴィル」は、1974年1月に全英3位、全米49位、カナダ48位のヒットを記録。ちなみにこの曲でベースを担当しているのはスージー・クアトロである。
 1974年5月にはセカンド・シングル「The Man in Black」をリリースし、全英最高18位に送り込んでいる。

 ベドラム解散直後の1974年4月、自身のリーダー・バンド「コージー・パウエルズ・ハマー」を結成する。メンバーは、元ワイルド・ターキー(のちホワイトスネイク)のバーニー・マースデン(guitar)、クライヴ・チャーマン(bass)、ドン・エイリー(keyboard)、元ベドラムのフランク・アイエロ(vocal)だった。1974年秋に、ベーシストがチャーマンから、元ハンソン(のちホワイトスネイク)のニール・マーレイに交代している。
 1974年7月、パウエルのサード・ソロ・シングル 「Na Na Na」がイギリスのシングル・チャートで10位にまで上昇するヒットを記録。
 1975年、パウエルは音楽業界から離れてレーサーへの転向を表明する。これによってコージー・パウエルズ・ハマーも1975年4月に解散した。パウエルは、1976年のフォーミュラ3への参加をも視野に入れていたという。

 しかしクリームのようなパワー・トリオで演奏することを強く望んでいた
パウエルは、間もなく音楽業界に復帰する。そしてベイカールー時代のバンドメイトでハンブル・パイのクレム・クレムソン(guitar)、同じくハンブル・パイのグレッグ・リドリー(bass)の3人で、1975年7月に新たなバンド「ストレンジ・ブリュー」を結成した。しかしリハーサルに入ったばかりの同年8月にバンドはあえなく解散している。

 1975年9月、リッチー・ブラックモア率いる「レインボー」のメンバーとなる。レインボーのオーディションを受けたパウエルは、パワフルなドラマーを必要としていたブラックモアから高く評価されたのである。
 レインボーはメンバー・チェンジの激しいバンドで、パウエルが在籍した1975年~1980年のあいだに2人のヴォーカリスト、4人のベーシスト、3人のキーボーディストが目まぐるしく入れ替わっているが、リーダーのブラックモアを除けば不動のメンバーはパウエルだけだった。 
 パウエル在籍時のレインボーは一般に「第2期」と呼ばれている。当時のレインボーはデビュー・アルバムをリリースしたばかりだったが、パウエルの加入で第2期レインボーはバンド史上最も光り輝ける時期を迎えたのである。パウエルはレインボーでの活躍によって世界的な人気を得た。
 1979年には初のソロ・アルバム「オーヴァー・ザ・トップ」を発表する。このアルバムは全英チャート最高34位を記録した。タイトル曲はチャイコフスキー「序曲1812年」に合わせてのドラム・ソロである。これは、以後のレインボーのライヴにおけるパウエルのパフォーマンスに欠かせない演出として有名になった。
 パウエルはレインボー在籍中に3枚のスタジオ・アルバム、1枚のライヴ・アルバムの録音に参加している。この間ブラックモアは、バンドのサウンドをハード・ロックからよりコマーシャルなサウンドへとシフトさせた。しかしパウエルはその方向性に懸念を抱くようになり、1980年8月16日にイギリスのドニントン・パークで行われた第1回モンスターズ・オブ・ロックにヘッドライナーとして出演したのを最後にレインボーを脱退した。解雇されて去ってゆく元メンバーばかりの中、パウエルは「自ら去った唯一の男」と言われ、多くのファンに惜しまれてバンドから離れた。その後、やはり同時期にレインボーから脱退したグラハム・ボネットのバンド「グラハム・ボネット & ザ・フーリガンズ」のメンバーとなった。



 <1980年代>
  1981年にはマイケル・シェンカー・グループに加入したが、バンドを立て直そうとしていたホワイトスネイクのデヴィッド・カヴァーデイルから声がかかり、1982年9月にイアン・ペイスの後任としてホワイトスネイクに加入する。1983年8月には再び「モンスターズ・オブ・ロック」に出演し、異なるふたつのバンドでこのイヴェントに出演した初めてのミュージシャンとなった。
 新生ホワイトスネイクは1984年1月に通算6枚目のアルバム「スライド・イット・イン」をリリースしたが、これはバンド史上初めてアメリカでのダブル・プラチナ・ディスクを記録し、アルバム・チャートは全英9位、全米40位まで上昇した。
 1985年1月、ブラジルの「ロック・イン・リオ」に出演。この時のパウエルは、その年の「ロック・イン・リオのハイライト」と言われるほどの圧倒的なパフォーマンスを見せつけた。
 その直後の1985年1月にホワイトスネイクから脱退。
 当時キース・エマーソングレッグ・レイクは「エマーソン・レイク & パーマー」の再結成を計画していたが、カール・パーマーからの同意が得られず、構想は暗礁に乗り上げていた。そこでエマーソンとレイクはパウエルに加入を打診し、パウエルはこのオファーを受けた。このバンドは「エマーソン・レイク & パウエル」と名乗る。
 この年には、レコード・プロデューサーのトム・ギャレーと、ホワイトスネイクのギタリストであるメル・ギャレーの兄弟が主宰するブリティッシュ・ハード・ロック・プロジェクト「フェノメナ」のレコーディングにも参加している。

 1987年5月、ホワイトスネイク時代のバンドメイトだったジョン・サイクス(guitar)と合流してブルー・マーダーを結成。しかしなかなか陣容の固まらないバンドの態勢にしびれを切らしたパウエルは、同年秋には脱退している。
 またブルー・マーダーと並行して、この年には元イアン・ギラン・バンドのレイ・フェンウィック(guitar)とともにスーパー・グループ「フォースフィールド」を結成した。メンバーはパウエルとフェンウィックのほか、トニー・マーティン(vocal)、ヤン・アッカーマン(guitar 元フォーカス)、ローレンス・コトル(bass)である。
 1988年にはゲイリー・ムーア(guitar)と組む一方、ブラックサバスに加入している。

 <1990年代~死去>
 1990年代も、ブライアン・メイ(guitar クイーン)、ピーター・グリーン(guitar 元フリートウッド・マック)、イングヴェイ・マルムスティーン(guitar)らのバンドに参加したり、ブラック・サバスに復帰したり、グレン・ティプトン(guitar ジューダス・プリースト)、ジョン・エントウィッスル(bass ザ・フー)とでトリオを組むなど、八面六臂の活躍を続けた。
 1992年にはマリオ・パルガ(guitar)、ニール・マーレイ(bass)、トニー・マーティン(vocal)とともに「コージー・パウエルズ・ハマー」を再結成している。
 特筆されるのはニール・マーレイとの関係である。数多くのバンド、セッションで共演しているパウエルとマーレイから成るリズム・セクションは「最強」「鉄壁」と謳われ、賞賛された。


 パウエルは自動車の運転やモーター・スポーツが大好きで、レーサーへの転向を真剣に考えて一時期音楽業界から去ったのは有名な話である。そしてその自動車の運転が彼の一生をも左右する。
 1998年4月5日未明、パウエルは悪天候のなかブリストル近郊のM4高速道路をサーブ9000で走行中、交通事故を起こして死亡した。
 事故当時、パウエルの血中アルコール濃度は法定基準を超えており、シート・ベルトは装着しておらず、かつガールフレンドと携帯電話で会話しながらの運転だった。そして時速167kmで中央分離帯に衝突し、フロントガラスから車外に投げ出され、その場で死亡したのである。公式調査によって後輪タイヤがゆっくりとパンクしたことが分かった。このパンクによって車の制御が失われた可能性が示唆された。
 亡くなる前、パウエルはバイク事故で負傷したため、イングヴェイ・マルムスティーンとのツアー・リハーサルをキャンセルしたばかりだった。
 事故の約2ヶ月後の6月1日にイギリスでリリースされたブライアン・メイのアルバム「アナザー・ワールド」がパウエルの遺作と言われている。(コリン・ブランストーンのアルバム「ザ・ライト・インサイド」が最後のレコーディングだという説もある)
 パウエルの最後のソロアルバム「Especially for You」は、彼の死後1998年に日本でリリースされた。ジョン・ウェスト(vocal)、ニール・マーレイ(bass)、ギタリストのロニー・パーク(guitar)、マイケル・キャスウェル(guitar)らがレコーディングに参加している。



 パウエルの華やかでダイナミックなドラミングは、当時は地味だったドラマーの存在にスポットを当てることになり、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)やキース・ムーン(ザ・フー)らと並ぶ「ドラム・ヒーロー」として多くのファンの賞賛を浴びた。
 パワフルなパウエルのドラミングを支えるのが、18~20mm径の太く重いスティックである。パウエル本人が語ったところによると、壁のようにギターアンプを積み上げて大音量でギターを弾くリッチー・ブラックモアに対抗するべく、レインボー加入後にスティックを太いものに変えたということである。グリップは、場合によってレギュラーグリップとマッチドグリップを使い分けていたが、1980年代以降はおもにレギュラーグリップで叩くようになった。使用ドラム・セットはラディックだったが、レインボーの末期以降からはYAMAHAを使い続けた。シンバルはパイステを使用している。
 若くしてその実力を認められたパウエルは、多くの名だたるバンドに在籍し、セッションやレコーディングの仕事にも数多く参加した。ソロ・アルバムやソロ・シングルも何枚も残しているが、これはドラマーとしては稀有なことである。そのパウエルの突然の訃報は多くのミュージシャンやファンに衝撃を与え、悲しませた。
 「我が道を行く」イメージが強いパウエルだが、これは音楽に対して真摯で妥協がなかったということである。バンドを転々としたことから「渡り鳥」などと言われたこともあるが、それはパウエルがバンドという枠に納まる器ではなく、自分に正直であり続けたためである。また野性的なイメージが強いが、実は几帳面かつ職人気質であり、その特長を活かして音楽プロデュースに携わることも多かった。これまで在籍していたバンドの貴重なデモ・テープを個人で管理していたことも死後に判明している。

 1998年9月には、パウエルを偲んで「コージー・パウエル・フォーエヴァー」というトリビュート・アルバムが日本で発売された。このアルバムには、日本の有名ミュージシャンのほか、パウエルのブルー・マーダーのバンドメイト、トニー・フランクリン(bass)とカーマイン・アピス(drums)が2曲参加している。
 2006年、ジューダス・プリーストのグレン・ティプトン(guitar)が、「ティプトン、エントウィッスル&パウエル」名義でアルバム「エッジ・オブ・ザ・ワールド」をリリースした。これは1994年から1997年にかけてレコーディングした音源で、お蔵入りとなっていたものだが、ジョン・エントウィッスル(元ザ・フー、2002年死去)とパウエルを偲んで発表された。

 2016年1月7日、故郷サイレンセスターのコーン・ホールで、パウエルを追悼する青色記念銅板が設置され、その除幕式が行われた。
 司会はブライアン・メイが務め、サイレンセスター市長マーク・ハリスのほか、トニー・アイオミ、カール・パーマー、スージー・クアトロ、ニール・マーレイ、バーニー・マースデン、トニー・マーティン、テッド・マッケンナ、ポール・レイモンド、ドン・エイリーなど、デビュー前から晩年に渡って音楽活動を共にした多くのアーティストが集まった


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <ソロ>
  1979年 オーヴァー・ザ・トップ
/Over the Top(UK34位)
  1981年 サンダーストーム/Tilt
  1983年 オクトパス/Octopuss
  1992年 ザ・ドラムス・アー・バック/The Drums are Back
  1997年 The Best of Cozy Powell
  1999年 Especially For You
  
 <ソロ・シングル>
  1973年 Dance With The Devil/And Then There Was Skin(US49位, UK3位)
  1974年 The Man In Black/After Dark(UK18位)
  1974年 Na Na Na/Mistral(UK10位)
  1979年 コズミック・ハイウェイ/Theme One/Over The Top Part.1(UK62位)
  1979年 ザ・ローナー/The Loner/El Sid
  1980年 ハイディ・ゴーズ・トゥ・タウン/Heidi Goes To Town/Over The Top Part.2
  1981年 Sooner Or Later/The Blister
  1993年 Resurrectio

 <ジェフ・ベック・グループ>
  1971年 ラフ・アンド・レディ/Rough and Ready(US46位 日本56位)
  1972年 ジェフ・ベック・グループ/Jeff Beck Group(US19位)

 <ベドラム>
  1973年 狂人どもの舞踏会
/Bedlam
 ★1999年 Anthology
 ☆2003年 Live in London 1973

 <レインボー>
  1976年 虹を翔ける覇者/Rising(US48位 UK11位 日本12位)
  1977年 レインボー・オン・ステージ/On Stage(US65位 UK7位 日本6位)
  1978年 バビロンの城門/Long Live Rock 'n' Roll(US89位 UK7位 日本9位)
  1979年 ダウン・トゥ・アース/Down to Earth(US66位 UK6位 日本15位)
 ☆1980年 Live at Monsters of Rock 1980
 ★1981年 The Best of Rainbow(UK14位, 日本48位)
 ☆1986年 ファイナル・ヴァイナル/Finyl Vinyl
 ☆1990年 虹色魔宴 - ライヴ・イン・ジャーマニー1976/Live in Germany 1976
 ☆2006年 ライヴ・イン・ミュンヘン1977/Live in Munich 1977
 ☆2006年 ライヴ・イン・ジャーマニー1976/Deutschland Tournee 1976
 ☆2006年 Live in Munich 1977
 ☆2015年 Down to Earth Tour 1979
 ☆2016年 モンスターズ・オブ・ロック〜ライヴ・アット・ドニントン1980/Monsters Of Rock: Live At Donington 1980

 <グラハム・ボネット>
  1981年 孤独のナイト・ゲームス/Line Up 

 <マイケル・シェンカー・グループ>
  1981年 神話/MSG(US81位 UK14位 日本15位)
 ☆1982年 飛翔伝説 MSG武道館ライヴ/One Night at Budokan(UK5位 日本25位)

 <ホワイトスネイク>
 ☆1983年 Live at Castle Donington 1983
  1984年 スライド・イット・イン/Slide It In(US40位 UK9位 日本24位)
 ☆2014年 Live in 1984 : Backto the Bone

 <エマーソン・レイク・アンド・パウエル>
  1986年 エマーソン・レイク・アンド・パウエル/Emerson, Lake & Powell
 ☆2003年 The Sprocket Sessions
 ☆2003年 ライヴ・イン・コンサート/Live In Concert

 <フォースフィールド>
  1987年 フォースフィールド/Forcefield I 
  1988年 フォースフィールドII - ザ・タリスマン/Forcefield II - The Talisman
  1989年 フォースフィールドIII - トゥ・オズ・アンド・バック/To Oz And Back (Forcefield III) 
  1991年 フォースフィールドIV - レット・ザ・ワイルド・ラン・フリー/Let the Wild Run Free (Forcefield IV) 
 ★1992年 Instrumentals

 <ブラック・サバス>
  1989年 ヘッドレス・クロス/Headless Cross(US115位, UK31位)
  1990年 ティール/Tyr(UK24位)
  1995年 フォービドゥン/Forbidden(UK71位)
 ★1996年 ザ・サバス・ストーンズ/The Sabbath Stones

 <ブライアン・メイ>
  1992年 バック・トゥ・ザ・ライト~光にむかって~/Back to the Light(US159位, UK6位)
 ☆1994年 ライヴ・アット・ブリクストン・アカデミー/Live At The Brixton Academy(UK20位)
  1998年 アナザー・ワールド/Another World(UK14位)
  1998年 レッド・スペシャル / ジャパン・ツアー・ミニ・アルバム/Red Special ※ミニ・アルバム

 <ピーター・グリーン>
  1997年 スプリンター・グループ/Peter Green Splinter Group

 <イングヴェイ・マルムスティーン>
  1997年 フェイシング・ジ・アニマル/Facing the Animal(フィンランド20位, スウェーデン39位)

 <ティプトン・エントウィッスル & パウエル>
  2006年 エッジ・オブ・ザ・ワールド/Edge of the World ※録音1994~1997

 <レコーディング・セッション:アルバム>
  1970年
   トニー・ジョー・ホワイト:
  1971年
   エド・ウェルチ:Clowns
   ピーター・サーステット:Every Word You Say Is Written Down
  1972年
   ハーヴェイ・アンドリュース:A Writer of Songs
   ジュリー・フェリックス:Clotho's Web
   マレー・ヘッド:Nigel Lived
  1973年
   ドノヴァン:コズミック・ホイールズ/Cosmic Wheels(US25位, UK15位)
  1974年
   トニー・アシュトン & ジョン・ロード:First of the Big Bands
  1975年
   Various Artists:ピーターと狼/Peter & The Wolf
   ボブ・サージェント:First Starring Role
  1976年
   ホット・チョコレート:XIV Greatest Hits
  1979年
   バーニー・マースデン:アンド・アバウト・タイム・トゥー/And About Time Too!
  1981年
   バーニー・マースデン:ルック・アット・ミー・ナウ/Look at Me Now
  1982年
   ロバート・プラント:11時の肖像/Pictures At Eleven(US5位, UK2位)
   ジョン・ロード:時の過ぎゆくままに/Before I Forget
  1985年
   ロジャー・ダルトリー:月の影/Under a Raging Moon(US42位, UK52位)
   フェノメナ:フェノメナ/Phenomena(UK63位)
  1987年
   ボーイズ・ドント・クライ:Who the Am Dam Do You Think We Am
   サンネ・サロモンセン:No Angel
   ウォーロック:トライアンフ・アンド・アゴニー/Triumph and Agony(US80位, UK54位)
   ピート・ヨーク:Super Drumming Vol.1
  1988年
   シンデレラ:ロング・コールド・ウィンター/Long Cold Winter(US10位, UK30位)
   ジェイムス・ダービー:Southern Region Breakdown
   ドン・エイリー:K2 -栄光と悲劇の物語ー/K2 : Tales of Triumph and Tragedy
  1989年
   ゲイリー・ムーア:アフター・ザ・ウォー/After the War(US114位, UK23位)
   ミニット・バイ・ミニット:Timewatch
  1995年
   Various Artists:In From The Storm-The Music Of Jimi Hendrix
  1996年
   Various Artists:Twang!-A Tribute To Hank Marvin & The Shadows
  1997年
   グレン・ティプトン:Baptizm of Fire
   SAS Band:SAS Band
  1998年
   コリン・ブランストーン:The Light Inside
  2002年
  ★マレー・ヘッド:Passion
  2005年
   トニー・マーティン:Scream ※1998年録音(①「Raising Hell」のみ)
  2006年
   トニー・ジョー・ホワイト:Swamp Music : The Complete Monument Recordings-Live at the Isle of Wight Festival 1970
  2008年
   ピート・ヨーク:Super Drumming Vol.3
 
 <レコーディング・セッション:シングル>
  1973年
   チック・チャーチル:You and Me / Come and Join Me
  1981年
   ヤング & ムーディー・バンド:Don't Do That(UK63位)