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キング・クリムゾン ①

2024-05-21 02:25:15 | band

キング・クリムゾン King Crimson ①1968~1984


活動期間
  1968年~1974年
  1981年~1984年

  1994年~2011年
  2013年~2021年


メンバー
 [guitar]
  ロバート・フリップ/Robert Fripp(guitars) 在籍1968~1974, 1981~1984
  エイドリアン・ブリュー/Adrian Belew(guitars, vocals) 在籍1981~1984

 [bass]
  グレッグ・レイク/Greg Lake(bass, vocals, guitars) 在籍1969~1970
  ピーター・ジャイルズ/Peter Giles(bass) 在籍1970
  ゴードン・ハスケル/Gordon Haskell(vocals, bass) 在籍1970
  ボズ・バレル/Boz Burrell(vocals, bass) 在籍1971~1972
  ジョン・ウェットン/John Wetton(bass, vocals) 在籍1972~1974
  トニー・レヴィン/Tony Levin(bass, stick) 在籍1981~1984

 [piano]
  キース・ティペット/Keith Tippett(piano) 在籍1970

 [others]
  イアン・マクドナルド/Ian  sax/flute/keyboards/vocals 在籍1968~1969
  メル・コリンズ/Mel Collins(sax, flute) 在籍1970~1972
  デヴィッド・クロス/David Cross(violin, keyboards) 在籍1972~1974

 [drums]
  マイケル・ジャイルズ/Michael Giles(drums, vocals) 在籍1968~1970
  アンディ・マッカロック/Andy McCulloch(drums) 在籍1970
  イアン・ウォーレス/Ian Wallace(drums) 在籍1971~1972
  ビル・ブルーフォード/Bill Bruford(drums) 在籍1972~1974、1981~1984

 [percussions]
  ジェイミー・ミューア/Jamie Muir(percussions) 在籍1972~1973

 [words]
  ピート・シンフィールド/Pete Sinfield(words, synthesiser) 在籍1968~1971


 キング・クリムゾンは、イングランド出身のプログレッシヴ・ロック・バンドである。
 ロック、ジャズ、クラシック、フォーク、ヘヴィ・メタル、エレクトロニクス、ニュー・ウェイヴ、実験音楽など幅広い音楽性を持っており、いわゆる「四大プログレ・バンド」のひとつとして世界的な人気と評価を得ている。
 代表作のアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、従来のロックの概念を打ち破り、音楽的可能性を大きく広げた歴史的作品で、現在にいたるまでロック界に大きな影響を与え続けている。
 プログレッシヴ・ロックのみならず、ロック史上においても重要なバンドである。


<結成まで>
 1967年春に「ザ・ブレイン」を脱退したマイケル・ジャイルズ(drums)とピーター・ジャイルズ(bass)の兄弟は、新たなバンドを作るべく新聞にメンバー募集の広告を出した。これに応募してきたのがジャイルズ兄弟と同じくドーセット州出身のギタリスト、ロバート・フリップである。3人は同年8月に「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」を結成する。
 一方、ロンドンでガールフレンドのジュディ・ダイブル(元フェアポート・コンヴェンション, vocal)と音楽活動を始めていたイアン・マクドナルド(sax, keyboard)は、1968年に詩人のピート・シンフィールドとともに、フォーク・ロック・グループ「インフィニティ」を結成する。


 1968年6月、マクドナルド、ダイブル、シンフィールド(作詞, 照明)の3人は、メンバーの募集広告に応じてジャイルズ・ジャイルズ&フリップに加入する。ただし間もなくマクドナルドと破局したダイブルは、7月にはバンドから離脱している。
 1968年9月13日、ジャイルズ・ジャイルズ & フリップはデビュー・アルバム『チアフル・インサニティ・オブ・ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ』を発表したが、全くの鳴かず飛ばずであった。
 1968年11月、フリップとの軋轢が原因でピーター・ジャイルズが脱退。後任として加入したのは、フリップの古くからの友人グレッグ・レイク(bass, vocal)である。こうしてジャイルズ・ジャイルズ & フリップの陣容はフリップ、マクドナルド、マイケル・ジャイルズ、レイク、シンフィールドの5人に落ち着き、1968年12月にシンフィールドの提案によってバンド名を「キング・クリムゾン」と改めた。
 この名前は、マクドナルドとシンフィールドがジャイルズ・ジャイルズ & フリップ加入前に共作した曲『クリムゾン・キングの宮殿』から採ったものである。のちシンフィールドは「メンバーの反対を押し切って付けた」と語っている。
 当初バンドのローディだったピート・シンフィールドは、作詞や照明でバンドに大きく貢献していたため、演奏には加わらないが正式なメンバーとなった。


<デビュー~1969>
 キング・クリムゾンがリハーサルを開始したのは1969年1月である。
 同年4月9日にロンドンのスピーク・イージーでデビュー(客席には当時イエスのギタリストだったピーター・バンクスがいたという)を果たすと、その直後にはマーキー・クラブのレギュラーとなる。
 7月5日にはハイド・パークに推定50万人が集まったブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)の追悼フリー・コンサートに出演し、そのステージはガーディアン紙から「センセーショナル」だったと報じられた。8月9日には第9回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演。
 こうして彼らの評判は徐々に高まり、ロック界の注目株となった。



左から ロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ、グレッグ・レイク、イアン・マクドナルド、ピート・シンフィールド(1969)


 クリムゾンのデビュー・アルバムのレコーディングは1969年6月に始まった。
 プロデューサーは当初トニー・クラークが務めていたが、2度に渡って録音済みのテープが破棄されるなど制作は難航する。結局クラークは降板し、その後はクリムゾン自身のプロデュースで録音が進められ、10月10日についにデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表するにいたった。
 このアルバムにおいて実質的にイニシアティヴを取っていたのはイアン・マクドナルドである。彼は制作にメロトロンや管楽器を持ち込み、演奏面はもちろん作編曲でもバンドに大きく貢献したほか、バンドの誰よりも長時間スタジオにこもって作業していたと言われている。
 『クリムゾン・キングの宮殿』は、その高度な演奏力と完成度で発表直後から驚きをもって迎えられ、「ロック史上不滅の名作」とも評価された。ザ・フーのピート・タウンゼントは「不気味な傑作」と評している。そしてその先鋭的な音楽性はシーンに多大な衝撃を与えた。
 アルバム・チャートでは全英5位、全米でも28位にまで上昇するヒットを記録。これについては後年「ビートルズの『アビイ・ロード』を1位から蹴落としたアルバム」と紹介されることが多々あり、そのエピソードはアルバムの偉大さを表すものとして広まってしまったが、その記述はローカル・チャートの記録である可能性が高く、事実とは異なる。
 クリムゾンは『クリムゾン・キングの宮殿』発表直後にアメリカ・ツアーを開始したが、ツアー中の1969年12月7日にジャイルズとマクドナルドが突然クリムゾンからの脱退を表明した。フリップとの音楽性の相違や過酷なツアーによる心身の疲労がその理由であった。バンドの崩壊を危惧したフリップは自分が脱退することを申し出たが、マクドナルドとジャイルズは「自分たちが脱退する方がバンドのためである」という主張を崩さなかった。
 1969年12月16日、サンフランシスコのフィルモア・ウエストでの演奏を最後に、結成わずか約1年でオリジナル・ラインナップは崩れたのである。



左から グレッグ・レイク、ロバート・フリップ、マイケル・ジャイルズ、イアン・マクドナルド(1969)



左から グレッグ・レイク、マイケル・ジャイルズ、ロバート・フリップ、イアン・マクドナルド

<1970~1972>
 しかしクリムゾンはアイランド・レーベルとの契約によってニュー・アルバムを制作しなければならなかった。このためフリップはジャイルズを引きとめたが、ジャイルズの脱退の意思は固かった。
 代替メンバーの補充にも行き詰まり、活動が停滞してしまったクリムゾンは苦境に立たされた。フリップは苦肉の策としてジャイルズに短期のサポートを提案するとジャイルズはこれに応じ、弟のピーター・ジャイルズとともに、1970年1月~4月にかけて行われたクリムゾンのセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』の録音に参加した。またマクドナルドの後任にはメル・コリンズ(sax, flute)が迎えられた。
 4月以降、今度はグレッグ・レイクがスタジオに姿を見せなくなる。マクドナルドとジャイルズが抜けたバンドの未来に可能性を見出せなくなったことと、キース・エマーソンに誘われて「エマーソン・レイク & パーマー」の結成に動き出していたためである。レイクの抜けた穴は、当初エルトン・ジョンが候補にあがったが、バンドの音楽性に合わないと判断され、フリップの友人でもあるゴードン・ハスケルが埋めた。レイクは『ポセイドンのめざめ』の「ケイデンスとカスケイド」のみレコーディングしていなかったので、ハスケルはその曲のヴォーカルを担当した。コリンズとハスケルはそのまま正式にメンバーとなった。
 こうした困難を乗り越え、クリムゾンは1970年5月にようやくセカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』を発表。メンバー・チェンジのためアルバム・リリース後のツアーは行われなかったが、チャートでは前作以上の全英4位を記録した。
 なおジャイルズ兄弟はレコーディング終了後にイアン・マクドナルドと「マクドナルド & ジャイルズ」を結成し、1970年11月にはファースト・アルバム『マクドナルド & ジャイルズ』を発表したが、バンドは間もなく自然消滅している。





 新たにゴードン・ハスケル(bass, vocal)、メル・コリンズ(sax, flute)、アンディ・マッカロック(drums 元Shy Limbs)をメンバーに迎えたクリムゾンは、1970年12月にサード・アルバム『リザード』を発表した。このアルバムにイエスのジョン・アンダーソン(vocal)がゲスト参加しているのは有名な話である。
 1970年11月、アルバムのリリース・ツアーのリハーサルの最中に「音楽性の相違に耐えられなくなった」ハスケルが脱退する。後任としてオーディションにやってきたのはイアン・ウォーレス(元ウォリアーズ)だったが、ウォーレスはドラマーとして採用されたためマッカロックが解雇される。相次ぐメンバー・チェンジのため、リリース・ツアーは行われなかった。
 ヴォーカリストのオーディションにはブライアン・フェリーも応募していたが、最終的にボズ・バレルが選ばれた。ウォーレスとバレルは1971年1月にクリムゾンに参加する。
 ベーシストにはいったんリック・ケンプ(元スティーライ・スパン)が選ばれたが、ケンプは最初のリハーサルのみで脱退する。後任の選考は難航したが、バレルが兼任することで解決した。バレルはギターを弾くことはできたが、ベースは未経験だったため、フリップがバレルにベースの弾き方を教え、ウォーレスがリズム・セクションとしてのベースの使い方を教えた。バレルは2ヵ月の特訓でレパートリーをマスターした。
 1971年4月、ドイツのフランクフルトで16ヵ月ぶりにライヴを行ったクリムゾンは、翌5月からはイギリスで47本のライヴを行って完全復活を果たし、同年7月からは4枚目のアルバム『アイランズ』の制作に取りかかる。この時期のクリムゾンの音楽性の特徴は、なんといっても豊かな叙情性と、ジャズとクラシックからの影響にあると言えよう。
 同年11月には北米ツアーが始まったが、この頃のバンド内の人間関係は険悪になってきており、とくにフリップとシンフィールドの確執は深まる一方であった。シンフィールドは、『アイランズ』発表後に解雇された。



左から メル・コリンズ、ボズ・バレル、イアン・ウォーレス、ロバート・フリップ(1971)


 1972年早々のリハーサルではフリップと他のメンバー(バレル、ウォーレス、コリンズ)の音楽的対立はかなり深刻になっていた。バレル、ウォーレス、コリンズはブルースやファンクを好んでいたからである。そのためフリップは「彼らと新たな作品のアイデアを具現化することは困難である」という理由で、いったん解散を決意した。しかしマネジメント側はすでに向こう2ヵ月の北米ツアーのスケジュールを組んでおり、契約を盾に取られたバレル、ウォーレス、コリンズの3人はしぶしぶこれに同意するほかなかった。行われたツアーの模様は、初のライブ・アルバム『アースバウンド』として同年6月にリリースされている。このアルバムの音源はカセットテープによって録音されているため音質は劣悪だが、対立が深まるメンバー同士の高い緊張感に導かれた驚異的な演奏が収められている。
 ツアーが終わった4月にこの3人は脱退し、これによってクリムゾンは実質的に解散状態に陥った。
 脱退後のバレル、ウォーレス、コリンズは、ツアー中に意気投合したアレクシス・コーナーと合流して新たなバンド「スネイプ」を結成する。


<1972~1974>
 北米ツアーを終えたフリップはイギリスに戻り、1972年9月に「イエス」のビル・ブルーフォード(drums)、「ファミリー」のメンバーでフリップの大学時代の友人でもあるジョン・ウェットン(bass, vocal)、デレク・ベイリー(guitar)が主宰する即興集団「カンパニー」に属していたジェイミー・ミューア(percussion)をクリムゾンに迎え入れた。またフリップが「Wave」というバンドのリハーサルに招待された時にデヴィッド・クロス(violin, keyboard)と知り合っていたが、そのクロスをオーディションによって採用した。
 こうして陣容が整った新生キング・クリムゾンは1972年10月13日にフランクフルトのズーム・クラブでツアーを再開。1973年の1月から2月にかけて名作との誉れ高い『太陽と戦慄』を制作したが、レコーディング終了後に早くもミューアが脱退する。演劇的かつ過激な、独特のステージ・パフォーマンスで注目されていたミューアだったが、仏教により深く傾倒していったことがその理由である。



左から ジェイミー・ミューア、ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ、デヴィッド・クロス、ジョン・ウェットン(1973)



左から ジョン・ウェットン、デヴィッド・クロス、ロバート・フリップ、ビル・ブルーフォード


 1974年3月には6枚目のアルバム『暗黒の世界』を発表。この頃のクリムゾンの音楽性はドライで攻撃性を増しており、卓越した演奏能力を存分に生かしたライヴには定評があった。即興演奏が主体の緊張感に満ちたそのパフォーマンスは高く評価された。
 再びバンドとしてのピークを迎えつつあったクリムゾンだが、1974年にはクロスがウェットンとの音楽的な対立に端を発して解雇される。その結果メンバーはフリップ、ウェットン、ブルーフォードの3人のみとなった。
 1974年7月、クリムゾンは7枚目のアルバム『レッド』の制作に入る。
 レコーディングにはウェットンの呼び掛けでイアン・マクドナルド、メル・コリンズらかつてのメンバーがゲスト参加。アルバムは1974年10月に発表されたが、この直前にフリップは解散を宣言する。バンド内の人間関係が修復不可能なまでに悪化していたためと言われている。解散宣言にいたるまでのフリップは、創設メンバーのイアン・マクドナルドを再び迎えてのバンド継続、またはフリップ自身のクリムゾンからの脱退、あるいはスティーヴ・ハケット(ジェネシス)をフリップの後任に迎えてのクリムゾン存続(この案はマネジメント側から却下された)など、いくつもの方法を模索していたということである。



左から ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ、ジョン・ウェットン



左から ジョン・ウェットン、ビル・ブルーフォード、ロバート・フリップ


 この後、フリップはブライアン・イーノとのプロジェクトを進める。そしてウェットンはロキシー・ミュージックに、ブルーフォードは「ゴング」「ロイ・ハーパー & トリガー」に参加した。また『レッド』にゲスト参加したマクドナルドは「フォリナー」に創設メンバーとして加入し、世界的な成功を収めた。なおウェットンとブルーフォードは1977年に「UK」を結成している。


 解散後の1975年、1974年の北米ツアーの模様を収録したライヴ・アルバム『USA』がリリースされる。脱退直前のデヴィッド・クロスが参加していたものだが、『21世紀の精神異常者』など3曲がエディ・ジョブソンのヴァイオリンに差し替えられている。
 また1974年の映画「エマニエル夫人」の劇中で使用されていた音楽が『太陽と戦慄 パート2』に酷似しているとして、のちにフリップが訴訟を起こした。最終的に示談で和解した。


<1981~1984>
 1974年以降のフリップは、ソロや自己のプロジェクトで活動していたが、再びバンドとしての活動の可能性を模索するようになる。
 1980年晩秋、フリップとビル・ブルーフォードは、共同で「リーグ・オブ・ジェントルメン」を経て、新たなプロジェクトに乗り出した。これに加わったのは、フリップ、ブルーフォードのほか、エイドリアン・ブリュー(guitar, vocal)、トニー・レヴィン(bass)というふたりのアメリカ人ミュージシャンである。
 ブリューはデヴィッド・ボウイーやトーキング・ヘッズなどのサポートを務めた新鋭セッション・ギタリストで、トーキング・ヘッズのツアーが終わった後に合流。ベーシストには当初ジェフ・バーリンの名があがったが、フリップはバーリンのプレイはバンドに合わないと感じ、オーディションによって、ニューヨークでスタジオ・ミュージシャンとして活躍中だったトニー・レヴィンが選ばれた。もともとフリップはレヴィンの存在に注目しており、のちに「もしレヴィンがクリムゾンに興味を持っていると知っていればオーディションなしで彼を選んだだろう」と述べている。
 この4人をメンバーとする新グループは、「ディシプリン」と名乗り、準備のためイギリスに戻り、1981年4月30日にサマセット州バースのモールズ・クラブでライヴ・デビューを果たした。
 1981年9月、バンド名をタイトルとした通算8枚目のスタジオ・アルバム『ディシプリン』をリリース。その後バンド名を改め、「キング・クリムゾン」の名を復活させた。これはレーベル側の商業的な意向を反映させたものである。この年12月には初来日している。



左から エイドリアン・ブリュー、ビル・ブルーフォード、トニー・レヴィン、ロバート・フリップ


 復活したキング・クリムゾンの音楽的特徴は、ツイン・ギター編成を前面に押し出したギター・ロック、ポリリズムの多用とニュー・ウェイヴの要素を大胆に取り入れたことである。そのほかポスト・パンク、ファンク、ワールド・ミュージックなど幅広い音楽性を包含していた。これは、管楽器やヴァイオリン、メロトロンなどを恒常的に編成に組み込み、リリカルでウェットな音楽的要素が大きかった1970年代までのスタイルとは一線を画すものである。このクリムゾンの劇的な変化には賛否両論が起こり、一部からは「クリムゾンはトーキング・ヘッズと化してしまった」と批判された。また元メンバーのジョン・ウェットンは、当時「イギリス人以外がメンバーとして参加しているこのバンドは、クリムゾンとしては認められない」と述べている。



左から トニー・レヴィン、ビル・ブルーフォード、エイドリアン・ブリュー、ロバート・フリップ


 1982年には通算9枚目のスタジオ・アルバム『ビート』を発表したが、制作はアイデアが不足している状態で開始せざるえを得なかったため緊張感に満ちており、ギタリスト兼リード・ヴォーカリスト、そして作詞家でもあるブリューは重い責任からくるストレスに苛立った結果、フリップと衝突したことさえあったという。復活当初は『ディシプリン』のみのプロジェクトであったため、新たなアイデアが不足している状態で制作を開始せざるをえなかったという。
 1984年3月、通算10枚目のスタジオ・アルバム『スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー』をリリース。しかしバンドの方向性は定まっておらず、この頃にはメンバーの制作意欲は低下してしまっていた。同年春には再来日し、その後北米ツアーをこなしたが、フリップは7月にはバンドの解散を決定した。フリップは「レーベルとの契約は、アルバム3枚リリースが条件であった。本来意図したアイデアは『ディシプリン』で完結している」と後年明かしている。



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <アルバム>

  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In the Court of Crimson King UK5位, US28位
  1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon UK4位, US31位
  1970年 リザード/Lizard UK26位, US113位
  1971年 アイランズ/Islands UK30位, US76位
 ☆1972年 アースバウンド/Earthbound ※録音1971年

  1973年 太陽と戦慄/Lark's Tongues in Aspic UK20位, US61位
 ☆1974年 暗黒の世界/Starless and Bible Black UK28位, US64位 ※ライヴ音源とスタジオ録音の両方を収録

  1974年 レッド/Red UK45位, US66位
 ☆1975年 USA/USA ※録音1974年
 ★1976年 新世代への啓示/A Young Person's Guide to King Crimson
  1981年 ディシプリン/Discipline UK41位, US45位
  1982年 ビート/Beat UK39位, US52位
  1984年 スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー/Three of a Perfect Pair UK30位, US58位
 

【メンバー変遷】
#1 1969
  ロバート・フリップ(guitars)
  イアン・マクドナルド(sax, keyboard, vocal)
  グレッグ・レイク(bass, vocal)
  マイケル・ジャイルズ(drums, vocal)
  ピート・シンフィールド(words)

#2 1970.1~1970.4
  ロバート・フリップ(guitars)
  ピーター・ジャイルズ(bass)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  マイケル・ジャイルズ(drums)
  ピート・シンフィールド(words)
  キース・ティペット(piano)
  グレッグ・レイク(vocal)
  ゴードン・ハスケル(vocal)

#3 1970.8~1970.11
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ゴードン・ハスケル(vocal, bass)
  アンディ・マッカロック(drums)
  ピート・シンフィールド(words)

#4 1971
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ボズ・バレル(vocal, bass)
  イアン・ウォーレス(drums)
  ピート・シンフィールド(words)

#5 1971.11~1972.4
  ロバート・フリップ(guitars)
  メル・コリンズ(sax, flute)
  ボズ・バレル(vocal, bass)
  イアン・ウォーレス(drums)

#6 1972.9~1973.2
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  デヴィッド・クロス(violin, keyboard)
  ビル・ブルーフォード(drums)
  ジェイミー・ミューア(percussions)

#7 1973.2~1974.7
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  デヴィッド・クロス(violin, keyboard)
  ビル・ブルーフォード(drums)

#8 1974.7~1974.9
  ロバート・フリップ(guitars)
  ジョン・ウェットン(bass, vocals)
  ビル・ブルーフォード(drums)

#9 1981~1984
  ロバート・フリップ(guitars)
  エイドリアン・ブリュー(guitars, vocals)
  トニー・レヴィン(bass)
  ビル・ブルーフォード(drums) 

 


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