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グレッグ・レイク

2022-11-28 20:15:32 | bass

グレッグ・レイク Gregory Stuart "Greg" Lake


【パート】
  ベース、ギター、ボーカル
  

【生没年月日】
  1947年11月10日~2016年12月7日(69歳没)


【出生地】
  イングランド ドーセット州プール


【経 歴】
  ザ・シェイム(1967)
  ザ・ゴッズ(1968)
  シャイ・リムス(1968)
  キング・クリムゾン(1968~1970)
  エマーソン・レイク & パーマー(1970~1980)
  グレッグ・レイク・バンド(1981~1982)
  エイジア(1983~1984)
  エマーソン・レイク & パウエル(1985~1986)
  エマーソン・レイク & パーマー(1991~1998)
  エマーソン・レイク & パーマー(2010)


 イングランドの南岸、ドーセット州プールのパークストーン地区の貧しい家に生まれ、郊外のオークデイルで育った。父ハリーはエンジニア、母パールは主婦であった。
 1957年にリトル・リチャードのシングル『ルシール』を買ったことがきっかけで、ロックンロールに夢中になる。
 12歳の誕生祝いに母からギターを贈られ、それがきっかけでクラシック・ギターのレッスンを受けるようになる。この時の指導者ドン・ストライクは、少年時代のロバート・フリップにもギターを教えた人物だという。ちなみにレイクもフリップも、のち「キング・クリムゾン」の創設に参加することになる。
 ヘンリー・ハービン・セカンダリー・モダン・スクールを卒業するとプール港で貨物の積み降ろしに従事し、その後短期の製図工として働いたが、17歳の時にフルタイムのミュージシャンになろうと決意した。


 1965年、「ユニット・フォー」という名のバンドを組む。これがレイクが初めて参加したバンドである。

 その後「ザ・タイム・チェックス」などのローカルバンドを経て、1967年「ザ・シェイム」(The Shame)を結成し、同年9月にはシェイム唯一のシングル『Don't Go Away Little Girl』をリリース。
 1967年の終わりにシェイムを脱退すると、1968年3月に、当時ケン・ヘンズレーリー・カースレイク(いずれものちユーライア・ヒープ)が在籍していた「ザ・ゴッズ」(The Gods)にベーシスト兼ヴォーカリストとして参加。
 1968年9月にはゴッズから離れ、「シャイ・リムス」(Shy Limbs)にギタリスト兼ヴォーカリストとして加入するが、数ヵ月で脱退する。


 1968年、ロバート・フリップ(guitar)、マイケル・ジャイルズ(drums)、ピーター・ジャイルズ(bass)からなる「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」にイアン・マクドナルド(keyboard, woodwins)、ピート・シンフィールド(作詞、照明)、ジュディ・ダイブル(vocal)が加わる。同年7月にこのバンドからダイブルが脱退したが、同年11月に、旧知のフリップから誘われて、レイクがダイブルの後任ヴォーカリストとしてグループに参加。同年11月に今度はピーター・ジャイルズが脱退し、これを受けてレイクはベースとヴォーカルを兼任することになる。
 こうしてこのバンドのラインナップは、フリップ、レイク、マクドナルド、ジャイルズ、シンフィールドの5人に固まり、1968年12月にピート・シンフィールドによって「キング・クリムゾン」と命名された。
 1969年10月に発表されたキング・クリムゾンのファースト・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』は、文字通りロック界に衝撃を与えた歴史的名盤として、現在でも高く評価されている。
 『クリムゾン・キングの宮殿』の大成功でクリムゾンは瞬く間にロック界の寵児となった。それと同時にレイクの甘く深みのあるヴォーカルも「ロック界の至宝」と絶賛され、一躍ロック界有数のボーカリストと目されるようになった。
 クリムゾンは1970年にセカンド・アルバムの制作にとりかかったが、レイクはレコーディング途中から姿を見せなくなる。これは「エマーソン・レイク & パーマー」結成に向けての準備のためであった。結局セカンド・アルバム『ポセイドンのめざめ』にはヴォーカリストとしてのみの参加となり、同年そのままクリムゾンから脱退した。


     


 1969年、クリムゾンはアメリカ・ツアーを行い、そこでキース・エマーソン率いる「ナイス」とステージを共にする。12月14日~16日に行われたフィルモア・ウエストでのライヴでもナイスとクリムゾンは顔を合わせ、この時レイクはエマーソンと意気投合したという。ふたりはその後もコンタクトを取り合い、バンド結成へ向けて動くことで意向が一致した。
 ふたりはアトミック・ルースターのドラマー、カール・パーマーに声をかける。パーマーがこのオファーを承諾して1970年6月に結成されたのが、プログレッシヴ・ロック界ばかりかロック史上に大きな足跡を残すことになる「エマーソン・レイク & パーマー」である。
 ナイス、キング・クリムゾン、アトミック・ルースターというブリティッシュ・ロックの重要バンドを支えた3人が集まったEL&Pは「スーパー・グループ」として大きな注目を集める。
 1970年8月29日、ワイト島で開催された「第3回ワイト島ポップ・フェスティヴァル」がEL&Pの実質的デビューである。この時のエネルギッシュなパフォーマンスは聴衆から大きな支持を得た。


 もともとギタリストだったレイクは、キング・クリムゾンではベーシスト兼ヴォーカリストだったが、EL&Pではベース、ギター、ヴォーカルを担当。レイクがギターを弾いている時にはエマーソンがモーグ・シンセサイザーあるいはハモンド・オルガンの左手でベース・ラインを弾いていた。
 またアコースティック・ギターで弾き語りをしたり、8弦エレクトリック・ベースを使用するなど、いちベーシストにとどまらない多彩な活躍を見せた。


     


 EL&Pは1979年の解散までにライヴ・アルバム2枚を含む9枚のアルバムを発表したが、デビュー作から1973年『恐怖の頭脳改革』まで5作連続で全英アルバム・チャートでトップ5入りしているほか、デビュー作から1974年のライヴ・アルバム『レディース・アンド・ジェントルメン』までは7作連続で全米アルバム・チャートのトップ20に送り込んでいる。
 バンドは「四大プログレッシヴ・ロック・バンド」のひとつに数えられるなど、世界的な人気を得たのはもちろん、商業的にも大きな成功を収めた。
 1977年8月のアメリカ・ツアーを最後にEL&Pはいったん活動を停止。それ以後アルバム4枚(『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』『イン・コンサート』)をリリースしたが、セールスは下降の一途をたどり、メンバーの間でも活動を継続させようとする熱意が薄れ、1980年2月にEL&Pの解散が正式に発表された。


 解散後のレイクはソロ。アルバム『グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア』の制作に着手する。
 レコーディングはイギリスとアメリカで行われたが、イギリスでのレコーディングに参加したメンバーで、1981年6月から「グレッグ・レイク・バンド」として活動を始める。メンバーはレイクのほか、ゲイリー・ムーア(guitar)、トミー・アイアー(keyboard)、ティストラム・マーゲッツ(bass)、テッド・マッケンナ(drums)の5人である。このアルバムはギター・サウンドをメインとしたロック・サウンドで、EL&Pのサウンドとは一線を画したものである。
 同年秋にハマースミス・オデオンでライヴを行っているが、この模様を収めているのが、1996年に発表されたライヴ・アルバム『イン・コンサート』である。
である。
 グレッグ・レイク・バンドは1982年春まで活動を続けたが、ゲイリー・ムーアがソロ・プロジェクトに取りかかったため活動を終えた。
 1983年に発表したレイクのセカンド・ソロ・アルバム『マヌーヴァーズ』はファースト・アルバム制作時に録音された音源の残りを収録したものである。


 1983年、ジョン・ウェットンの後任として、当時カール・パーマーが在籍していた「エイジア」に一時的に加入、ツアーのため来日も果たした。この公演の模様はライブ・ビデオ『エイジア・イン・エイジア』に収録されている。


     


 1985年、エマーソン・レイク & パーマー再結成の話が持ち上がったが、当時カール・パーマーは「エイジア」に参加していたため合意に至らず、代わりとしてコージー・パウエルが加わり、「エマーソン・レイク & パウエル」として1986年より活動を開始した。
 しかしエマーソン・レイク & パウエルは、1枚のアルバムを残しただけで、パウエルの脱退により解散。
 折からカール・パーマーがエイジアから離れたため、レイクとエマーソンはパーマーに声をかけてリハーサルに入ったが、今度はレイクが脱退する。残されたふたりはロバート・ベリーを迎えて「3」を結成するが、アルバム1枚をリリースしたのみで解散した。


 レイクはソロ活動を始めるつもりではあったが、レコード会社がセールス面での危惧を示したため、同じくソロ活動を希望するもレコード会社の反対で暗礁に乗り上げていたエマーソンと協議した末、1991年にエマーソン・レイク & パーマーを再結成する。
 1992年、アルバム『ブラック・ムーン』を発表。その後ワールド・ツアーを行い、約20年ぶりの来日公演も行った。
 EL&Pは1993年に4枚組アルバム『リターン・オブ・ザ・マンティコア』を、1994年にはアルバム『イン・ザ・ホットシート』をリリース、その後もツアーを行うなどしていたが、1997年のモントルー公演を最後に活動を停止した。


 2001年、リンゴ・スター & ヒズ・オール・スター・バンドのアメリカ・ツアーに参加。「クリムゾン・キングの宮殿」と「ラッキー・マン」を歌った。
 2003年、「ザ・フー」のベーシスト、ピノ・パラディーノがツアーに出ていたため、依頼されてフーの新曲『リアル・グッド・ルッキング・ボーイ』のレコーディングでベースを担当。
 2005年には「グレッグ・レイク・バンド」を組織してドイツとイギリスでツアーを行っている。バンドのメンバーはデヴィッド・アーチ(david Arch keyboard)、フローリアン・オパール(Florian Opahle guitar)、トレヴァー・バリー(Trevor Barry bass)、ブレット・モーガン(Brett Morgan drums)であった。
 2010年、キース・エマーソンとのコンビでアメリカ・ツアーを行い、新たな編曲でナイス、キング・クリムゾン、EL&Pの曲を演奏した。エマーソン & レイクでの来日公演も予定されていたが、エマーソンの病気によりキャンセルとなった。
 同年7月25日、その夜限りでEL&Pを再再結成し、ロンドンで行われた「ハイ・ボルテージ・フェスティヴァル」にメイン・アクトとして登場した。カール・パーマーは、「今後はEL&Pとしては活動しない」とコメントしたが、その言葉通りこれ以後エマーソン・レイク & パーマーとしてのライブは行われなかった。
 2013年にはにソロとして来日公演を行い、キング・クリムゾンとELPの他、エルヴィス・プレスリーなどお気に入りの楽曲も交えて歌った。

 柔軟な発想によるベース・ラインを創り出すベーシストであり、エマーソン・レイク & パーマーのキーボード・トリオの枠にとらわれないスケールの大きなサウンド構築に貢献している。
 使用ベースは、当時としては珍しい8弦ベースであった。(ただし8本の独立した弦ではなく、ひとつの弦が2本セットになっているもの)
 ヴォーカリストとしての存在感の大きさは特筆されるべきものである。「21世紀の精神異常者」のようなハード・ロックから「エピタフ」のような壮大なバラードまで歌いこなす。とくに「ラッキー・マン」「スティル・ユー・ターン・ミー・オン」などのトラッド色の濃いフォーキーな曲で一層その甘い声が映える。


 2016年3月10日、キース・エマーソンが死去。訃報を知ったレイクは哀悼メッセージを送った。そして同年12月7日、レイク自身もガンのためロンドンで死去。69歳だった。
 残されたカール・パーマーは悲しみに打ちひしがれたが、かつてレイクが『展覧会の絵』で歌った「死はすなわち生」という歌詞を引用したメッセージを発表してレイクの死を悼んだ。
 パーマーは、2017年に自己のバンド「Carl Palmer's ELP LEGACY」でエマーソンとレイクを追悼するワールド・ツアーを行っている。


     


【ディスコグラフィ】
 ☆アルバム(*=ライヴ・アルバム)
 <キング・クリムゾン>
  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In the Court of the Crimson King(イギリス5位 アメリカ28位 日本96位)
  1970年 ポセイドンのめざめ/In the Wake of Poseidon(イギリス4位 アメリカ31位)
  1997年 Epitaph*(1969年録音)(日本42位)
  1998年 Live at Marquee*(1969年録音)
  2000年 Live in Hyde Park*(1969年録音)
  2004年 Live at Fillmore East*(1969年録音)

 <エマーソン・レイク & パーマー>
  1970年 エマーソン・レイク & パーマー/Emerson Lake & Palmer(イギリス4位 アメリカ18位 日本66位)
  1971年 タルカス/Tarkus(イギリス1位 アメリカ9位 日本55位)
  1971年 展覧会の絵/Pictures at Exhibition*(イギリス3位 アメリカ10位 日本2位)
  1972年 トリロジー/Trilogy(イギリス2位 アメリカ5位 日本4位)
  1973年 恐怖の頭脳改革/Brain Salad Surgery(イギリス2位 アメリカ11位 日本18位)
  1974年 レディース・アンド・ジェントルメン/Welcome Back My Friends…*(イギリス6位 アメリカ4位 日本23位)
  1977年 ELP四部作/Works Volume 1(イギリス9位 アメリカ12位 日本13位)
  1977年 作品第2番/Works Volume 2(イギリス20位 アメリカ37位 日本38位)
  1978年 ラヴ・ビーチ/Love Beach(イギリス48位 アメリカ55位)
  1979年 イン・コンサート/In Concert*(アメリカ73位)
  1992年 ブラック・ムーン/Black Moon(アメリカ78位 日本16位)
  1993年 ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール/Live at the Royal Albert Hall*(日本90位)
  1993年 ワークス・ライヴ/Works Live*
  1994年 イン・ザ・ホットシート/In the Hot Seat(日本60位)
  1997年 Live at the Isle of Wight Festival 1970*
  1997年 Live in Poland*
  1997年 King Biscuit Flower Hour:Greatest Hits Live*(1973年~1974年、1977年録音)
  1998年 Then and Now*(1974年、1997年~1998年録音)
  2010年 A Time and a Place*(1971~1978年録音)
  2010年 High Voltage(2010年録音)*
  2013年 Live in Montreal 1977*
  2015年 Once Upon a Time:Live in South America 1997*
  2015年 Live at Montreux 1997* 

 <エイジア>
  2001年 Enso Kai:Live in Tokyo*(1983年録音)

 <エマーソン・レイク & パウエル>
  1986年 エマーソン・レイク & パウエル/Emerson Lake & Powell(イギリス35位 アメリカ23位 日本44位)
  2010年 ライヴ。イン・コンサート/Live in Concert

 <ソロ・アルバム>
  1981年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーア/Greg Lake(イギリス62位 アメリカ62位)
  1983年 グレッグ・レイク & ゲイリー・ムーアⅡ マヌーヴァーズ/Manoeurves
  1995年 イン・コンサート/King Biscuit Flower Hour Presents Greg Lake in Concert*(1981年録音)
  2007年 Greg Lake*(2005年録音)
  2013年 ソングス・オブ・ア・ライフタイム/Songs of a Lifetime*(2012年録音)
  2017年 ライヴ・イン・ピアツェンツァ/Live in Piacenza*(2012年録音)

 <キース・エマーソン & グレッグ・レイク>
  2014年 ライヴ・フロム・マンティコア・ホール/Live from Manticore Hall*(2010年録音)

 <グレッグ・レイク & ジェフ・ダウンズ>
  2015年 ライド・ザ・タイガー/Ride the Tiger(1989年~1990年録音)

 <参加アルバム>
  1968年 Still(ピート・シンフィールド)

 ★シングル
 <ソロ・シングル>
  1975年 I Believe in Father Christmas(イギリス2位 アメリカ95位)
  1977年 セ・ラ・ヴィ/C'est La Vie(アメリカ91位 カナダ75位)
  1978年 Watching Over You
  1981年 Love You Too Much
  1981年 Let Me Love You Once(アメリカ48位)
  1981年 It Hurts
 
 <ザ・シェイム>
  1967年 Don't Go Away Little Girl

 <シャイ・リムス>
  1968年 Love

 <エマーソン・レイク & パウエル>
  1986年 Touch and Go


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