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イアン・マクドナルド

2023-07-13 23:52:43 | others

イアン・マクドナルド Ian Richard McDonald

 【パート】
   サックス、フルート、クラリネット、オルガン、ピアノ、メロトロン、ハープシコード、ヴィブラフォン、シンセサイザー、ギター、ツィター、ヴォーカル

 【生没年月日】
   1946年6月25日~2022年2月9日(75歳没)

 【出身】
   イングランド ミドルセックス州ハウンズロー区オスタリー

 【経歴】
   インフィニティ/Infinity(1968)
   ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ/Giles, Giles & Fripp(1968)
   キング・クリムゾン/King Crimson(1968~1969)
   マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles(1970)
   センティピード/Centipede(1970, 1971)
   フォリナー/Foreigner(1976~1979)
   21センチュリー・スキッツォイド・バンド/21st Medicine Head(2002~2007)
   ハニー・ウェスト/Honey West(2013~2022)



 イアン・マクドナルドはキング・クリムゾン、そしてフォリナーのオリジナル・メンバーである。
 木管楽器、鍵盤楽器類、ギターなどを操るマルチ・プレイヤーとして知られている。またプロデューサーとしても活躍した。


 1946年6月25日、イアン・マクドナルドは西ロンドンのオスタリーで建築家の父キースと母エイダのあいだに生まれた。
 マクドナルドの生家はいわば音楽一家だったので、幼い頃からレコードで幅広く音楽に親しみ、ギターを独習した。
 マクドナルドはロンドン南西部のバタシーにあるエマニュエル・スクールに入学したが、15歳の時に学校を中退し、英国陸軍の音楽隊で5年間の勤務を開始する。この音楽隊がマクドナルドの音楽のキャリアのスタートである。
 1963年、ネラーホールの王立陸軍音楽学校に入学。そこでクラリネットや音楽理論をマスターし、サックス、フルート、ピアノなども独学で習得した。軍楽隊ではさまざまな音楽のスタイルを身につけなければならなかったが、これがマクドナルドの音楽的適応力を磨くことにつながったと言える。


 除隊後、マクドナルドはロンドンに戻り、ガールフレンドで元フェアポート・コンベンションのヴォーカリスト、ジュディ・ダイブルと一緒に音楽を作り始める。
 1968年、詩人のピート・シンフィールドらと、フォーク・ロック・グループ「インフィニティ」を結成。

 この年6月、ジュディ・ダイブルとともに、メンバーの募集広告に応じてマイケルピーターのジャイルズ兄弟とロバート・フリップからなる「ジャイルズ・ジャイルズ & フリップ」に加入する。その後マクドナルドと破局したダイブルは、7月にはバンドから離れた。
 この後専任の作詞家として、インフニティでマクドナルドとバンドメイトだったピート・シンフィールドがメンバーとなり、歌詞と照明を担当するようになる。


 1968年11月、ヴォーカリストとしてグレッグ・レイクが加入したが、ピーター・ジャイルズが12月に脱退したため、レイクはベーシストを兼ねることになった。こうしてマクドナルドのほかフリップ、マイケル・ジャイルズ、レイク、シンフィールドの陣容が整ったジャイルズ・ジャイルズ&フリップは、同年12月にシンフィールドの提案でバンド名を「キング・クリムゾン」と改めた。
 キング・クリムゾンは、1969年4月9日にロンドンのスピーク・イージーでデビューする。7月5日にはハイド・パークで行われたブライアン・ジョーンズ(ローリング・ストーンズ)追悼フリー・コンサートに出演し、ガーディアン紙から「センセーショナル」だったと報じられた。8月9日には第9回ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティヴァルに出演し、さらに広く注目されることとなった。


 キング・クリムゾンのファースト・アルバムの制作は1969年6月に始まった。
 プロデューサーの2度の降板などがあって制作は難航したが、同年10月10日にようやくリリースに漕ぎつける。マクドナルドはサックスやフルート、メロトロンなどを駆使してマルチプレーヤーぶりを存分に発揮したほか、作曲でも大きく貢献した。またアルバムの制作にあたっては、マクドナルドはバンドの誰よりも長い時間スタジオで作業していたと言われており、実質彼がアルバム制作のイニシアティヴを取っていたと考えられている。マクドナルドは後年「時の試練に耐えられる音楽を作ることができるかどうか試してみたかった」と語っており、その結果「クリムゾン・キングの宮殿」と名付けられたこのアルバムは、「ロック史に残る傑作」と言われるほど高く評価されることになったのである。
 しかし、ツアーの連続で疲弊しきったうえ、フリップの音楽性との相違もストレスとなり、アルバム・リリース直後に行なわれたアメリカ・ツアーの最中の1969年12月7日に、ドラマーのマイケル・ジャイルズとともに脱退を表明した。


     


 翌1970年、マクドナルドはマイケルとピーターのジャイルズ兄弟とともに「マクドナルド & ジャイルズ」を結成。同年11月にはアルバム『マクドナルド & ジャイルズ』を発表したが、当時の恋人シャーロット・ベイツとの破局をきっかけに精神に変調を来たし、療養のため渡米してしまう。そのためマクドナルド&ジャイルズはアルバム1枚のみを残して活動を停止した。


 療養を終えて帰国した後はセッション・ミュージシャン、プロデューサーとして活動する。
 帰国後最初に参加したセッションは、サックス奏者として参加したT.レックスのアルバム『電気の武者』のレコーディングである。この時使ったバリトン・サックスはメル・コリンズから借りたものだったという。またジョン・ウェットンからの依頼で、キング・クリムゾンの『レッド』にアルト・サックスで参加している。
 そのほかダリル・ウェイズ・ウルフの『カニス・ループス』、アイルランド出身のプログレッシヴ・ロック・バンド、フループの『当世仮面舞踏会』、アメリカのプログレッシヴ・ロック・バンド、ファイアーバレーの『はげ山の一夜』などでプロデュースを担当した。


 1970年代半ば、マクドナルドはニューヨークに移り住み、1976年に再び本格的な演奏活動を再開させる。
 セッションで元スプーキー・トゥースのミック・ジョーンズ(guitar)と意気投合し、新たな構想のもと1976年2月に英米混成バンド「フォリナー」を結成。
 フォリナーの作りだすオーソドックスなロック・ミュージックはマクドナルドの経歴からすると意外とも言えるものだったが、マクドナルドは依然としてバンドのアレンジとプロデュースに大きく貢献した。
 フォリナーは最初の3枚のアルバムを全米トップ5に送り込んで世界的な成功を収めたが、マクドナルドはサード・アルバム『ヘッド・ゲームス』(1979年)を発表した後、ミック・ジョーンズとの音楽観の相違を理由に1980年9月に脱退し、その後は再びプロデュースやセッション活動を行うようになる。


 1995年、アニー・ハズラム(vocal)の呼びかけによって、ボスニア・ヘルツェゴビナ救済チャリティ・コンサートに出演。 
 1996年末、スティーヴ・ハケット(guitar 元ジェネシス)のツアー・メンバーとして来日公演に帯同。セット・リストにはキング・クリムゾンのレパートリーである「クリムゾン・キングの宮殿」や「風に語りて」も含まれていた。
 1999年には旧友マイケル・ジャイルズ、スティーヴ・ハケット、ジョン・ウェットン、ゲイリー・ブルッカー、ピーター・フランプトンら豪華ゲスト陣を招き、50歳を過ぎて自身初のソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』をリリースした。
 2002年にはジャイルズ兄弟、メル・コリンズらとキング・クリムゾンの作品を演奏する21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成。しかし2007年にドラマーのイアン・ウォーレスが死去したため、活動を停止。
 2009年、ジュディ・ダイブルのアルバム『Talking With Strangers』に参加し、サックスとフルートで数曲レコーディングした。このアルバムの「ハープソング」ではフリップと再会セッションを行っている。
 2013年、マクドナルドとテッド・ズルコウスキー(vocal, guitar)は「ハニー・ウェスト」を結成し、2017年にアルバム「バッド・オールド・ワールド」をリリースした。
 2017年、ルー・グラム(vocal)やアル・グリーンウッド(keyboard)らフォリナーのオリジナル・メンバーと、フォリナーのデビュー40周年記念公演で再結成を果たす。


 2022年2月9日、ニューヨーク市の自宅で結腸ガンのため75歳で死去。最期は家族に囲まれて穏やかに息を引き取ったという。
 マクドナルドの死去1週間前にキング・クリムゾンのドキュメンタリーの予告編が公開されたが、その中でマクドナルドは1969年にキング・クリムゾンを脱退したことについてフリップに謝罪している。


     


【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)

 <ソロ・アルバム>
  1999年 ドライヴァーズ・アイズ/Drivers Eyes
  2019年 Take Five Steps

 <ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ>
 ★2001年 Metaphormosis ※未発表音源
 ★2001年 ザ・ブロンデスベリー・テープス/The Brondesbury Tapes

 <キング・クリムゾン>
  1969年 クリムゾン・キングの宮殿/In The Court Of The Crimson King(UK5位 US28位)
  1974年 レッド/Red(UK45位 US66位)

 <マクドナルド&ジャイルズ>
  1971年 マクドナルド & ジャイルズ/McDonald & Giles

 <センティピード>Centipede
  1971年 セプトーバー・エナジー/Septober Energy

 <フォリナー>
  1977年 栄光の旅立ち/Foreigner(US4位)
  1978年 ダブル・ヴィジョン/Double Vision(UK32位 US3位)
  1979年 ヘッド・ゲームス/Head Games(US5位)

 <スティーヴ・ハケット>
  1996年 ジェネシス・リヴィジテッド(新約創世記)/Genesis Revisited
 ☆1998年 TOKYOテープス~ジェネシス・リヴィジテッド・ライヴ1996/The Tokyo Tapes
  1999年 ダークタウン/Darktown
  2003年 トゥ・ウォッチ・ザ・ストームズ/To Watch the Storms

 <21stセンチュリー・スキッツォイド・バンド>
  2002年 オフィシャル・ブートレグ Vol.1/Official Bootleg Vol.1
 ☆2003年 ライヴ・イン・ジャパン 2002/Live in Japan ※CD+DVD
 ☆2003年 ライヴ・イン・イタリー/Live in Italy
 ☆2006年 ピクチャー・オブ・ア・シティ ライヴ・イン・ニューヨーク/Pictures of a City - Live in New York

 <ハニー・ウェスト>
  2017年 Bad Old World

 <ゲスト参加>
  1970年 クリス・ハーウッド Nice to Meet Miss Christine
  1971年 リンダ・ルイス Say No More
  1971年 T.レックス 電気の武者/Electric Warrior(UK1位 US32位)
  1973年 ダリル・ウェイズ・ウルフ カニス・ループス/Canis Lupus
  1973年 シルヴァーヘッド 16 and Savaged
  1974年 フループ Modern Masquerades
  1974年 ハービー・マン London Underground
  1974年 キース・クリスマス Brighter Day
  1975年 ファイアーバレー はげ山の一夜/Night On Bald Mountain
  1975年 フィル・マンザネラ Diamond Head
  1976年 イアン・ロイド Ian Lloyd
  1980年 イアン・ロイド 3WC/Ian Lloyd
  1985年 スティーヴ・テイラー On The Fritz
 ☆1998年 ジョン・ウェットン Hazy Monet-Live In New York
  1998年 The Wallace & Trainor Conspiracy Take a Train
  1998年 Wachenröder
  2000年 パーク・スティックニー Action Harp Play Set/Park Stickney
  2000年 Cosmic Rough Riders Enjoy The Melodic Sunshine
  2000年 ジョン・ウェットン Sinister
  2001年 マリア・アントナコス Four Corners No Walls
  2001年 ジョーン・ベンダー Star Eyes
  2003年 イアン・ウォーレス Happiness With Minimal Side Effects
  2003年 Waking In The Blue Isn’t It Pretty To Think So ?
  2004年 Pangaea unu
  2006年 Jakko M. Jakszyk The Bruised Romantic Glee Club
  2009年 ジュディ・ダイブル Talking With Strangers
  2010年 The Third International Beautiful Acciden


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ディック・ハリガン

2023-05-23 17:16:16 | others

ディック・ハリガン Richard Bernard "Dick" Halligan


【パート】

  ピアノ、オルガン、トロンボーン、フルート

【生没年月日】
  1943年8月29日~2022年1月18日(78歳没)

【出生地】
  アメリカ合衆国 ニューヨーク州トロイ

【経 歴】
  ブラッド・スウェット&ティアーズ/Blood Sweat & Tears(1967~1971)

 
 ディック・ハリガンは、「ブラス・ロック」ブームの火付け役であるジャズ・ロック・バンド、「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」の創設メンバーである。
 娘はヴォーカリストで、ポップ・デュオ「Bitter:Sweet」のシェイナ・ハリガン。


 ハリガンはニューヨーク州のトロイで生まれ、グレン・フォールズで育った。
 子どもの頃から何種類もの楽器に親しみ、長じてはスタン・ケントンやトミー・ドーシー、グレン・ミラーなどのビッグ・バンド・サウンドを聴くようになり、影響を受ける。
 その後マンハッタン音楽学校に進み、音楽理論と作曲の修士号を取得。
 卒業後の1967年、サックス奏者のフレッド・リプシウスから誘われて、ブラス・ロック・バンド「ブラッド・スウェット&ティアーズ」(以下BS&T)に加入。
 BS&Tの創設メンバーは、ハリガンのほか、バンド・リーダーのアル・クーパー(keyboards, vocal)、フレッド・リプシウス(alto-sax)、ジェリー・ワイス(trumpet)、ランディ・ブレッカー(trumpet)、スティーヴ・カッツ(guitar, vocal)、ジム・フィールダー(bass)、ボビー・コロンビー(drums)の、総勢8人であった。
 ハリガンはトロンボーン奏者としてファースト・アルバム『子供は人類の父である』の制作に参加したが、アルバム発表後にキーボード奏者のアル・クーパーがバンドを脱退すると、その後任に選ばれた。


 1969年、BS&Tは名盤の誉れ高いセカンド・アルバム『血と汗と涙』を発表。
 このアルバムでハリガンは、トロンボーンのほか、オルガン、ピアノ、フルート、ヴォーカル、編曲を担当している。
 『血と汗と涙』は、ビルボード・チャートで7週にわたり1位を記録。アメリカだけで400万枚を売り上げ、プラチナ・アルバムを獲得したばかりか、1970年のグラミー賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。
 またハリガンがアレンジしたオープニング曲「エリック・サティの主題による変奏曲」は、グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞」を受賞している。
 

 1969年にはBS&Tの一員として、ウッドストック・フェスティヴァルに出演。
 1970年にはバーブラ・ストライザンド主演の映画『フクロウと子猫ちゃん』の音楽を担当する。
 1971年、BS&Tは4作目のアルバム『B, S & T;4』を制作したが、ハリガンはこのアルバムで3曲を共作した後、この年限りでバンドから脱退した。


 BS&T脱退後のハリガンは、映画音楽の制作に携わるようになり、1970年代から1980年代にかけては、バート・ランカスター主演『戦場』(1978年)、チャック・ノリス主演『フォース・オブ・ワン』(1979年)、チャック・ノリス主演『オクタゴン』(1980年)、トム・ベレンジャー主演『処刑都市』(1984 年)など、多くの映画で作曲と編曲を手掛けた。そのほかテレビのコメディードラマ『Holmes And Yoyo』の音楽も担当している。


 1990年代にはイタリアに移住し、ローマを中心に自己のジャズ・コンボを結成して活動を続ける。
 2003年、「ディック・ハリガン・ローマン・カルテット with シェイナ・ハリガン」名義でアルバム『Slow Food Forum』を制作(2006年リリース)した。
 2006年からは、ジャズや室内楽など様々な音楽の作曲家・演奏家として活動。
 2011年と2012年には、「Musical Being」というタイトルの自伝的ワンマンショーを上演している。2013年には「Love, Sweat & Fears」というタイトルとして上演された。
 また彼は、カーネギー・ホールでオリジナル作品を上演・指揮している。


 2022年1月18日、イタリアのローマにて78歳で死去。


     

【ディスコグラフィ】

 <ブラッド・スウェット&ティアーズ>
  1968年 子供は人類の父である/Child Is Father to the Man US47位
  1968年 血と汗と涙/Blood, Sweat & Tears US1位, UK15位
  1970年 ブラッド・スウェット&ティアーズ 3/Blood, Sweat & Tears 3 US1位
  1971年 B, S & T;4/B, S & T;4 US10位

 <ソロ・アルバム>
  2007年 Cat's Dream
  2007年 Slow Food Forum


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クリス・ウッド

2023-04-20 12:57:48 | others

クリス・ウッド Christopher Gordon Blandford "Chris" Wood

【パート】
  サックス、フルート、キーボード

【生没年月日】
  1944年6月24日~1983年7月12日(39歳没)

【出生地】
  イングランド ウェストミッドランズ州バーミンガム市クイントン

【経 歴】
  サウンズ・オブ・ブルー(1964~1965)
  ザ・カンサスシティ・セヴン(1965~1966)
  トラフィック(1967~1968)
  メイスン、キャパルディ、ウッド & フロッグ(1969)
  ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース(1969~1970)
  トラフィック(1970~1974)


 クリス・ウッドは、バーミンガム市郊外のクイントンで生まれた。
 幼い頃から音楽や絵に興味を持っていたウッドは、スタウアブリッジ・カレッジ・オブ・アートを経てバーミンガム美術学校の絵画科に入学し、1965年12月から王立芸術アカデミーで学ぶための助成金を授与される。
 音楽面では、15歳の時に独学でフルートやサックスの演奏を始め、18歳になった1962年にはジャズやブルースを演奏していたスティーヴ・ハドリー・カルテットに参加する。


 ウッドの妹のステファニーは、バーミンガム出身のスティーヴ・ウィンウッド(keyboard, vocal)の所属していたスペンサー・デイヴィス・グループの衣装デザインを担当していた。その関係で、ウッドはステファニーを通じてウィンウッドを紹介された。
 バーミンガムでも有名なクラブ「エルボー・ルーム」は地元のミュージシャンが集まる場所でもあったが、ウッドはそこでウィンウッドやジム・キャパルディ(drums)らと親交を深めていった。
 こうしてウッドはウィンウッドやカール・パーマー(drums)など地元で活動するミュージシャンともステージをともにするようになる。
 1964年にはウェストミッドランズ周辺で活動していたR&Bバンド「サウンズ・オブ・ブルー」(キーボードにクリスティン・パーフェクト=のちのクリスティン・マクヴィー、ギターにスタン・ウェッブが在籍していた)に加入。
 1965年にサウンズ・オブ・ブルーが解散すると、同年「ザ・カンサス・シティ・セヴン」に参加。このバンドにはのちスプーキー・トゥースに加入するマイク・ケリー(drums)が在籍していた。


 1967年、「トラフィック」の結成に参加。
 トラフィックは、スペンサー・デイヴィス・グループを脱退したスティーヴ・ウィンウッドがより実験的な音楽を求めてジム・キャパルディ(drums)、デイヴ・メイスン(guitar)らともに結成したバンドである。
 トラフィックでのウッドは主にフルートとサックスを担当したが、時折りキーボードやベースを弾いたり、ヴォーカルを取ったりした。また彼はフォーク・ミュージックにも造詣が深く、バンドのユニークな音楽性の成立にも貢献している。
 サイケデリックな要素とさまざまな音楽性を融合させたデビュー・アルバム『ミスター・ファンタジー』は大きな評価を受け、トラフィックはブリティッシュ・ロック・シーンの重要バンドとして認識されるようになった。

 
 1968年11月、ウィンウッドが「ブラインド・フェイス」に参加するためトラフィックを脱退。
 これによってトラフィックは活動の停止を余儀なくされたが、残ったメンバーはミック・ウィーヴァー(keyboard)を加え、1969年1月に「メイスン、キャパルディ、ウッド&フロッグ」を結成。しかしメイスンの渡米によってこのバンドは同年3月に活動を終えた。
 ウッドはその後ドクター・ジョンのアメリカ・ツアーに参加したが、そこで歌手のジネット・ジェイコブス(元ザ・ケイク)と出会う。ふたりは1972年11月に結婚した。
 1969年12月、ジネット・ジェイコブズ(vocal)や、スティーヴ・ウィンウッドらとともに「ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース」に加入する。このバンドでは、アルバム『ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース』にのみ参加し、1970年には脱退している。
 1970年、ウィンウッドはソロ・アルバムの制作に取りかかり、ジム・キャパルディとウッドにレコーディングへの参加を依頼。この過程で、そもそもはウィンウッドのソロ・ワークだったレコーディングの目的がトラフィックの再結成へと変化してゆくことになるのである。こうして完成したアルバムが、トラフィックの再結成第1作『ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ』である。ウッドは17世紀の歌である「John Barleycorn」のアレンジをトラフィックが行うという案を提示している。
 トラフィックは1974年に解散したが、ウッドはトラフィックの全活動期間に渡って在籍しており、すべてのアルバムの録音に参加した。


          


 ウッドは、1960年代後半から1970年代にかけて数多くのレコーディング・セッションにも参加している。
 なんといっても有名なのは、1968年にスティーヴ・ウィンウッド、デイヴ・メイスンらとともに参加した、「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」の名盤『エレクトリック・レディランド』の録音であろう。アルバム中、「1983」でウッドはフルートを演奏している。
 翌69年には「フリー」のセカンド・アルバム『フリー』に収録されている「Mourning Sad Morning」でもフルートを吹いている。
 他にもチキン・シャック、ボビー・ウィットロック、ジョン・マーティン、ショーン・フィリップス、リーボップ・クワク・バー、クロウラーなどの作品にも参加している。


 ウッドは長い間アルコールやドラッグへの依存やうつ病に苦しんでいた。そのうえ妻ジネットとの間には深い溝が生じており、ウッドの飲酒量はますます増えて肝臓を患うまでになっていた。ウッドは飲酒を控えたものの、肝疾患に対する投薬がさらなる合併症を引き起こした。
 1982年、別居していた妻ジネットがてんかんによる発作のため死去。
 彼女の死でウッドは非常に心を痛めたが、1983年1月には親友のリーボップ・クワク・バー(percussion 元トラフィック)が38歳で死去。ウッドはポール・コゾフ(guitar 元フリー)とも親しかったが、コゾフも1976年3月に25歳で早逝しており、ジネットだけでなくこの二人の親友の死はウッドに大きな精神的ショックをもたらした。
 1983年7月12日、ウッドは故郷バーミンガムのクイーン・エリザベス病院で、肺炎のため39歳の若さで死去した。


 ウッドは1975年頃からソロ・アルバムの制作に取り組んでいた。
 過去にエンジニアのテリー・バーハムとともにハマースミス・スタジオやフォールアウト・シェルター・スタジオなどでレコーディングを行っていたが、ウッドの死によってその録音物は未完成のまま妹のステファニーによって保管されていた。
 しかしステファニーやスティーヴ・ウィンウッドらの協力によって、ウッドの死後25年を経た2008年、遺されていた音源は『ヴァルカン』というタイトルのアルバムとして発表された。


 1994年、トラフィックは20年ぶりに再々結成したが、この時に制作されたアルバム『ファー・フロム・ホーム』はウッドに捧げられたものである。
 このアルバムにはウッドのフルート演奏をサンプリングした音源を用いた曲が収められている。また、ジャケット中央のフルートを吹いているように見える人物像はウッドを表したものである。


          
           Traffic『far from home』


 2017年にはウッドのボックス・セット『イヴニング・ブルー』がリリースされた。
 これはウッドのソロ・キャリアを総括した、全世界で1000枚限定のナンバリング付きコンピレーション・セットであり、CD4枚+LP1枚の5枚組である。この作品には合計43曲の未発表音源が収録されている。



【ディスコグラフィ】☆=ライヴもしくはライヴ録音を含むアルバム ★=コンピレーション・アルバム ◎=ボックス・セット

 <トラフィック>
  1967年 ミスター・ファンタジー/Mr. Fantasy UK16位, US(ビルボード)88位
  1968年 トラフィック/Traffic UK9位, US(ビルボード)17位
 ☆1969年 ラスト・エグジット/Last Exit US(ビルボード)19位
 ★1969年 ベスト・オブ・トラフィック/Best of Traffic US(ビルボード)48位
  1970年 ジョン・バーレイコーン・マスト・ダイ/John Barleycorn Must Die UK11位, US(ビルボード)5位
  1971年 ザ・ロウ・スパーク・オブ・ハイヒールド・ボーイズ/The Low Spark of High Heeled Boys US(ビルボード)7位
 ☆1971年 ウェルカム・トゥ・ザ・キャンティーン/Welcome to the Canteen US(ビルボード)26位
  1973年 シュート・アウト・アット・ザ・ファンタジー・ファクトリー/Shoot Out at the Fantasy Factory US(ビルボード)6位
 ☆1973年 オン・ザ・ロード/On the Road UK40位, US(ビルボード)29位
  1974年 ホエン・ジ・イーグル・フライズ/When the Eagle Flies UK31位, US(ビルボード)9位
 ★1975年 Heavy Traffic US(ビルボード)155位
 ★1975年 More Heavy Traffic US(ビルボード)193位
 ★1991年 Smiling Phases
 ★1998年 Heaven Is In Your Mind - An Introduction to Traffic
 ★2000年 Feelin' Alright:The Very Best of Traffic
 ★2002年 The Collection
 ★2003年 The Best Of Traffic - The Millennium Collection
 ★2005年 Traffic Gold

 <ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース>
 ☆1970年 ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース/Ginger Baker's Air Force UK37位, US(ビルボード)33位
 ★1998年 Do What You Like

 <ソロ・アルバム>
 ★2008年 ヴァルカン/Vulcan ※1983年録音
 ◎2017年 イヴニング・ブルー/Evening Blue

 <セッション・ワーク>
  1967年 Sunshine Super Frog(Wynder K. Frog)
  1968年 エレクトリック・レディランド/Electric Ladyland(ジミ・ヘンドリックス・エキスペリエンシス)UK6位, US(ビルボード)1位
  1969年 フリー/Free(フリー)UK22位, US(ビルボード)177位
  1969年 Fiends and Angels(Martha Velez)
  1969年 O.K. Ken?(Chicken Shack)UK9位
  1969年 Thinking Back(Gordon Jackson)
  1969年 ファット・マットレス/Fat Mattress(ファット・マットレス)US(ビルボード)134位
  1970年 Contribution(Shawn Philips)
  1971年 クライ・オブ・ラヴ/Cry of Love(ジミ・ヘンドリックス)UK2位, US(ビルボード)3位
  1971年 Don't Hold Back(Sky)
  1972年 Oh How We Danced(Jim Capaldi)US(ビルボード)82位
  1972年 ボビー・ウィットロック/Bobby Whitlock(ボビー・ウィットロック)
  1972年 Reebop(Reebop Kwaku Baah)
  1973年 Inside Out(John Martyn)
  1973年 Now Here This(Hanson)
  1973年 Music from Free Creek(Free Creek)
  1975年 Short Cut Draw Blood(Jim Capaldi)US(ビルボード)193位
  1977年 華氏96度/96° in the Shade(サード・ワールド)US(ビルボード)203位
  1977年 Crawler(Crawler)
  1979年 トロピカル・ファンタジー/The Story's Been Told(サード・ワールド)US(ビルボード)157位
  1997年 Funky(Spencer Davis Group)
  


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ディック・ヘクストール=スミス

2022-11-03 17:45:10 | others

ディック・ヘクストール=スミス Richard Malden "Dick" Heckstall-Smith

【パート】
  テナー・サックス、ソプラノ・サックス、バリトン・サックス、クラリネット、ピアノ

【生没年月日】
  1934年9月26日~2004年12月17日(70歳没)

【出生地】
  イングランド シュロップシャー州ラドロー

【経 歴】
  アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド/Alexis Korner's Blues Incorporated(1962~1963)
  グラハム・ボンド・オーガニゼイション/Graham Bond Organisation(1963~1967)
  ピート・ブラウン & ヒズ・バタード・オーナメンツ/Pete Brown & His Battered Ornaments(1960年代中頃)※サポート・メンバー
  ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ/John Mayall & The Bluesbreakers(1967~1968)
  ワインダー・K. フロッグ/Wynder K. Frog(1968)
  コロシアム/Colosseum(1968~1971、1994~2004)
  ニュー・ジャズ・オーケストラ/The New Jazz Orchestra(1969~1970)
  スウィート・ペイン/Sweet Pain(1969)
  マンチャイルド/Manchild(1972)
  フェイマス・ブルース・ブラスターズ/The Famous Bluesblasyers(1979~1981)
  メインスクイーズ/Mainsqueeze(1981~1984)
  3スペース/3 Space(1983~1986)
  デラックス・ブルース・バンド(1980年代)
  ハンブルグ・ブルース・バンド/Hamburg Blues Band(1982~2004)
  ブロドウィン・ピッグ/Blodwyn Pig(1988~1989)
  リンクス/Links


 イングランドのサックス奏者。
 ロック黎明期の1960年代から1970年代にかけて、当時のイギリスにおける主要なブルース、あるいはジャズ系のグループで活躍した。
 コロシアムの創設メンバーのひとりである。


     


 1934年、イングランドのシュロップシャー州ラドローで生まれ、ラドナーシャー州ナイトンで育つ。
 幼い頃からクラリネット、ピアノを習っていたが、15歳の時にシドニー・ベシェを聴いてソプラノ・サックスを吹き始める。その後はレスター・ヤング(tenor-sax)やワーデル・グレイ(tenor-sax)から大きな影響を受けた。
 スコットランド北部の名門寄宿学校であるゴードンストウン・スクール、次いでダーティントン・ホール・スクールを経てシドニー・サセックス大学に入学。大学ではジャズ・バンドの共同リーダーのひとりとして活動する。


 大学を卒業すると拠点をロンドンに移し、本格的な音楽活動を始める。当時のロンドンのジャズ・シーンに積極的に関わり、1957年には「Dick Heckstall-Smis Quartet」名義でEPをリリースしている。
 1962年、アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドに参加。これを契機にブルースやロックに急速に接近するようになる。
 1963年10月、ジャック・ブルース(bass)やジンジャー・ベイカー(drums)が在籍しているグラハム・ボンド・カルテットに加入。(ヘクストール=スミス加入直後にバンドは「グラハム・ボンド・オーガニゼイション」と改名)
 1966年5月、グラハム・ボンド・オーガニゼイションにジョン・ハイズマン(drums)が加入。ハイズマンとはのち長い年月にわたって行動を共にすることになる。ハイズマンとヘクストール=スミスの共演は、アルバム『Solid Bond』で聴くことができる。


     


 1967年7月、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに加入。当時のブルース・ブレイカーズはジャズへの傾倒を深めている時でもあり、ヘクストール=スミスの加入はバンドに大きな影響を与えた。
 1968年4月、ブルース・ブレイカーズにハイズマンとトニー・リーヴス(bass)が加入。ヘクストール=スミス、ハイズマン、リーヴスの演奏は、1968年6月に発表された『ベア・ワイアーズ』(Bare Wires)で聴くことができる。
 1968年8月、ハイズマン、リーヴスとともにブルース・ブレイカーズを脱退し、コロシアムの創設に参加する。
 同時に、ハイズマンやリーヴスとともに「ニュー・ジャズ・オーケストラ」の一員としても活動を続ける。
 1969年には半ば伝説と化しているブルース・セッション・プロジェクト「スウィート・ペイン」(Sweet Pain)に参加している。


 コロシアムでは演奏はもちろん作曲でも能力を発揮、また同時に2本のサックスを吹くというパフォーマンスでも知られた。
 コロシアムは、ブリティッシュ・ロック界においては重要なジャズ・ロック・グループとして見なされており、ヘクストール=スミスも主要メンバーとして活躍したが、ライヴ・アルバムを含めた4枚のアルバムを残して1971年10月に解散した。
 ヘクストール=スミスは、コロシアム解散後の1972年3月から4月にかけてソロ・アルバム『ア・ストーリー・エンディド』を制作。1972年7月にリリースされたこのアルバムには、ジョン・ハイズマンをはじめ、クリス・ファーロウ、デイヴ・グリーンスレイドマーク・クラークらコロシアム時代のバンド・メイトのほか、グラハム・ボンド(keyboard, vocal)、クリス・スペディング(guitar)、ゴードン・ベック(piano)、ポール・ウィリアムス(vocal)ら錚々たるメンバーが参加している。
 ソロ・アルバム発表後には、ジェームス・リザーランド(guitar, vocal 元コロシアム)、デイヴ・ローズ(keyboard)、ビリー・スミス(bass)、セオドア・サンダー(drums)とともに「マンチャイルド」を結成している。
 1973年、社会科学を学ぶためにロンドンのサウスバンク大学に入学、1970年代後半まで音楽活動を休止する。


 1979年、ザ・フェイマス・ブルース・ブラスターズ(The Famous Bluesblasters)に参加して音楽界に復帰。このバンドはブルースブレイカーズやスウィート・ペインでのバンド・メイトであるベーシストのキース・ティルマン(Keith Tilman)らと結成したもので、1981年には「メインスクイーズ」に発展する。
 そのほか「マンチャイルド」「ビッグ・チーフ」など、さまざまなジャズあるいはフュージョン・ユニットでフロント・マンを務めた。
 1982年にはドイツの「ハンブルグ・ブルース・バンド」に参加。
 1983年にはジョン・ジェームス(guitar)、デイヴ・ムーア(keyboard)と「3スペース」を結成、1986年まで活動した。
 1988年12月、ミック・エイブラハムズ(guitar, vocal 元ジェスロ・タル)が1988年12月に再結成した「ブロドウィン・ピッグ」に加入。


     


 1994年、再始動したコロシアムに参加。
 2001年、オールスター・プロジェクト『Blues and Beyond』の録音に参加し、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、ミック・テイラー、ピーター・グリーン(guitar 元John Mayall & The Blues Breakers, Fleetwood Mac)らと久しぶりに共演した。
 アルバム『Tomorrow's Blues』のレコーディング中に体調を崩し、療養生活に入る。
 その後はガンのため入退院を繰り返し、2004年12月17日に急性肝不全に伴う合併症のため死去した。
 2005年に追悼ライヴが行われ、コロシアムをはじめ、ジャック・ブルース、ゲイリー・ムーアらが参加した。


【ディスコグラフィ】

 <ソロ・アルバム>
  1972年 ア・ストーリー・エンデッド/A Story Ended
  1991年 Woza Nasu
  1991年 Live 1990(with ジョン・エサリッジ、レイナー・グラス、ジョー・ネイ)
  1991年 Where One Is
  1995年 Celtic Steppes
  1995年 This That(with ジャック・ブルース、ジョン・スティーヴンス)
  1995年 Bird in Widnes(with ジョン・スティーヴンス)
  1998年 On the Corner/Mingus in Newcastle(ヘクストール=スミス & リチャード・フット)
  1998年 Obsession Fees(with ジェン・エサリッジ・グループ)
  2001年 Blues and Beyond
  2002年 Woza Nasu
  2007年 From Clarksdale to Heaven -Remembering John Lee Hooker(with Tony McPhee, Dave Clempson/2曲)

 <アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド>
  1962年 R & B From Marquee
  1964年 Red Hot From Alex
  1965年 Alxis Korner's Blues Incorporated

 <アレクシス・コーナー>
  1969年 This is Alexis Korner
  1972年 Bootlrg Him!

 <グラハム・ボンド・オーガニゼイション>
  1965年 ザ・サウンド・オブ ’65/The Sound of '65
  1965年 There's A Bond Between Us
  1978年 At the Beginning(1964年10月のライヴ)

 <ジョン・メイオール & ザ・ブルースブレイカーズ>
  1968年 The Diary of A Band Volume 1
  1968年 The Diary of A Band Volume 2
  1968年 ベア・ワイアーズ/Bare Wires
 
 <コロシアム>
  1969年 コロシアム・ファースト/Those Who Are About to Die Salute You(全英15位)
  1969年 ヴァレンタイン組曲/Valentyne Suite(全英15位)
  1970年 ドーター・オブ・タイム/Daughter of Time(全英23位 ドイツ36位)
  1971年 コロシアム・ライヴ/Colosseum Live(全英17位 オーストラリア48位)*ライヴ・アルバム
  1995年 LiveS The Reunion Concerts 1994 *ライヴ・アルバム
  1997年 Bread & Circuses
  2003年 Tomorrow's Blues
  2003年 コロン1994-リユニオン・コンサート/Live Cologne 1994 *ライヴ・アルバム
  2003年 The Complete Reunion Concert *ライヴ・アルバム

 <The New Jazz Orchestra>
  1969年 Le Déjeuner Sur L'Herbe
  2008年 Camden '70 *ライヴ・アルバム

 <スウィート・ペイン>
  1969年 Sweet Pain

 <グラハム・ボンド>
  1970年 ソリッド・ボンド/Solid Bond

 <Main Squeeze>
  1983年 The International Blues Rock Revue
  1986年 Hey...Bo Diddley In Concert(with Bo Diddley)

 <Mike Reinhardt Sextett with Dick Heckstall-Smith>
  1987年 Back In Town

 <Links>
  1992年 Links
  1995年 New Reasons to Use Old Words
  2002年 May Days

 <Hamburg Blues Band>
  1989年 Live *ライヴ・アルバム
  1996年 Real Stuff
  1999年 Rollin'
  2001年 Touch(Mike Harrison meets The Hamburg Blues Band)
  2013年 Friends for A Livetime 

 <レコーディング・セッション> 
  ・ジャック・ブルース
    1969年 ソングス・フォー・ア・テイラー/Songs for A Tailor UK6位 US55位
    1970年 Somethin Els
    1994年 Cities of the Heart
    1997年 The Slab Boys Original Soundtrack
  ・チキン・シャック
    1968年 Forty Blue Fingers Freshly Packed and Ready to Serve
  ・ワインダー・K. フロッグ
    1968年 Out of the Frying Pan
  ・デイヴィー・グラハム
    1968年 Large As Life and Twice As Natural
  ・ロコモーティヴ
    1970年 We Are Everything You See
  ・Guido Toffoletti's Blues Society
    1985年 No Compromise
  ・アレクシス・コーナー & フレンズ
    1979年 The Party Album
  ・Brian Knight
    1981年 A Dark Horse
  ・Big Chief
    1997年 It Don't Make Sense
  ・Mike Willox
    2002年 The Big Picture 


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