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ホイットニー・ヒューストン追悼 ~Whitney Discography~

2012年02月18日 | お気に入りアルバム
 ホイットニー・ヒューストンの突然の訃報。周囲のHelp(特にWhitneyの生みの親クライヴ・デイヴィス)もあり、2年前にはアルバムも出しチャートでも1位を獲得、復活の手ごたえもつかみます。アーティストとしての輝きを取り戻しつつあったと思っていました。そしてこの訃報です。残念です。
 ホイットニーのビルボードの1位獲得曲数は11曲で歴代7位。(1位:ビートルズ(20曲)2位:マライア・キャリー、エルヴィス(18曲)4位:MJ(13曲)5位:マドンナ、シュープリームス(12曲))まぎれもないスーパースターです。
 ホイットニーも、R&BとPOPの垣根を崩したアーティストの一人だと思う。WhineyはFav Artistにあげるほど好みのアーティストではないですが、アルバムはほぼ持っています。3rdまでリアルタイムに購入していました。全世界で今や4千万枚以上のセールスをあげた『BODYGUARD』で頂点を極めたといってもいいでしょう。日本でも普段黒人の女性ボーカルを聞かない人もホイットニーのこのアルバムを購入した。
 Whitneyのように歌える人はそういるものではありません(さらにモデルもしていたというビジュアルです)。ゴスペルが彼女のルーツだと思いますが、アレサ・フランクリンやパティ・ラべルのようなパワフルさが全開のボーカルスタイルではなかった。透明感と繊細さも兼ね備えていた高音も素晴らしい稀有なボーカルだったと思います。 
 ホイットニーを語る上で母親のシシィー・ヒューストンは欠かせない。シシィーは、スウィート・インスピレイションズという4人組のリーダーだった。R&Bでスマッシュヒットを飛ばし、グループ名を冠した「Sweet Inspiration」はR&B-5位(Hot-100でも18位)のヒットとなる。シシィーを中心にした彼女らのボーカルワークは当時群を抜いていたと言います。アレサ・フランクリンのバックボーカルもつとめ引っ張りだこだったそうです。しかし、そんな中、幼いホイットニーを置いて、シシーは長期間家を空ける事を望まず。仕事より、家庭、娘を第一に考えて行動したと言います。それがさらなる成功を求めるメンバーとも軋轢をうみ、グループを脱退します。
 シシィーもソロとしての成功を求めたのかもしれません。ホイットニー自身も、自分は母親の才能をそのままが引き継いでいるといっています。母親が成功できなかったのは、時がついてこれなかっただけだと。時代は、シシィーを求めていなかった。しかし、娘のホイットニーはその類まれなる才能を、母親の恵まれた環境で伸ばしていき、そして発掘されメジャーデビューする事ができた。これが必然だったのか、強運だったのかはわかりません。
 そしてWhtneyをスターに導いたのがアリスタの社長・クライヴ・デイヴィスでした。ただクライブのホイットニーに対するファースト・インプレッションは、ふつうだったと。「歌のうまい女の子」、それ以上でもそれ以下でもないという評価だったというのは意外です。ただ実際にホイットニーを発掘したA&Mのジェリー・グリフィスをはじめ、アリスタのスタッフが彼女の才能にほれ込んだ。それがクライブに再考を促した。エピックやエレクトラというビックレーベルがホイットニー獲得に向け動きますが、最終的にクライヴ・デイヴィスの業界での実績を信じホイットニー親子はクライブに運命を託すことになるのです。
 そして、いきなりデビューアルバムを出すのではなく、大物アーティストのパッケージでWhitneyの存在を浸透させていきます。それがテディー・ペンダーグラスの「Hold Me」とジャーメイン・ジャクソンとの「Take Good Care Of my Heart」です。私もジャーメインのアルバムに収録された「Take Good ---」でホイットニーを知る事となります。この曲の主役は、あくまでもジャーメイン。Whitneyは控えめな感じ。でもとても新人とは思えない雰囲気、そして当時21歳でしたがすごく大人びたVoval。ジャーメインとの相性もバッチリでした。しかしデビューアルバムリリース前のこの2曲でのシーンの登場が、85年のグラミー新人賞のノミネート資格を奪います。
 それではWhitneyのアルバムとNo1曲(R&BとHOT100)と、個人的な重要曲をチョイスして紹介したいと思います。後半につれて内容が浅くなると思いますが、Whitneyへの関心が薄れていってしまった流れなのでご容赦を。

そよ風の贈りもの~25周年記念盤(DVD付)
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SMJ

 割と方向性が決まらなかったデビューアルバムだったようです。とにかくいい楽曲を集めようという事でレコード会社は動いた感じ。そして新鋭というより、安定感のある確かなProducerが起用され既に発表されていた2曲も含め、計10曲が収録されます。
 正式なデビュー曲は「Hold Me」(R&B-5位/Hot100-46位)になるようです。アルバムからは、5枚シングル化されます。
 
 You Give Good Love     R&B1位/Hot100-3位
 Saving All My Love For You R&B1位/Hot100-1位 ★
 How Will I Know      R&B1位/Hot100-1位 ★
 Greatest Love Of All    R&B3位/Hot100-1位 ★
  
 アルバムからの1stシングル、クライブをはじめ「これだ!」思わせたと本当の意味でのデビュー曲がララが書き、カシーフが手がけた「You Give Good Love」(そよ風の贈りもの)で、見事にR&B-1位、Hot100でも3位というビックヒットとなります。その後POP化路線のWhitneyですが、デビューシングルのターゲットはやはり基盤となるR&B層だったようです。ベースのリスナーを掴み、あせらずじっくりプロモートをしていく方針だったそうですが、Hot-100でも3位まで上昇するとい想定外の状況をうみます。時代とリスナーが新たなディーヴァの誕生を心待ちにしていたかのようです。
 そして次に「Saving All My Love For You」(すべてをあなたに)が全米1位を獲得。当時のWhitneyの年齢には似つかわしくない大人のLoveバラードですが、見事に曲の世界を表現しています。個人的には、このVocalスタイルが「Always Love You」より全然好き。ホイットニーは、この後ディーヴァとして前人未到の領域に突入していきます。それと同時に、なんか弱さみたいなものが微塵も感じれなくなった。自信に満ち溢れたボーカルなのです。でも1stは、ほとんど完成されたスタイルの中に、微妙な弱さを感じる。そこのブレンド感が好きなのです。
 「Thinking About You 」もシングルになっていたのは後で知りました。全然話題にならかったから。個人的にはブラコン風のダンサンブルな曲で好き。このシングルはこけたといえばこけた感じだけど。(7曲連続1位とよく紹介されますが、この曲のシングルはどういうあつかい???)
 この後のWhitneyとヒットシングル連発のナラダ・マイケル・ウォルデンの「恋は手さぐり」が大ヒット。この曲でかなりPOP層を掴んだ感じ。元々はジャネット・ジャクソンをイメージした曲だったらしい。
 「Greatest Love ALL」はPVも感動的で心にしみたバラードでした。デビュー前からずっと歌ってきた曲だったそうです。この曲は、元はデビューシングルの「そよ風の贈りもの」のB面でしたが、5枚目のシングル(A面)としてきられ見事にNo1シングルとなります。
 アルバムからは、3枚のNo1シングルが出ます。デビューアルバムは世界で2千万枚以上売れ(USAでは1200万枚)、女性歌手のデビューアルバムでの最高記録を樹立します。クライブをはじめとするアリスタレコードもここまでの成功は予期していなかった。Whtneyの成功は歌のうまさだけではない。やはりこのエレガントなビュジアルも成功の要因。
 この前も述べましたが、このアルバムの日本盤は、A面とB面が入れ替わっているようです。本来、「You Give Good Love」が1曲目だったという。
 グラミーでは、アルバムが最優秀アルバムにノミネートされますが、受賞はできず(フィル・コリンズが獲得)。「すべてをあなたに」で最優秀POP歌手を受賞。
 この後、2nd発売までに、まったくの空白をうまないようにサントラ『パーフェクト』に参加。これはアリスタのアーティストが総動員されたサントラで、メインテーマを歌うのはジャーメイン・ジャクソンでした。このアルバムに「Shock Me」というジャーメインとホイットニーの3曲目のDuoとなるエレクトリックDance曲が収録されます。ホイットニーはバラードシンガーのイメージが強いかもしれませんが、Dance系の曲のVocalも素晴らしい。ジャーメインとはこれまでバラード系での共演でしたが、このシンプルなDance曲での2人のボーカルの絡みは絶品です。
 
プレシャス・モーメンツ
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BMG JAPAN Inc.

 翌86年、ジャーメインのアリスタでの2ndアルバム『プレシャス・モーメンツ』を発表。ここにもホイットニーとの4曲目となる「If You Say My Eyes Are Beautiful」という美しいバラードが収録されます。ただ不思議な事にNo1ヒットとなるポテンシャルをもつこの曲をシングル化しません。ジャーメイン自身は、ホイットニーがこの曲のDuoの相手になった時点でシングル化はないと思い“むかついた”という発言もしています。翌年に控えるホイットニーの2ndアルバムに向け露出過多になるのを恐れたとありましたが、つなぎの曲としても最高じゃないかと思うおれですが。ホイットニーの船出に多大な貢献をしたジャーメインですが、2ndアルバムには、前作からのProducerがほとんど起用される中、ジャーメインは迎えられません。2人は恋愛関係にあったというのは噂か?2人の距離を離すための方策だったのでしょうか。どちらにしろこのバラードがシングルにならなかったのは残念でなりません。
 大成功の1stを受けて製作された2nd。よりPOP化した作品。個人的には、あまり冒険もしていない超コマーシャリズムなアルバム。ただVocalの安定感というかバランスは一番いいかも。

ホイットニーII~すてきなSomebody
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BMG JAPAN

 I Wanna Dance With Somebody  R&B-2位/Hot100-1位 ★
 Didn't We Almost Have It All  R&B-2位/Hot100-1位 ★
 So Emotional             R&B-5位/Hot100-1位 ★
 Where Do Broken Hesrts Go     R&B-2位/Hot100-1位 ★
 
 このアルバムのSOUND面の主役は、ナラダ・マイケル・ウォルデンでしょう。彼が手がけた曲が3曲1位になります。ナラダは、この年、スターシップの「愛は止まらない」、ジョージ・マイケル&アレサの「愛のおとずれ」のNo1ソングを生み、グラミーの最優秀プロデューサーとビルボードの最優秀プロデューサーのダブル受賞をしています。「So Emotinal」はかなり気に入りました。SOUNDもいいしWhitneyのボーカルパフォーマンスも最高。バラードであまりお気に入りの曲がありませんでした。シングルにはなっていませんがIsely Brothersの「Love Of You」のカバーが大好き。この高音のSensitiveなボーカルは素晴らしい。
 このアルバムはまたまたヒットし、世界的には1500万枚以上のセールスとなりますが、1stを超える事はできませんでした。
 グラミーでも、最優秀アルバムにノミネートされますが受賞できず(U2が獲得)。「すてきなSOMEBODY」で最優秀POP歌手を受賞。ノミネートでもわかるようにR&Bでのノミネートはありません。このアルバムは、ソウル・トレイン・ミュージック・アワーズ(BLACK MUSICのグラミー賞)で、ナタリー・コール、ジョディ―・ワトリーを抑えて最優秀アルバムに輝くのですが、壇上に上がるホイットニーに対して一部からありえないブーイングがおこるのです。これには彼女は相当傷ついたといいます。
 そして90年の3rdアルバムです。正直、2ndでホイットニーに対する関心は薄れました。同路線の3rdなら購入しなかったと思うのですが、当時最高に気に入っていたLA&BABYFACEが起用され購入。これまでにないR&B/Dance路線にシフトします。

アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト (I'm Your Baby Tonight)
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Arista Records

 LAFACEが起用されたのは、当時最高に勢いがあったProducerチームだったというのと、彼らはアリスタ傘下にラフェイスレーベルを設立するのでもわかるようにクライブとの結びつきも強かった。彼らもWhitneyというTopアーティストを手がける事に誇りと喜びを感じたに違いない。

 I'm Your Baby Tonight  R&B1位/Hot100-1位 ★
 All That Man I Need   R&B1位/Hot100-1位 ★
 
 1stシングルは、LA&BABYFACEによるUrbanなDance Track「I'm Your Baby Tonight」が見事に1位に輝きます。これはR&BではNo1獲得しまくりのLAFACEにとっても初のHOT-100での1位となります。ただこの曲、日本のレコード会社がまたまた勝手な事をしてるかわからないのですが、本来のLA&BABYFACEバージョンではなく、Smooth感のあるRemixバージョンがアルバムに収録されています。それまでLAFACE SOUNDをほぼ聞いていたので、最初に聞いたとき、LAFACEっぽくないなと思いました。本来のバージョンはBest盤に収録されています。実際は、どちらでプロモートされたかはわかりません。ただシーンには、これまでにないWhineyのスタイルが提示されて。前作では1曲も獲得できなかったR&Bでも1位に輝きます。
 2nd「All That Man I Need」も美しいバラードをSOUNDはナラダが手がけます。No1シングルは2枚のみになります。
 その後メロディーメイカーとして伝説的な記録を作るBABYFACEによるバラード「ミラクル」も、これまでの彼らのバラードのクオリティーからしたらおちる。ルーサーとの曲や、Whitneyのスター、スティーヴィー・ワンダーとのDuo「We Did't Know」もシングル化しますが、そこまでエキサイティングな出来でもなくヒットもボチボチ。
 アルバムセールスの前2作にはまったく及ばないUSAで400万枚でチャートも1位を獲得できず。LA&BABYFACEは88年に手がけたボビー・ブラウンのアルバム『Don't Be Cruel』のようなエポックメイキングなアルバムを作る事はできませんでした。
 
Something in common [Single-CD]
クリエーター情報なし
Import

 92年、Whitneyの私生活に転機が訪れます。映画界に進出しあの『ボディーガード』の撮影に入ります、楽曲的には重要曲があります。それが夫となるボビー・ブラウンとの共演曲「Something In Common」です。91年、MJの『Dangerous』も登場しているTeddy Rileyが手がけた『Bobby』からのシングル曲です。ホイットニーとNew Jack Swingの絡みがみれるのです。LA&BABYFACEとR&B/DANCE路線はしますが、TeddyのようなHip Hop TasteのDance Grooveとの絡みは初めてです。たぶん、ボビー・ブラウンと出会っていなかったらこの時期、WhitneyとTeddyが絡むことはなかったように思います。でこれがすごくいい感じ。曲もいいし、2人のボーカルの絡みもいい。もっとヒットしてもよさそうなのに、R&B-30位(Hot100-32位)どまりです。
 ホイットニーにとってボビーはまったく違う世界の人間だったと思います。ソウルトレインの授賞式での席上で近くになった2人。既に頂点にたったホイットニーは、業界関係者から数多くの求愛を受ける中、ボビーは彼女にまったく興味をしめさなかったといいます。それがホイットニーのプライドを傷つけ、彼女を燃え上がらせたという。BAD BOYのボビーもこれまでの世界とは違うエレガントなWhitneyに惹かれていったようです。(既に2人の子供が別の女性との間にいたそうですが。R&Bのやんちゃ系スターにはよくある話)
 
THE BODYGUARD
ケニー・G,サントラ
BMGビクター

 そんなボビーとの恋を育みながら『ボディーガード』の撮影に臨むのです。で、実際撮影時にボビーの子供を宿している事がわかるのですが、過密スケジュールと心労で流産してしまうのです。しかし、その出来事が2人の絆をさらに強めたといいます。黒人女性ボーカル歌手でハリウッドで成功したのは、ダイアナ・ロスくらいでしょう(今はビヨンセ)。ハリウッドは白人の世界、やはりBLACK ARTISTが映画界で成功するというのはかなりの壁があるようです。『ボディーガード』は、92年年末から公開され世界的なヒットになります(これまた『ボディーガード』まだ見た事ないおれ・・・)。
 
 I Will Always Lovw You (R&B1位/Hot100-1位) ★

 この曲は、Hot100で14週連続1位という(当時の)記録を作ります。イントロをアカペラにという提案をしたのがケビン・コスナーだったというのは驚いた。この『BODYGUARD』で感じる自信に満ち溢れた非の打ちどころのない唱法が、逆になんか好きになれなかったおれ。ホイットニーの強い希望で取り上げられた「I'm Every Woman」は好きです。
 このアルバムはグラミーの最優秀アルバムも受賞、主題歌は最優秀レコードを受賞。まさに頂点を極めます。
 この頃が彼女の人生の頂点だったかもしれません。これ以上の成功を極めれる人はそういないでしょう。そして頂点に到達した後は、やはり下るしかないのか。それは、年齢により衰えもあるでしょう。音楽シーンの変化、大衆は常にフレッシュな才能を求める。右肩上がりで上昇し続ける人生なんてない。その下っていく中でどう向き合っていくかのだと思うのですが、ある意味デビューしてから次々と成功を手にしたホイットニー。彼女の発言には所々強気な面が見られます。自身の才能と運に絶対的な自信をもっていたように感じました。
 そしてボビーとの結婚。この結婚が、転機になった。でもそこには愛があったのは間違いない。ボビーからのプロポーズのエピソードで、その辺に売っている安物の指輪を差し出し求婚したというボビー、そして「Yes」と返したWhitneyに、本物のダイヤの指輪を差し出した。二人はお金結びついたのではないと思います。しかし、結婚後金銭面でもめてくるのも事実なのです。
 ホイットニーは、ボビーとの平穏で普通の家庭を望んだといいます。ボビー・ブラウンは前述のLA&BABYFACE、テディー・ライリーと組み88年『Don't Be Cruel』を発表。R&B的に、エポックメイキングなのはMJの『BAD』ではなく『Don't be Cruel』でした。R&Bをベースにしつつも、Bobbyの抑える事のできないStreet感がうまく融合した。まさにボビーも一度頂点に立った男なのです。ホイットニーも、ボビーのパフォーマンスに釘付けになったといいます。
 そんなボビーが勢いがあったのも91年の2nd『Bobby』まで。何十億というお金が彼の元に入ってきたと思いますが、資産管理がずさん、さらに浪費し、お金がなくなっていきます。シーンのヒップホップ化はすすみ、パイオニアだっボビーにも影響を受けたであろう、Usherや同世代のP.diddyのヒップホップがシーンを席巻し、どちらかとえいば中途半端なスタイルになったボビーの居場所がなくなりつつあった。古巣のNEWEDITIONにも参加するも、(彼は短気なのか)メンバー間ともトラブルになりまた脱退(でもつながりは続いている)。一度頂点を極めた男のプライドが彼の人生を狂わせたのかも。といっても今年2012年、Newアルバムの発表という情報もあります。
 一方、ホイットニーも、自分の居場所がなくなりつつあるのを感じていたのかもしれません。『ボディーガード』の大ヒットの最中、R&BとHip Hopを融合させてメアリー・J・ブライジのスタイルがシーンを魅了ししつつあった。そして90年代にホイットニーに代わり頂点に立ったマライア・キャリーの登場。LAFACEが第2のホイットニーにすべく登場させたトニー・ブラクストン。ホイットニーが切り開いた場所に、次のディーバ達が次々押し寄せるのです。
 93年に愛娘クリスティーナちゃんを出産。子供との時間を大切にし過ごします。で再びシーンにもどったのが、映画とサントラ『ため息つかせて』でした。 

Waiting To Exhale: Original Soundtrack Album
クリエーター情報なし
Arista

 このアルバムは、Producer、ライターとしてLAと離れ独立し活動を始めたBABYFACEのビックプロジェクト。映画のサントラですが、ホイットニーをはじめ、ベテランから若手まで旬なアーティスト(メアリーJB、ブランディー、アレサ、チャカ)が参加。

Exhale   (R&B1位/Hot100-1位) ★
 
 主題歌の「ため息つかせて」が1位に輝きます。BABYFACEらしいハートフルな曲(好きじゃないけど)、グラミーでも最優秀楽曲でもノミネートされます。そしてこの96年の前後のグラミーの最優秀プロデューサーはBABYFACEです。この曲が、Whitbeyの11曲あるHot100での最後の1位となっています。

「天使の贈りもの」~オリジナル・サウンドトラック
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BMG JAPAN

 ホイットニーの映画・サントラの関わりが続きます。シーンの動向を見据えてこの時期は映画に重点を置いていたのかもしれません。そして邦題『天使の贈りもの』はサントラといっても、ホイットニーのソロアルバムのようです。ホイットニーは牧師の妻を演じ、自身のルーツであるゴスペルをテーマにした作品とアルバムになっています。80年代はクライブ・デイヴィス主導によるスター製造プロジェクトにのかっていったホイットニーですが、ここにきてようやく自身のアーティストとしての主張ができた感じです。映画もサントラも大ヒットはしていませんが、ホイットニーのボーカルは素晴らしい。『BODYGUARD』とはちがって、すごくナチュラルでいい。
 ヒットはしていませんが「Somebody Bigger Than You And I」は、SmoothなDance Track(テーマはもち神への讃歌だけど)。ここには、NEの三人衆、ラルフ、ボビー、そしてジョニー・ギルも参加。さらにモニカ、フェイス・エバンスも参加しているすごくゴージャスな曲。せめてR&Bで大ヒットしてもよさそうなんだけど。BABYFACE、ダイアン・ウォーレンという最高のライターも参加しています。
 アルバムは、最高位は3位、300万枚のセールスを記録。今、この映画を一番見たいという気持ちが強い。

マイ・ラヴ・イズ・ユア・ラヴ
クリエーター情報なし
アリスタジャパン

 そして99年、8年ぶりのオリジナルアルバムが発表されます。この8年でシーンは激変しています。ホイットニーの再復帰アルバムとしても注目された。

 HERATBREAK HOTEL (R&B-1位/Hot100-2位)

 フェイス・エヴァンスとケリー・プライスの助力は得たとはいえ、主役はやはりホイットニー。「ハートブレイクホテル」はR&BでもPOPでもヒットしミリオンも達成。ホイットニーの健在ぶりを感じました。でSOUND的に、注目はこの頃最高潮のロドニー・ジャーキンスの起用です。(同時期MJの『Invinsible』の製作にも関わっている)彼のシングルは悪くはないですが、強烈なヒットにはつながらず。ホイットニー復帰を印象付ける手助けにはならず。このアルバム、マライア・キャリーとの「When You Belive」というスーパーDUOソング(ライターはBabyface)も収録されていますが、サントラやマライアのアルバムにも収録され、露出が多かったことが影響してか、このビックネームの2人なのにシングルヒットしないという不思議な現象が起きます。
 個人的には、同路線の『I'm Your Baby tonight』よりこちらのアルバムの方が好きです。ただボーカルの質が変わっているのを感じます。かつてのような透明感ある高音が出なくなっている。そして若干ではありますが声のかすれ。それをパワフルなボーカルでカバーしている印象を受けます。
 このアルバムの最高位は13位、しかしチャートには長期間留まり400万枚のセールス。グラミーでも最優秀R&Bアルバムにノミネート。シングルヒットした「ハートブレイク」と「It's Not Right ,But It's Okay」の2曲が最優秀R&Bソングでノミネート。R&Bでの評価はこれまでのアルバムで一番高いのではないでしょうか。しかし、そうするとPOP層に浸透しないという難しさ。『BODYGUARD』を聞いたリスナーが、このR&B色の強いアルバムを消化するのは難しいかも。
 00年、これまでの経歴を整理し、再出発を期するかのようなゴージャスな2枚組が発売されます。

ザ・グレイテスト・ヒッツ
マイケル・メイサー,D.ピッチフォード,ベイビーフェイス,サンディ・リンザー,ダイアン・ウォーレン,アルバート・ハモンド
アリスタジャパン

 このアルバムの売りは、既出曲のロドニー・ジャーキンスProの「If I Told You That」がDuoソングとなり、相手がジョージ・マイケルなのです。SOULな2人の絡みは絶品です。あと前述した「I'm Your Baby Tonight」のLA&BABYFACEオリジナルバージョンも収録。これまでジャーメインのアルバムでしか聞けなかった「恋するまなざし」も収録。Whitneyの11曲のNo1ソングがすべて収録されているお買い得盤です。
 そしてこの頃から、あのホイットニーの醜聞が目につくようになります。ドラック、DV、離婚などNegativeなものばかり。 
 そんな中、クライブの後継者としてあらたにアリスタのTOPに就任したLAリードの体制でWhitneyのアルバムが製作されます。LAリードも、LAFACEレーベルで、アッシャー、TLC、トニー・ブラクストン、アウトキャストとスターを輩出させた才人。

Just Whitney...~Bonus DVD Edition~
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BMG JAPAN

 ホイットニーの新作は、レーベルあげてのBIGプロジェクトになります。SOUND面では、勢いのあった斬新な音を作るシェイクスピアを起用。LAの元相棒のBABYFACEの曲はアルバムに安定感をもたらす。悪くはないですが、1stシングルが、Produce業にも意欲を見せるボビーの曲を起用(RemixはP.diddy)。ボビーとのDuoも収録。当時、Jam&Lewisも参加しているという情報だったのですが、アルバムには収録されず。最終選考で削られた感じです。だいたいWhitneyのアルバムは、いい楽曲と旬のProducerを起用するというもの。Jam&Lewisとがっちり組んで、コンセプトを明確にしたアルバムも聞いてみたかった。
 マライアは、Jay-Zをゲストとして迎えたり、Hip Hop路線も巧みに導入した。ビヨンセもHip Hopグルーヴも消化したNew世代アーティスト。しかし、Whitneyは王道の女性ボーカル路線を継続したように思います。
 アルバムは、LAリードの目論見通りの結果を生みません。

アイ・ルック・トゥ・ユー
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BMG JAPAN Inc.

 ボビーとの離婚も成立し、心機一転の復帰作。スターWhitneyの産みの親クライヴ・デイヴィスがバックアップし、復帰作を制作。クライブは77歳、すごいバイタリティーです。このアルバムでもデビュー作のように、良い曲をチョイスし、優秀なプロデューサーを集めた。個人的にはR.ケリーの参加が興味深い。このアルバムのみいまだに購入していません。ただホイットニーのVocalの質は変わっている。
 このアルバムはアルバムチャートでも1位を獲得し、復帰にたしかな手応えを感じます。
 その後、あまり情報は入ってきませんでした。ただ今回の報道を見ると、最近もまだ不安定な状態にあったような事が記されています。これまでの実績からしたら、ホイットニーの資産も相当なはずなのですが、周囲の支援なしには成り立たない程困窮していたといいます。いったいなぜ?というクエスチョンしかでてきません。
 自分でもこうして振り返ってみると、WhitneyにもBlack Musicの素晴らしさ、女性ボーカルの魅力を教えてもらった。残念な死ですが、彼女の功績はこれからもずっと輝き続ける事でしょう。
 安らかな眠りをお祈りします。

★吉岡正晴氏訳のこの本を一部参照させて頂いています。
ディーヴァ―ホイットニー・ヒューストン物語
ジェフリー ボウマン
TOKYO FM出版




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