85年の「We Are The World」は音楽シーンにおいても歴史的なプロジェクトだったと思います。前回、Blogでクインシ・ジョーンズのまとめをしていた流れで、それまで完全スルーしていた『We Are The World』の20周年記念盤を視聴し、またまた深い感銘を覚えたわけです。
さらに(次回またとりあげますが)マイケル・ジャクソンの秘蔵映像を収録、こんな貴重な映像を見逃していたとは!MJファンは必見です、ボーナストラックのMJのガイドボーカルは。
あらためて参加したアーティストの凄さに驚きます。それは、ビルボードのチャート視点から紐解けばよくわかります。
発起人の一人、ケン・クレイガンも大体的にやりたかったと述べています。
それこそチャートの順の上からトップアーティストに声をかけたと。
「アフリカの飢餓を救う」このプロジェクトは、当初は、彼らのルーツでもある黒人アーティストが中心のチャリティー活動になるようでしたが、予想に反し大物の白人アーティストの賛同も得ます。
クインシーも、多くのアーティストからリスペクトされるボブ・ディランとレイ・チャールズの参加がプロジェクトの成功を一気に加速させたと述べています。
後、ブルース・スプリングスティーンの参加も大きかったと。
まずこのプロジェクトの前年の84年、ビルボードのアルバムチャートを見てみますと、年間アルバムチャートの1位はマイケル・ジャクソン『スリラー』です。
以下アーティスト名でベスト10を見てみます。参加したアーティストがほとんどなので、不参加のアーティストを明記してみます。
1. Michael Jackson
2. ヒューイ・ルイス&ニュース
3. ライオネル・リッチー
4. ビリー・ジョエル
5. カルチャー・クラブ (英国)
6. ヴァン・ヘイレン ★不参加
7. ZZトップ ★不参加
8. ポリス (英国)
9. フットルース(サントラ)*ケニー・ロギンス参加
10. デュラン・デュラン (英国)
ベスト10の内、不参加はヴァン・ヘイレン、ZZトップ。ハードロック勢ですハードロック勢は招集されなかったのか、拒まれたのか。ジャンルのカテゴリーが違いすぎたのか。あとは、グループとしての評価が高いので、リードボーカリストのみの招集は難しかったのかもしれません。
USA for AFRICAには、ケニー・ロジャース、ウィリー・ネルソンというカントリー界の大物が参加しているのも大きい。
ロッカーとしての代表格としてブルース・スプリングスティーン、社会派ボブ・ディラン、人気者のヒューイ・ルイスも参加。
クインシーも、ブルースとボブ・ディランの参加にこのプロジェクトの成否がかかっていたと。
次に84年ビルボードシングルトップ10アーティスト。
1. Prince (楽曲提供のみ参加)
2. ティナ・ターナー
3. P.マッカトニー(英国)&MJ
4. ケニー・ロギンス
5. フィル・コリンズ (英国)
6. ヴァン・ヘイレン ★不参加
7. ライオネル・リッチー
8. イエス (英国)
9. レイ・パーカーJr ★不参加
10. カルチャー・クラブ(英国)
ここで最大の注目はPrince。
当初は、もちろん参加を要請され本人もOKしていた。
にも関わらずドタキャン的な不参加。公には、当日ボディーガードがトラブルを起こして参加できなかったとありますが、これは確信犯的。
西寺郷太氏によると、ボディーガードに乱闘をおこさせたらしい。
プリンスのパートは、ブリッジのマイケルに続くヒューイ・ルイスのとこのよう。マイケルからプリンスへの受け渡し、みてみたかった。
Making映像でのプリンスの行動もみてかった。マイケルとプリンスの2ショット見たことないんだよな。
クインシーもプリンスのドタキャンに怒ったとか。
でもプリンス自身は、この活動自体には大いに賛同していたに違いない。05年、ニューオリンズに壊滅的なダメージをもたらしたハリケーン・カトリーナ。そのチャリティーソングをいち早く発売したのはPrinceでした。タイトルは「S.S.T.」(Sade’s Sweetest Tabooの略)、こういう危機的なときこそ、SADEのこの曲のようにクール(冷静)にいこうという意味合いだそう。当初はDL販売だったそうですがですが、今はCD販売されてます。
実際、個人的にはいろいろな要素がからんでの不参加だと思う。以下おれが思う理由。
・マイケルの曲を歌うのが嫌だった、曲が気に入らなかった
・自分が中心でないのが嫌だった(ただ単に協調性がなかった)
・自身の背の低さを気にした
・自身の神秘性を貫きたかった
で、実際最大の要素は、背の低さを気にしたと思ってるオレ。Making Videoの撮影も視野に入れてたと思う。それと自身の神秘性を貫きたかった。『パープルレイン』の大成功も、プリンスの謎めいた普通でないキャラが要因としてあったと思う。もっと平たく言えばアウェーは苦手ってとこかな。
レイ・パーカーJrはなんでだろう?「ゴーストバスターズ」は大当たりしたけど、元々セッションミュージシャンの印象が強い。ギターリストとしての参加もありのような気がするけど。ヒューイ・ルイスの曲のパクリとレイ自身も認めたのもあり、ヒューイと顔をあわせずらかったのかも。ギターリストとしての参加もありのような気がするけど。
次に、アーティスティックな視点から。グラミーでのノミネーションからみてみます。
前年の84年。最優秀レコード、最優秀アルバムノミネート・アーティスト。
ティナ・ターナー
ブルース・スプリングスティーン
シンディー・ローパー
シカゴ ★不参加 (楽曲提供のみ)
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ライオネル・リッチー
プリンス&ザ・レボリューション (楽曲提供のみ)
シカゴ、直接のレコーディングは不参加ですね。リードボーカルのピーター・セテラがちょうどこの時期脱退しているのも影響しているのかな。アルバムに楽曲提供をしています。
後は、全アーティストが参加しています。そしてそれぞれにソロパートが与えられています。
最優秀新人のシンディー・ローパーも強烈な個性をはなっていました。
最優秀男性ポップ歌手 フィル・コリンズ(英国)
最優秀女性ポップ歌手 ティナ・ターナー
最優秀ポップグループ ポインター・シスターズ
最優秀男性ロック歌手 ブルース・スプリングスティーン
最優秀女性ロック歌手 ティナ・ターナー
最優秀ロックグループ プリンス&ザ・レヴォリューション
最優秀R&B男性歌手 ビリー・オーシャン(英国)
最優秀R&B女性歌手 チャカ・カーン ★不参加
最優秀R&Bグループ ジェームス・イングラム(参加)&マイケル・マクドナルド(不参加)
ここではチャカ・カーンの不参加が印象的。
84年、「Feel For You」が大ヒットしたチャカ。クインシーともつながりが深いし、呼ばれてもいいアーティスト。チャカのアドリブ的なバックボーカルはすごい魅力的だと思う。
スケジュールがあわなかったのか。
85年のグラミーも見てみます。最優秀レコードと最優秀アルバムのノミネート・アーティスト。
USA For Africa
ドン・ヘンリー ★不参加
ブルース・スプリングスティーン
ダイアー・ストレイツ (英国)
ヒューイルイス&ザ・ニュース
フィル・コリンズ(英国)
スティング(英国)
ホイットニー・ヒューストン ★不参加
最優秀レコードと最優秀ソングを「We Are The World」が獲得する事になります。
壇上でスピーチするライオネル・リッチーは、これはみんなの賞だと謝辞を述べます。
まさにその通りで、このグラミー最高峰の賞である最優秀レコードを争った、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイスも参加アーティストなわけですから。
イーグルスのドン・ヘンリーは、声がかかるべきアーティストだけど断ったのかな。
ホイットニーも、85年に大ブレイクしたアーティスト。もう1年ブレイクが早かったら、間違いなくソロパートを与えられていたアーティスト。
そして「ウィー・アー・ザ・ワールド」もさらに素晴らしいものになったはず。ホイットニーのボーカル聞いてみたかった。
最優秀新人は、英国のSADEでした。
R&B的にはフレディー・ジャクソンが新人賞でしょうが、不参加。それをいうのなら当時のブラコンアーティストのもう一人の代表格、ルーサー・ヴァンドロスも不参加。
最優秀男性ポップ歌手 フィル・コリンズ (英国)
最優秀女性ポップ歌手 ホイットニー・ヒューストン ★不参加
最優秀ポップグループ USA For AFRICA
最優秀男性ロック歌手 ドン・ヘンリー ★不参加
最優秀女性ロック歌手 ティナ・ターナー
最優秀ロックグループ ダイアー・ストレイツ (英国)
最優秀男性R&B歌手 スティーヴィー・ワンダー
最優秀女性R&B歌手 アレサ・フランクリン ★不参加
最優秀R&Bグループ コモドアーズ ★不参加
アレサ・フランクリンの不参加も今さらながら気づいた。
R&B女性歌手としては、ダイアナ・ロスが一番目立っていた。次にデュオンヌ・ワーイックか。
パワフル系R&B女性ソロが不在。クイーン・オブ・ソウルのアレサの不参加はなぜ??
グラミーでの評価はめちゃくちゃ低く、ノミネートはありませんが、この時期大ブレイクしたのはマドンナ。
85年の顔ともいえる人です。マドンナの場合、そもそも声がかからなかったみたい。USA For AFRICAに呼ばれるには、アーティスト性も求められた気がする。
当時のマドンナはちょっと色物的なとこもあったのは確か。ダンス系アーティストは、グラミーでの評価が低かった。ライヴァル的なシンディー・ローパーはグラミーでの評価も高かった。
しかし90年代に入るとそのポジションは逆転しますが。そして歌唱力の部分もあったようにも思う。
プリンスは、ファミリーの代表としてシーラEを派遣している感じ。ソロパートはなしでしたが。
次にシーンの中での通算データから。2001年時のデータですが。
【トップ10ヒットアルバム獲得数ランキングBEST10】
1. ローリング・ストーンズ (英国)
2. フランク・シナトラ ★不参加
3. ビートルズ (英国)
4. バーブラ・ストライサンド ★不参加
5. エルヴィス・プレスリー (逝去)
6. ジョニー・マティス ★不参加
7. ボブ・ディラン
8. エルトン・ジョン (英国)
9. ポール・マッカートニー (英国)
. ミッチ・ミラー (指揮者・楽団奏者)
. キングストン・トリオ (68年解散)
クインシーも手がけたことのあるフランク・シナトラは大御所すぎたのか。バーブラ・ストライサンドの参加もありだと思うけど。
社会派アーティストの、ボブ・ディランは逆にこういう大体的なプロジェクトは嫌いそうだけど、よく参加したなって思う。
他もうちょい下げてみると、アダルトコンテンポラリーの大御所、ニール・ダイアモンドも不参加。
【トップ100ヒットソングランキングBEST10】
1. エルヴィス・プレスリー (逝去)
2. ジェームス・ブラウン ★不参加
3. レイ・チャールズ
3. アレサ・フランクリン ★不参加
5. ビートルズ (英国)
6. エルトン・ジョン (英国)
7. ファッツ・ドミノ ★不参加
8. フランク・シナトラ ★不参加
8. スティーヴィー・ワンダー
10. パット・ブーン ★不参加
レイ・チャールズと並び、黒人アーティストからリスペクトされる人物、ジェームス・ブラウンも不参加。
っていうか強烈すぎて扱いが難しかったか。黒人アーティスト枠はいっぱいかな~。JBがいたらブルース・スプリングスティーンを超えるインパクトを残したはず。ゲロッパって。
ファッツ・ドミノ、パット・ブーンは大御所すぎか。
元は黒人のみのチャリティー活動の流れが強かったこのプロジェクト。黒人アーティスト視点で。
【R&B-No1アルバム獲得BEST10】
1. ザ・テンプテーションズ ★不参加
2. アレサ・フランクリン ★不参加
3. スティーヴィー・ワンダー
4. ザ・シュープリームス(ダイアナ・ロス参加)
5. マービン・ゲイ 逝去
6. ザ・アイズレー・ブラザーズ ★不参加
7. アイザック・ヘイズ ★不参加
8. ルーサー・ヴァンドロス ★不参加
9. バリー・ホワイト ★不参加
10. グラディス・ナイト&ザ・ピップス ★不参加
テンプスは、全盛期メンバーは代わってるからかな。アレサの不参加はやはり目立つ。アイズレーも声はかかったのかな。
グラディス・ナイトはソロ活動時にはビックヒットがなかったのもあるかな。
声をかけたのはいいけど、アーティスト側から「ソロパートはあるのか?」という確認はあったのかな。すべてのアーティストにソロパートは振り分けれない。確約はできないという答えで断ったアーティストもいたんじゃないかと思う。
やはりクインシーの「エゴは捨ててほしい」という言葉にいきつくと思う。
ソロパートがなかった大物アーティストとしては、スモーキー・ロビンソン(西寺郷太氏の著書によると予定外の参加で振り分けができなかったらしい)、ベッド・ミドラー。
マイケルやリッチーにとってもモータウンの大先輩アーティスト、スモーキーへの配慮はどうだったんだろう。
白人女性ボーカルとしては、キム・カーンズの印象はうすい。シンディー・ローパーはタイミングがよかった。この時の旬のアーティスト。ブリッジ部分のパフォーマンスは印象深い。
フリート・ウッド・マックもグラミー獲得や、No1アルバムももつビックアーティストだけど、リッジー・バッキンガム(右上)もソロパートなし。スティーヴィー・ニックス(右下)は不参加。
こういう大物アーティストが裏方に徹したのもこのプロジェクトの成功の要因。
ジャクソン兄弟もマイケルをサポート。三男・ジャーメインは呼ばれなかったのか、断ったのか知りたい。妹ジャネットもこの時は、まだアイドル的な存在。まさかの1年後の大ブレイクを予想した人はいなかったでしょう。
ソロパートのレコーディング風景で、すごい不思議に思ったのがアル・ジャロウ。
超一流のアーティストが集っていると思うのですが、アルはNG連発。明らかに音を外してるし、自分のパート部分の入るタイミングもつかめてない。ライオネル・リッチーが必死にサポートしてるし。なんとかみんなでつないでいくけど、アル・ジャロウの所でNG。最後には、歌う部分替えられてるし。そこにやはり見えない重圧があったんだろうな~。
ジェームス・イングラムは、その実績にしては登場回数が多い。ソロパートと終盤のボーカルでも登場。やっぱクインシー枠かな~。曲のバランスをとるためにポイントポイントでボーカルを任されている感じ。
没になってたけど、スティーヴィー・ワンダーとダイアナ・ロスの掛け合いの部分があったのは驚いた。やはりダイアナも天才的。アドリブなんだろうけどスティーヴィーとの息はピッタリ。このシーンも必見の一つ。
クインシーも、一流アーティストにソロパートを分けつつも、曲の中での流れや展開も考えて、やはりボーカルの配置はしたのだと思う。
こうして振り返ってみてUSA For Africaの真のベストメンバーを考えてみた。
白人男性アーティストとしては、シカゴのピーター・セテラとイーグルスのドン・ヘンリーは入れたい。でもジャーニーのスティーブ・ペリーも外せない。ケニー・ロギンスが外れるかな。
ポール・サイモンも外せないかな~。クリストファー・クロスも参加したかったが呼ばれなかった組だそうですが、当時ヒットがなかったもんな。
ブルースとヒューイの2トップも外せないな~。ヒューイはプリンスの代役という事なら、もともとメンバーにはいっていなかったの??
白人女性アーティストとしては、バーブラ・ストライサンドは入るべきでしょう。
マドンナもいたら華やかだけど、ボーカルの質はおちる。キム・カーンズは外れるかな(リアルタイムでないのでよく知らないのもあるけど)。
黒人男性アーティスト枠は、いっぱい。しかしその中で入るとしたら、ジェームズ・ブラウンでしょう。一気に空気とグルーブが変わったにちがいない。
黒人女性アーティストで、アレサ・フランクリンのようなパワフルゴスペル系ボーカルがいない事に今回気づいた。
これだけのアーティストを統率できるのは、やはりクインシー・ジョーンズしかいなかった気がします。
クインシー人脈で、ミュージシャンもすごい。TOTOのデヴィット・ペイチ、スティーブ・ポーカロ、ベースのルイス・ジョンソン、ドラムのジョン・ロビンソン、マイケル・オマーティアンもクインシーをヘルプする。
このプロジェクトを引き受けるにあたって、過去の作品での経験が役に立った事も挙げています。それはクインシーが手がけた、83年のドナ・サマーのアルバムでの「State Of Independence」。参加アーティストがひそかにすごい。
Michael Jackson in studio with Quincy Jones, sessions "State Of Independence"
大物であげると、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、デュオンヌ・ワーウィック、マイケル・ジャクソン、ケニー・ロギンス、マイケル・マクドナルド、ジェームス・イングラム、クリストファー・クロス。
USA For Africaのメンバーとかさなる。といってもこれだけの大物アーティストが参加していても、コーラス的な参加で、私は各々のソロの声はききとれません。
でもこれらのアーティストが集ったのは確かで、クインシーもこの時の経験は大きかったと述べています。(そういえばドナ・サマーも参加してないな)
「We Are The World」のレコーディングはアメリカン・ミュージック・アワードの終了後に行われるわけです。これだけの大物アーティストのスケジュール調整も大変だった事でしょう。スケジュール的に参加できなかったアーティストも多くいたことでしょう。
夜の10時からスタートし、すべてのレコーディングが終了したのが朝の8時。本当に徹夜の作業だったのです。
これだけの一流アーティストが真剣に、時にはユーモアをまじえレコーディングしている風景を見る事ができるこのメイキング映像は貴重です。アーティスト同士も、実際、こうしてふれあう機会はそうないんだと思います。
その中でマイケル・ジャクソンのプロフェッショナルぶりも垣間見る事ができます。それはまた次回。
あらためてこの『We Are The World』は奇跡のプロジェクトだったのを感じる。全世界のセールスは2千万枚。歴代5位、グループソングとしては1位の曲になっています。
さらに(次回またとりあげますが)マイケル・ジャクソンの秘蔵映像を収録、こんな貴重な映像を見逃していたとは!MJファンは必見です、ボーナストラックのMJのガイドボーカルは。
あらためて参加したアーティストの凄さに驚きます。それは、ビルボードのチャート視点から紐解けばよくわかります。
発起人の一人、ケン・クレイガンも大体的にやりたかったと述べています。
それこそチャートの順の上からトップアーティストに声をかけたと。
「アフリカの飢餓を救う」このプロジェクトは、当初は、彼らのルーツでもある黒人アーティストが中心のチャリティー活動になるようでしたが、予想に反し大物の白人アーティストの賛同も得ます。
クインシーも、多くのアーティストからリスペクトされるボブ・ディランとレイ・チャールズの参加がプロジェクトの成功を一気に加速させたと述べています。
後、ブルース・スプリングスティーンの参加も大きかったと。
まずこのプロジェクトの前年の84年、ビルボードのアルバムチャートを見てみますと、年間アルバムチャートの1位はマイケル・ジャクソン『スリラー』です。
以下アーティスト名でベスト10を見てみます。参加したアーティストがほとんどなので、不参加のアーティストを明記してみます。
1. Michael Jackson
2. ヒューイ・ルイス&ニュース
3. ライオネル・リッチー
4. ビリー・ジョエル
5. カルチャー・クラブ (英国)
6. ヴァン・ヘイレン ★不参加
7. ZZトップ ★不参加
8. ポリス (英国)
9. フットルース(サントラ)*ケニー・ロギンス参加
10. デュラン・デュラン (英国)
ベスト10の内、不参加はヴァン・ヘイレン、ZZトップ。ハードロック勢ですハードロック勢は招集されなかったのか、拒まれたのか。ジャンルのカテゴリーが違いすぎたのか。あとは、グループとしての評価が高いので、リードボーカリストのみの招集は難しかったのかもしれません。
USA for AFRICAには、ケニー・ロジャース、ウィリー・ネルソンというカントリー界の大物が参加しているのも大きい。
ロッカーとしての代表格としてブルース・スプリングスティーン、社会派ボブ・ディラン、人気者のヒューイ・ルイスも参加。
クインシーも、ブルースとボブ・ディランの参加にこのプロジェクトの成否がかかっていたと。
次に84年ビルボードシングルトップ10アーティスト。
1. Prince (楽曲提供のみ参加)
2. ティナ・ターナー
3. P.マッカトニー(英国)&MJ
4. ケニー・ロギンス
5. フィル・コリンズ (英国)
6. ヴァン・ヘイレン ★不参加
7. ライオネル・リッチー
8. イエス (英国)
9. レイ・パーカーJr ★不参加
10. カルチャー・クラブ(英国)
ここで最大の注目はPrince。
当初は、もちろん参加を要請され本人もOKしていた。
にも関わらずドタキャン的な不参加。公には、当日ボディーガードがトラブルを起こして参加できなかったとありますが、これは確信犯的。
西寺郷太氏によると、ボディーガードに乱闘をおこさせたらしい。
プリンスのパートは、ブリッジのマイケルに続くヒューイ・ルイスのとこのよう。マイケルからプリンスへの受け渡し、みてみたかった。
Making映像でのプリンスの行動もみてかった。マイケルとプリンスの2ショット見たことないんだよな。
クインシーもプリンスのドタキャンに怒ったとか。
でもプリンス自身は、この活動自体には大いに賛同していたに違いない。05年、ニューオリンズに壊滅的なダメージをもたらしたハリケーン・カトリーナ。そのチャリティーソングをいち早く発売したのはPrinceでした。タイトルは「S.S.T.」(Sade’s Sweetest Tabooの略)、こういう危機的なときこそ、SADEのこの曲のようにクール(冷静)にいこうという意味合いだそう。当初はDL販売だったそうですがですが、今はCD販売されてます。
実際、個人的にはいろいろな要素がからんでの不参加だと思う。以下おれが思う理由。
・マイケルの曲を歌うのが嫌だった、曲が気に入らなかった
・自分が中心でないのが嫌だった(ただ単に協調性がなかった)
・自身の背の低さを気にした
・自身の神秘性を貫きたかった
で、実際最大の要素は、背の低さを気にしたと思ってるオレ。Making Videoの撮影も視野に入れてたと思う。それと自身の神秘性を貫きたかった。『パープルレイン』の大成功も、プリンスの謎めいた普通でないキャラが要因としてあったと思う。もっと平たく言えばアウェーは苦手ってとこかな。
レイ・パーカーJrはなんでだろう?「ゴーストバスターズ」は大当たりしたけど、元々セッションミュージシャンの印象が強い。ギターリストとしての参加もありのような気がするけど。ヒューイ・ルイスの曲のパクリとレイ自身も認めたのもあり、ヒューイと顔をあわせずらかったのかも。ギターリストとしての参加もありのような気がするけど。
次に、アーティスティックな視点から。グラミーでのノミネーションからみてみます。
前年の84年。最優秀レコード、最優秀アルバムノミネート・アーティスト。
ティナ・ターナー
ブルース・スプリングスティーン
シンディー・ローパー
シカゴ ★不参加 (楽曲提供のみ)
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ライオネル・リッチー
プリンス&ザ・レボリューション (楽曲提供のみ)
シカゴ、直接のレコーディングは不参加ですね。リードボーカルのピーター・セテラがちょうどこの時期脱退しているのも影響しているのかな。アルバムに楽曲提供をしています。
後は、全アーティストが参加しています。そしてそれぞれにソロパートが与えられています。
最優秀新人のシンディー・ローパーも強烈な個性をはなっていました。
最優秀男性ポップ歌手 フィル・コリンズ(英国)
最優秀女性ポップ歌手 ティナ・ターナー
最優秀ポップグループ ポインター・シスターズ
最優秀男性ロック歌手 ブルース・スプリングスティーン
最優秀女性ロック歌手 ティナ・ターナー
最優秀ロックグループ プリンス&ザ・レヴォリューション
最優秀R&B男性歌手 ビリー・オーシャン(英国)
最優秀R&B女性歌手 チャカ・カーン ★不参加
最優秀R&Bグループ ジェームス・イングラム(参加)&マイケル・マクドナルド(不参加)
ここではチャカ・カーンの不参加が印象的。
84年、「Feel For You」が大ヒットしたチャカ。クインシーともつながりが深いし、呼ばれてもいいアーティスト。チャカのアドリブ的なバックボーカルはすごい魅力的だと思う。
スケジュールがあわなかったのか。
85年のグラミーも見てみます。最優秀レコードと最優秀アルバムのノミネート・アーティスト。
USA For Africa
ドン・ヘンリー ★不参加
ブルース・スプリングスティーン
ダイアー・ストレイツ (英国)
ヒューイルイス&ザ・ニュース
フィル・コリンズ(英国)
スティング(英国)
ホイットニー・ヒューストン ★不参加
最優秀レコードと最優秀ソングを「We Are The World」が獲得する事になります。
壇上でスピーチするライオネル・リッチーは、これはみんなの賞だと謝辞を述べます。
まさにその通りで、このグラミー最高峰の賞である最優秀レコードを争った、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイスも参加アーティストなわけですから。
イーグルスのドン・ヘンリーは、声がかかるべきアーティストだけど断ったのかな。
ホイットニーも、85年に大ブレイクしたアーティスト。もう1年ブレイクが早かったら、間違いなくソロパートを与えられていたアーティスト。
そして「ウィー・アー・ザ・ワールド」もさらに素晴らしいものになったはず。ホイットニーのボーカル聞いてみたかった。
最優秀新人は、英国のSADEでした。
R&B的にはフレディー・ジャクソンが新人賞でしょうが、不参加。それをいうのなら当時のブラコンアーティストのもう一人の代表格、ルーサー・ヴァンドロスも不参加。
最優秀男性ポップ歌手 フィル・コリンズ (英国)
最優秀女性ポップ歌手 ホイットニー・ヒューストン ★不参加
最優秀ポップグループ USA For AFRICA
最優秀男性ロック歌手 ドン・ヘンリー ★不参加
最優秀女性ロック歌手 ティナ・ターナー
最優秀ロックグループ ダイアー・ストレイツ (英国)
最優秀男性R&B歌手 スティーヴィー・ワンダー
最優秀女性R&B歌手 アレサ・フランクリン ★不参加
最優秀R&Bグループ コモドアーズ ★不参加
アレサ・フランクリンの不参加も今さらながら気づいた。
R&B女性歌手としては、ダイアナ・ロスが一番目立っていた。次にデュオンヌ・ワーイックか。
パワフル系R&B女性ソロが不在。クイーン・オブ・ソウルのアレサの不参加はなぜ??
グラミーでの評価はめちゃくちゃ低く、ノミネートはありませんが、この時期大ブレイクしたのはマドンナ。
85年の顔ともいえる人です。マドンナの場合、そもそも声がかからなかったみたい。USA For AFRICAに呼ばれるには、アーティスト性も求められた気がする。
当時のマドンナはちょっと色物的なとこもあったのは確か。ダンス系アーティストは、グラミーでの評価が低かった。ライヴァル的なシンディー・ローパーはグラミーでの評価も高かった。
しかし90年代に入るとそのポジションは逆転しますが。そして歌唱力の部分もあったようにも思う。
プリンスは、ファミリーの代表としてシーラEを派遣している感じ。ソロパートはなしでしたが。
次にシーンの中での通算データから。2001年時のデータですが。
【トップ10ヒットアルバム獲得数ランキングBEST10】
1. ローリング・ストーンズ (英国)
2. フランク・シナトラ ★不参加
3. ビートルズ (英国)
4. バーブラ・ストライサンド ★不参加
5. エルヴィス・プレスリー (逝去)
6. ジョニー・マティス ★不参加
7. ボブ・ディラン
8. エルトン・ジョン (英国)
9. ポール・マッカートニー (英国)
. ミッチ・ミラー (指揮者・楽団奏者)
. キングストン・トリオ (68年解散)
クインシーも手がけたことのあるフランク・シナトラは大御所すぎたのか。バーブラ・ストライサンドの参加もありだと思うけど。
社会派アーティストの、ボブ・ディランは逆にこういう大体的なプロジェクトは嫌いそうだけど、よく参加したなって思う。
他もうちょい下げてみると、アダルトコンテンポラリーの大御所、ニール・ダイアモンドも不参加。
【トップ100ヒットソングランキングBEST10】
1. エルヴィス・プレスリー (逝去)
2. ジェームス・ブラウン ★不参加
3. レイ・チャールズ
3. アレサ・フランクリン ★不参加
5. ビートルズ (英国)
6. エルトン・ジョン (英国)
7. ファッツ・ドミノ ★不参加
8. フランク・シナトラ ★不参加
8. スティーヴィー・ワンダー
10. パット・ブーン ★不参加
レイ・チャールズと並び、黒人アーティストからリスペクトされる人物、ジェームス・ブラウンも不参加。
っていうか強烈すぎて扱いが難しかったか。黒人アーティスト枠はいっぱいかな~。JBがいたらブルース・スプリングスティーンを超えるインパクトを残したはず。ゲロッパって。
ファッツ・ドミノ、パット・ブーンは大御所すぎか。
元は黒人のみのチャリティー活動の流れが強かったこのプロジェクト。黒人アーティスト視点で。
【R&B-No1アルバム獲得BEST10】
1. ザ・テンプテーションズ ★不参加
2. アレサ・フランクリン ★不参加
3. スティーヴィー・ワンダー
4. ザ・シュープリームス(ダイアナ・ロス参加)
5. マービン・ゲイ 逝去
6. ザ・アイズレー・ブラザーズ ★不参加
7. アイザック・ヘイズ ★不参加
8. ルーサー・ヴァンドロス ★不参加
9. バリー・ホワイト ★不参加
10. グラディス・ナイト&ザ・ピップス ★不参加
テンプスは、全盛期メンバーは代わってるからかな。アレサの不参加はやはり目立つ。アイズレーも声はかかったのかな。
グラディス・ナイトはソロ活動時にはビックヒットがなかったのもあるかな。
声をかけたのはいいけど、アーティスト側から「ソロパートはあるのか?」という確認はあったのかな。すべてのアーティストにソロパートは振り分けれない。確約はできないという答えで断ったアーティストもいたんじゃないかと思う。
やはりクインシーの「エゴは捨ててほしい」という言葉にいきつくと思う。
ソロパートがなかった大物アーティストとしては、スモーキー・ロビンソン(西寺郷太氏の著書によると予定外の参加で振り分けができなかったらしい)、ベッド・ミドラー。
マイケルやリッチーにとってもモータウンの大先輩アーティスト、スモーキーへの配慮はどうだったんだろう。
白人女性ボーカルとしては、キム・カーンズの印象はうすい。シンディー・ローパーはタイミングがよかった。この時の旬のアーティスト。ブリッジ部分のパフォーマンスは印象深い。
フリート・ウッド・マックもグラミー獲得や、No1アルバムももつビックアーティストだけど、リッジー・バッキンガム(右上)もソロパートなし。スティーヴィー・ニックス(右下)は不参加。
こういう大物アーティストが裏方に徹したのもこのプロジェクトの成功の要因。
ジャクソン兄弟もマイケルをサポート。三男・ジャーメインは呼ばれなかったのか、断ったのか知りたい。妹ジャネットもこの時は、まだアイドル的な存在。まさかの1年後の大ブレイクを予想した人はいなかったでしょう。
ソロパートのレコーディング風景で、すごい不思議に思ったのがアル・ジャロウ。
超一流のアーティストが集っていると思うのですが、アルはNG連発。明らかに音を外してるし、自分のパート部分の入るタイミングもつかめてない。ライオネル・リッチーが必死にサポートしてるし。なんとかみんなでつないでいくけど、アル・ジャロウの所でNG。最後には、歌う部分替えられてるし。そこにやはり見えない重圧があったんだろうな~。
ジェームス・イングラムは、その実績にしては登場回数が多い。ソロパートと終盤のボーカルでも登場。やっぱクインシー枠かな~。曲のバランスをとるためにポイントポイントでボーカルを任されている感じ。
没になってたけど、スティーヴィー・ワンダーとダイアナ・ロスの掛け合いの部分があったのは驚いた。やはりダイアナも天才的。アドリブなんだろうけどスティーヴィーとの息はピッタリ。このシーンも必見の一つ。
クインシーも、一流アーティストにソロパートを分けつつも、曲の中での流れや展開も考えて、やはりボーカルの配置はしたのだと思う。
こうして振り返ってみてUSA For Africaの真のベストメンバーを考えてみた。
白人男性アーティストとしては、シカゴのピーター・セテラとイーグルスのドン・ヘンリーは入れたい。でもジャーニーのスティーブ・ペリーも外せない。ケニー・ロギンスが外れるかな。
ポール・サイモンも外せないかな~。クリストファー・クロスも参加したかったが呼ばれなかった組だそうですが、当時ヒットがなかったもんな。
ブルースとヒューイの2トップも外せないな~。ヒューイはプリンスの代役という事なら、もともとメンバーにはいっていなかったの??
白人女性アーティストとしては、バーブラ・ストライサンドは入るべきでしょう。
マドンナもいたら華やかだけど、ボーカルの質はおちる。キム・カーンズは外れるかな(リアルタイムでないのでよく知らないのもあるけど)。
黒人男性アーティスト枠は、いっぱい。しかしその中で入るとしたら、ジェームズ・ブラウンでしょう。一気に空気とグルーブが変わったにちがいない。
黒人女性アーティストで、アレサ・フランクリンのようなパワフルゴスペル系ボーカルがいない事に今回気づいた。
これだけのアーティストを統率できるのは、やはりクインシー・ジョーンズしかいなかった気がします。
クインシー人脈で、ミュージシャンもすごい。TOTOのデヴィット・ペイチ、スティーブ・ポーカロ、ベースのルイス・ジョンソン、ドラムのジョン・ロビンソン、マイケル・オマーティアンもクインシーをヘルプする。
このプロジェクトを引き受けるにあたって、過去の作品での経験が役に立った事も挙げています。それはクインシーが手がけた、83年のドナ・サマーのアルバムでの「State Of Independence」。参加アーティストがひそかにすごい。
Michael Jackson in studio with Quincy Jones, sessions "State Of Independence"
Donna Summer | |
クリエーター情報なし | |
Polygram Records |
大物であげると、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダー、デュオンヌ・ワーウィック、マイケル・ジャクソン、ケニー・ロギンス、マイケル・マクドナルド、ジェームス・イングラム、クリストファー・クロス。
USA For Africaのメンバーとかさなる。といってもこれだけの大物アーティストが参加していても、コーラス的な参加で、私は各々のソロの声はききとれません。
でもこれらのアーティストが集ったのは確かで、クインシーもこの時の経験は大きかったと述べています。(そういえばドナ・サマーも参加してないな)
「We Are The World」のレコーディングはアメリカン・ミュージック・アワードの終了後に行われるわけです。これだけの大物アーティストのスケジュール調整も大変だった事でしょう。スケジュール的に参加できなかったアーティストも多くいたことでしょう。
夜の10時からスタートし、すべてのレコーディングが終了したのが朝の8時。本当に徹夜の作業だったのです。
これだけの一流アーティストが真剣に、時にはユーモアをまじえレコーディングしている風景を見る事ができるこのメイキング映像は貴重です。アーティスト同士も、実際、こうしてふれあう機会はそうないんだと思います。
その中でマイケル・ジャクソンのプロフェッショナルぶりも垣間見る事ができます。それはまた次回。
あらためてこの『We Are The World』は奇跡のプロジェクトだったのを感じる。全世界のセールスは2千万枚。歴代5位、グループソングとしては1位の曲になっています。
We Are The World ザ・ストーリー・ビハインド・ザ・ソング 20th アニヴァーサリー・スペシャル・エディション [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
Happinet(SB)(D) |
2位 Candle in the Wind 1997/Something About the Way You Look Tonight Elton John
(エルトン・ジョン) 3300万枚 1997年
3位 Silent Night Bing Crosby
(ビング・クロスビー) 3000万枚 1935年
4位 Rock Around the Clock Bill Haley & His Comets
(ビル・ヘイリー & 彼のコメッツ) 2500万枚 1954年
5位 We Are The World Usa for Africa
(USA・フォー・アフリカ) 2000万枚 1985年
だそうです。2千枚は普通に考えたらないよね。直しますた。