バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

2017.1.22★石川県から水野スウさんをお招きして「紅茶の時間@とよた」

2017-01-30 18:38:41 | 居場所・学校・権利

わたしがスマホで見ていたFacebookで「日進に水野スウさんが来るよ」という投稿がタイムラインに乗っていたことからはじまった。

水野スウさん?

はっと隣に目をやると、まさにスウさんの本が。

たかちゃんにすぐに電話し
「水野スウさんって知ってる?日進に講演に来るようなんだけど」
と伝えると
「スウさん?わたしが子育てで辛いときに、スウさんの『褒め言葉のシャワー』って冊子に勇気づけられたの!」
「日進までいらっしゃるなら、豊田にもお招きしたいんだけど」
「え!スウさんに会いたい!企画しようよ」 

金沢に住むみるきー姉さん(鎌仲ひとみ監督のマネージャー小原美由紀さん)に連絡し「水野スウさんと繋がってる?」と尋ねると
「小学生の頃から出逢ってピースウォークのお仲間だよ。昨日も会ったよ」
と(なんてこと!)。
スウさんに繋げてもらい、日進講演の翌日に、豊田に来て下さることになりました。

お寺で憲法カフェ、略して「てらけんカフェhttp://bit.ly/2k97S1Mメンバーに協力してもらい「てらけん」の主催となりました。 

スウさんの素敵なお人柄の紹介はイベントページに書いてあります。
素敵な案内文はたかちゃん☟
https://www.facebook.com/events/433907683664116/

スウさん、実は風邪をひいていて、この日、声が出なかったの!(5年ぶりですって)
ささやき声をマイクで拾うという、ちょっと思い出深い日になりました。
でも不思議と、このささやき声に慣れてくるとがだんだん心地良くなって(笑)途中からこの声が当たり前みたいになってた!

スウさんがお話されたことを、ざざっと書き出します(間違いがあったらごめんなさい)。

 

憲法はスウさんにとって「生きる土台」であり、「支えてくれるもの」。

怒っていいんだよ!福島のことも沖縄のことも。
国民が大人しくしてくれていること、権力者は「助かるなぁ」って思ってると思うよ。


スウさんが出前を頼まれていた(精神障害の方たちが働いている)「レストランクッキングハウスhttp://www.cookinghouse.jp/
ここは、心の病気をした人が笑って仕事することができる場所だった。
なぜここで憲法を学ぶのか?
「国が危ない方向に行くときは福祉がどんどん切り捨てられていくんですよ!」
憲法を学ぶことが必要だからと、スウさんは依頼をもらっていた。


【紅茶の時間】の話(以下、紅茶)

スウさんが子どもを産んだとき、ママ友がいなかった。
コンクリートの箱の中で、母と子ふたりだけで過ごすのは不自然だと感じた。
「お母さん集まれ〜!」という会を週に1度開いた。
そこでは、みんな、話す!話す! 
紅茶は「気持ちの便秘にならないため」に毎週吐き出す場となった。 

先輩ママさんで「家庭文庫ミニミニ図書館」みたいなお母さんもいた。
いろんな年齢のお母さんが居る中でスタートをした。

そこで、今時のお母さんが「ちゃんと」の呪縛に縛られてると感じた。
子どもに「お母さん、『ちゃんと』ってなに?」と聞かれても答えられない。
大人は『ちゃんと』の意味分かる?

『ちゃんと』の中身をほどこうと、イメージを紙に書き出した。

◯いつもニコニコむやみに叱らない
◯普通の食事がつくれる
◯人に迷惑をかけない
◯言うこととやることが一応合っている
◯間違えない
◯パーフェクトを求められる、求める etc…

世間体の「ちゃんと」があるかもしれない。
ご近所のママ友の手前、お姑さんの手前。

「ご飯とお味噌汁がつくれる」
「ありがとうが言える」
それでいいんじゃない?
実際に『ちゃんと』しないといけないことってそんなに多くないんじゃない? 

子どもを叩いて叱っているお母さんがまわりにいると、子どもが何かしたとき「叩け~!」となる。
そして、 
叩いたあとで後悔する。

子どもが転んで痛いとき「痛かったね〜痛かったね〜痛いの痛いの飛んでけ~!」
子どもが寂しいときに「寂しかったね」と声をかける。
それで子どもは「概念の言葉」を覚えていく。
子どもは「単語帳の言葉」が少ない。

子育ての中で「ちゃんと」の多くは命令禁止の言葉になっている。

「ちゃんと食べれたね♡」
「ちゃんとボタン止めれたね♡」
ほんとは良い言葉だったりするのに、命令の言葉になってしまっている。
本来「ちゃんと」って言葉は怖い言葉じゃないよ。

大人は小さい子に「おばちゃんにあんやとは?」と言ったりする。
「ありがとうの催促」なんてしなくていいんだよ。

スウさんは自分の子育てを「紅茶」中で教えてもらった。
叱ってばかりだったお母さんは、子どものいいところをいっぱい見つけて声かけをしているお母さんの真似をするようになった。

どんな子どももどんな大人も、生まれたときから「身の丈に認めて欲しい」と願っている。
「身の丈以上に褒める」必要もないし、「身の丈未満にバカにされたり踏んづけられたり」したら悲しい。

ある時、ある子がお母さんに「あんたお姉ちゃんでしょ!」と言われた時、
仁王立ちになって「お姉ちゃんじゃない!とよたはなこなの!」「大人だからって子どもに偉そうに言うな!」と怒った。
「ママは猫にお話するときは優しいのに、私には恐く怒ったりする」
「まだやってないの!!」とか(上から)怒る(平じゃない!)。

子どもたちはそれを「人権宣言」だと思ってないけど、どんな子もいっちょまえにきっと言ってる。

スウさんの娘さんが6年生の時に友だちとケンカした。
どうやら娘に非がありそうだった。
スウさんの声かけに娘さんは怒って、紙に何かを殴り書きして
くちゃくちゃにしてスウさんに投げた。
紙には「ぼくだっていつもキレイな心でいるわけじゃない。美化せんといてや。またムシャクシャしたくなる」と。

大人は、子どもに「友だちに優しくしてほしい」と願うもんね。

子どもは成長の節々で「人権宣言」してるんだよね。
「大人に向かってなんて生意気な言葉いうんだ!」と思うことも。
単語帳の数が少ないから仕方ないの。
その生意気を「うちの子の人権宣言だ!」と大人が思えたら面白いね。

25年前にスウさん一家は金沢のとなりまちに引っ越したら、紅茶の時間はあんまり流行らない場所になった。
お金の要らないタダの喫茶店みたいなとこになった。
実はこの「流行らない」ことが大事。

ポジティブなお母さんばかり集まってる中では言えない弱みを話してくれることも。
みんなが帰ってひとりになったとき、ダムが決壊したみたいに話し出す人もいた。 
これは「
流行ってないおかげ」だと思った。

紅茶には「宝物」みたいな仲間がいっぱいいるけど、スウさんは相手の話を不安な気持ちで聴くこともあった。
そこで
少しずつ、「聴く」ということがどういうことかを学びはじめた。

「流行っていない」と自分に自信を亡くした人がいっぱい来る。
話しているうちに、この人にも「すごく良いところ」があることが分かって来る。
自分は自分でしていることの意味が分からない。
元気があるときに行ける場所はあるけど、元気がないときに行ける場所はない。
過呼吸で学校に行けない子が紅茶に来ていた。
この子は紅茶のことを「
ずーっと深呼吸ができる場所」と言っていた。
スウさんも仲間たちに良いところを見つけてもらった。


紅茶でのスウさんの役割は
①お茶入れがかり
②話を聴くかかり
③その人の見えていない良いところを伝える係
(その人自身はきづいていない、でもこっちから見てると見える「いいところ」)

「まっすぐだね」「面白いね」「そこ好きだよ」「あなたらしいね」ってことを常に言ってた。
どの人も「身の丈に認められたい」と思ってるし、言われたい言葉を待ってる。
結果を出してないから「見て見て」って言えないのだ。


【褒め言葉のシャワー】のお話。

「嬉しかった言葉はなんですか?」と聴いたら、
「話を聴いてくれたこと」と言われた
となりのおばちゃんから「良い子に育ってるね」と子育てのことで褒められた
「人の見ていないところで頑張ってるんだね」と言われた

 冊子『褒め言葉のシャワー』には、全国のたくさんの人の「言われて嬉しかった言葉」が入っている。
褒め言葉=「お世辞」「おだての言葉」ではない。

26歳の娘が、デザイン編集をした。

この本づくりの前後、娘さんは引きこもりをしていた。
ことごとく就活に失敗して「自分は役に立たない人間だな」と思っていた。
大学を出たときに、卒論を本にしたのを皮切りに、小さな本を自主制作していった。

みんな企業につとめてサラリーマンしてて、イヤなことをやらされたり、怒鳴られても堪えてるのに、自分はダメな人間だと思っていた。
引きこもっている自分のことを「そのまんまでいいよ」と人に言われても素直に受けとれなかった。
自分のことを大切な存在だと思えなかった。 
そんな人が、「あなたはできてもできなくても大切な存在」だなんて本をつくるなんて欺瞞(ぎまん=人の目をごまかし、だますこと)、いつわりだと思った。
25歳になったら死ぬって勝手に決めていたが、行き着いたのは、
「自分がいなくなったら両親の胸にぽかっと穴があいて、その穴を埋める人が誰もいない」
ってこと。 
「あなたはあなたであるのに他の誰とも取り替えができない」ってこと。

この冊子はメディアが取り上げてくれて「有名な出版社から本にしよう」と声がかかった。けど、
手触り、500円、それは手づくりじゃないとできない、ということで、親子でつくることになった。

メディアで取り上げられたら、多くの人から「わたしは生きていて価値があるのでしょうか?」「引きこもりだけど生きてていいですか?」と質問が来る。
自分だけだと思ってたのに、同じように考える人がこんなに周りにいっぱいいる。

娘さんは今の社会が「新自由主義、成果主義、勝ち組負け組」…そんな社会構造になってることに気付いた。

娘さんがある時スウさんに問いかけた。「超ポジティブでハッピーでルンルンな24時間」と「朝、目が覚めて辛いけど、頑張って今日生きる人の24時間」はどっちがすごいと思う?

後者のほうがすごいことなのだ。

冊子をつくるとき、四角い頭(娘)と丸い頭(母)では考えることが違う。
親子がこんなに違うということを知った。
親子の関係を構築するのに役立った。

秋田の健康福祉課に出前に行ったとき、80~90歳の女性が100人いた。
スウさんのお話が伝わっていないように感じた。
保育園の出前でも、市民の出前でも、「言われて嬉しい言葉」を書き出してもらっていたけれど、ご高齢の人たちには無理だなぁと思った。
その理由は… 
戦争を体験していろんなことがあったに決まってる。
辛い別れ、心折れそうだったこと…それを何とかくぐり抜けてここにおられる。

「ご自分の人生を振り返って、自分自身に言葉をかけてあげることは甘やかすことでもなく、自分自身の人生を許すってことであるかもしれません。誰かから言われて嬉しかった言葉を書き出してください」
とスウさんがお話したら、言われて嬉しかった言葉を何人かの方が書いてくださった。 
「おめが俺の嫁でえがった」
「おめのおかげでいきてられっな」
(認知症が進んだ人のお見舞いにいったとき)「こんな日でも来てくれたが。おら幸せだ」
(集中治療室から個室に戻って来たとき)「かえらったか(えぇもう帰っちゃうの?」☜大の男の人は言わない
「おばあちゃんはエンジェルちゃん」(孫から)
「わたし、99%おばあちゃんに似てる」(孫から)
褒められたことはないが「美味しかったごちそうさま」と言われている
「たさいくど(田んぼに行くよ)☜自分の存在を気にかけてくれてる人がいる

他にも
「ママのて、あったったっためたげる」(幼児のお母さん)
(秋田の話を瀬戸内海で)「墓行くぞ」☜墓が遠いから、こう言ってくれることは特別。気にかけてみてくれているということ。
自分の存在があるのに、空気みたいに無視されたらすごい悲しいよね。

 

個人と個人の権利がぶつかった時、「わたしには幸せになる権利はあるけど、人の幸せになる権利を横取りして幸せになっちゃいけない」とスウさんの娘さんは気付いた。

戦時中は、「個人」よりも「国」や「公」が大事だった。
「たった一人のひとのために命を投げ出す」ことは大事なことだった。
ひとりひとりが大切にされていない。
「それが当たり前」だとみんなが思ったら、「個人」をなくせたら、これ以上に国にとって都合の良いことはない。

戦時中、飼い猫、飼い犬を「出せ」と言われたら抵抗できない。
毛皮をはぎ、兵隊の防寒具になった。
飼い主の目の前で犬や猫は頭をぶちやぶられて毛皮を剥がれる。

神宮球場野球の試合中、召集令状が届いて、球場から家に帰る。
表向きには喜びながら。
戦争に「個人」なんてものはない。
権力はいつだって、わたしたちを縛り、奪う。

八法亭みややっこさん(弁護士)は、
平和を守るために生きているのではない」
「ひとりひとりが自分らしく堂々を生きていいんだよ」
と教えてくれた

9条が憲法の中心だと思ってる人が多いけど、13条がとても素敵な文章だと娘さんに教えてもらった。



弁護士さんや役者さんやらのスピーチで
「13条こそが日本国憲法の根幹」と。

セクシャルマイノリティの方も、13条があることでそれでいいんだ!
13条で支えられて来た、13条が丸ごと肯定してくれた、と弁護士さん。

娘さんは辛い時代に13条に出逢った。
そうでなかったら、13条に気付かなかったかもしれない。 

9条にあぐらかいていてはいけないよ。
「戦争をしません」と世界に伝えていた日本国憲法9条に油断して、スウさんがすべき12条を今までしてこなかった。

難しい言葉で語りたくなる人がいるけど、そうすると差が開いちゃう。
分かりやすい言葉で語らないと。

ささやかな12条(DO!動く)するってのはどうだろう?

NHKで頑張ってる職員さんもいる。
応援メッセージを送ろう!
「NHKなんて」って言ったらダメだよ。
記事書いてくれてありがとうって言おう。
これが「12条する」ってこと。
小さなひとつひとつが大切。

「みんなが投票いかないからこんな社会なのよ!」って言わないでね。
みーんなを巻き込んでいかないとね!

ヘリパッド建設に反対してる人たちは「死ね!」と言われる。
そういう中でこそ盾をする。
他者を切り捨てないでね。

安倍政権「核兵器や生物化学兵器の使用を憲法は禁止していない」と閣議決定をした。
平和の定義ってなんだろう?
安倍晋三さんは「積極的平和主義者」と言っている。
先制攻撃してでも世界の平和のために貢献する、それが安倍晋三の積極的平和主義。

 

ノルウェーの平和学の第一人者ヨハン・ガルトゥング氏はそれについて反論した。

※平和を「消極的平和(Negative Peace)」と「積極的平和(Positive Peace)」の二つに分けて考えたとき、
「消極的平和」=戦争のない状態
「積極的平和」=貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状態
とした。

こちらのブログを参考にしました☟
http://www.quon.asia/yomimono/business/global/2014/01/15/4562.php

  

「改憲派?護憲派?」と問うのはナンセンス。
どれをどう変えるの?ってことが重要だもの。
だったら、
個人主義か、全体主義か?」と聴いた方が早い。
「個人を大事にするのかどうか」

戦争が始まり、核戦争が始まっても「戦争反対」って言い続けられるだろうか?
スウさんでも自信がない。
(戦争が始まったら終わりだから)この火種をどうしても食い止めていきたい。


スウさんと、参加者のみなさんの座談会の中で

自由  …自分の自由も大事にするけど、相手の自由も尊重する
ワガママ・利己主義…自分のために相手を利用する

褒める…相手を変えようとする意志が働いてる


夜の部のみなさまと


スウさんのブログを抜粋させてもらいます

http://kimochi-tea.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-06f5.html

「豊田にお届け」2017年1月23日 (月)

22日の朝、おふとんの中でおそるおそる声をだしてみる。

まったく、うんともすんとも、出ない、あっちゃ〜〜〜。
よりによって、今日かいっ!

実は私は声帯がとても弱いらしくて、風邪?って思ったら真っ先に喉がやられる。
それでも、しょうがはちみつを飲みだして4年近く、風邪も前ほどひかなくなったし、この5年は声がここまでやられちゃうことはなかったのに〜〜〜(涙)。

だけど、こうなったら、じたばたしないのだ。
なるようにしかならないのだ。
覚悟して豊田に向かう。

主催のけいちんにはそのことしらせなくちゃと、夜の部は少人数でもマイクを用意してね、とお願いCメール。
会場につくと、当日スタッフのお仲間たち全員、私の声がでないこと知ってて、おひとりはびわの葉エキスとお湯とお湯のみまで用意してくださり!

*******

で、おはなし会、はじまりました。
この日もいっぱいのひと!
みんながどんなに楽しみに待っててくださったか、顔みてたらわかりました。

声がでなくて、いったいどうやって出前したのか、ふしぎでしょ?
あのね、ノンストップ1時間半、マイクを通してささやきだけでお話したのです。
声の表情(抑揚や声の高低、大小など、感情をつたえるのに大事な手だて)のない、かすかなささやきだけを、みなさんがよくよく集中力を持続させて最後まで聴いてくださったこと!私のほうが感動しました。
のこり30分は、CDで13条のうたを聴いてもらってから(だって歌をきいてもらわないと私の声を誰も聞かなかったことになっちゃうもんね)、みなさんとの「単語な感想」のシェアリング。

この日は、憲法の中でもとくに人権を中心に。なので13条12条をくわしく。

13条の深い意味を知って8年。そうか!紅茶の時間って13条の場だったんだね、とやっとこの半年前に実感したという話も。

子育ては、長〜〜いスパンでの、12条すること。
ひとを差別しない、バランスとれた人権感覚をもった子に。自分のあたまで考えて、自分の言葉を持てる子に。
絵本をいっぱい読んであげてね、戦争や平和やヒロシマのことを知る、想像力豊かな子に。
ほんとの意味での平和(安倍さんのいう積極的平和主義、とは違う意味の、平和)を愛する子に育てることも、実は12条することだよね、と。

この日のシェアリングで、幼稚園の園長さんの「単語な感想」がとりわけすてきでした。
じぶんだいすき、っていう子を育てたいと42年間、幼稚園をしてきたけど、今日の話をきいて、あ、自分はずっと12条してきてるって思った、と。

夜は、けいちんがおつれあいさんとしているお宿、ちんちゃん亭で、おいしいネパールカレーの夕食を10数人の方々と一緒しながら、夜のお話会。

ほめ言葉のシャワーと人権の話、そしてほめシャワワーク。

子育て中のママたちが、「ちゃんと」の呪縛にしばられすぎてない?ってことと(「きもちは、言葉をさがしている」にくわしく)、ことばのふるさと、子どもが日々書き足してる言葉の単語帳のこと、子どもの人権宣言(「出逢いのタペストリイ」に少し書いてる)のエピソードいくつか、など。
その基本にあるのは、どんなひとも自分の身の丈に認めてもらいたいと願って生きている、という人権の根っこの話です。

ささやきお話会、無事に二つ終えれてほっ。

 

スウさん、出逢ってくださってありがとうございました♡
たくさんの気づき、学び、宝の言葉をたくさんいただきました♫ 


………けーすけけーこの気づき、その①………

叱ることと褒めることは上下の関係だったりするのだけど(部下が上司に「よくやりましたね!偉い偉い!」なんて言えないもんね)、対等な目線で、身の丈に認めてもらえる「褒め言葉」なら嬉しい。

いくら会社のトップでも
「◯◯社長のお気遣い嬉しかったです。ありがとうございます」
とか言われたら嬉しいもんね。
お世辞でもない言葉なら。

わたし、娘のクラス担任とか、学校の校長先生のことも、素敵だなと思うことがあれば伝えるようにしてた。
(なんせ、校長先生や社長を偉い人だなんて思ってないわたしw)

それも「褒め言葉のシャワー」だったんだな。


………けーすけけーこの気づき、その②………

水野スウさんを豊田市駅までお送りさせてもらうとき、スウさんが

「『紅茶の時間』は癒しの場とは言わない」

とおっしゃった。

紅茶の時間に来た方が、そこの場にいて、話を聴いてもらって「癒された」と感じて表現することはあっても、それは本人が感じること。

場をつくる側が「癒してあげる」「元気づけてあげる」というのはとてもおこがましいこと。

わたし、スウさんの「『紅茶の時間』は癒しの場とは言わない」お言葉で、ここ最近のモヤモヤがものすごく腹に落ちた。

「癒してあげる」「元気づけてあげる」「話を聴いてあげる」
という言葉がどれだけ上から目線で思い上がりの言葉なのか。
自分は上のステージにいて、悩める人たちを見下しているような気持ち悪さ。

自分を売り込む手段として、自分に付加価値をつけたり、自分の身の丈以上のセールストークをしたりすること、最近の傾向として少なくないように思う。
プチ起業家セミナーで、ブログ講座とかで、タイトルをつけたりするときも。

ずっと気持ち悪かったんだよ。

そして、わたしが目指したいと思う人って、上から目線でものを言わない、カリスマ性をつくろうとしていない(自分大アピール大会をしてない)地道にこつこつと経験を積み上げてきた方なんだ。

もし今まで、わたしが「癒してあげる」「元気づけてあげる」発言したことあったら本当にごめんなさい。
それがどれだけおごり高い言葉だったかに気付きました。


………けーすけけーこの気づき、その③……… 

長女(高3)を学校に送り届ける道中、スウさんに教えてもらったことをシェアしてた。

こないだの夜の部で、個人主義と利己主義の違いについて参加者さんから話が出て、

「自由」は、自分の自由を尊重してもらうけど相手の自由も尊重すること。

「ワガママ」は自分の言動によって相手を変えようとすること。相手の自由を認めないこと。

ってのを長女に話したら

「プレーパークはまさに自由だね。大人はだらーんとしてる。子どもの自由のために大人はガマンしてないもんね」
って。
分かっとるじゃーん!

送迎の道中ってなんて貴重な時間なんだろう。

 

きもちは、言葉をさがしている ~二〇年目の紅茶の時間
メイフラワー工房,太田朋
紅茶の時間


 


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