バンビの独り言

バンビことけーちんの、あくまでも「独り言」デス☆

「我が家の子育て日記」(2003.1月〜2月)

2003-01-02 14:35:23 | 子育て親育ち

「正月の遊び」2003/01/02

皆さん明けましておめでとうございま~す。
楽しいお正月をお過ごしですか?

毎年、この季節になると幼少時代を思い出す。
当時、お正月はほとんどのお店が長期休暇になるので年末には父親とお菓子や食材、日用品をたんまり買いに行き、家ではコタツに入ってトランプをしたり家族で紅白を見た。
正月3日間は一歩外に出れば閑散としているけど、どの家庭でも家の中はほんわり暖かく賑やかでご馳走が並んでいる…というのが20~30年前のお正月。
この時代は年末年始を家族で過ごす人が多かったように思う。
正月は何か「特別な時間」を楽しめたのだ。
懐かしい~。


でも、今はどうだろう。
コンビニは年中無休。
デパートやごはん屋、個人の服屋でさえも元旦から営業。
買い溜めなんてする必要は全然ないし、一歩外に出れば車がビュンビュン走っている。
もはや、正月は「特別」でなくなってしまったのだ。
(元旦から営業ということはお正月に家にいないパパも多いということだろう。)

なんだか風情がないぞ。

で、私がぼんやり昔を懐かしむことができるように、我が娘達にも「小さい頃のお正月ってこうだったよねー」とウットリできる何かを作ってやりたいと考えはじめた。

「♪もうーいーくつ寝るとお正月~、お正月には凧上げて~♪」
そう、そうなのよ。
で、「凧上げをしよう」ということになったのだ。年末に凧を求めてお店巡りをしたが、今どき、凧って本当に売ってない。
「凧ですか…。今は凧上げする人いないですからね。装飾用なら売ってますけど」って具合。
仕方なくインターネットで作り方を検索してだんなが作ることになった。

その結果、実は「凧」ってすごく奥が深いことが判明。

同じ比率で2つ作ったが、1つはよく飛ぶのに、もう1つはクルクル回って全く飛ばないのだ。
何がいけなかったのだろう…。
バランスが悪いのか、しっぽの長さに問題があるのか…。
今度、「凧作り名人」が近場に来るらしいので絶対、技を盗みに行こう(かなりやる気。)


一緒に行った義妹も「凧上げって、実は面白いんだね。初めて気付いた。」と言っていたし、娘もキャーキャー言いながら大喜びで走り回ってました。
超寒かったけど「走る走る」なのですぐに暖かくなった。
しかも凧が上がると「やったー!」って心底嬉しいんだよね。
(「えー!?凧上げ?」とお思いの方、騙されたと思ってお試しあれ。)

あ、でもね、「今日は凧上げするんだー」と報告したら「うちも」って言ってた友達いました。
シュタイナー教育してる人ってやっぱり共通するものがあるらしい。


古典的な遊びって、たぶん、いや、かなり面白い。
来年は駒まわし、羽子板にも挑戦してみたいと思う中根家でした。

「早期教育」2003/01/04

周囲に「早期教育」をしている人があまりにも多いので大々的に言えないが、どうして世間はこうも教育を急がせるのだろう。
ウサコと同じ3歳児がこの冬「公文の集中講座」を受けている。
同じく別の3歳児もお正月休みに「遊んでいないで『宿題』やりなさい」と怒られていたとのこと。


聞いた話では、早期教育が盛んになったのは今から15年くらい前。
その子たちは今、高校生に当たる年だが学力は昔より落ちているそうだ。
あまりにも教育を急がせる結果、きちんと勉強すべき年に「大嫌い」になってしまうんじゃないかなぁ?


別の例では、日本ほど家庭にピアノが普及している国は他にないのに、大人になっても続ける人は少ない。
それは小さい頃から半強制的に「音楽をやらされている」結果だと聞いた。


「子どもは楽しんでやってるよ」と母親は言っているが果たして本当にそうなのかな?
「頑張るとママが喜ぶから」と子どもは思っていないだろうか?
あとになって「親の為に頑張った」と思ったりしないだろうか?

なが~いなが~い人生のたった数年間、勉強や習い事をしないで遊ぶ時期があっても良いと私は思う。
子どもには英語を教える前に、足下を見ればたくさんある語り継がれるべき素晴らしい日本語や日本の歌を教えてあげたい。


「そんなこと言ってると後悔するよ」とご心配下さる方がいるかもしれないけど私は全然ビビッていないのだ。
国公立の医大にストレート合格した私の姪っ子は、幼少の頃、アメリカやカナダの大自然を思う存分遊び、全く勉強などしていなかった。
今は頭脳明晰なだけでなく思いやりとユーモアのある魅力的な人に成長している。
同じ「診てもらう」なら、勉強しか知らない医者より人間的にスケールの大きい人の方がいいなぁ。

………………… 

「できるだけエコ生活」2003/1/13

「温泉のあるホテルに泊まりた~い」と切願する娘にじーちゃんが立ち上がった。
旅行…というほどたいそうなものではないが「近場の保養所」に1泊することに。

ご存知アトピー娘にとって、本当は旅行はタブーなのだ。
干す必要のない羽毛布団はダニとハウスダストの温床だし、部屋もきっと丁寧に掃除はしていないだろう。


結果、やっぱり夜中は痒みで眠れなかった。
ホコリもすごくて私までくしゃみに苦しめられた。
でも、「あと3つ泊まりたかった~。また来ようね!」とそれはそれは大はしゃぎの娘を見て、これも「心の栄養」だろうと感じたのでした。


で、部屋に張ってあった「光熱費が年々増加しています。保養所8ケ所の年間光熱費は1億円に達しています」に頭を抱えてしまったのです。
い、い、いちおくえん????

確かに、旅行先では心掛けなければ電気はつけっぱなしにしてる、してる。
暖房もいちいち消すことはないかも…。
キャー、ご免なさい。
私も環境汚染に加担してました。


で、「お風呂に行くなら電気切って」「暖房つけっぱなしで部屋を空けないでね」と口うるさい私への「ここに来てまで細かいこと言わなくても…」の無言の重圧も無視して今回は徹底してました。
だって、だって、「旅行の時くらいいいじゃん」の贅沢気分の結果が『1億円』に値する莫大なエネルギーを使ってるわけでしょ。確かに一定の宿泊代さえ払えば電気は使い放題だけど、そうこうしているうちに二酸化炭素は排出され続けている。


家庭ではエコ生活していても、一歩外に出れば無頓着になる人も結構多いと思う。
社用車で昼休みにエンジンかけっぱなしで昼寝してる人。
自分一人しかいない社内で全ての電気をつけ暖房をガンガンに使ってる人。
自分の財布に関係なければ何でも良いのだろう。
たった一つしかない地球を私たちが守らなくて誰が守るの?
いくら後悔しても破壊したものは元には戻らない。


だからできる範囲でエコ生活をしている私。
たとえば、高値でも「古紙100%」のティッシュしか買わないし、リターナルびんの調味料を使う。
野菜を買うならできるだけ近場で採れたものを選ぶ、など。


そうそう、皆さん「フードマイレージ」って知ってる?
食品が台所まで運ばれるためにどれだけのエネルギーを使ったか?ってこと。
近場の産直野菜ならせいぜい軽トラで数分だけど、輸入食品は飛行機やら船やらで日本に来る→大型トラックで高速道路を数時間→市場からトラックでスーパーまでetc…相当エネルギーを使っていることになる。
その食品が地球の裏側からだったら…キャー!


環境問題や安全性だけじゃない、近場の食べものにはそこに住む人に最適な栄養素が含まれているのだ。
沖縄でしか採れない食品を私たち中部地方の人が食べる必要はあまりない。
旬の食べ物が良いのはその時期に私たちの体に必要だからであって、冬場にハウス栽培の夏野菜を食べるのはあまり意味がないばかりか、ビニールハウスにはたくさんの光熱費が必要なので環境をも破壊しているのだ。


…といいつつ私だって完璧なエコ生活はしていない。
FAXは環境に悪い感熱紙を使ってる。
(当時は感熱紙対応のものしか売ってなかったの。でもまだまだ使えるFAXを廃棄して新しい「普通紙FAX」を買うことがエコだとは思わないのよね。)
近場に徒歩通園できる幼稚園があるのに少々離れた幼稚園に車を使って通園しているのも本当は問題だよね。


私たち大人が「できる範囲」で少しづつ頭を使って生活していくことが子どもたちの意識を変える。
そうしたら「エコロジー」なんて言葉がなくなるくらい、それが普通の世の中になっていくと思う。
ドイツのように「完全リサイクル」「ゴミ有料化」の時代が来ることを切に願う私でした。
(今の日本は「ゴミ無料」だと思われがちだけど実は1人あたり年間2万円以上の税金が使われてるんだよ!)

………………


「シュタイナー教育の迷い」2003/01/17

幼稚園から帰ってくると不機嫌な娘。担任の先生が言うには「すごく真面目なんですよ」。
園ではおりこうにしてなきゃいけない性格だから、もしかしていろいろ我慢しているのかも。

いや、まてよ。
もしかして、テレビをほとんど見ていないウサコは友達と話が合わなくて、それがストレスになってるってこともあり得る?


かつてシュタイナーを知って最初の最初に訪れた「シュタイナー勉強会」の質門コーナーで「子どもはキャラクターやアニメを知らなくてもイジメにあったりしませんか?」と誰もが通るであろう素朴な質問を投げかけてみた。
先生は「さぁ、どうでしょうねぇ」と曖昧な応えをしただけだったが、その後、松井るり子さんの本を読んでいたら、その答えと言えることが書いてあったのだ。

「みんなと同じでないとイジメられても仕方がないという価値観を大人が作っている」というような内容。
どうやら松井さんの息子さんは何も知らない状態で園生活を送っていてもバカにされることもなく「それなーに?」と何にでも興味を示すので、子どもたちは喜んでせっせと教えてくれたそうだ。


「そうだよね。知ったかぶりをすれば嫌われるかもしれないけど、『それは何?』って下手に出れば誰だって悪い気はしないよねー」と大納得した私ですが、どうやら我が長女の場合はちと違うらしかった。


幼稚園での友達とのやりとりを聞いていると「うーちゃんもセーラームーン見てるよ」「ディズニーランドに2回行ったことあるんだー」と言っている…。(思いきり『知ったか』してるじゃありませんか。) 

何と言ってもまだ3歳児。
それは「願望」であって「嘘」ではないのだけど、うさこの場合はかなり「負けん気」が強いらしく「何?それ」と聞く松井家の息子さんとはえらくタイプが違うようだ。
あちゃ~。で、「ドレミちゃんごっこしよー!」の誘いに「うん!」とはりきって返事したものの全然ついていけていない娘。


最近、悩んでいる。
実は私の幼少の頃は、今のうさことは“正反対”の子どもであった。
年中で入園した時には全てのひらがなが読めたので、得意げになって友達に絵本を読んで聞かせていた。
ピンクレディが新曲を出せば一番に歌と踊りを覚えて舞台で踊って見せた。
そんな私は大人気だったらしい。
給食の時は毎日「ケーコちゃんと隣に座りたい~」と争奪戦だったと担任の先生が言っていた。
当時の私は幼稚園でイケイケだったし、その後も「目立つ子」の部類に入っていて、いつの時代も人生を楽しんでいた。
そして、アニメも流行りの歌も知らない子のことを内心「つまんない子」って思っていた。
(当時シュタイナー教育をしていた親がいたとしたら、私は「癌」だっただろうなぁ)。


そして、今、うさこはその「つまんない子」にあたるのだ 。
自分が失敗したから、子どもにはきちんとした人生を歩ませてやりたい…という訳ではないのだよ。
今、「懐かしのアニメ」が特番で放送されると私は「なつかちぃ~~~~!」と半泣きになって感動できるけど、うさこにはこの感動がないのかもしれない。
(だんなは「懐かしく思えなくても平気だよ」と言い、子ども時代テレビを見ていなかったカイダさんも「友達と話が合わなくても別に寂しくなかった」って言ってますが…。)


「園から帰ってくると不機嫌なのは、その辺りのストレス?」なんて心配になったりして…。
私がドン!と構えてなきゃいけないのにね。
あー、頼りない母親。
シュタイナー教育を実践していらっしゃるベテランママさん、経験談を聞かせて下さいな。

………………… 

「『お母さんと一緒』に出演」2003/01/21

「親バカ」って素敵だと思う私。
容姿がどんなであれ「うちの子が一番!」って思えてしまうから子どもって育てられるんだよね。
でも、それを「あわよくば、子どもタレントに」と結びつける親は結構多い。


以前、ヤックンがテレビで「しぶがき隊の時代は勘違いしてましたよ。だって10代そこそこなのに全てVIP待遇。専用エレベーターまである。これじゃ誰だって勘違いしますよ」というようなことを言っていた。

そう、小さい頃から大人の世界でチヤホヤされるのはやっぱり不幸なことだと思う。
子ども時代には子どもにふさわしい生活をさせてやることが必要であって、人生を早送りしてはいけないのだ。
子どもをタレントにして喜んでいるのは当の本人ではなく、紛れもなく「親自身」なのだ。


「テレビに出したい」という欲はゼロだったので、娘の言う「『お母さんと一緒』に出たーい!」も「そうね」なんて軽く聞き流していたのだが、この度、NHK名古屋放送局で『BSお母さんと一緒』参加募集があったそうだ。
それを見ていた母が参加要項をメモし「本人が出たいって言ってるんだから、とやかく言ってないでハガキ出してあげなさいよ」「又とないチャンスなのよ。4歳になったら出れなくなっちゃうんだから」とあまりにも口うるさいので、「まぁ、当選するはずないだろうから」という軽い気持ちで投函したら、な、な、なんと当たってしまったのである。
(番組も滅多に見てないし、『BSお母さんと一緒』なんて番組があることすら知らなかった私…。)

「TV見せない主義」とか言いつつ「今度出ることになって」なんてどうしても言えなくて必要最低限な人にしか言えなかった。
ここで暴露してスッキリしちゃお。


出ると決まったからには「楽しまなきゃ損!」と割り切ることにした。

「ちゃんと私から離れられるだろうか?」と少々心配していたが、ロビーにお兄さん、お姉さん、体操のお兄さんが現れて、すでにそこから「こんにちは~。ミキお姉さんっで~す!」あのテンションなのだ。
勿論、子どもたちはすっかり打ちのめされ、目がハートになったままスタジオに吸い寄せられて行ったのである。
すっげー!さすがプロ。その後も娘の目はハートになったままでこちらを振り返りもしない。


でもやっぱりいる。
最後までお母さんから離れられなくて結局画面に写らなかった子。
でもね、カメラがずらーっと並んでいて大人でさえ緊張する空気。
しかも見ず知らずの大人がいっぱいいるあの派手なスタジオに子どもが馴染めないのは当たり前。
ウサコだって、この収録が入園前だったら100%無理だったに違いない。

カメラの前に出られない子の母親、かなり憤慨していた。
「何で、泣くのよ。離れてよ。泣いたら置いていくからね!」
この母親の後ろに座っていた私には、みるみるうちに血が頭に昇っていく様子が伺えたのである。

「この子が帰り道で叱られませんように」うん、絶対無理だっただろうなぁ。
たとえ子どもが「出たい」と言って応募したとしても、連れて来たのは親の好奇心、親の野望じゃないのかしら。子どもを責めるのは、本当はおかしいのです。

……………… 

「家族に感謝」2003/01/27

「いいなぁ、核家族。うちも核家族だったらもっと自分の理想の育児ができたかもしれない」と友人に言ったら「あんたねぇ」と怒られた。

「あんた、どれだけお母さんに助けてもらってると思ってんの?無農薬野菜を作って、自然派育児に協力的で、孫の為にここまで自分の時間を削ってくれるおばあちゃん、どこ捜してもいないって!」
ハイ、その通りです。


夜中、一睡もせずにウサコの体を掻き続けてくれることも、不規則勤務のだんなの代わりに父親役になってくれるのも、子どもに余計なものを買い与えないことも、子どもに良いことならなんでも優先してくれることも全部、全部感謝しております。

でもやっぱり「核家族なら良かった」ってグチってしまう時がある。
そんな時、「この文章、的を得てると思わないー?」と別の友人が新聞の切り抜きをもって来た。

『育児。思うに任せないことが多過ぎる。泣いてぐずると、いらいらする。そんな時に「おい、そんなに泣かすなよ」と夫に声でもかけられようものなら…。この配偶者の存在。なんと片親での子育ての方が、両親そろっているより怒ることが少ないのである。いらいらは夫婦の関係性の中で増すのである』

うちの場合は「いらいらは同居の中で増す」だが、これって絶対あり得る。

「さぁ、うーちゃん、そろそろ寝よう。絵本何にしよう」に「えー!?今、お絵画きしてんの。これ終わるまでちょっと待っててよ」と言われて、「あ、そう?じゃ、ママもメールチェックだけするわ」と2人の間では商談(?)成立しているのに、このやり取りをしらない母に、
「もう、パソコンばっかりやってないで寝かせなさいよ」と叱られる。
泣こうがわめこうが一貫した態度で「いけません」と言っている時に、父に「泣かせることするなよ。もっとうまくやれんのか?」と叱られる。

こうなったら怒りの鉾先は娘に向かう。
口にこそ出しては言わないが「あんたのせいで私が叱られるの!」という台詞が頭をグルグル回る。
2人の間では穏やかにうまくいっていても、第3者の存在が怒りを生み出すことって、私の場合はよくある。
そんなときは「1人で育児してた方がスムーズにいくかもしれない」とついつい思ってしまう。


でも、よくよく考えてみた。
私に叱られた娘はおばあちゃんのところにいつも抱っこしてもらいに行く。
「ママがね、これダメって言うの」
「それはね、ママがうーちゃんのこといちばん大好きだから、許してもらえないのよ」
と諭されて納得する。
娘には逃げ道がちゃんとあるのだ。


昨日の夜、早く寝かせたいと思っていたのに、娘2人は遅くに帰って来ただんなとキャーキャー遊んでいた。「ちょっとぉ、いい加減にもう寝るよ」と言っても、興奮覚めやらない状態で「いやーだー。パパと遊んでるんだもん」とゲラゲラ笑っている。
『今日は早く寝かせて日記更新したいのにぃ~』と自己チューな理由でイラついた私は
「明日早く起きれなかったら幼稚園連れていってあげない!」
と吐き捨てた。


子どもが寝た後、それをだんなに咎められた。
「あれは、まずかったよ。3人でとっても良い雰囲気で遊んでいたんだよ。子どもには雰囲気ってすごく大切だと思う。それを壊すようなキツイ言い方しなくても、もっと違う言い方があったんじゃないかな?」
…そうだよね。
そうだそうだ。
反省した。


今日は風邪でダウンし一日中こたつにもぐっていた私に代わって、文句も言わずに育児と家事を引き受けてくれたのは紛れもなく母である。

まだまだ未熟な私には、やっぱり育児を手助けしてくれる多数の保育者が必要なのだ。
協力してくれる親と、いつも初心に戻してくれるだんなが必要なのだ。
みんなのおかげで私がいる。
「核家族がいい」「1人で育児した方が楽」なんてその場の感情で言うのはもうやめよう。

そして私がおばあちゃんになった時、こんな風に孫と接していけたらいいなぁと思うのでした。

…………………… 

「子どものいる生活」2003/01/29

1/17付けの日記に多数のご意見有り難うございました。
とっても参考になり、また励まされました。


「子どもの頃、テレビをあまり見せてもらえなかったけれど不自由はしていないし、逆に親に感謝している」という意見が意外にも多くて、その時代からちゃんと信念をもって子どもに接していた親が多いことにも驚かされました。

友達に聞いた話だが、あの坂本龍一さんと矢野顕子さんの娘さんも「幼い時から音楽をやっていた」ことは例外としても、テレビやキャラクターを避けるシュタイナー的な環境で育ったらしく、今になって「親に感謝している。自分が親になっても同じように育てたい」とおっしゃっているそうだ。
あー、説得力ある。


富良野で役者をしている男友達も「子どもの頃テレビを見せてもらえなかったことを感謝」しているし、そういう環境に子どもを置いてやることってもしかして親からの最大の贈り物なのかもしれないね。

今のところ、ウサコがテレビを無性に見たがる訳でもないし、彼女からは「ビデオを見たい」という願望そのものが消去されているので、このままの生活をできるだけ長く維持していこうと決意しました。
皆さんありがとう。
本当に感謝しています。


ウサコには目覚まし代わりにテレビを使っています。
昼寝から目が覚めると決まってする「狂い泣き」の時にテレビをつけるととたんに大人しくなるのですよ。
今までは、なだめたり放っておいたり、時には叱り飛ばしたりしたけれどどれも効果無し。
受け身で何も考えなくていいからか、魂を吸い取られてしまったようにボーッとテレビを見ていて、そこから30分くらいすると元のウサコに戻るのです。
我が家ではテレビのデメリットを有効に使わせてもらっています。


祖父母の見る演歌特集や大河ドラマを膝に入って一緒に見ている時はそっとしておいたり、「2階でお人形で遊ぼう」と誘い出したりします。
私の体調が悪い時は「ママは病気の患者さん役ね」と寝そべっていると、シルクの布をかけてくれたり、注射をしたり、ご飯を食べさせてくれたり、勝手に私の体を使って遊んでおります。


さて、「子ども中心の生活をしていてストレスが溜まらないか?」という質問を頂いたのでこの場を借りて私の経験談を話しておきまーす。

少し前にもふれた通り、出産するまでは「子ども」にあまり良い印象を抱いていませんでした。
結婚してからもしばらく子どもを持ちたくなかった私は、友達と古着屋を開店し、毎日高校生や大学生と接していたせいか気分は10代。
だんなが優しいのをいいことに、クラブで踊ったり、カラオケに行ったり友達と夜更かしをしたり「楽しいことだけ」で生活が構成されていたので、そろそろ子どもを…と考えた時、この「子ども」という存在が、私の楽しみを削ってしまわないかとても心配でした。


いざ産んでみるとその可愛さは相当なものでしたが、それでも「昼間は母に子どもを預けているからうまくいっているのだ」と勝手に解釈し事業を広げていきました。
「生活は夫婦中心でなくっちゃ」と確信していたし、買い物やカラオケにまで連れ回す日々でした。


それが、それが、シュタイナーと出会って 考え方がガラリと変わってしまったのです。「もっと子どもと向き合っていたい」という思いが日に日に強くなり、第2子出産を機に店を手放したのです。

シュタイナーを知ってすぐ、今まで超テレビっ子だった私が子どもの前でテレビを見るのを辞めたのですが、それに代わって「好きな番組はビデオに撮って見る」という手段を取りました。でもその結果「早く寝てよ」とイライラを募らせ、夜中にビデオを見る分睡眠が削られるので昼間に相手をすることが面倒臭くなることもありました。

そこで次にとった方法が「欲を捨てる」でした。
テレビが見たい…けど見れない。
友達と遊びたい…けど遊べない。欲ばかり出していてはどんどん惨めになっていきます。
自分は子どもの犠牲だと感じるようになり、悲劇のヒロインになりかねません。
だから、「子どもと密な時期はほんのわずか。真正面から向き合って楽しまなきゃ損!」と考え方を変えたのでした。
今ではテレビもビデオも、新聞のテレビ欄ですらほとんど見ませんがこの方法が私にはベストだと感じています。


月に一度、隣町の病院まで『アトピー外来』に行く時は「移動時間を無駄にしたくない」とお弁当を持って電車で小旅行。
景色を見たり、ベンチに座って話をしたりゆっくりした時間を過ごします。
帰りにはパン屋さんでそれぞれ気に入ったパンを1つづつ買うのがささやかな楽しみです。


今、私がやっているお絵画き教室は、一見、シュタイナーを広める為に「頑張っている」印象を与えがちですが実は私たち親子はものすごーい恩恵を受けているのですよ。
まず月に2回、ウサコはにじみ絵を体験できる。
読み聞かせのお話を暗記するために毎晩同じお話をするので、ウサコも覚えてしまう。
(私がつまづくと「次は○○でしょ!?」なんて教えてくれるの)。
そして、教室で私が「先生」と呼ばれることが誇らしいらしく「ママって先生なんだよね。カッコイイね」なんて嬉しそう。


H.Pもそうです。
ここに日記を書くために、私はいつもアンテナを張り巡らせて生活をしており、模範となる行動をしようと努力します。これも決して無駄なことではないと思うのです。
(「シタタカ」な私は自分に有害なことはしないんですよ。)


縫い物をするにも、お菓子を作るにも、「子どものいないうちに」「子どもが寝てから」ではなく、わざわざ子どもの目の前で、できれば一緒にするようにすると、どれだけ時間がかかっても良いのですからイラつくことはありません。
また、「欲」を捨てれば気持ちに余裕が生まれます。


こんなにじっくり子どもと向き合えるのも今だけ。
近い将来、親は必ず「友達」と「恋人」に優先順位を奪われてしまうんですから、ほんの少しの間、自分だけの楽しみは先送りしても良いかもしれません。

……………… 

「言葉の魔法」2003/02/10

私は友達にかなり恵まれていると思う。
学生時代からの友達はもちろん、子どもを通じて知り合ったママ仲間にも一生モノの友達が数人いるのだ。
育児について一緒に悩み、笑ったりと、大勢の子どもをいっしょくたに育てているような感じ。
そんなママ友達も私にとっての「財産」です。
(この場を借りてお礼を言います。感謝。)


23歳の時、学生時代の友達3人で古着屋を開いた。
当時、周りの人たちに「友達同士のビジネスはやめた方がいい」とかなり反対されたし、友達と共同経営したが為に「絶交」してしまった人たちも知っている。
でも、ナント私たちは喧嘩すらしたことがなかったのだ。それはお互い信頼しきっているので少々の毒舌くらいでは傷つかないし、いつも互いにツッコミをしていたので不満が溜まることがなかったんだと思う。


それにも増して重要だったことは、「あんたは本当におもろいわ。私にはかなわん」だの「やっぱり一番気が合うわ」とたまには歯の浮く台詞を言っていたことが良かったんじゃないかなぁと今さらながら思う。
「こいつ、私のことかなり好きだわ」と自信満々だったから何があっても裏切ることの出来ない、家族のような存在だった。
今は全く違う環境で生活しているので頻繁に連絡を取ることはないが、たとえ10年以上のブランクがあったとしても学生時代のような時間を簡単に取り戻すことができると確信している。


そうなのよ、人付き合いで一番重要なのはこの「コミュニケーション」だと私は常々思っている。
親子だって夫婦だって別の個体だから、ツーカーの仲というのは実は難しい。
私の場合、相手に嫌なことを言う時は躊躇するけれど、良いと思うことがあれば思ったその時にどんどん言うようにしている。


それが「VS 子ども」になると結果は一目瞭然である。

最近はまた「理不尽な怒りんぼママ」になりつつあるけれど、子どもに対して「カワイイ」と感じた時はとにかくぎゅっと抱き締めて「大好き」の嵐を浴びさせている。

「うーちゃん、ママね、うーちゃんが私の娘で本当に幸せ。生まれてくれてありがとうね。」と四六時中言っている。
嬉しそうに膝に入ってきて「あたしもママが大好きよ」と言う時もあれば、「いっつもそんなこと言ってー。分かってるってばぁ。」と照れている時もある。
膝に入れ、手を握り、抱き締めているとますます、ますます、子どもが愛おしくなっていく。
「大好き。いつまでもママと仲良しでいてね。」今日もタップリ愛を浴びせて寝かし付けた。


男女間の恋愛では駆け引きが必要だけど、親子に「片想い」はあり得ない。
過保護や過干渉でさえなければ親に愛されて迷惑な子どもはいないのだ。
私にとってこれを上回る至福は他にないように思う。


実は私は長女を出産した瞬間、あまりにも客観的だった自分に落ち込んだ。
「出産」ってダーダーに泣いて赤ん坊をなめまわすほど感動すると思っていたのに、「ちーっす。私が『母』です。よろしく」って他人行儀な感じだったのだ。「あら?私って母性がない?」少々不安に感じたのですが、それもそのはず、「母性」は最初から備わっているものではなく、赤ん坊と接しているうちにどんどん沸き出してくるものだそうです。
(そういう意味でも初乳を飲ませることは最重要なのですね!)

その後、おっぱいを飲ませたり、抱いたり頬ずりしていくうちにだんだん「たまらーん!可愛い!!」気持ちが急上昇したように思います。
抱けば抱く程、「ダイスキ」と言えば言う程、愛おしい気持ちは増大してくるんですよね。


万一、自分の子どもを「可愛くない」と感じる方がいたら、 スキンシップとコミュニケーション不足かもしれません。もっとベタベタして「大好きよ」ってたくさん言ってみて下さい。「言葉の魔法」は必ずあるって私は信じてます。

「欲のない世界」2003/02/15

友達が北海道伊達市に移住することが決まった。
そう、シュタイナー「ひびきの村」の『子ども園』に娘さんが入園するの。
大村祐子さんの住む伊達市に移住できる!
「ひびきの村」の一員になれる。
小学校に上がれば8年間担任が変わらない「エポック授業」を受けることができるのだ。
あ~、羨ましい。


私も、時折真剣に考える。
「ひびきの村」に行けば自分と同じような人がわんさかいるに違いない。
学校運営に携わることが必至なので決して楽な生活ができるとは思ってないけれど、精神的にはとっても満たされると思う。


でも、我が家は無理なのだ。
「両親の老後は私が世話をする」と名乗りをあげて建てたばかりの2世帯住宅のローンがあと十数年残っている。
第一、だんなが就職できそうな映像会社が伊達市周辺にはない。
「あー、無理無理」諦める努力はしているが、時折、野望に押しつぶされそうになる時がある。


子ども界は非常に誘惑が多い。
テレビを見せていなくたって友達はいろんなことを教えてくれる。
幼稚園からはマンガの映画チケットの割引券が時折入ってくる。


クラスメイトの家に行けばウサコは見たこともないキラキラ輝く音の出るおもちゃに釘付けになり、ビデオを食い入るように見ている。
帰りの車では決まって「うーちゃんも、あーゆーおもちゃ買ってよ。パソコンやゲーム買ってよ」と切願してくる。


今日も園に送って行ったら、子ども達は先生に会うと競い合って「昨日、ハム太郎とドレミちゃんのCD買ってもらったの」「私はミニモニの靴買ってもらったの」何を買ったかの報告大会なのだ。
間違っても「昨日、パパと木登りしたよ」なんて目を輝かせている子どもの姿はそこにはない。
…ウサコがいろいろ欲しがるのも無理はないわな。はーぁ。


大人の世界も一緒。
こうして平凡に生きていると、非常に多くの誘惑が待ち受けている。
例えば、マルチ(まがい)商法。
たいていは仲の良い友達が「自分も幸せになれて人を幸せにできて、その結果お金が儲かる」と言ってくる。
そこには、私を陥れようなんていう裏心は全くなく、言葉の通り「私も幸せにしてくれる」つもりなのだ。
そこでそれに賛同すれば「理解してくれて有難う」になるし拒否すれば「理解してくれなかった」ことになってしまうのだから難しい。
止めたがために気まずくなってしまった苦い経験もある。


あーあ、欲のない世界に行きたいなぁ。
「美味しい話」の勧誘にもあわず、子どもの物欲が湧かない世界。
「ひびきの村」で暮らしていれば必要最低限のものがあるだけで幸せだときっと思える。
自然の中には魅力的な遊びが凝縮されているからウサコの物欲もなくなるだろう。

「伊達市に行きたい…」今日もため息をついています。

……………… 

「子どもを誉める」2003/02/18

うちの母は昔人間だから他人の前で家族を誉めないタイプの人だ。周りの人の気持ちを繊細に察知できる人だからこそ、そうなのかもしれない。
でも小さい頃からそんな母の性分がとてもイヤだった。


学生時代も、「ケーコちゃんは賢いんだってねー」とご近所さんに言われれば「そんなことない、ない。交換日記と長電話ばーっかりだよ」と必ず否定していた(図星だけど…)

私が妊娠中、母は「もうじきだね、赤ちゃん楽しみだね」と言われたら「産まれたら大変になるからね。いいんだか悪いんだか」と返した。
…照れ隠しだということは分かっているけどこの時は号泣し激怒した。


「そうだね」と言えばいいのに。
どうして家族を誉められないんだろう。
「あまりにも親バカの度が過ぎている人」ははたから見ていても不快だけど、ある程度なら親子でも素直に誉められる人の方がカッコ良いと私は思う。


そう、確かにそう思っていたのだ。
でも、最近気付いてしまった。
私もウサコを誉めていないことを…。

「昨日、クッキー焼いたんだ」のウサコの言葉に、担任の先生が「あら、楽しかったわねー。いっぱい食べた?」と聞いた時、「そう、クッキー食べ過ぎたから晩ご飯食べれなくてママに叱られたんだよねー」と私が口を挟んだ。
「うーちゃんイイ子だね」と言われれば「でもねー、家ではよく泣くから大変なんだよ。この子、外ヅラが良いの」…なんちゅーことを言ってるの、私は。

私も母と同じじゃないの。
言った後に「しまった!」と気付いて自己嫌悪に陥る。
もしかして母も同じようにこの性格を直したくても直せなかったのかもしれない。

それにしても人前で、叱られたことを暴露され、「私は大変な子なんだ。外ヅラが良いのだ」と自己暗示をかけられている娘。
ゴメンね…。


以前、友達に指摘されたことがある。
「うさこちゃんの前でよく話をするけど、うさこちゃん、それをすごく良く聞いてるよ。気をつけた方がいい」ハッとした。

シュタイナーでは幼い子に鏡を見せることは良くないとされている。
子どもに自分を意識させない、自意識過剰にさせない為に。
だから子どもの前でする会話には神経を使った方が良いのだ。


気付けば我が家は、子どもの良いことも悪いことも本人の前で「今日ねー」と家族中に報告大会を開いていた。
知らない間にウサコは「自分」という存在を意識させられ、プライドを傷つけられたり悔しい思いをしていたかもしれない。


自分が子ども時代に嫌だったことを無意識のうちに繰り返していることって実は多い。
それを子どもは孫に受け継いでいくのだろう。
嫌だったことは自分の代で打ち消さなくては。

「良い所は人前でもきちんと認める」
「子どもの前で子どもの話をしない」
これが私の最近の課題なのでした。

………………

「我が家の子育て日記」(2002.2月〜4月)
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