湯沢七夕絵どうろう祭り
「家々ごとに大きな孟宗竹をたて、これに五色の短冊や折り紙、紙細工、くす玉など
工夫をこらしたものを下げ、夜は趣向をこらした提灯や美人画を中心に、大小さまざま
な絵どうろうを吊って夏を飾ります。
湯沢七夕絵どうろう祭りの由来
この七夕絵どうろうまつりは、湯沢城主佐竹南家七代佐竹義安公の奥方(関白鷹司兼煕
(かねひろ)の姫)が若くして京の地から遠く離れたひなびた田舎町である湯沢に嫁い
できたのは、元禄15年(1702年)8月28日のことでした。
にぎやかな京都にくらべれば、これといった楽しみもなく、そんな姫の心情を思い
やってみやびやかな京の風を移した孟蘭盆の行事として行われ、今日に続くもので
あると伝えられています。
私は、姫に直接会ったことはありませんがかなりの美人だったと伝えられています。
秋田は美人の宝庫なので、不美人であれば嫁入りしてこなかったと思います。
その姫のために、京も都を懐かしく思い出す行事を作り出すなどは、佐竹南家も
“粋”ではありませんか?
面白いものを見つけました、「光るせんぷう機」です。
なお、私に嫁いできた「姫?」は川を挟んだ向かい側です。
“ここ”から嫁にきました,大自然の宝庫です。クリックしてみて下さい。
ここで一句 「久しぶり 父娘(おやこ)で歩く 七夕の夜」 まだまだ若い
「家々ごとに大きな孟宗竹をたて、これに五色の短冊や折り紙、紙細工、くす玉など
工夫をこらしたものを下げ、夜は趣向をこらした提灯や美人画を中心に、大小さまざま
な絵どうろうを吊って夏を飾ります。
湯沢七夕絵どうろう祭りの由来
この七夕絵どうろうまつりは、湯沢城主佐竹南家七代佐竹義安公の奥方(関白鷹司兼煕
(かねひろ)の姫)が若くして京の地から遠く離れたひなびた田舎町である湯沢に嫁い
できたのは、元禄15年(1702年)8月28日のことでした。
にぎやかな京都にくらべれば、これといった楽しみもなく、そんな姫の心情を思い
やってみやびやかな京の風を移した孟蘭盆の行事として行われ、今日に続くもので
あると伝えられています。
私は、姫に直接会ったことはありませんがかなりの美人だったと伝えられています。
秋田は美人の宝庫なので、不美人であれば嫁入りしてこなかったと思います。
その姫のために、京も都を懐かしく思い出す行事を作り出すなどは、佐竹南家も
“粋”ではありませんか?
面白いものを見つけました、「光るせんぷう機」です。
なお、私に嫁いできた「姫?」は川を挟んだ向かい側です。
“ここ”から嫁にきました,大自然の宝庫です。クリックしてみて下さい。
ここで一句 「久しぶり 父娘(おやこ)で歩く 七夕の夜」 まだまだ若い
ライトアップされてるから、
よけいに美人にみえるのかな。
浮世絵美人から、現代風美人まで手法によって色々です。
すごく綺麗な事は綺麗なのですが、地元出身の
人間から見ると、年々レベルは落ちてきている
ような~~~……絵付け後の手間も省いてるよ
うですし。
アニメ風になりすぎなのかな?
好みの問題かな?
光るせんぷう機は要注意ですね。(子連れなので)
>人間から見ると、年々レベルは落ちてきているような~~~
私もそう思いました、大小300の絵灯篭がでて
いるようですが原色が濃いすぎるのもありました。
淡い色彩に中からのライトに浮かび上がる絵が少な
くなってきたような気がします。
> 光るせんぷう機は要注意ですね。(子連れなので)
手をかざしてみると少しですが風が起きていました。