Amazonで本を買うと、よく「あなたへのおすすめ」と称して、購入履歴から興味のありそうなものを親切かつ余計なお世話でチョイスしてくれますが、
先日そうした本の中に、辰巳渚さんの「新・捨てる!技術」という文庫本を見かけました。
「捨てる!技術」は断捨離同様、発行されたときにはかなり社会にセンセーショナルを起こした本で、私も読みました。が、内容は既に忘却。
その何年も経ったあとに買った、「家はこんなに変えられる」という本のほうは、家族構成の変化などによって、同じ家にずっと住み続けるという選択肢の他に
その変化に応じて住み替えるのもあり、というような内容で、私にとっては腑に落ちる感じがしたこともあって何度も読み返してきました。
さすがに少々くたびれてきた感もあり、そろそろ手放そうかな・・・と思いつつまだ本棚の中にあります。
そういえば最近どんな本を書いているんだろう?今頃また前の本を蒸し返して出すなんて、と思いながら説明文を読んでいると、著者の辰巳さんが3年前に
交通事故で亡くなられた、とありました。
しばし呆然。
以前、クニエダヤスエさんが亡くなったことを後で知ったときと、同じような感覚がありました。
クニエダさんの場合、私より年上ではあったものの、亡くなられたときはまだ70代だったこともあってまだ早いと思いましたが、辰巳さんは私より確か
7、8歳は年下だったはずですが・・・知らなかったな。
そして、自分がそのことに思った以上にショックを受けていることにも。
そんなにたくさんの著書を読んだわけではありませんが、雑誌に載っていた記事を読んだりして、辰巳さんには好感を持っていましたし、「家はこんなに・・・」から
暮らすことや住まいに対しての考え方に少なからぬ影響を受けたからと言えるでしょうか。
文章も堅苦しくなく、時にユーモアもあったり。
印象に残っているのが、家族で外で食事をしているときにまだ幼いお子さんが「外のごはんが一番おいしいね」と口にしたことにうろたえて、その後外で食事を
するときには「おいしいね。でも家のごはんはもっとおいしいね」と言うようにするうち、「うちのごはんが一番おいしい」となってやれやれ、というもの。
私自身はそういうシチュエーションに遭遇したことはありませんが、もし同じことを子どもに言われたら、うろたえるどころか、その場で大否定=怒ったかも
しれないな、などと思いましたね。
才のある人が亡くなるのは、本当に惜しい。それも若いならなおさら。生きていたならば、もっともっと活躍出来たはずなのに。
もし辰巳さんがコロナ禍の今生きていたとしたら、いったいどんな言葉を綴っただろうか。そんなことを思いながら、以前買おうかと悩んでやめた本を1冊
購入することにしました。亡くなる数年前の本ですが、少しでも生前最後に近いときの言葉に触れたくて。