やさしさを

生きていく道をみながら

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退院しました

2011-09-19 14:16:15 | 日記

家に帰っても何も出来ないとは、思ったのですが、息子夫婦に二人の孫や、娘達の顔が見たい(婆バカ)で年に2度の折を止めにする事が出来なくて、お盆の前に退院させて頂きました。   家族が増えて、狭い家で大変でしたが、其の幾日かは私にとって至福の時と、思われて幸せいっぱいでした。   皆無事に帰ってほっとしましたが、何もしないのに,身体は、ガタガタで、スカスカで力が有りません。    毎日少しづつでも、良くなったと思え無い日が暫く続きましたので、口は不味くても兎に角食べるようにしました。

 身体が思うように動かない分余分な事を考えたり、辛いけれど主婦業を少しづつ出来る事を増やして行く様ようにして、 日数と言う物は有り難いもので、退院から1ヶ月位経つ頃には、気分もだいぶ良く1日を過ごす事が出来る様に為りました。   お世話に為ったK さんと,I さんにお礼のお電話をする事が出来て漸く気持ちが少し落ち着きました。   只A  さんへの連絡が出来なくて...携帯に入れて頂いたと思って居たのですが、入れ損なってしまったらしくて何とかしなければと、何時も胸に引っかかっています。

今度の入院。 主治医の先生は今までに始めてと思った位、優しい優しいお顔で対応して下さる先生で、看護婦さんは一生懸命にお仕事で。 お部屋の方に恵まれて、心も体も大変でしたが、人生終わりに近い年になって色々な事を得させて貰って、+・-・どちらかと言えば,プラスであったと思います。

救急車・病院・を初め今度の私に係わって下さった方々に、心から御礼を申し上げます。

是から何が有るか判りませんが、  『本当に有難う御座いました。』

 

 

 

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同室の方々に感謝

2011-09-17 15:06:49 | 日記

お部屋を4回も代わって2回目と3回目は場所も同室の方も不思議な位何も覚えていません。 その時は体も大変な時だったので4回目のお部屋で一晩過ごして、次の朝に漸く御挨拶することが出来た次第です。

此のお部屋で私は幸せな時間を過ごさせて貰い本当に感謝以外何も有りません。お聞きしてお住まいが割合に近くと解ったkさん。 思った事がすぐ行動に出る方で、何くれと無く気を付けてくださって随分援けて頂きました。 血糖値が思わしく無く検査中のIさん、物静かな温かい方です。1番若いAさんは、兎に角、垢抜けた方で、会話もすっきりとしていて、私が納得出来るような話方をされて、その場に癒しの雰囲気が出来る方でした。  3人共一応動く事が出来るので半身麻痺の私の為に食事とか其のほか病院のちょっと忘れた時など、3人でホローして下さって有り難かったです.私は肺炎でしたので寝て居る間に麻痺が固まって仕舞うのをkさんが心配してリハビリをして頂く様に、看護婦さんに、お願いして、先生の処方を頂いてくださったり、リハビリの事は思っては居ても言い出せ無かったので、御礼の言い様も有りませんでした。

退院前の2日リハビリを受ける事が出来ました。 kさんは私の少し前に退院されましたが、「kさんが気にして見えたから。」とIさんとAさんが私を一生懸命援けてくださって、全ての理屈を越えた愛を頂いて、その幸せに目が潤んでくるのを今でもおさえる事ができません。

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退院に心が動いて

2011-09-14 14:03:44 | 日記

とか何とかいいながら少しづつ回復して、8月のお盆が近くなって来るとお墓参りに帰って来る子供や孫達の顔がちらちらと頭の中を過ります、病院に居るのが一番良いのでしょうけれど出入りが騒がしくて周りに迷惑を懸ける事になったり、話も自ずと限られる事も有るでしょうし、一時帰宅をさせて頂いても良いかしら等考えていました。    お盆近くなった或る朝先生が、「退院してもいいですよ、 18日迄居っても良いですよ。」と言って下さいました。私は「12日に退院させていただきたい。と即座にお返事してしまいました。先生はもう1度「18日迄居ても良いですよ。」とおっしゃいました、きっと身体の為にはもう少し病院に居るのが良いとの事だと理解しましたが、「先生亦来ていいですか?」と ついお聞きしました、先生は「良いですよ、何かあれば来て下さい。」とのお返事でしたので、宜しくお願いして12日に退院を決めました。

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終り良ければ (お部屋もね)

2011-09-13 23:07:30 | 日記

入院した時は2人部屋で私1人でしたが間もなくお部屋が変わりますとお断りが有ってベットが他の部屋へ移りました。 それが其の日から3日の間に4回もお部屋が変わったので、主人が「何でこんなに変わるのか?」と言いましたが、病院の都合か、私の為かは、私にだって解りません。  私は只ベットの移動する車のガラガラと言う音を目を閉じて聞いて居るだけで、、何処のお部屋へ移ったか、今でも解りません。

 4回目に移ったお部屋は4人部屋でした。退院するまでの幾日かを御一緒出来た方は3人共私より幾つか年下ですが、揃って内面の出来た方ばかりで私は本当に援けて頂きました。  入院時の同室の折にはその人数に係わらず独特な礼儀と変な言い方ですが仁義みたいなものが必要では無いかと私は思っています。  お見舞いにしてもする方にしても、

して頂くほうにしても、為るべく静かには常識ですが、お見舞いの言葉とか様子をお聞きするとかは、して当たり前かと思いますし、お互いと言う事もアルし、少し賑やかで有ったとしても良かったですねと、其れは温かい気持ちで受け入れたいと思いますが、如何でしょうか。でも、体調によっては苦になる方も有って、看護婦さんにちょっと言われたりして”  難しいものですね。チヨット理屈ぽかったでしょうか、どうかお許し下さい。

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5日めに為りました

2011-09-11 23:15:29 | 日記
点滴は何時も2個が目の前に下がっているし、飲み薬の種類も結構多くて飲むのも大変でしたが、早く良くなりたいと思う病人のお定まりで飲んでいましたが、其の中の一つが其れを飲むと気持ちが悪くなるので止めて頂きました。きっと其の薬が少し強かったのかと思います、段々下痢も良くなって来ましたので漸く少し落ち着く事ができました。
其れまでは明日になれば少しは良くなると思っても同じような体調に思えてもう快復出来ないのでは...と考えて仕舞いましたが、段々快復に向って点滴も減り流動食になりましたが、私が口が不味く食欲が無くて流動食も食べられないので亦点滴追加になって仕舞いました。どうにかして食事を摂らなければと思いお粥にして頂きたいとお願いをしました。次の日(7日目位?)重湯とやわらかい副食が来て少しですが口に入れる事が出来ました.日が経って5分粥になりましたが量が多いので出来れば全部頂きたいと思い、量を少なくして頂きたいとお話しました。次の食事は7分粥が運ばれて来て、私の我が侭なお願いを理解して下さって嬉しく有りがたく頂きました。
それから少しづつ体を動かす様にしなければと思い日中は車椅子をお借りして病院のトイレに行く様にしました。此の時は4人部屋に居ました。
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