やさしさを

生きていく道をみながら

東京の病院へ検査に行きました。

2013-03-30 16:05:15 | 日記

家のパートナーの体調が余り良くないので、当地の病院の診断はついて居るのですが、どうも気分が好くないので、向うに居る息子の話で、それも良いと言うことになって、東京にある病院でもう一度検査をして頂く事にしました。水曜日に上京木金と診察でしたが、予約がいっぱいなのでもう一度4月に検査に行く事になりました。今日帰ってきますが、娘の所へ1晩厄介になりましたので、娘に電話をして、様子を聴いて見ましたところ、食欲も気力も、家に居る時より良さそうなので少しほっとしています。  私が身障であまり歩け無いので、もう一人が歩けなくなったらどうしょうか?と思って居ますが、今日のところ孫や子供の顔を見て精神的に少し立ち直ってくれたのかな。  と思って夕ご飯は帰って食べると言うので、魚屋さんへ電話をして 〔美味しいお刺身〕をお願いしました。診断がつくのは4月ですが、  悪い方に向かう事は、余り考えない様に仕様と思っています。兎に角4月の結果待ちです。     30日に帰って来てもう3日目になりますが、亦以前と同じ毎日が粛々(?)と行われています。   私の頭と心に浮かんで来る心配を聞くと、素っ気ない顔で腹が立つような返事が戻ってきますし、きっと体調が好くないのでしょうと思居、余り係わらない様にした方が彼の今が落ち着けるのかと思ってもいます。でも二人とも、そんなに長い人生が在る訳では無いので出来れば、お互いに、慈しみ合って、穏やかで、楽しい日々を送りたいと思い其の努力は惜しまないつもりで居ますが、相手がある事なので中々思うようには、参りません。   (此れが現実)  何とか為ります様にと、神仏に祈って居ますが...此処に彼と私が生きていると言う事でしょうか。  有難う御座いました。

                                                                                   (ー_ー)!!

 

 


堪忍袋

2013-03-03 23:29:38 | 日記

私の子供の頃、より前、明治より以前から有った言葉(諺)だと思いますけれど。 「 堪忍袋の緒が切れた。」   子供なので本からか,講談みたいな物か、周りの大人の方達の話からか、覚えていません。   其の後 「為らぬ堪忍するが堪忍。」 と 「堪忍の袋は常に首にかけ、破れたら縫え、破れたら縫え。」と、こんな成る程と思うような諺でしょうか、何時からか私の意識(心)の中に居て、時々そう有りたいと思わせてくれます。  私など、人間が出来ていないので、如何しても、納得の行かない事や、 「それ、ちょっと違うのじゃ無い?。」とか、 絶対正しくない。など、腹が立って面白く無い思いをする事が有りますが、どうしても。とか、絶対とかが堪忍袋なのか、と思っているうちに私なりの思いつきを見つけて、自分で勝手に納得しています。『堪忍の袋は何時も首にかけ、破れぬようにするが、堪忍』と、此の様に思う事にしました。自分で遊んで、何となく平和な気分になっています。    昔って、面白いですネ。  私って、変?。

                                            (*^_^*)