やさしさを

生きていく道をみながら

ちょっと(?)太目の足

2011-06-20 23:40:51 | 日記
私の足一寸(相当かも)太めで其れが、もう少し細いと格好良いのに、なんて思う時も有ります。遺伝と言えば其れ迄ですが...
父は良く働くせいか年を取ってもお腹も出ていませんでした。
母は色は白いのですが小柄で小太りなので、私の足は母似なのです、色の白い処が似てくれれば好かったのですが。母の両親は父親が色黒でずんぐり型。母親は色白で昔としては背も高くすらっとしていました。其の儘似れば好かったのになんて、此の宇宙船の飛ぶ時代に変な事を考えて仕舞いました。 やっぱり私変わって居ますか?
 でも確実に両親のDNAを受けて居るのですね、此の年に為ると父と母の性格が自分の中で生きているのがはっきりと感じられる時が有るのです。
 こんな事一つでも神秘に思われるこの頃です。   老い故でしょうか?  

もっと言えば...続きます

2011-06-06 23:06:55 | 日記
病院と話し合って手術はしないと言うお話でした。出きるだけの事をして静かに余命の1日1日を大切に過ごす事に決められた様に私には感じられました。飛行兵と言う国に捧げる命を抱いて過ごした日々が其の様な闘病に決めたのでしょうか、切なく思いをめぐらせて居ました。   彼は「といいまs見舞いは要らない,その代わり軍人会を開いて欲しい。」と言いました。同期の軍人会は各地区の当番で年に1回は開いていました。今度は不定期に県内の会員に呼びかけて会が開かれました。 彼は今まで何回も行ってきた会と一つも変わらない様子で話をしてお酒も酌み交わして居ました。私は立派!!。と心の中が熱くなって来ました.只終わりの方でそっと横になっていました。
やっぱり無理をして居たのですね。  それから数ヶ月経って彼は旅立ちました。
 この頃自分で老いが感じられる様になり父や姑やSIさんの事が思われて、私は漸く気が付いたのです。
 姑は「丁度良い丁度いい」と繰り返し言ってお釈迦様の元へ立って行きました。その時『貴方の命がそこに在ることが私達にとって1番うれしい事なのだから私達の為に生きて欲しい。』と何時も何時も繰り返しお願いしなくてはいけなかった事を今頃気が付いたのです。
 何とも悔やまれてなりません。此の年をしてもう1度生き方を考えて見ましょう。

もっと言えば...

2011-06-06 14:16:22 | 日記
私 今 お金持ちでは有りません。でも、生活に困って居る訳では有りません。
脳卒中の後遺症で20数年心も体も辛い毎日を送っていますが、偶には旅にも行けたり
周りの人たちの温かい心のお蔭で明るい日々を過ごさせて貰っています。
それなのに、この頃年が足をひっぱて、どうにも落ち込みそうに為る時があります。
 昨日もふと父の事、そして夫の軍隊友達のSIさんの事を考えてしまいました。
父は明治の終わりか大正の人なので武士気質もあって『1人で風呂へ入れなく為ったら人生終わりに近い。」と、なんで読んだか、誰に聞いたか、知れませんが折りに触れて言っていましたので父の急逝を聞いた時も父はそれで納得をして旅立ったのだと、涙のなかで自分を納得させた事を覚えています。
 若い血潮の予科練のと太平洋戦争の時に歌われた土浦海軍航空隊の同期のSIさん
が70代近くの時にに腎臓癌に冒されたと、奥さんからお電話が有りました。今から10年位前になるかと思います。親しいお付き合いの方でしたので言いようの無い悲しみで胸がいっぱいになりました。 若い時命を共にした仲間には特別な心の絆が感じられますが、その折SIさんの言われた言葉が今も忘れられません。

娘の娘が...或る手紙

2011-06-04 08:23:00 | 日記
今年5月の連休に孫第1号の孫娘が顔を見に来てくれました。  もう結婚していて二人で東京から来てくれて嬉しさいっぱいでした。
 
 MITUKO様 お便り遅くなって済みません。孫1号がお世話に為っております、どうぞ宜しくお願い致します。  今度の震災もう、3ヶ月にも経つのに…毎日テレビを見て怒って居ますが私が腹を立てても何も出来ませんが、お買い物に行って募金箱が有れば気持ちだけでも入れさせて貰らっています。只、願い、祈るばかりです。
 此方は未だ炬燵に入っています.夏は中々来てくれません。
MITUKO様もお体に気をつけてお過ごし下さいます様に。
 コメント嬉しく楽しみにしております。

焼き栗をの声の中を

2011-06-01 14:10:45 | 日記
S君の運転で何処をどう通ったか解りませんが、横浜へお昼近くに着く事が出来ました。 東京オリンピックの時競技を見るわけでは有りませんが、小学生の子供2人を連れて主人と4人で主人の兄弟の処へ遊びに上京しました。その折横浜の中華街で妹の御主人にお昼を御馳走に為りました。 本格的な中華のコースは始めてで、本で見たり話には聞いてましたが少し緊張して、期待もしていたと覚えています。
そして、見事な料理が運ばれてまず驚いたのが海老のチリソースの海老の直径が3cmは有るのではないかと思ったくらい大きいのです そして味もとても美味しくて、是がエビチリの本物の味なのだと今でも忘れられません。もう一品酢豚が絶品の味で、この時から酢豚を作る時はk此の味に近づく様にと思って努力しています。
 その時の事を娘も覚えて居て二人で此の日を楽しみにしえ居ました。 予定の時間(昼近く)横浜に着きました中華街は私の記憶と全く違っていました。
間口の狭いお店がキンキラの彩でびっしりと立ち並び、月曜日だと言うのにお祭かと思われる様な人出でその間を縫って目的のお店を探して歩きました(私は車椅子)です。
余り広くない道の両側に「天津甘栗如何ですか。」と剥いた栗を持って進めるお兄さん
が、いっぱい居て、少し違った喧躁の中を漸く店に(重慶飯店)入り昼食を頂きました。 私の目的の一つ中華まんも忘れずに買いました。昼食は、四人共簡単な物に名って仕舞いました...。少しがっかり…  後一路家に向って走るばかりです。
   もう一晩娘の処に泊まり田舎へ返りました。
  幸せいっぱいの日々を有難う。
     『本当にお世話に為りました。』