主人は朝7時に来て顔や手足を熱いお湯で絞ったタオルで拭き周りを整えて店を開ける時間までに帰ります。其の後実家の75歳の母が付き添いに来てくれます。見舞の方も見えて下さるので寂しいと言う事はありませんが只からだの自由が殆んど無くほんの幾日か前までの様な日常生活は勿論出来ませんあの時一番辛く悲しいと思って涙を堪えられなかったことは、周りに迷惑がかかる事、もう誰か人の為に何かする事、お役に立つことは出来ない事でした。そんな想いが心いっぱいに巡って泣いてばかりいました其のうちにもう私はこの世には要らないのだと命を絶つことばかり考えて居ました。それにしても個室は紐をかける処が何も無いとかしきりに考えて居ました(ドアノブのことは忘れてました)今だから可笑しいんですよね。ずっと以前の事ですが姑のお父さんを引き取って暮らした時の事をおもいだしました。ある日腰を痛めてしまいました80歳を過ぎていましたので1週間大事をとって寝ていましたするとどうしても立てなくなってしまったのです。大しっぱいでした。周りでホローして立たせて上げればよったのです。それから様々な事をしてみましたが駄目でした。本人はどんなにか悲しかった事でしょうそして鋏で舌を切ろうとしたのです…切れませんでした。其の時本人と姑と私は辛くて辛くて3人共号泣を止めることが出来ませんでした。
その時の様子がモノクロ映画の様に心に映し出されて夢のような時の中に居た気がします。そしていよいよリハビリが始まりました。初めの日は午後2時からだったと思います
車椅子で母に押されて少しどきどきしながらなかに入りました。
その時の様子がモノクロ映画の様に心に映し出されて夢のような時の中に居た気がします。そしていよいよリハビリが始まりました。初めの日は午後2時からだったと思います
車椅子で母に押されて少しどきどきしながらなかに入りました。