やさしさを

生きていく道をみながら

父と只一度

2011-01-30 22:10:44 | 日記
何かに付けて思い出します。時代と言う事も有りますが、父が母と私と妹を2泊三日の旅行に連れて行ってくれました。 父は商売のお役で良く長野へ行く事がありましたが家族で行く事は初めてです。妹も私も小学生で深く考える事も無く革靴を履いて付いて行きました。
考えて見ると十二月の初めなので冬休みと言うことは無いはずです、学校を休んだのでしょうか、兎に角私達は電車にのって出かけました。其の頃の電車は椅子は右と左の窓に沿って長く続いていて乗客は向かい合って座って居たので通路は割合に広く思われました。そんな車内が目に浮かんできます。朝出発してお昼頃乗り換え駅に着き電車を降りました。駅前の雰囲気がとても落ち着いて居た様に覚えています。  父は駅前の何時も立ち寄る食堂で昼食を摂るつもりだったようですが、其の日は十二月八日でその食堂は休みでした。そうでした、一年前の十二月八日にあの太平洋戦争が始ったのです、その記念日?で休みとの事でした。
お昼をどうしたのか覚えていません、あの駅前の何とも言えない静かな雰囲気は、はっきりと浮かんで来るのです。面白い物ですね...また電車?汽車?に乗りました。
 姥捨て迄。

四谷怪談

2011-01-27 23:16:04 | 日記
妹が未だ幼稚園の頃かと思います。私は何歳だったのか如何しても思い出せません。
私の街へ東京の大歌舞伎が来ました。街で一番大きい劇場で、四谷怪談を上演しました。父が私と妹を観に連れて行ってくれました。 未だ大人に成っていなかった私は
何故か四谷怪談の話を知っていたのです、其の頃は本を濫読していたので本で読んだのかも知れません。今は駄目ですが若い頃はホラーの様なものに結構興味を持った時もありましたし...私達は花道に沿った桟敷に座りました。
お芝居が華やかに始まり「やっぱり本物」と言う事は感じる事は出来ましたが,肝心の與右衛門も、お岩も役者の名前は残念ですが覚えていません、きっと名代と言われる方だったと思います。毒を飲まされたお岩様の物凄い顔や、小さい提灯の中へ幽霊の役者が入って仕舞ったり、戸板返しとかの怖くて気味の悪い舞台も変な言い方ですが一生懸命に見ました。其れなりに満足したと思っています。妹は殆んど手を顔に当てて指の間からチラチラと見ていた様です。 なんであのお芝居だったのか…
父との思い出の一齣です。

父 花の湯

2011-01-23 23:32:17 | 日記

未だ小学校へ上がる前の記憶です。   父中心の自営業で忙しい父との接触は殆んど無かったのですが家の何処かに居て一緒といえば何時でも一緒とも思えますが...

或る日父が私を連れて「お銭湯に行く。」と言いました。その時の母の言葉を不思議な程はっきりと覚えています。

「まあ珍しいお父さんがS子をお風呂へ連れて行くって。」と近くに居た人に言って居るのが聞こえて来ました。 兎に角私は、父と家から三軒程にあるお銭湯の花の湯さんへ連れて行って貰いました。 手を繋いでくれたかどうかは覚えが有りません、父の横をちょこちょこ歩いて行った様に思います。其の頃は学校前迄の子供は男女どちらへ入っても良い事に為っていましたので勿論其の日は父と男湯へ入ったのですが、どんな風に入れて貰ったか全く覚えていません。 只商売家なので父も母も番頭さん達も何時お銭湯に行ったか等は、判りません。  姉も兄も父とお風呂に行った事は無かったと思います。 本当に珍しい事と今でも思いますがその時の父の心を色々思い図ってみるとずっと昔の事なのに今でも胸が温かくなってきます。「お父ちゃん有難う。」

お仕置き

2011-01-17 13:47:14 | 日記

学校を出てから1年足らず泊り込みの勤めをした事は有りますが、体を悪くしてそれ以後は家の手伝いをして娘時代をすごす事になって仕舞いました。

仕事も自営業でしたので家事だけでなく何でも出来る事はやりました,そんな訳で嫁ぐまで父と1つ屋根の下で過ごしました。九歳の時に母の体の為に繁華街から少し離れた処に移転したので十余年ほどですね、其の間父に叱られた覚えが一度も無いのです、そう考えるとあの子供の時のお仕置きがたまらなく懐かしく思い出されます。

私は何を悪い事をしたのでしょうか、きっと母が「お父さん此の子を叱って。」とでも言ったのでしょう、 私は父の右の小脇に抱えられて下屋(したや)へ連れて行かれるのです。 御免なさい、ご免なさいと言って手足をばたばたさせるのですが父は黙って連れて行きます。

番頭さんや仲居さん達は誰も何も言いません。(お手々つね々でも、お尻ぺん々)でも無いのです、黙って抱えて下の部屋へ入れて行きます、戸は障子なので何時でも出られるのです。 有る程度反省?すると黙って外で遊んで帰ったのだと思います。何時どんな風に許されたかは全く覚えていません。只其の後で何か言われた覚えも無いのです。

今考えるとあれは、父の愛情だったのでは無いかと気が付きました、抱えられた父の脇は温かかったように思います。五人兄弟の真ん中の私を黙って気に懸けて居てくれたのだと思っています。


夢と現(うつつ) 

2011-01-16 22:34:04 | 日記

此のところ山頭火の事を考えて居るうちに父や母の事がしきりに思い出されてきました。その故かと思うのですが今朝方未だ暗いうちでしたがふと隣の茶の間をガラス越しに目をやると其処に父が座っています, 「あれ!」母は未だ起きて来ないんだなと思いました、そしてああ、母はもうこの世に居るはずが無い人だと思い、父も居ない筈なのだと思って、じゃあ夫が未だ起きて来ないのだと思いました。 此のあたりから夢と現(うつつ)の間に居た様で夢を見ながら是は夢なのだと思いながら目が覚めたりして、不思議な、でも気分は悪く無い思いを経験しました。それも、以前同じ事が有った様な気がして...

こんな経験有りませんか?     父と母が会いに来てくれた様な気もします。

     年の故でしょうか。