山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

入院の記

2020-12-08 03:13:17 | ジジババ世代の話

 今月の月初め生体検査のため1泊の入院をした。というと、何の病気なのか知りたいというのが人情だと思う。そう、癌なのだ。癌にもいろいろあるけど、自分の場合は男性特有の前立腺がんという奴なのだ。この癌は、高齢者世代に多いらしく、自分も念のためにと還暦を過ぎた頃から年に一度の健康診断でPSAという血液検査を受けていたのだが、年々数値が上昇し2年前にとうとう正常値の2倍を超えてしまったので、MRIなどの機械装置による診断を受けたのだったが、どうもはっきりしないので、念のため生体検査というのをして頂いてはっきりさせたいと、今回同様1泊の入院をして診て頂いたのだが、結果は異常無しだった。それで少し安心してしばらく様子を見ようということで、それから2年が経ったのだが、その後もPSAの数値は上昇を続け、今年は正常値の3倍近くになってしまったのである。それで再びMRⅠなどによる精密診断をしたところ、少し異常が見えるということで、念のため生体検査をした方が良いということになり、今回の入院となった次第。

齢が傘寿となっており、人生に後悔は多いものの今更欲深く生き延びて何かやろうという気も無く、本物の癌に取りつかれたところで、さほどビクつく気持など無いのだけど、放置しておいて癌の思うままに命を翻弄されるのは癪なので、やるべきことはやっておこうと2度目の生検を受けたというわけである。

さて、その顛末を記すこととしよう。2度目なのだから、凡その手順や内容は承知しているので、さほど不安は無いのだが、いざ本番となると落ち着かないのは、生き物としての本性なのであろう。検査とは言え、身体の中に収まっている臓器の一つを管など入れて調べ回すのだから、気持が揺らぐのは仕方も無いことであろう。自分で自分にそう言い聞かせた。

この検査の場合は、念のためにとHIVの事前検査をするのだが、今回は新型コロナのこともあり、PCR検査も行うこととなった。これらの検査が済んで、2日後に予定通りの入院施術となったのだから、HIVも新型コロナの方も感染はしていなかったということなのであろう。当たり前だ!と思いながらベッドに横たわった。この日は朝食と昼食は絶食で、生検の為の施術は14時からなのだが、午前中から点滴が始まり、たちまち病気での入院患者の姿となった。しばらく点滴を見ていたけど、直ぐに飽きてしまって、持参した宮部みゆきの時代小説「ぼんくら」を読むことにした。1時間ほど断続的に読んでいたのだが、思っていたよりも面白くない。この書き手は豊かな才能の持ち主で、以前から賞賛を覚えながら何篇かの作品を読んでいるのだが、今回入院に当って久しぶりにそれを味わおうと本屋に行って、中身も確認せずに上下2冊の文庫本を持参したのだが、その上巻を読み始めたのだが、登場人物の描写がごちゃごちゃしていて、いくら読んでもすっきりしない感じなのだ。何だかめんどくさくなって来て、後は術後に読むことにして止めてしまった。

今回は個室を申し込んだのだが、空いていないということで、4人部屋を区切った準個室といった感じの病室だった。大部屋だと以前のように夜中に大声で泣きわめくような患者が混ざっていたら大ごとなので、今回はコロナ禍のこともあり、少しでもいいからそのような災いを避けたいと思ったのだった。

ようやく14時近くとなり、本番の為の準備をされて、別のベッドに乗せられて手術室に運ばれる。俎板の鯉の心境に近づく。施術室のベッドに移されて、本番開始となる。背中を丸めさせられて背骨のどこかに麻酔注射を打たれて、検査が始まった。麻酔は局所で下半身である。足が少し温かくなりだしたなと思ったら、たちまち下半身の感覚がどこかへ飛んでしまった。それらが確認されると直ちに施術が始まった。何をどうされたのかさっぱりわからないままに尿道にカテーテルが通され、その後前立腺に針を刺しているのか、何回かチョキンというような音を感じた。1時間ほどして終了しましたという宣言があった。最後に尿道に管を通して、これからは明日の朝までは自力での排尿は出来なくなったということ。運搬用のベッドに移されて、病室へ向かう。病室に戻って、元のベッドに落ち着いたのは15時少し過ぎ頃だったろうか。無事終了ということで、担当の看護師が家内の所へその旨を電話連絡してくれた。話によると、家内はどこか怪しい所からの電話と思ったらしく、そのような応対をされていたとのこと。ナンバーディスプレイを見て、登録外の電話には警戒しているので、疑いを持ったのであろう。家内にそのような連絡があるとは話していなかったので、止む無し。看護師さんには失礼。

さて、これでもうあとは明日までの処置を終えて退院するまで、只じっとして安静を続けるだけである。退屈というよりも窮屈で身動きのとれない時間を我慢しなければならない。臓器を切った貼ったというような病の手術ではないので、その点では生命に対する不安は無いのだが、普段動き回っていないと気が済まないタイプの自分のような人間には、15時間近くじっとしているのは苦痛以外の何ものでもない。点滴の管の他に排尿の管と袋が付いており、まさに身動きが取れないのである。

少し落ち着いて、眠ろうとしたのだが、そう簡単にはゆかない。先ほど止めた小説を取り出して読み始めたのだが、やっぱりちっとも面白くないのだ。やっぱり別のものも持ってくればよかったと思いながら、目を閉じたのだが、やっぱり眠りはやって来ない。2時間くらい我慢している内に、今まで感覚の無かった両足の指先を初めとする下の方が感覚が戻ってくるのを感じるようになり出した。麻酔が切れる時にはしびれがするのだと看護師が言っていたけど、しびれは殆どないようで、足首や足指が動かせるようになった。しかし足が元に戻っても歩けるわけではなく、やっぱりじっとしているだけなのである。情けない話ではある。

それにしても麻酔というのは凄いなと改めて思った。まるで人の生命を自在にこの世とあの世を往復させているかの様な働きをしている。今回は半身だったけど、以前40代の頃全身麻酔の手術を経験したことがあるのだが、あのときは身を以てこの世とあの世を往復した感覚にとらわれたものだった。今回は半分だったけど、やっぱり凄いなと思った。華岡青洲のことを思った。和歌山県の紀ノ川を旅した時にその地を訪ねたことがあるけど、改めてこのような薬を見つけ出したというのは凄いことだと思う。

麻酔が切れて元に戻った19時近く夕食が運ばれてきた。今日初めての食事である。食欲などある筈がないと思いながら、いざご飯とおかずが運ばれてくると、何の抵抗も無くその気になってきれいに平らげてしまうのだから、不思議だ。俺は食欲があって健康なのだ!などという妙な自信が湧いてくるのをおめでたく不思議に思った。本当は只卑しいだけなのかもしれない。それでいいのだと思いながら再びベッドに横になる。

それから長い夜が始まる。眠ろうとすると、何処から「ムオー!」という大声で無く牛の声が聞こえてくるのだ。病院が牛など飼っている筈は無く、どこかの病室に一日中吠え続けている病の人間が居るのだろうと思った。日中も時々吠え声がしていたけど、夜中まで続くとは思わなかった。それにしても同じ部屋の人ではないというのは不幸中の幸いというものであろう。何とか眠ろうと、寝禅による調心調息などを試みてみたけど、ダメだった。本を読んだらどうだと、小説を読み始めたのだが、面白くない。筋が入り組んでいて、ほんとにめんどくさくなるのだ。だとすれば、普通なら眠くなる筈なのだが、牛の吠え声が邪魔するのである。念のためにとラジオも持参しているのだが、これも面倒になり、結局目をつぶるだけだった。夜中に点滴の取替えや排尿の袋の処理に看護師さんが何度もやって来るのだが、仕事とはいえご苦労様だなと感謝の気持ちとなった。眠ったという実感のないまま朝になった。6時半頃排尿の管を抜きに看護師の方がやって来て、ようやく管から解放された。この後は自力でトイレに行くことができるようになるのだが、点滴は続いているので、常にひも付き移動具付きである。それでも身体の向きを変えて寝ることができるようになり、かなり楽になった。身体を動かせないまま長時間寝るのはかなり厳しいというのを改めて実感した。1年近く寝たきりだった亡き父のことを思い出したりした。

7時頃待望(?)の朝食が来た。病院食は不味いという人は多いのだが、自分にはそのような感じは少しもない。良く噛みしめてご飯とおかずをしっかり味わった。その後は少し眠ったようである。看護師の話では、退院までにあと何本か感染予防などの為の点滴を行い、昼食の後担当医の退院許可が出たら終わりとなるということだった。昼食はカレーライス。戦後間もない頃の薄い黄色の味も薄い一品だった。美味いというよりも何だか小学5年生(昭和25年1950年)頃の学校給食の特別食を食べている様な懐かしさで一杯だった。滅多に食べられない思い出の一品を味わった感じがした。

さて、その後は14時近くまで点滴が続いて終ったのだが、担当医の方がお忙しくてなかなかお見えにならず、退院のOKが出たのは14時を過ぎてからだった。何はともあれ、早く家に戻ってシャワーを浴びたいと思った。精算を済ませ、駐車場に置いていた車に荷物を積んで病院を後にする。やれやれ、である。このあとは10日ほど後に生検の結果が判明することになる。それまでに元の身体に戻すことが第一。

ということで、入院の顛末は以上のようなものなのだが、この生検というのは、実は退院後が厳しくて、しばらくは血尿と排尿時の激痛が続くのである。今回は前回の時よりもその症状がきつくて往生した。これを書いている術後3日目になって、ようやく正気に戻ったという感じである。短いのだけど、長い時間だった。

入院暮らしをして改めて思ったことがある。それは医療の現場は大変だということ。守谷市には中小規模の病院が二つあるが、この病院も新型コロナの感染者の治療を受け入れており、その負担は人的にも費用の面でもかなり厳しくなっているようで、最近クラウドファンディングを始めている。ただ、我々のようなネット情報に係わりの薄い老人には、貢献しようと思っても要領がさっぱり判らず、ネット社会の独りよがりではないかという感じが拭えない。だから、傍からへえ~と見守るだけで行動に移せない。

そして思うのは、病院経営の悪化がコロナに起因するのであるのならば、国や行政は病院にクラウドファンディングなどをやらせてはいけないのではないか。国が国民の生命を救うというのであれば、国は直接国民の生命を救う事業に係わる医療機関に寄付集めなどをさせてはいけないのではないか。コロナの感染者に安易に同情する前に、その感染者の生命を救うために渾身の力をふり絞って対処している医療機関を殺してはいけないのではないか。医療機関の自助努力に頼るなんぞということは、国政の怠慢以外の何ものでもない。

自分は今回一般病棟での入院の一夜を過ごしただけだが、医師を初め看護師等医療関係者の皆さんの仕事の厳しさを実感した。患者は概してわがままな人が多いのだ。自分の所為で病気になったと反省しているような人物は一人もいない。医者が自分の病を治すのは当然だなどと思いあがっている人も多い。その様な人たちの面倒を見るのは尋常ではないと言えると思う。

これがコロナ治療に係わる方たちの場合は、その数倍の厳しい仕事を余儀なくされているに違いない。こういう人たちに銭を惜しんではならない。コロナに殺されるのが感染者ではなく、病院等の医療機関となってしまったら、もはやお手上げとなってしまう。つべこべ言ったりしていないで、さっさと何が本当に大事なのかを見極めて手を打って貰いたい。つくづくそう思った。TV等の無責任な評論やコメントなどを見せられる度に腹立ちを抑えられなくなる。第3波がピークに達しつつあり、医療機関がひっ迫しているという。医療機関を殺してはならない。国も行政もこの最大の命題に全力を挙げて取り組んで貰いたい。


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