山本馬骨:たそがれジジイの呟きブログ

タイトルを変更して、これからは自分勝手なジジイの独り言を書くことにしました。

畑灯篭の話

2014-05-04 04:31:08 | 百姓回帰の話

 今ごろの守谷市内のホームセンターの花や野菜の苗売り場には、連日大勢の人々が思い思いに何を育てるか思案しながら訪れています。様々な野菜や花の種類があって、年を追う毎にそれが数を増している感じがします。トマトやナスなども外国で栽培されているものなどが加わって、国粋主義的な考えの多い自分から見ると、何だか怪しげな感じがしないでもありません。時代の流れは止めることは出来ないのだなと、改めて思うばかりです。

 今年から菜園を再開しようと、市の土に親しむ農園の一角を借りて野菜などを作ることにチャレンジしています。たった20㎡の小さなスペースなので、欲張っても作れる作物は限定されてしまいます。あれこれ迷い悩んだ結果、茄子、トマト、食用菊を作ることにしました。契約開始の4月初めには、畝一本に小カブの種を播き、既にそれらが生長期を迎えています。新たに3本の畝を作り、それぞれに買ってきた苗を植えることにしました。茄子とトマトはそれぞれ2種類のものを各4株ずつ、食用菊はもってのほかを10株植えることにしました。茄子とトマトは収穫が終われば抜き去ることになりますが、食用菊は5年間の契約期間中、花と味を楽しむことができます。しかし、今年の収穫は無理なので、面倒を見るだけで終わることになると思います。

     

苗を植える前の畑の様子。一番右が小カブの畝。その左は茄子を植える予定。その左はトマト。そして一番左は、この時点ではまだ畝づくりをしていないけど、食用菊を植える予定。僅かな土地ゆえに、楽しみは大きく深くなる。

 ということで、2週間ほど前に苦土石灰を播いて中和を計り、そのあと少し経ってから畝づくりを行い、先日の苗の購入、定植と仕事を運びました。ゴールデンウイークが終わる頃までは、天候の不安定さが残り、気まぐれな寒さや強風が襲来するやも知れず、せっかくの苗を守るために、苗の一本一本にポリ袋の覆いををつけることにしました。ポリ袋を買って来て、茄子とトマト用には少し大型のものを、食用菊用には小型のものを用意しました。これらを支える支柱は近くの篠藪に行って細めの篠竹を切って利用することにしました。市販の支柱もありますが、出来る限り自然のものを自力で探して使うことで楽しみが増すというものです。篠竹の藪の中に入るなどということは、このようなニーズがない限り滅多にないことです。子供の頃を思い出しながらの作業でした。

 農作業の楽しみには幾つものステップがありますが、耕す楽しみから、今回は苗を植えるという楽しみを味わわせて貰いました。苗の定植は播種とはまた違った味わいがあります。稲の苗などのように機械で植える場合には感じにくい、苗一本一本に対する思いを籠めるという味わいです。茄子やトマトの個々の苗に、生きものに対する愛情のようなものを覚えるのです。私だけでなく、菜園で農作物の面倒を見ておられる方ならば誰でもそのような思いを持たれるのではないかと思います。苗の一本一本に名前をつけて呼びかけながら、その成長を願うといった塩梅なのです。百姓というのは、そのような深い愛情が求められる仕事のように思っています。

 計26本の苗を植え終わり、それらの一本一本に覆いを掛けて、その作業を終えてやれやれと腰を伸ばし、天を仰いで息を吐いて振り返ると、そこには26個の灯篭が立ち並んでいました。大震災以降のこの方、慰霊のための灯篭を用いての話題を見聞しますが、我が小さな畑にもそれが出来上がったような気がしました。この灯篭の中にはろうそくではなく、力強い生命の宿った苗が鎮座しています。それは、天に眠り遊ぶ大災害の犠牲となった方たちのところにもつながっているのではないかと、ふとそのようなことを思ったのでした。

     

畑灯篭の景観。食用菊は透明のポリ袋を使うことにした。収穫への期待よりも、無事生長への期待の方が遥かに大きい。皆頑張って育って欲しい。

 


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