優緋のブログ

HN変えましたので、ブログ名も変えました。

「見えすぎる社会」をどう生きるか 続き

2022-10-17 18:13:58 | 聖教新聞を読む
・ 「キラキラしていないけれど
魅力的な人生」に触れるべき
✨ 他者への想像力を養うには
「キラキラしていないけれど
魅力的な人生に触れること」
かつては文学なり映画なりが
想像力を養う類似的な場所として、
あった。
木下恵介
“女性の愚痴を描いたら第一級”
といわれた映画監督
そうした作品が理解されなくなっている

✨ 若者が
「キラキラしたものしか見たくない」
ぱっと見の印象だけを重視する演出が増えている。

✨ 病気とデイケアの体験から、
他者への配慮とは
「その人が今、
回している生活のサイクルを
尊重すること」
傍から見たら、感心できない、
正直ダサくてイタいサイクルを
回していても
犯罪的行為に及んでいないのであれば、
頭ごなしに否定しない。
その人の人生に思いをはせてみる。
それが真の意味でのダイバーシティ

よなは・じゅん 
評論家。元歴史学者。
1979年、神奈川県生まれ。
2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
当時の専門は日本近現代史。
15年まで地方公立大学准教授として教べんを執った後、
17年に病気離職。
20年、共著『心を病んだらいけないの?――うつ病社会の処方箋』(新潮選書)で小林秀雄賞。
 🍀🍀🍀

信心の世界では、
「愚痴は福運を消す」
と言われる
「人に語れば愚痴となり
ご本尊に語れば祈りとなる」とも

苦しい時は、苦しいと
辛いときは、辛いと
いえる人がいるのは、
悪いことではないと思う

辛い、苦しい、悲しい
そういう経験があれば
同じ境遇、悩みを持つ人に
同苦出来るし、共感できる

人には皆仏性がある
仏界の生命を持っている
だか、凡夫だから
病気もするし
失敗もする

どんな姿でも
100点満点と信じるのが
信仰者の
ネガを受け入れる
ということではないか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。