あすかパパの色んな話

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48年ぶり出場の陸上女子400mリレー。決勝進出の鍵、16歳土井杏南の存在。

2012年07月19日 20時40分21秒 | その他スポーツ情報

日本選手権、女子100mで決勝進出を決めた土井杏南。決勝ではスタートで福島千里を引き離して70m付近までトップに立ち続け、最終的に2位となった。

7月3日、国際陸上競技連盟から、ロンドン五輪のリレー種目の出場権を得た国が発表になった。

 昨年の1月から今年の7月2日までの間に記録された、トップと2番目のタイムを合計し、上位16カ国が出場できる仕組みだ。

 日本は、男子が4×100mリレーと4×400mリレー、女子は4×100mリレーと、3つの出場権を得ることができた。

 この中でも、注目は1964年の東京五輪以来、実に48年ぶりの出場となる女子4×100mリレーである。日本陸上界が一体となっての強化あってこそのロンドン行きである。

 陸上短距離は、どうしても世界の壁が厚く、特に女子は長年にわたり、跳ね返されてきた。

 だが、2008年、北京五輪の100mに、福島千里が日本女子では56年ぶりの出場を果たしたことで流れが変わった。オリンピックが手の届かない場所ではないことを感じたことで、福島に続くように若い選手たちが成長したのだ。

日本新記録は樹立したものの、五輪での決勝進出は……。

そこで現実味を帯びてきたのが、リレーでの五輪出場だった。

 北京五輪では、日本は18位で出場権を逃した。しかし、若手選手の台頭を考慮すれば、16位以内は不可能ではない……。そう考えた日本陸上競技連盟は、北京五輪のあと、所属先の垣根を越えて短距離の有望選手を集め、合同合宿を北海道や沖縄で実施。個々のレベルアップを図るほか、バトンパスの練習や選手間の目的意識の共有など、リレーへ向けた強化に取り組んできた。

 その成果が表れたのが、昨年5月に樹立した43秒39の日本新記録である。

 このタイムと、やはり同月にマークしたアジア・グランプリでの43秒65の合計で13位となることができたのである。

 こうしてオリンピック出場を決めた日本女子だが、目標として掲げているのは、本大会での決勝進出なのである。

高校2年生・土井杏南の若き力が起爆剤になるか?

決勝に進めるのは8カ国だが、ランキングで見てみると、8位のロシアの2レースの平均タイムは42秒86。対する日本は、43秒52。現時点では、0.66秒の差があることになる。その差は小さくない。

 リレーのメンバーは、選考会を兼ねた6月の日本選手権100mで優勝した福島、2位の土井杏南、3位の高橋萌木子、4位の佐野夢加、予選落ちしたものの200mで2位となった市川華菜の5名。彼女たち一人一人のさらなるタイムの短縮はむろんのことだが、日本新記録が出た昨年5月以降、リレーそのもののタイムも伸び悩んできただけに、起爆剤となる要素が求められるところだ。

 そういう意味で楽しみなのが、メンバー中最年少の16歳、高校2年生の土井なのである。

中学記録を更新し続け、すでに逸材として注目されていた。

土井は全日本中学校選手権の100mを連覇、中学記録を更新するなど、以前から逸材として注目されてきた選手だが、高校に入学後も順調に力をつけてきた。

 高校1年時は日本選手権100mは4位となり、インターハイ、全日本ジュニアなどで優勝を飾った。

 そして五輪シーズンの今季も、春から好調な走りを見せてきた。日本選手権では、予選で福島らを上回り、トップタイムを記録。決勝でもスタートから飛び出し、最後は福島に抜かれたものの終盤までトップを保ち、歓声を浴びた。

 158cmと決して大きくはない土井の武器は、秀でた足の回転の速さによって生まれる、スタートから中盤の加速力だ。

 さらに高校1年の秋からは国立スポーツ科学センターに通い、体幹を鍛えたことで、「上体のぶれがなくなってきて、一歩一歩伸びる感じがします」と、スピードに磨きがかかったことが、今シーズンの好成績につながっている。

「出るだけじゃだめです。決勝も不可能ではありません」

土井は、ロンドンへの抱負をこう語っている。

「出るだけじゃだめです。決勝も不可能ではありません」

 ポジティブな性格だと自己分析する彼女らしいコメントである。

 スタートの得意な土井には、一走としての期待が寄せられるが、リレーに出られるのは4名。一人は補欠に回ることになるから、土井の出場が確定しているわけではない。

 福島と競い続けてきた高橋、昨年急成長を遂げた市川、大学職員として仕事と掛け持ちしながら競技生活を送ってきた佐野と、誰もが出場したいと思っている。

 メンバー内での競い合いの中で、土井という新たな顔は刺激となるはずだ。

 大会まで残り少ない時間でもう一歩成長すること。競い合いつつも、チームとして結束すること。そこに日本の活路がある。(Number Web)



度胸満点の高卒ルーキー釜田佳直、快進撃の秘密。~名伯楽も認める楽天18歳右腕~

2012年07月19日 20時33分29秒 | コラム

星野監督から「最後まで勝負をつけてこい」と送り出され、プロ初完投で3勝目を挙げた。

「ウチの監督、日曜日は機嫌がいいんです。釜田(佳直)が投げると負けませんから。大した高卒ルーキーですよ」

 楽天の米村理コーチが明るく言った。今年の12球団の高卒ルーキーは38人。そのうち交流戦終了時まで一軍で生き残ったのはわずか3人、その一人が釜田だ。初勝利を挙げた5月27日以来、日曜の登板では釜田に負けがついていない。

 6月17日の巨人戦では、強力打線を5安打1失点に抑えプロ初完投で3勝目。高卒新人として巨人戦初登板での完投勝利は、'87年の中日・近藤真一以来、25年振りの快挙となった。

 そんな釜田にとって楽天の先輩・田中将大は特別な存在だ。'06年夏の甲子園決勝、駒大苫小牧・田中と、早実・斎藤佑樹の投げ合いをテレビ観戦していた中学生の釜田は、延長再試合が決まると、居ても立ってもいられず石川から甲子園に向かった。再試合を観戦後、その足で監督のところに出向き、「投手の方がカッコいいし、銭になりそうだから転向させてください」と申し出たという。以来、投手で甲子園を目指し、金沢高のエースとして3年の春夏連続出場を果たした。

ドラフト指名時、担当スカウトに「何故、1位じゃないんですか」。

楽天からドラフト2位指名を受けたときも、「何故、1位じゃないんですか」と真顔で担当スカウトに聞いた度胸の持ち主。星野仙一監督はかつて、“プロの投手に必要なのは、怖いもの知らずの強気の姿勢と負けず嫌いの根性、それに少々の運”と語っていたが、釜田はそのすべてを持ち合わせている。指導する佐藤義則コーチはこう語る。

「普通の新人であれば球速を気にするが、釜田は違った。田中のトレーニング法や調整方法ばかりを知りたがっていた」

 佐藤はエース田中に“優勝するために投手の駒が必要だから色々教えてやってくれ”と頼んだ。釜田の快進撃を支えているのは田中直伝のスライダーである。

「簡単に自分のものにしているのは、あいつが身体の使い方や鍛え方を学んでいるから。単なる18歳じゃない。俺たちは30歳くらいで考えたことだよ」と佐藤はその姿勢を評価する。そんなことからコーチ陣の間でついたあだ名は“とっちゃん坊や”。釜田はしみじみと言う。

「2位指名でも入った球団が良かったから、今があるんです」

 やっぱり、出来すぎの言葉を吐いた。(Number Web)



【プロ野球】中村紀洋、戦力外から掴んだ8年ぶりの球宴に懸ける思い

2012年07月19日 20時26分40秒 | コラム

ファン投票によって、8年ぶりのオールスター出場を果たした中村紀洋

2004年以来、8年ぶり8度目のオールスター出場を果たした中村紀洋(横浜DeNA)。ファン投票での選出は、実に10年ぶりのことだった。

「オールスターはもう難しいだろうと思っていましたけど、元気な姿を見せられる機会をいただきました。ファン投票で入れていただいたみなさんに、豪快なスイングを見てもらいたいです」

 オールスター明けの7月24日に39歳となる男の言葉に実感がこもる。振り返れば、オールスター出場の足跡が、中村の激動の野球人生を伝えている。

 4年連続オールスター出場(99~02年)の時期は、近鉄『いてまえ打線』の顔として球界を代表する打者にまで上り詰めた絶頂期。00年には本塁打、打点の二冠に輝き、01年も打点王を獲得し、リーグ制覇に貢献。年俸も5億円を超えた。しかし02年オフ、メジャー挑戦を表明し、ニューヨーク・メッツと契約寸前までいくも破談。ここからすべての歯車が狂っていった。

 一転、近鉄に残留したものの、ファンも周囲も反応は冷ややかだった。そこに故障も重なり、不本意な成績のまま、05年にポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースへ移籍するも、チャンスをものにすることができず、わずか1年で帰国。さらに翌年、古巣・近鉄と合併したオリックスに入団したが、故障をめぐる見解の相違から1年で自由契約となった。

 07年には育成選手からの再出発となった中日で復活を果たし、日本シリーズでもMVPを獲得したが、08年オフに国内FA権を行使して楽天に移籍。しかし、在籍した2年間で結果を残せず、10年オフに再び戦力外通告を受けた。

そして昨年、「育成でもいいから野球を続けたい」とひとりで練習を続けたが、4月、5月と時は過ぎ、さすがにここまでか……と思われた。しかし6月、横浜から獲得のオファーが届き、首の皮一枚で野球人生がつながった。それでも期待された一発は、交流戦でソフトバンクの杉内俊哉(現・巨人)から放った代打アーチの1本のみで、さすがに力の衰えを感じさせた。しかし、本人の思いだけは違っていた。

「『使ってさえもらえれば、もっとやれる』と、いつも言っていました」

 そう語ったのは、息子のたび重なる挑戦を見守り続けてきた父の洋二氏だ。その言葉通り、今シーズンは中畑新体制の下でスタメン出場の機会を掴むと、7月19日現在、打率.295(リーグ3位)、8本塁打(リーグ9位)、42打点(リーグ4位)と結果を残し、得点圏打率.352はリーグトップ。4月15日の巨人戦では西村健太朗から通算10本目となるサヨナラホームランを放ち、これは清原和博の12本、野村克也の11本に続く歴代3位。持ち前の勝負強さも健在だ。

 何度も崖っぷちに立たされながら、「絶対、誰かが見てくれているはず」とバットを置くことはしなかった。そんな息子について、洋二氏は次のように語る。

「とにかくアイツは野球が大好きなんです。自分には野球しかないとわかっているから、簡単に辞めるわけにはいかない。本当にその思いひとつでここまでやってきたんだと思います」

 子どもの頃、テレビを見る時も手はバットを握っているか、グラブがはめられていた。寝る時も、枕元にバットを置いているから、朝起きると「こんなところに置いとったら危ないやろ!」と母親によく怒られた。しかし、翌日も翌々日も同じことが続き、やがて誰も何も言わなくなった。

91年にドラフト4位で近鉄に入団してからは、強烈なプロ根性で戦い抜いてきた。入団1年目に打撃フォームの改造を首脳陣から迫られたが、頑(かたく)なに拒否。「打てるか打てないか、一度でいいから一軍に上げてください」と直訴し、巡ってきたチャンスで見事な一発を放った。それから若手の指導に定評があった水谷実雄氏の猛練習に耐え抜き、一気に頭角を現したのが90年代半ば。

 筋肉の裂ける音が聞こえるほどの肉離れを起こしても、患部をテーピングでグルグル巻きにしてバットを振り続けた。足の指を骨折した時も、スパイクの先を切り取って痛みを和らげ試合に出続けた。

 そんな中村が挑む8年ぶりのオールスター。近鉄時代から時間の許す限り球場へ足を運んできた両親は、「もちろん観戦します」と声を弾ませた。第1戦が行なわれる京セラドームは、かつて中村が頂点を極めた思い出の球場。当時を知るファンの前で、どんなプレイを見せてくれるのか。

「ヒットじゃつまらないでしょうから、全打席ホームランを狙って、思い切り振っていきたい。以前、オールスターで3試合連続ホームランを打ったこともあるので、今回も3試合連続で打てるように頑張ります」

 万感の思いを秘め、8年ぶりの夢舞台に立つ中村の豪快なフルスイングを堪能したい。(スポルディーバ Web)


関塚監督“不可解采配”21人も起用

2012年07月19日 20時22分37秒 | サッカー
◇国際親善試合 日本1-0ベラルーシ(2012年7月18日 ノッティンガム)

 関塚監督の試行錯誤ぶりが浮き彫りとなった。総仕上げのベラルーシ戦。合流したばかりの宇佐美を前半はトップ下で起用するも後半には左MFに変更。さらに選手交代は延べ10人。連係を深めなければならないこの時期にバックアップメンバーを次々と投入させるなど、その起用法は不可解、意図は見えなかった。

 試合後は「戦い方は全体に浸透したと思う。全員そろったし一人一人のコンディションを上げるため、多くの選手を出場させたかった」と説明。だが、現実は最終ラインで共存させる構想の徳永、吉田のOA枠コンビが一緒にプレーしたのは18分。攻撃の要、トップ下も定まらず不安を残した。

 「前半は攻撃が細か過ぎた。守備はただブロックをつくるだけじゃなくボールをしっかり取りに行けた」と指揮官。ゼロに抑えた守備だけが収穫と言うのは、五輪を1週間後に控えたチームにしてはあまりに寂しい。(スポニチアネックス)

大谷160キロ、花巻東甲子園へ王手/岩手

2012年07月19日 20時20分51秒 | 野球
第94回全国高校野球選手権岩手大会準決勝(19日、岩手県営野球場)2年連続7度目となる夏の甲子園を目指す花巻東は一関学院と対戦し、先発のプロ注目右腕・大谷翔平投手(3年)が7回1失点の好投をみせ9-1で七回コールド勝ちし、決勝に駒を進めた。大谷は六回に、球場のスピードガンで球速160キロを記録した。

不来方は盛岡大付の先発・出口から1点しか奪えず8-1で八回コールド負けを喫した。

 決勝は25日に、花巻東と盛岡大付が対戦する。(サンスポ)

香川 実戦デビューはわずか4分…指揮官「次は先発で」

2012年07月19日 20時18分49秒 | サッカー
◇親善試合 マンチェスターU1―0アマズル(2012年7月18日)

 わずか4分では、見せ場もつくれない。マンチェスター・ユナイテッドの香川が18日、南アフリカのダーバンで行われた地元クラブのアマズルとの親善試合で初出場を果たしたが、後半44分からの登場で、はなばなしいデビューとはならなかった。

 当初、香川先発を示唆していたファーガソン監督だが、チームに合流して日が経っていない香川に配慮して、急きょベンチスタートに。中途半端に使ってもという考えから、途中出場も頭になかったようだが、「エルナンデスが脚をつったというから」と慌てて香川をピッチに投入。想定外の約4分デビューとなった。

 公式戦ではないとはいえ、中途半端なデビュー戦となったことは指揮官も気にしているようで「次の試合で先発させるだろう」と話した。(スポニチアネックス)

巨人、坂本同点打でドロー!貯金20で折り返し

2012年07月19日 06時30分07秒 | 野球
 (セ・リーグ、阪神2-2巨人=規定により引き分け、15回戦、巨人10勝3敗2分、18日、甲子園)巨人が1点を追う七回、坂本が同点適時打を放ち、引き分け。伝統の一戦を2勝1分、貯金20を保ったまま、前半戦を折り返すことになった。

前半戦最終戦の先発を任された沢村が、三回に崩れた。一死一塁から鳥谷、新井貴、金本に3連打を浴びて2失点。立ち上がりから150キロを超える直球を連発していた背番号15が、浜風の強かった甲子園で蒸し暑そうな表情を浮かべた。

 チームは前日17日の阪神戦に勝利して、貯金20を積み上げた。原監督は試合後、「あしたが最も重要」と、勝って球宴休みに突入することを求めていたが、先発の沢村が序盤に阪神の中軸につかまった。

 とはいえ、首位は安泰といった状態だ。試合前に前半戦を総括した原監督は、開幕直後に歴史的な貧打の影響で借金7を抱えたチームの立て直しに成功した要因を挙げた。

 「悪いスタートとなった。結果が出なかったことが非常にいい栄養、糧となった。肥やしになっている」

 大型補強に成功して優勝候補といわれたが、開幕直後に低迷。しかし、指揮官は「そのときにメンバーが離脱しているとか、そういうふうなチームではなかった」と開幕直後の屈辱が反発力につながったと振り返った。

 ライバル球団を圧倒した前半戦。この日は阪神の先発のメッセンジャーの前に打線が苦しんだが、六回に寺内、坂本の連打などで1点を返す。七回には坂本の左前適時打で同点とし、メッセンジャーをKO。首位チームの底力を見せつけた。(サンスポ)