あすかパパの色んな話

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甲子園で泣く選手は大成しない!?プロ入りした後の活躍を検証する。

2012年07月05日 06時25分26秒 | コラム

2009年夏の甲子園。6点リードした状態での9回表2アウト・ランナー無しから、高校野球史に残る怒涛の猛反撃をくらって降板した堂林翔太。極めて異例と言わざるを得ない、涙と反省の優勝インタビュー。

初めて聞く「価値基準」だった。

 ずいぶん前の話になる。プロ注目の高校生投手が、夏の甲子園で早々に負けたときのことだ。試合後、ある放送局の記者に「今、感謝の気持ちをいちばん伝えたい人は誰ですか?」と聞かれ、その投手は涙をこらえ切れなくなってしまった。

 よく見る光景ではある。うがった見方をすれば、テレビ取材でありがちな「泣かせるための質問」でもあった。

 すると、近くにいた記者が「幻滅した」と吐き捨てるように言った。いわく、「甲子園で負けて泣くようなヤツは、プロでも大成しない」と。

一流のプロ野球選手の多くが甲子園で涙を見せていない!?

そのときは、そういうものかと思いつつも、そんな見方に抗う気持ちもあった。涙にもいろいろな種類があるし、あまりにも杓子定規に過ぎると思ったのだ。

 ところが、そのとき号泣した選手は、大学、社会人を経て何とかプロ野球選手にはなったものの、時代を経るごとに輝きを失い、今では高校時代のスケール感はすっかり影を潜めてしまった。わかりやすくいうと、ぱっとしないのだ。

 それからというもの、心のどこかで、そんな視点で選手を見るようになった。

 負けたとき、この選手は、どんな表情を見せるのか――。

 近年で、もっとも大量の涙を流した選手といえば、'09年夏、準決勝で敗れた花巻東の菊池雄星(西武)だろう。

 慟哭。

 そんな表現がぴったりなほど、菊池は激しい泣き方をした。

 結論を下すのは時期尚早ではあることは承知の上だが、菊池も、前評判からすると、ここまでは結果を出せていない。

 確かに、プロで一流と呼べる成績を残している選手の多くは、甲子園で涙を見せていない。

甲子園で負けた瞬間でさえ笑う……堂々とした選手。

'92年夏、2回戦で5連続敬遠を受けて敗れた星稜の松井秀喜(レイズ)の泰然たる態度は今や語り草になっているし、'95年夏、準々決勝で敗退したPL学園の福留孝介(元ホワイトソックス)も驚くほど淡々としていたと聞いたことがある。

 実際に目撃した例でも、東北のエースだったダルビッシュ有(レンジャーズ)は、2年夏('03年)に決勝戦で敗れた時はそれこそ号泣していたが、3年夏('04年)は3回戦で最後の打者になったものの、見逃し三振をした瞬間、笑みさえ浮かべていた。

 '06年夏、早実との決勝戦で敗れた駒大苫小牧の田中将大(楽天)もそうだった。斎藤佑樹の真っ直ぐに空振り三振を喫し、ゲームセット。そして、打席の中で、やはり笑っていたのだ。

 彼らが泣かなかった理由――。

 悔いがなかったから。感情を制御できていたから。甲子園はあくまで通過点で、もっと先を見ていたから。だいたいそんなところだろう。

 2つ目と3つ目は、プロで活躍するのに必要な資質だ。そういう意味では、泣いてしまう選手は、やはりプロ向きではないのかもしれない。

甲子園で号泣した堂林翔太が、いま活躍している理由とは?

しかし現在、甲子園で号泣した選手が大活躍している。今季、広島のサードに定着している堂林翔太だ。

 高卒3年目の野手で、ドラフト2位ということも考えたら、ここまでの働きは二重丸をつけていい。

 '09年夏、日本文理との決勝を戦い終えた中京大中京のエースだった堂林は、お立ち台で泣きじゃくっていた。

「最後まで投げたかったんですけど……情けないんですけど……すいませんでした」

 甲子園史上、優勝して謝った投手など堂林が唯一ではないか。

 その試合の堂林は、先発しながらも調子が今一つでいったんライトに回っていたのだが、9回表、10-4と大量リードしていたこともあり再びマウンドに上がった。ところが、再び打ち込まれKO。その後、リリーフがしのぎ、チームは10-9で何とか逃げ切ったが、堂林の乱調で、あわや優勝を逃すところまで追い込まれてしまったのだ。

 プロに入って、彼の性格はどちらに転ぶのか。

 密かに注目していた。

単に泣くだけでなく「とにかくよく泣く」堂林の凄さ。

堂林は練習試合などでもよく悔し涙を流していたそうで、追いかけていたあるスカウトが、そんな堂林の涙に「妙に惹かれた」と語っている記事を読んだことがある。

 つまり、そのスカウトは、堂林のそんな性格を好意的にとらえていたのだ。

 そうなのだ。冒頭で紹介した選手も、決して「軟弱」だったわけではないと思う。ただ、純朴ではあった。

 涙を弱さと捉えると否定的な見方になりがちだが、泣くということは激しさの裏返しでもある。純粋でも、とことん純粋であれば、それはエネルギー源になるのだ。堂林は、まさにそんな選手だった。

 だからこそ、入団してから2年間、まったく一軍での出番がなかった悔しさをバネにし、3年目、ここまでの成績を残せているのだ。

 そう言えば、勝って大泣きした選手がもうひとりいた。'06年夏、やはり全国優勝した早実のエース、斎藤である。

 斎藤は、試合が終わり、応援スタンドにあいさつに行こうとした瞬間、普段は無口な部長に「お疲れさん」と肩を叩かれ、感情が一気にあふれ出してしまったのだ。

 彼の涙も、やはり激しさの裏返しだった。

「甲子園で泣く選手=プロでは成功しない」――。

 この法則は、まったく的はずれではないものの、やはり絶対的なものでもないのかもしれない。(Number Web)



【EURO】総括!実力的にスペインと遜色なかったドイツ、ポルトガル

2012年07月05日 06時16分41秒 | コラム

今大会の最優秀選手に選ばれたイニエスタ

2008年ユーロ、2010年W杯に続き、スペインを超えるチームは現れなかった。スペインが強すぎるのか。周囲が停滞しているのか。両者の比重は4対6。他国の停滞がやや大きかったと僕は見る。

 打倒スペイン。その1番手と目されていたドイツが、準決勝でイタリアに敗れたことが今大会一番のハプニングだった。ドイツとイタリア。スペインにとってどちらが嫌な相手だったかと言えばドイツになる。イタリアよりドイツの方がスペインの穴を突きやすいサッカーをしていたからである。

 スペインの3FWは、両サイドが中央に入り込む傾向がある。両サイドをサイドバック各1人でカバーすることになる。その背後を唯一最大の弱点にしていた。サイド攻撃を得意とするドイツに「期待」を寄せたくなる大きな理由だった。
 
 大会前の下馬評でも、ドイツはスペインに迫っていた。本大会の初戦でスペインがイタリアに引き分けると、ドイツとスペインの関係は逆転。一躍ドイツは本命の座に祭り上げられた。だが、両雄の直接対戦は実現しなかった。イタリアにそれを阻まれてしまった。

 必然、イタリアへの「期待」は高まった。グループリーグの第1戦でスペインに1-1で引き分けた実績も輪を掛けた。内容もあわやの期待を抱かせる、上々の出来だった。イタリアは世の中の声援を受けながらスペインとの決勝対決に臨むことになった。
 
 一方で、準決勝から中2日で望むことになった、その試合間隔の短さが危惧された。これにワルシャワからキエフへの移動が加わる。イタリアサッカーが決勝で全開する姿は、そういう意味では想像しにくかった。

注目はイタリアの布陣にも集まった。

 スペインの布陣は4-2-3-1と4-3-3の中間型だが、実際には前にも述べた通り、3FWの両サイドが真ん中に入る癖があるので、実際には、4-2-3-1をベースに布陣を言い換えると4-2-(1-2)-1になる。イタリアは第1戦でこれに3-5-2で対抗した。

 この場合、両軍のサイドアタッカーの数は各1人ながら、その位置はイタリアの方が高いことになる。サイドの攻防で優位に立ったのはイタリア。それが第1戦でイタリアが善戦した一番の理由だった。

 一方、準決勝でドイツに勝った布陣は、中盤ダイヤモンド型の4-4-2。決勝戦の3日前、イタリアは4-2-3-1のドイツに対して、スペイン戦とは異なる布陣で勝利を収めていた。

 この試合でイタリアは、表記上2トップの一角を占めるカッサーノが、絶えず左右に流れてプレイした。相手のサイドバックの背後に流れ、中盤ダイヤモンド型の4-4-2という布陣的には不足しがちなサイド攻撃を補う役割を果たしていた。そしてそれが功を奏した。先制点を奪ったシーンなどはその典型的な例になる。

 つまり、イタリアには選択肢が2つあったわけだ。ドイツ戦の流れ(中盤ダイヤモンド型の4-4-2)でいくか。初戦のスペイン戦(3-5-2)に立ち返るか。

 一方スペインは、準決勝のポルトガル戦で3FWの両サイドが、あまり真ん中に入り込まないサッカーを見せた。文字通り4-2-3-1と4-3-3の中間型でプレイした。試合が進み、メンバーチェンジを行なうほど、その傾向を強めていった。

 相手のポルトガルは強敵。サイドに穴を作りたくないとの思いが働いたからに他ならない。また、相手のポルトガルが、同様にサイドを固めてきたことも影響していた。3FWの左に位置していたC・ロナウドは、それまでは真ん中でプレイする傾向が強かった。その4-3-3の布陣の実際は、左の翼が短いサッカーだった。ところが、スペイン戦では一転、C・ロナウドは左のポジションを意識して守った。左右対称にこだわるバランス重視のサッカーをした。スペインもそれに従わざるを得なかったというべきだろうか。

 この事実と、準決勝でドイツを倒した流れから、イタリアのプランデッリ監督は中盤ダイヤモンド型の4-4-2を選択した。3-5-2ではきついと判断したのだろう。

 しかし、表記上では2トップの一角を占めるカッサーノは、決勝戦ではあまり左右に流れることができなかった。左右に流れるという行為には走力と体力が求められる。中2日、間もなく30歳を迎えるカッサーノに、これは酷な注文だった。前半終了とともに彼がベンチに下がった瞬間、イタリアの勝利は望みにくいものになっていた。

 ユーロの問題は、準決勝の第2戦を戦うチームが、決勝で日程的に極端な不利を被る点にある。この点を僕は大会前から指摘してきたが、結果的にはその通りになってしまった恰好だ。というわけで、大会後の印象は正直、いまひとつ晴れないものがある。

 だが、イタリアが中3日なら勝てただろうと言い切ることもできない。それでもスペイン優位は否めなかった。

 むしろもう一度見たいのは、スペイン対ポルトガル戦だ。0-0、延長、PK。終盤、サイドを厚くしたスペインが、ほんのわずか優勢に見えた試合だが、ほぼがっぷり四つ。ポルトガルの善戦を讃えたくなる。グループリーグで敗れたドイツ戦(0-1)にしても内容は互角。今大会で最もよいサッカーをしていたチーム。僕の印象ではそうなる。

 スペインの圧勝で幕を閉じたユーロ2012だが、実力的にはドイツ、ポルトガルもそれに遜色ないレベルにあった。「次回」が期待できるチームだ。だが、それに試合巧者ぶりを発揮したイタリアの4チーム以外は、どれもいまひとつという印象だった。2年前、4年前よりレベルを上げているチームは少なかった。例外はギリシャぐらいだった。

 中でも酷かったのはイングランドだ。ベスト8という成績だけを見ればギリギリ合格だが、内容に目を向けると、他国のことながら心配になる。いい選手がいないのだ。プレミアリーグは現在、スペインリーグと欧州リーグランキングで激しい首位争いを演じているが、代表チームの戦いに目を向けると、その不健全さが際立つ。自国の選手がリーグのレベルアップに貢献しているスペインと、外国人に頼っているプレミア。両者には著しい開きがある。

フランスも右肩下がりを示している。スペイン戦での負けっぷりは、かつての王者の威厳をもはや感じることはできない情けないものだった。アフリカ系の選手で固める弊害を見た気がする。フランスとは何か。少なくともフランス人らしい洒落っ気を、プレイの中に見いだすことができないのだ。

 負けっぷりという点で最も豪快だったのはオランダ。激戦のグループとはいえ、W杯準優勝チームの3連敗を予想した人はどれほどいただろうか。オランダらしいと言えばそれまでだが、新戦力が育っていないことも確か。過渡期を迎えている気がする。

 フランスとオランダ。しかし両者には決定的な違いがある。それは現地を訪れた観戦者の数だ。オランダは今回も、ドイツ、イングランド、アイルランドとともに、多くの観戦者を現地に送り込んできたが、フランス人の姿は対照的にごく僅かしか見かけなかった。出場国の中で最も少なかったといっても言い過ぎではない。これは前回のスイス、オーストリア共催大会でも目立ったが、その右肩下がりぶりは今回、いっそう顕著になっていた。

 その次に少なかったのはイタリア人。スタンドに応援団という集団を形成できない姿を見せられると、正直、優勝しそうなムードは湧いてこない。この準優勝で代表チーム人気は回復するだろうか。

 スペインはかつてフランス、イタリア以下だった。強そうなメンバーを揃えているのに勝てない原因は、その観戦者の数を見れば即、納得できた。それが前回あたりから急に数を増やし、今回は、優勝に必然を感じるほど多くの観戦者をウクライナ、ポーランドに送り込んできた。このスペイン人の変身ぶりには驚くばかり。これは永久のものなのか、一時的なものなのか。

 今大会の驚きを最後にもうひとつ。それはスタジアムの素晴らしさだ。どのスタジアムも急傾斜。見やすいのだ。モダンで快適。それがテレビでどれほど伝わったかは定かではないが、その場で繰り広げられているサッカーのレベルの高さ以上に驚かされた。ピッチの上の攻防を俯瞰で、 それこそ上から目線で眺めると、サッカーのゲーム性はより際立つ。この視点なしに、他の国が欧州の強者たちを倒すことは難しいのではないかと僕は思う。(スポルディーバ Web)

DeNA・三浦が150勝!G戦7年ぶり白星

2012年07月05日 06時10分58秒 | 野球
(セ・リーグ、DeNA4-3巨人、7回戦、3勝3敗1分、4日、横浜)横浜は投打が噛み合って巨人に逆転勝ち。先発の三浦は7回3失点で今季7勝目(4敗)、プロ野球47人目となる通算150勝を挙げた。

三浦は150勝に王手をかけてから3度足踏み。しかも最後の巨人戦勝利は2005年8月23日(横浜)で、巨人戦登板も10年5月8日以来。10年3月20日のオープン戦では、8被弾を含む14失点と大炎上したこともあった。

 「149勝の次が150勝というだけ。いつでも勝ちたいと思う気持ちは同じ」

 今回、三浦は巨人戦で150勝を決めようと、腹を固めた。前日3日の雨天中止が決まると、即座にスライド登板を志願した。三回に3失点したが、打線がその裏同点に追いつく。五回には無死二塁から荒波がバスターを決め、右前適時打として勝ち越しに成功した。番長に節目の勝ち星を贈るべく、チームが一丸となった。三浦は7回111球を投げ、マウンドを若いリリーフ陣に託すと、山口は八回二死から登板し、試合を締めた。

 三浦は「本当に嬉しい。ありがとうございます」と満面の笑み。志願の登板で150勝を達成し「ホームで達成できてよかった」と球場につめかけたファンを喜ばせた。(サンスポ)