こんな年老いた粗忽者おばあでも、新聞を手に取ると先ず、一面の「天声人語」と「折々のことば」から目を通します。
長年の習慣です。
12月10日付の朝日新聞に掲載された「折々のことば」を読んで、目から鱗、最近の私の思い悩んでいた謎が解けたよう気がしました。
大袈裟ですが目の前が開けたような気がしたのです。
人生の黄昏の真っただ中にあり、日々、悶々としている私ですが、それは生きているという感触に違いありません。
そう考えると納得がいくのです。
しかし、元来ガサツな私、そっと消えゆく澄んだ時の色が見えるでしょうか?
朝日新聞の記事から、そのまま抜粋させて頂くきました
折々のことば 鷲田清一
年を取るといふのは、年輪や殻が厚くなるこ
とではなくて、水に落ちた物体の、どこまでも
拡がって行く波紋に似たものであるといい
吉田健一
人は若いうちは、時を早送りしたり、わずかの空隙も埋めようとしたりして、
とにかく今という瞬間の外に出たがる。だが人生の黄昏に足を踏み入れると、
今という瞬間に充足し、その刻々の変化に、生きているという感触を得るよう
になると、批評家は記す。波紋として現れ、そっと消えていく澄んだ時の色。
『我が人生処方』から。 2020.12.10
英文学者の吉田健一氏は、吉田茂氏の息子さんですね。
数々の著書があるようですが、私は手にしたことがありません。
まだまだ、この齢になっても知らないことばかりです。