今日一日が終わって、ふと、思った。
今までのワタクシは刹那的な生き方をしてきたのではと
六十代までは、がむしゃらに前に突き進んで生きてきた
やりたいことは、躊躇することなくチャレンジし、自分に随分と投資した。
一生懸命に働いて、せっせっと浪費してしまった
浪費と言うことは投資が実になっていないと言うことである
地道に暮らしていれば今頃、ヘソクリがかなり?あったであろうに。
ワタクシは悪妻だと思う。
子供たちも、うちの母親は変わり者と思っていた節が多いにある。
しかし、妻の役目、母親の役目はきちんと果たしてきたつもりなのだ。
両方の親の世話もしたつもりである。
毎日がフル回転の忙しい人生だった
忙しすぎて、パニック症に罹ったことも
そして、今も刹那的な人生には変わりがない。
老後はのんびりと、と思っていたのだが、人生、何が起きるか分からない。
最愛の娘に先立たれ、人生が寸断されたような気がする
先が見えないというか、未来がなくなった人生。
目的もなければ夢もない。
84歳の連れあいの老いを目の当たりにすると心配事も絶えないが、
連れあいが呑気でお喋り好きなので、毎日が賑やかで助かっている
刹那的だが、一日が無事に過ごせれば、ああ、良かったと思う
先のことは分からないから。
あら、あら、ワタクシ、何を言いたかったのかしら
老婆のつぶやきでした。
今日の散歩は自動車保険の振り込みを兼ねて駅前方面に。
散歩コース選びも刹那的。
カラスウリを見つけました
まだ青いカラスウリ
ハナミズキの紅葉と赤い実