京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風ふわふわ日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

生徒さんに誉めてもらえてうれしかったこと

2008-12-30 18:26:30 | 思うこと

9月の終わり頃だったかな・・・。

生徒さんにあるお話をさせてもらったことがあった。

生徒さんはてんてんが話し終えたとき、

「先生!エラ~~イ!!」といってたくさんたくさん拍手をしてくださった。

てんてんはその時ものすごくびっくりした。

まさかそんなことでこんなにも誉めてもらえるなんて思ってもいなかったから・・・。

けれどその時なぜだかとてもとてもうれしかったんだ・・。

確かあの頃ちょうどテレビ番組のオーラの泉に辺見えみりさんが出演されていたのをたまたま

見ていたときのこと・・・。彼女はとてもおじいちゃん、おばあちゃん子で今そのおじいちゃんが

病に伏せておられ、そのおじいちゃんとの別れがいつかくるかと思うと恐怖で恐怖でいたたま

れなくなるというお話をされていた。えみりさんの家系はとても複雑なのだそうだけど特におじい

さまが彼女をとても愛情深く育てられたらしい。

司会の方が「あなたはやはり自分の家族の死をしっかり乗り越えていかなければあなた自身

の本当の幸せは手にはできない。そしておじいさんはなによりもあなた自身が幸せになることを

望んでいらっしゃるのですよ・・。」というようなお話をされていた。

えみりさんも「わかってるんです・・わかってるんですけどね・・。でもやはり想像するだけでとても

辛いのです。」と・・・。

そんな話を生徒さんとしているときにちょっと私の体験談をお話させていただいたのだった。

以前にも書いたかもしれないのだけど、てんてんは結婚する前もそれから結婚してからもしばらく

母親離れのできない甘えっこだった。

甘えっこというのはべたべたするとか、なんでも親任せにするとかそういうことではなくて、

それまでの人生「母がいてくれる」ということが心の支えとなって生きてきたのだった。

これも何回か書いたけど、母は決しててんてんや妹を束縛するようなことはなかった。

自分の思い通りに子供をしようなんて一度もなかった。

むしろてんてんや妹のやりたいことをだまって見守って応援してくれていたのだった。

そしてつまづいたときにはそっと優しく手をさしのべてくれて、いつも励まし元気づけてくれた。

生活の中で決して笑いを忘れない人で、ほんとうにほがからな人。

友達もとっても多くて・・・。そんな母のことをてんてんも妹も心から尊敬し、大好きだった。

てんてんは28歳で結婚を機に初めて両親や親戚や友達誰一人いない土地で夫と2人

の生活がはじまった。

自分で選んだ道だったのに、最初は寂しくて寂しくて・・・特に母と会えないことが辛くて辛くて

ほんと子供のように毎日泣いて暮らしていた。

「京都に帰りたい・・・。」

そういって毎日毎日母に電話をしていたのだった。

「どうして私は札幌なんかにいなくてはならないんだろう。」

ほんと子供みたいで恥ずかしいのだけど、あの頃毎日のように夫にも「京都に帰りたい」と

泣いて訴え夫を困らせていたのだった。

「起こることには意味があるっていうけど、私が札幌にきたことなんて絶対意味なんかあるはず

がない~~!!」と絶叫したこともあった。

なにかに理由をつけてしょっちゅう飛行機で里帰りをした。

お金がなくなるとフェリーで30数時間かけて京都に帰っていたこともある。(根性)

伊丹空港から京都駅に向うバスの中で東寺さんが見えてきたときには「あ゛~~やっと京都に

帰ってこれた~~」と毎回泣いていた。

実家に帰り自分の部屋だった部屋で寝ると心がとても落ち着いた。

「あ~~この場所が一番落ち着くわ~」と。。。

そして札幌で3年の月日が流れその後沖縄へ移住となった。

この時も「なんで京都をとおりこして沖縄やね~~ん」と絶叫した。

けれど沖縄では温かな気候、青い空、青い海、明るい人達に助けられたおかげで札幌で過ごした

日々ほどは寂しさがうすらいでいた。

そうこうしているうちに、せっかくアロマを学んだので(この時はまだJHASのアロマではなく

以前学んだスクールでの知識と技術を元に)自宅でアロマセラピーのサロンを開くことになった。

その準備にとりかかりはじめた頃からどんどん生活にハリがでて、気がつけばそれほど「京都に

帰りたい・・」という気持ちも薄れはじめていたのだった。

それから2年半という月日が流れ夫の仕事で今度は京都への転勤が決まった。

このときはとてもうれしかったのだけど、微妙に沖縄を離れる寂しさがあった。

自分でもその感情にはびっくり。あれだけ京都に帰ることを夢見ていたのに・・。

そして京都での生活が始まった。

最初はうれしかったので、しょっちゅう実家に帰っていた。

けれどいつの頃か、てんてんの中で変化が起りはじめていたのだ。

あんなに居心地よかった実家が・・・あんなに心やすらいだ自分が幼い頃すごした部屋が・・

「ああ・・ここはもう私の居場所じゃないなぁ・・」と感じたときがあった。

そう・・・私の一番落ち着く場所・・・一番心やすらぐ場所・・それは今の夫と娘と住む自分のおうち・・。

夫の横で眠るその寝床がてんてんにとって一番ぴったりくる場所になっていた。

そのとき、なんだかとてもとてもうれしかった・・・。

てんてんはもしかしたら結婚してあのまま京都で生活を続けていたらこんな日はこんなにも早く

こなかったかもしれない。

てんてんも以前は辺見えみりさんと同じで「私はお母ちゃんが亡くなったら生きていけない。」

そう思っていた。

母が亡くなることを想像するだけで恐怖でたまらなかった。

でも・・今のてんてんはもう大丈夫。

母のことは昔と変わらず大好きです。今でもとても尊敬しているし、母にしてもらったことの数々は

感謝してもしきれないぐらいです。でも今のてんてんはいつかくるであろう「母との別れ」を受

け入れられる強さを手にしているような気がする。

もちろん母とのお別れがきたときはとてつもなく寂しいことだろう。

それでもそのことでふらふらになったりはしないと思う。

母にもらったたくさんの愛情を胸に今度はそれを娘へとつなげていける・・・

そう思うのだ。

てんてんが28歳で誰も自分が知っている人が知らない土地にぽ~んと行ったのも

てんてん自身の魂からの贈り物だった・・と今ならわかる。

「札幌に来たことに意味なんかあるかぁ~~!!」と叫んだあの頃の自分が笑える。

札幌と沖縄での生活はてんてんを少し強くしてくれたように思う。

母の傍で母の愛情を感じながら安心して暮らしていく人生もあったことだろう。

でもてんてんの魂はその道を選ばなかった。

確かにそれまでいろんな意味で守られてきた親元から独り立ちしていくとき、てんてんにとっ

てはそれはそれは恐怖で辛いものだったけどふらふらしながらも・・・いっぱい転びながらも

いっぱいけんかしながらも伴侶である夫とともに歩んできた13年の中でてんてんは両親の腕

の中から羽ばたき自分の足で歩くことの素晴らしさを体験してきたように思う。

そして自分の居場所を・・・自分が本当に心地よいと思う場所を自分でみつけられたことが今

とてもうれしい~~。

人によって幸せ・・と感じることはそれぞれだけど。。。てんてんは守られた中で安心して

心おきなく生きていく幸せより、これから先どんなことがあるかわからないけれど夫と共に寄り添い

ながら自分の足で立って・・自分で選び、自分で決め自分で切り開く人生ほど素晴らしく幸

せな生き方はありません。

こう思えるようになったこの時までずっとずっと見守り続けてくれた両親には感謝がつきません。

そのようなお話をさせていただいたら生徒さんが

「先生~~えら~い、がんばった~~」パチパチパチ~っていっぱい誉めてくださって拍手まで

してくださったのでした。ありがとう~~~

おかあちゃ~ん、私はもう大丈夫やから・・・だってお母ちゃんの子やから大丈夫や。

だからそろそろほんまの自分の幸せに向ってなぁ~~。(母へのメッセージ)

2009年もますますてんてんははばたくよ~~~

自分がほんと~に喜ぶことをいっぱ~~~いするんだぁ~~。

夫とのことも・・・そしてお仕事のことも・・・。

「こうしなければ・・ああしなければ・・」って生きてきた時間が長かったからね・・。

今は「これもした~い、あれもした~い、やりたくないことは無理してやらな~い」

そんな感じでやっていきますぅ。

ことしもいっぱいがんばったからね~~

来年は更に更にいい年になると確信しているのだぁ。

わ~いわ~い

追記:結婚したら絶対やりたかったこと!

母は年末は大掃除におせちつくりに大忙し、てんてんも妹もいつもお手伝い。

紅白も一度も座って最初から最後まで見たことがなかった。

だから結婚したら年末はな~~~んにもしないで、紅白を最初から最後までゆっくりみて

ゆっ~~っくり元日を迎えること~~これがてんてんのやりたかったこと~~。

その夢は結婚してから続行中!

だから今もこんなにゆっくりブログを書いている。

さ!ものまね歌合戦みよ!

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