京都ホリスティックアロマセラピストてんてんの ~幸せの風ふわふわ日記~

生きることは愉しいことヽ(^。^)ノ
~起こること・・すべては愛~

2007-09-12 22:31:25 | インポート

人はなぜ重いとわかっていながらも鉄の鎧を着て生きてしまうのだろう。
それは人間なら誰もが心に深い傷を負っているからだ。
傷を負っていない人なんて誰一人ない。
その傷があまりにも深すぎて・・・あまりにも痛かったから・・・
もうこれ以上傷つきたくない・・・辛い想いをしたくない・・・
そうやって人は自らの意志で他から自分を守るために
重い重い鎧を着るのだった。
ある人は、他との関わりを避け
ある人は、心を真に開かず
ある人は自分の肩書きや立場を利用して立場が弱い人達に
傲慢に上からものを言ったり、威張ったり、見下したり、
とにかくそうやって誰にも自分をこれ以上傷つけることができない
ように傷つけられる前に重い鎧で自分を防御するのだった。
あまりにもその鎧は重く、肩や背中や頭がいつも痛いし重苦しい。
あまりにも長く着続けている人達は鎧の重さに耐えかねるように
身体のあちこちに支障をきたし始める。
それでも・・そんなに身体が辛くてもなかなか人はそれを脱ごうとしない。

この私もかつてはこんな重たい重たいかなりの分厚さの鎧を着て
生きていたことがある。
そしてとうとう頭痛や肩こりを通り越して他の身体の部分まで病ますことに
なった。その身体の痛みははんぱではなかった。
そしてその時、はじめて私は・・私自身の意志で
「この鎧をぬぎたい!」と思った。
でも最初はあまりにもその鎧に長く慣れ親しんできたので、、、重い鎧のはずなのに
身体は完全に麻痺してしまい、鎧を着た自分自身が普通の状態だったので
どうやって脱いだらいいのかさえわからなかった。
でもとにかく「脱ぎたい!」そう強く強く思ったのだった。
そう・・鎧は誰に着せられたのでもない。
自分自身で着ることを選択したのだ。
だからこそ、その鎧は自分自身でしか決してぬぐことはできないのだった。
「鎧をぬぎたい」と強く思うようになってから私自身の身の上に次々に
いろんな出来事が起こりはじめた。
それはできれば・・できれば・・誰にも知られず隠しておきたかったことだった。
できれば・・こんな私を誰にも見せたくはなかった・・。
恥ずかしい・・・恥ずかしくてたまらない・・・。
こんなに自分がちっぽけで、マイナスだらけで、心にいっぱい闇を
持っていることを誰にも知られたくなかった。
でも・・・私は「鎧をぬぎたい」と強く強く強く思ったのだった。
私はその時一人ではなかった。
きっと一人だったら絶対にぬぐことはできなかっただろう。
恐怖で奮えがきた。
こんな自分を知られたら周りのみんなにどんな風に思われるだろう。
私は一人ぼっちになってしまうかもしれない。

でも・・・まずは夫がそっと優しく言ってくれた。
「どんな君も見捨てないよ。他の人がどんなふうに言おうと。
俺は君を見捨てない。」
「自分に嘘をつくな。そして君の大切な人の前でも嘘をつくな。」と・・。
そしてもう一人・・私の大切な親友もまた夫と同じ言葉を伝えてくれた。
「そうだよ・・私もどんなあなたでも大好きだよ。例え他の人がなんと言おうとね。」
「私はずっと友達だよ。」
ひたすらにひたすらに涙が溢れた。
そして私はこの2人の温かな愛に支えられて、30数年間慣れ親しんで
着続けてきた鎧を脱ぐ決心をした。
そして私のずっと触れられたくなかった傷を勇気をだしてさらけだした。
たくさんの人に見下される・・。
たくさんの人からの信用を失う・・。
怖くてたまらなかった・・・。

でも・・・・でも・・・・目を疑うような光景がそこに飛び込んできた。
たくさんの友人達、仲間達から続々とメールが届いた。
「辛かったね・・・。本当に辛かったね。」
おもいやりのメールがひっきりなしに届いたのだった。
もちろんその中には厳しいものもあった。
それでも私はその厳しいメールさえもなぜかとてもありがたい・・・と思った。
避難の言葉であったとしてもこうやって関わってくださることが、、、
厳しいことを言ってくださることがありがたいと正直思ったのだった。
なぜならそのように書いていただいて当然の私だったからだ。
無視されるより、こうやって厳しい言葉でも書いてくださることが
その時の私は本当にありがたい・・と思ったのだった。

ずっとずっと「人は信頼できない。」と思って生きてきた。
「必ず人は裏切るものだ」と・・・。
「永遠」なんてないのだと・・・。
純粋に生きるとばかを見るのだと・・・。
そうやって私は自分を偽り、自分のありのままを隠すため、
弱い自分を隠すため、かなり幼い頃に鉄の鎧を着ていきる選択を
したのだった。

でもちがった・・・・。
どうしてみんなこんなに優しいの?
どうしてみんなこんなに暖かいの?

それは、実はそんな優しい人達、暖かい人達はみな、
かつての私のように鎧を着た人生を送ってきた人達ばかりだった。
そして私より一足お先に自らの手で鎧を脱いだ人達ばかりだった。

そして私と同じように深い深い傷をかつて心にも魂にも負っていた
人達ばかりだった。

鎧を脱いだ私は本当にあまりにもちっぽけで、見ていられないくらい
ひょろんひょろんだったけれど、妙に可愛かった。
それまでライオンかチーターか・・というキツイ目をしていた私の目が
うさぎちゃんかコアラちゃんのようにつぶらになっていた。
確かに現象レベルでは失ったものは大きかった。
それは「信頼」というものだった。
けれど、それと同時に私は何も失っていないことにも気がついた。
多くの信頼と自分を守るための鎧はなくなってしまったけど、
私の胸の中に確かに暖かく元気に鼓動を打つものがある。
そう・・・それは私自身の魂だった。
そして夫や友人達の温かな心が傍にいてくれた。
何度でもやりなおせる。
何度でも気づいたときから人はゼロからスタートできるのだった。

そして今、私には人に知られたくないことはなにもない。
隠しておきたいということもなにもない。
いえ・・隠したくてもどうもそれ以来私は隠しておけない人になってしまったようだ。
全部自分で言ってしまうんだからしょうがない。(笑)

どうしてこんな風になれたのだろう・・。
それはやっぱり、深く深く傷を負っているのは私だけではなく
人は誰もが深く傷を持っているのだということに気づけたから・・。
みんなみ~~んな同じなのだから自分を守る鎧は必要ないのだと・・。
自分の傷を優しく見てあげられる人は本当に優しい。
自分の傷に暖かく触れてあげられる人は本当に暖かい。
私だけが特別に傷ついているのだと、被害妄想の中にいたあの頃・・。
でもまたその経験も私の愛しい傷だった。

そして今はあの重かった鉄の鎧にさえも深く感謝の想いが湧いてくる。
なぜならあの頃の私はあの鎧がなければ生きていられなかっただろう。
あまりにも弱すぎた私だから・・。あの鎧があったからこそ生き続けられられた。
でも今の私にそれは必要なくなった。
そして私は心から長くお世話になった鉄の鎧ちゃんに深く頭をさげ、
「ありがとう、本当にありがとうね。」と別れを告げた。

頭痛も・・肩こりも・・本当になくなった。
だって自分を誇示するための鎧を着ていないのだから
それはあたりまえなのだった。

私の周りにはまだまだかつての私のように重い鉄の鎧を着て
生きていらっしゃる方がたくさんいらっしゃる。
もちろん以前より厚さが薄くなってきた方もいらしゃる。
私にはその方達の鎧を脱がせてさしあげることはできない。
又、必死で脱がそうとすればするほどその方達は更に頑丈に
鍵をかけてしまわれる。

私はなにもしてさしあげられることはできないけれど、
かつて重い鎧を着てた者として・・・同士として・・・
「その方がいつの日か自らの手で脱ぎたいと思える日がきますように・・。」
とただただ願わせていただくだけです。

「鎧を脱ぎたい・・・。」
そう思えたのなら、そっと静かに周りを見渡してみて・・。
確かに鎧は自分でぬがなければならないのだけど、、、
一人だったらとても怖くて「無理」って思ってしまうけれど、、、
必ず必ずとても近くにそっと優しく温かく
「大丈夫だよ。」「どんなあなたでも大好きだから」
とサポートしてくれる人がいるはずだから。
ただただその人の手を素直にとって、、、素直に借りて・・・
勇気を出すだけ。

秋の透き通るように澄んだ心地よい風が
ボロボロに痛んだ心も身体も優しく包んで癒してくれることだろう。

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