蓮の花だより・・・不定期便

季節のうつり変わりと花の香りを求めて、筑後地方を中心に紹介して行きたいと思います。

博多祇園山笠と福岡市赤煉瓦文化会館

2014-07-08 01:11:14 | 日記














7/5の午後から福岡市へ行きました。今、福岡市の博多区で毎年博多山笠が7/1から7/15にかけて開催される700年以上の伝統のある祭りがあっています。山笠期間中は行事参加者の間ではキュウリを食べる事が御法度となりますし、期間中の性交も御法度になります。
博多山笠は女人禁制の祭りであり、旧来の流に於いては子供山笠も含めて舁き手は男性のみであり、また女性は舁き手の詰所に入れないしきたりになっています。
博多祇園山笠の起源については諸説がありますが鎌倉時代の1241年に博多で疫病が流行した際、承天寺の開祖であり当時の住職である聖一国師が町人に担がれた木製の施餓鬼棚に乗り水を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説です。

福岡市赤煉瓦文化館は明治時代の我が国を代表する建築家、辰野金吾工学博士と片岡安工学士の設計により、日本生命保険株式会社九州支店として明治42年に竣工しました。昭和44年3月に国の重要文化財に指定されたのを機に、福岡市が買収し、昭和47年11月から平成2年3月まで歴史資料館として活用を図りました。


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第二艦隊司令長官 伊東中将の墓所

2014-07-03 16:35:41 | 日記
















街の北にある伊藤中将のお墓を訪ねました。伊藤中将は伝習館中学から海兵、海軍大学へ進まれ昭和20年4月に大和を旗艦とする第二艦隊を指揮され坊の岬で戦死されました。ご子息も特攻隊として戦死されたので、ご生家も今はありません。航空隊の援護のない出撃には、3千名を超える部下を犬死させることは出来ないと最後まで反対されたそうです。長官は出航前に奥様・子供達に最後の手紙を書かれています。

「此期に臨み 顧みると吾等二人の過去は幸福に満てるものにて 亦私は武人として重大なる覚悟を為さんとする時 親愛なる御前様に後事を托して何等の憂なきは此上もなき仕合と衷心より感謝致居候 御前様は私の今の心境をよく御了解なるべく 私は最後迄喜んで居たと思はれなば御前様の余生の淋しさを幾分にもやはらげる事と存候 心から御前様の幸福を祈りつつ いとしき最愛のちとせどの   整一 」

「私は今 可愛い貴方達の事を思つて居ります。 さうして貴女達のお父さんは御国の為に 立派な働きをしたと云はれるやうになり度いと考へて居ります。もう手紙も書けないかもしれませんが 大きくなつたらお母さんの様な婦人におなりなさいと云ふのが私の最後の教訓です  御身大切に
        父より」

このお墓は地域の方々により守られています。


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