もう泣かなくともよい

2016-10-05 15:55:50 | 癒し

 

がんばるばい熊本

熊本NHKアナウンサーは同窓の後輩

地道に頑張っています。

 

『 ルカによる福音書7章11~17節』

愛する夫を亡くしたやもめに再び不幸が訪れます。

一人息子が亡くなるのです。こうして絶望の涙に

くれるやもめと棺を担ぐ葬送の群れがナインの町の

門外に広がる墓地に向かって行進していきました。

そのときその流れに逆らうようにして一群の人々が

お墓の方から門の中に進んできました。この人々は

つい先ほど 別の町で驚くべき命の奇跡をなさった

イエス・キリストと このお方を信じて命の行進を

続けるお弟子たちや群衆の一行でした。 こうして

死の悲しみに包まれた群れと命の喜びに包まれた

群れというまったく正反対の群れがナインの町の

門のところで衝突するかのように出会うのです。

だれもが命の門を入っていきたいと思うに違い

ありません どうしたらそうできるのでしょうか。

「主はこの母親を見て憐れに思い『もう泣かなく

ともよい』と言われた。」 (13節)

*「憐れに思う」という言葉は原語では内臓がねじれる

ほどの痛みを表す言葉です。

イエス・キリストの激しい愛と憐みが人知では測り知る

ことのできない驚く命の み業を引き起こしています。

死は分離の力です。生きている者と死んでいる者とを

引き離す断絶の力です。神の力は死をはるかに克服し

死によって分離断絶させられていた者たちを永遠の

命の絆をもって再び結び付けてくださるのです。

*宗教を英語ではレリジョン Religionと言います

がこれはラテンの言葉のレリギオ religioすなわち

再び結び付けるという言葉を語源としています。

キリスト教の復活の信仰とは 結び付けてくれる

愛と命の信仰なのです。

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