雨の連休
初日は自由が丘のギャラリーに
依頼されて足を運ぶ
ねこの版画やグッズ等など。
お昼に目黒で鰻を食べた
元気をつけたい
陽気がわるいから
気を付けようね
残る休日はゆっくりします。
。音色 。 @neiro_m_n 16 分前
なんとなく眠れなくてただぼんやりしてる...
同じ。。。
がんばるばい熊本
熊本NHKアナウンサーは同窓の後輩
地道に頑張っています。
『 ルカによる福音書7章11~17節』
愛する夫を亡くしたやもめに再び不幸が訪れます。
一人息子が亡くなるのです。こうして絶望の涙に
くれるやもめと棺を担ぐ葬送の群れがナインの町の
門外に広がる墓地に向かって行進していきました。
そのときその流れに逆らうようにして一群の人々が
お墓の方から門の中に進んできました。この人々は
つい先ほど 別の町で驚くべき命の奇跡をなさった
イエス・キリストと このお方を信じて命の行進を
続けるお弟子たちや群衆の一行でした。 こうして
死の悲しみに包まれた群れと命の喜びに包まれた
群れというまったく正反対の群れがナインの町の
門のところで衝突するかのように出会うのです。
だれもが命の門を入っていきたいと思うに違い
ありません どうしたらそうできるのでしょうか。
「主はこの母親を見て憐れに思い『もう泣かなく
ともよい』と言われた。」 (13節)
*「憐れに思う」という言葉は原語では内臓がねじれる
ほどの痛みを表す言葉です。
イエス・キリストの激しい愛と憐みが人知では測り知る
ことのできない驚く命の み業を引き起こしています。
死は分離の力です。生きている者と死んでいる者とを
引き離す断絶の力です。神の力は死をはるかに克服し
死によって分離断絶させられていた者たちを永遠の
命の絆をもって再び結び付けてくださるのです。
*宗教を英語ではレリジョン Religionと言います
がこれはラテンの言葉のレリギオ religioすなわち
再び結び付けるという言葉を語源としています。
キリスト教の復活の信仰とは 結び付けてくれる
愛と命の信仰なのです。