『火宅の人』で知られる作家、檀一雄。
その未亡人への取材から生まれた作品だ。
檀一雄という作家と、その妻として生きた女性の人生が描かれている。
檀
著者:沢木 耕太郎
発行:新潮社
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これが著者の作風ということなのだろうか。
著者の作品は、これと、もう1冊長編を読んだことがあるだけなのでわからないが、ノンフィクションに分類される作品だということを忘れて読んでいた。
それはもちろん、私のノンフィクション作品に対して持っている偏ったイメージが手伝っての印象だけれど。
読んだ感覚は小説だ。
ノンフィクション作家の作品だからノンフィクションにカテゴライズされるだけで、本当は小説なのだろうか。
この作品は、すべて、妻の言葉として綴られている。
(この点については解説がとてもおもしろかった。)
『火宅の人』は14年に亘って断続的に書き綴られた小説。
檀一雄の私小説と位置づけられ、家を出て愛人と暮らす日々などが描かれている(未読)。
愛人と暮らすために家を出た夫。
作家である彼は、妻のことも、子供のことも、愛人のことも、小説として発表していく。
もっともプライベートな部分が、好奇の目に晒されるのだ。
誇張され、歪曲された形で。
しかも夫の筆で。
これは私ではないと叫ぼうと、その声は届くはずもなく、切り裂かれるような痛みが、そこにはある。
けれど、彼の妻としての人生は続けられていく。
否応なしにではなく、確かに選んだものとして。
この強さは何か。
彼女生来の負けず嫌いの頑なな性格もあるだろう。
「後ろを向いてどんなに泣いていても、前を向いたら笑わなければいけませんよ」
これはお姑さんの言葉だが、言われなくても、彼女は人に哀れみを抱かれるようなことには身の毛がよだつ思いだったろう。
それよりも、やはり夫への愛情か。
『檀』に現れる夫、檀一雄は不思議と魅力的だ。
男性からみて、ヨソ子さんという女性はどうなのだろう。
自分を表現することが苦手で、内面の柔らかい部分をうまく表すことのできないような人。
外で愛人との暮らしをもっても仕方がないと思われるのだろうか。
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