中島敦の『山月記』。
その終わりで、月夜に去っていった虎になった男・李徴のひとり息子を主人公に描いたのが、この『虎と月』です。
虎と月
著者:柳 広司
発行:文藝春秋
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いかにも著者らしいと思える題材の取り方ですが、YAの作品として書かれたものだそうです。
YAの対象は中学生から高校生あたりでしょうか。
主人公も15歳。
表紙はこんな感じです。
文庫の表紙とは全く違う印象ですね。
YAとして書かれたものだけれども、一般向けに売る気満々?
もともと『山月記』は好きなのです。
かっこわるさとかっこよさが入り混じった物語と幕切れの景色が。
好きだから読む。
好きだからこそ読まない。
どちらの選択もありだと思いますが、ワタクシは特にこだわりがありません。
それはそれ、これはこれといったところで。(映画化となると、そう割り切れなかったりするのか自分でも不思議です。)
そんなわけで読み始めた『虎と月』の主人公は15歳。
虎になったという父はいかなる人物であったのか。
それは、そのまま、自分の中に流れる血はいかなるものであるのかという問いです。
父が虎になったのならば、自分も虎になるかもしれない。
それを知らずにはいられない。
その問いの答えを求める旅が始まります。
読み始めてみれば、直球にYA。
すれていない少年がいい感じで、『山月記』に寄り添いながらも、どんどん膨らんでいく物語を楽しんでいくことができます。
でも、少年の父はずいぶんとかっこよくて、『山月記』の李徴と重ね合わせることが、ちょっとむずかしい。
やはり『山月記』の延長として読むよりも、別の「虎になった男」を父に持つ息子の物語として読んだ方がすっきりするように思います。
父はなぜ虎になったのかは、言いかえれば、どうすれば人を虎にできるのか。
『山月記』と同じキーワードで、こんなふうな物語ができる!物語の読み方はこんなに多様だ!と単純に楽しむことができます。
ああ、でも、あれですね。はじめから虎になるということを比喩として捉えて読みこんだ方にはそうでもない…かも。
私などは『山月記』というだけで懐かしい気分になってしまいましたけれども。
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