ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

マーガレット・アトウッド【侍女の物語】

2007-09-13 | 早川書房
 
『ラケルはヤコブとのあいだに子供ができないことがわかると、姉をねたむようになり、ヤコブに向って言った。「わたしにもぜひ子供をお与えください。与えてくださらなければ、わたしは死にます」
するとヤコブはラケルに向って激しく怒って言った。「わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ」
ラケルは言った。「わたしの仕え女のビルハがいます。彼女のところに入ってください。彼女が子供を産み、わたしがその子を膝の上に迎えれば、彼女によってわたしも子供を持つことができるでしょう。」』

創世記の一節が、巻頭に置かれる物語。
わかって読み始めようとしているとはいえ、やはり怯みます。
女性作家の手による、このテーマの作品となれば、密やかな、または高らかな抗議であろうということが予想されるからですが、まあ、そういう先入観は忘れることにして。


侍女の物語 侍女の物語
 著者:マーガレット アトウッド(Margaret Atwood)
 訳者:斎藤 英治
 発行:早川書房

 りなっこさんが『本読みの日々つらつら』で紹介されています。
 曰く「何てこったい…」という結末が気になって仕方なかった作品。


「侍女」である「私」を通して、彼女の遠い過去、近い過去、現在、そしてそこから浮かび上がる世界が語られるという物語。
彼女の見るもの、思うものだけが描かれていきます。
とても丹念に。
厳しく規制され、監視されることが常である「侍女」である彼女には、ヴェールの他に顔の両側に目隠しのための白い翼が立てられています。
飛ぶことのために用いられる翼によって、遮られるという違和感。
その翼によって視界を制限された彼女の視線は、ひとつひとつを凝視するようです。

彼女に割り当てられた部屋。
彼女を所有する男「司令官」の家の庭。
彼の「妻」。
「侍女」同士2人1組でだけ外出が許されるごく狭い範囲の街。
体制によって処刑された死体。
男が女を縛るだけでなく、女が女を縛るがんじがらめの「侍女」としての教育。
奪われた夫と娘。家族との愛おしい生活。
枠から逃れ出ようとする友達。
歪められた世界の内と外。

彼女の視線の移動の速度は、そのまま物語の速度と重なり、ゆっくりとひとつの場面が描かれます。
けれども、ふっと視線がそれるように、あるいは、思考がジャンプするように、時間は移動を繰り返します。
過去、現在、幻想、追想。
非常に丹念に描かれる細部と、うすぼんやりとした世界の輪郭。
彼女の日常にまつわることは、天井の壁紙の柄までわかるのに、彼女の属する世界の仕組みや成り立ちは、既知のものとして語られる断片的な言葉から想像するしかありません。
そのアンバランスさに、不安感をあおられながら、疑問の手がかりを追うようにして読み進めていくことになります。
なぜ、このような国に?
歪曲した神の言葉で人を縛りあげて創られた国。
役割以上の存在価値を、人に、ことに女性に見出さない世界。
その中で「侍女」は子供を産むためだけに存在する者、「司令官」と「司令官の妻」に与えられた外付けの歩く子宮。
「侍女」であることを刻印されるがごとき赤いドレスは、おそらく子宮の色なのでしょう。
鉛の塊を飲み込まされるような物語です。
何が気持ち悪いって、「侍女」の受胎のための儀式が気持ち悪い。
許せないくらいに気持ち悪い。
彼女も自分を無気力な状態に追いやらなければ耐えられないような世界。
けれども、これに耐えることを強いというのかどうか。
世界をうけいれることが強さなのか、逃れ出ようとすることが強さなのか。
諦めないことは確かに無類の強さだと思いますが。

冷静になってみれば、詩人であるという著者らしく、差し挟まれる描写が時折とても美しく、抑制の効いた文章にひきこまれます。
読み応えもあります。
全体の構成も面白い。
最後まで読むと、ひとつに出来上がっていながらどこか断片的な印象があったのも、「なるほど、だからか。」と納得がいく部分があります。
少し「素粒子」に似た読後のすっきり感。
というより、彼女の語る物語から開放された安堵感でしょうか。
同情するとか、共感するとか、そういった余裕はなく、気持ち悪いのに、みっちり読まされてしまいました。
読み終わった本を前にして、「う~ん」とうなってしまうような作品です。





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4 コメント

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なるほど、 (りなっこ)
2007-09-13 10:01:20
ああ、子宮の色。 そう言われてみればそうですね。 イヤだわ~(笑)。

>何が気持ち悪いって、「侍女」の受胎のための儀式が気持ち悪い。

私もそうでした。 あ~、思い出しちゃう・・・。
すみません、私の巻き添えでしたね。 もう大丈夫ですか?
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イヤですね~ (きし)
2007-09-13 23:37:17
そういう連想をする私もどうかと思いますが。
もう、大丈夫です。でも、思い出すと、やっぱり気持ち悪いですよね~。あれはどうしても。
りなっこさん、巻き添え、違いますよ、おすそ分けをいただいた感じ?貴重な読書体験でした。
返信する
アトウッド (くろにゃんこ)
2007-09-23 08:47:35
私はアトウッド大好きなんですよ。
「侍女の物語」はフェミニズムSFでも傑作のひとつだと思っていますが、どちらかといえば純文学に分類されるのかなぁ。
アトウッドの小説のなかで一番好きなのは「浮かび上がる」で、これは断片的なイメージが次々と繰り出されて、想像力を刺激されます。
エンターティメント性が高いのは「昏き目の暗殺者」で、ミステリータッチで読みやすいと思います。
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くろにゃんこさま (きし)
2007-09-23 23:52:05
おひさしぶりです。コメントありがとうございます。
私はSFとして読んだ感覚ですねぇ。パラレルワールドもの。
非常に印象深い作品だったので、著者の作品は読んでみたいと思っています。
その時は教えていただいた作品をぜひ。
…でも、時間をおいて…。
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