ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

春日武彦【無意味なものと不気味なもの】

2012-10-25 | 文藝春秋
 
この表紙カバーの気持ち悪いことと言ったら、最近手にした本の中ではダントツです。

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 無意味なものと不気味なもの
 著者:春日武彦
 発行:文藝春秋
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『文學界』での連載をまとめたものだそうです。
タイトルは精神科医としての本の印象でしたが、文学寄りのお仕事のほうの本でした。
といっても、私が読んだことのあるこの方の本はいつも両方に足がかかっているものでしたし、この本もそんな雰囲気。
文学作品が、著者の精神科医としての経験と、もっとプライベートな経験や思いによって読み解かれていきます。

各章1篇ないし2篇をとりあげ、全部で15章。
著者曰く『「あれは、いったい、何だったのだろう」としか言いようのないもの』を潜ませる短編小説です。
N・ホーソーン『牧師の黒ベール』、河野多惠子『半所有者』。
パトリック・マグラア『長靴の話』、古井由吉『仁摩』。
H・P・ラブクラフト『ランドルフ・カーターの陳述』。
日影丈吉『旅は道づれ』、J・M・スコット『人魚とビスケット』。
藤枝静男『風景小説』、レイ・ブラッドベリ『目かくし運転』。
高井有一『夜の音』、クレイ・レイノルズ『消えた娘』。
富岡多惠子『遠い空』、カースン・マッカラーズ『黄金の眼に映るもの』。
車谷長吉『忌中』。
内田百けん『殺生』とブルーノ・シュルツ『父の最後の逃亡』

本を読むと、同じものを前にしてもこれほどに人は違うのだと思わされます。
私が気がつかないことや知らないこと、棚上げしてしまっていることの諸々が、著者を虫眼鏡にして、目の前に突きつけられる気分。
何がクローズアップされるかは、著者によっても、ジャンルによってももちろん異なります。
春日先生の本であれば、何よりも「変な」あるいは「奇妙な」ものごと。

自分だけなら、なんとなくの違和感はあるものの、漠然と怖いや、なんか気持ち悪いで通り過ぎてしまうくらいのものが、春日先生にかかると、そのひっかかりはじっくりと観察され、考察され、やがて、グロテスクなものとして姿を浮かび上がらせます。
その過程を読んでいると、可笑しくて、気持ち悪くて、怖くて、突きあたりまでいってしまうと、またふっと可笑しくなってしまいます。世の中いろいろな人がいて、いろいろなことが考えられているものだな、と。

この本では、そういう「春日武彦の本を読んでいる時の気分」を満喫できました。
それに加えて、今回は、少年時代から現在に至るまでのごく個人的なことがらも多く引き合いに出されているので、なおのこと、著者自身が意識されたように思います。
単純な話でいうと、春日先生は、漂流して、上海蟹などを食べなければ死んでしまうとしても『そんなグロな生き物よりは、人の肉のほうが遥かにまし』に思えるほどの甲殻類恐怖症だそうですよ。
ちなみに、この部分は『長靴の話』の章にあり、作品の内容にも関連深いところ。
精神科医としての著者も、『精神科医は腹の底で何を考えているか』より直接的に表れているように思えます。
いえ、これも精神科医としての著者というより、仕事をしている時には別存在の、時として怒り狂っている著者自身でしょうか。

あとがきは、使用したテキストなどについて、作品ごとのコメントになっています。
若干入手困難、でしょうか。全集などからが多いようです。
その中で、『私は藤枝静男にファンレターを書いてみたり、願わくば謦咳に接したいものだと真剣に思っていたのだが、何一つしないうちに藤枝は認知症となり亡くなってしまった。ユルい小説をだらだら綴っている輩ならともかく、この人がボケてしまうなんて、と泣きたくなった記憶は今も鮮明である』とありました。
この先、私はそんな思いをたくさん味わうのだろうと思います。ちょっと考えただけでも、いくつかの名前が浮かんできますから。
もちろん、その中に「春日武彦」もあります。
ボケたと聞いたら、ほんとに泣きたくなるかも。
それを知ることはないでしょうけれど。


[読了:2012-10-23]






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