懐かしいような作品の新作を出すのが、流行りなのでしょうか。
たまたまですが、そんなふうに思える作品が続きました。
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死神の浮力
著者:伊坂幸太郎
発行:文藝春秋
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寿命以外での死が目前に予定されている人間を調査し、その死が「可」であるか、「見送り」であるかを判定するのが死神です。
その期間は七日間で、結果が「可」であれば、その人間には予定通り死が訪れるというしくみ。
そして、調査の結果は多くの場合、「可」。
前作、短篇集『死神の精度』では、死神の千葉(他に登場する死神も名前が地名)が担当した幾人かの人々の最後の七日間が描かれました。
人の死を判定することは、死神にとって仕事。仕事以上でも仕事以下でもなく、否定も肯定もせず、担当した人間の傍らにある死神。
人間につかずはなれず、あたたかくもつめたくもない死神・千葉の距離感と存在感は、著者の作風にぴったりだと思えて、印象深い短篇集のひとつでした。
その死神・千葉が今度は長編で登場。
短篇集での空気感はそのままに、七日間でのできごとがたっぷりと描かれていきます。
今回の調査対象はある小説家。
彼の幼い娘が殺され、その容疑者が無罪判決を受けたばかりという人物です。
小説家は無罪となったその男が犯人であることを知っています。
その男自らが自分が犯人であることを小説家とその妻に明かしているからです。
本人は知らないけれども、本人は知る由もないけれど、このままいけば七日ののちに死を迎える小説家は、何を思い、どう行動するのか。
物語は、小説家の視点と、彼を調査する死神であり、人間は愛さないけれど、人間の生み出した音楽だけは狂おしいほどに愛している千葉の視点から進められていきます。
描かれるのは、罪と罰であり、生と死でしょうか。善と悪でもあるでしょう。
その設定からして精神的にきつい方へきつい方へと進む物語を緩めてくれるのが千葉の存在です。
相変わらずのぼけっぷりに嬉しくなります。
おそらく永劫の時の中を存在しつづける彼には10年も100年も、昨日と同じ。何から何まで人間とは異なる尺度で生きている死神・千葉には、人の世に起こることのすべてはとるにたらぬことであり、どのような人の営みも彼にとっての重みに変わりはありません。
仕事に至極真面目なこの死神・千葉の客観性は、物語にある種の軽さと風通しの良さを生みだし、人間が感じる現実の重みとのギャップがなんともいえないおもしろみとなります。
ここが嫌みや冷酷さにつながらないのは、千葉が人間を見下さないからでしょうか。
実際のところ、見下すまでもないということでしょうけれど、そこに嘲笑うニュアンスはなく、人間ってそういうものなのだと、ただ受け容れるだけ。
読みながら、缶コーヒーのBOSSのCMを思い出していました。宇宙人ジョーンズ。彼のほうが千葉さんより人間を愛している感じだけれど、と。
けれども、読み終えて、千葉も案外、人間を愛しているかも、と思います。
彼が思っているよりも少しだけ。
もちろん、音楽を愛するほどではありませんけれど。
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