夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

§278e[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht]

2018年06月06日 | ツイッター

 

 §278e

Diese Idealität kommt auf die gedoppelte Weise zur Erscheinung.
- Im friedlichen Zustande gehen die besonderen Sphären und Geschäfte den Gang der Befriedigung ihrer besonderen Geschäfte und Zwecke fort, und es ist teils nur die Weise der bewußtlosen Notwendigkeit der Sache, nach welcher ihre Selbstsucht in den Beitrag zur gegenseitigen Erhaltung und zur Erhaltung des Ganzen umschlägt (s. § 183), teils aber ist es die direkte Einwirkung von oben, wodurch sie sowohl zu dem Zwecke des Ganzen fortdauernd zurückgeführt und danach beschränkt
(s. Regierungsgewalt § 289) als angehalten werden, zu dieser Erhaltung direkte Leistungen zu machen; - im Zustande der Not aber, es sei innerer oder äußerlicher, ist es die Souveränität, in deren einfachen Begriff der dort in seinen Besonderheiten bestehende Organismus zusammengeht und welcher die Rettung des Staats mit Aufopferung dieses sonst Berechtigten anvertraut ist, wo denn jener Idealismus zu seiner eigentümlichen Wirklichkeit kommt (s. unten § 321).


この観念性は二つの仕方で現れてくる。平和な状態においては、特殊な領域と職能 Geschäfte は その特殊な職能と目的を充足させる道を進んで行き、そして、それは一面では、ただ事柄の無意識的な必然的な仕方であっても、そのことを通して、彼らの利己主義は相互の扶助と全体の保全に貢献するものへ転化するのであり(参照§183)、しかし、それは他面においては、上からの直接的な働きかけを通して、全体の目的へと常に連れ戻され、それによって制限され、(参照、政府権力§289)この全体の保全のために直接的に貢献するように奨励される。
しかし、緊急事態においては、国内的であれ対外的であれ、そこ、それぞれの特殊性のうちに存在する組織体が、この主権die Souveränitätという単純な概念に結ばれてゆき、そして、主権には、ふだんは認められている権限を犠牲にすることをもって国家の救済が委ねられている。そうして、そこでその(主権 die Souveränitätという)観念論 Idealismusはそれ固有の現実性にたっする。(以下の§321参照のこと)

ここでテーマになっているのは、主権 die Souveränitätという(概念=観念論 Idealismusが)どのようにして、それ固有の現実性をえるか、である。概念が一般的に動的に、主体的に捉えられるときには観念論 Idealismusとされる。単なる物質のみではなく観念(概念)の現実性が問題にされている。

 

 

 
 

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6月4日(月)のTW:§278c[主権die Souveränität を構成するところの観念]

2018年06月05日 | ツイッター
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§278d[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht]

2018年06月04日 | 法の哲学

 

§278d

 

[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht]

Aber der Despotismus bezeichnet überhaupt den Zustand der Gesetzlosigkeit, wo der besondere Wille als solcher, es sei nun eines Monarchen oder eines Volks (Ochlokratie), als Gesetz oder vielmehr statt des Gesetzes gilt, dahingegen die Souveränität gerade im gesetzlichen, konstitutionellen Zustande das Moment der Idealität der besonderen Sphären und Geschäfte ausmacht, daß nämlich eine solche Sphäre nicht ein Unabhängiges, in ihren Zwecken und Wirkungsweisen Selbständiges und sich nur in sich Vertiefendes, sondern in diesen Zwecken und Wirkungsweisen vom Zwecke des Ganzen
(den man im allgemeinen mit einem unbestimmten Ausdrucke das Wohl des Staats genannt hat) bestimmt und abhängig sei.

しかし専制政治とは一般的に無法状態を意味するものであり、そこでは、特殊な意志が ⎯  それが君主の意思か、あるいは民衆の意思(衆愚政治)であるかを問わず ⎯ 法律として、あるいはむしろ法律に代わるものとして通用する。
これに対して、主権die Souveränität は、まさに法的な、立憲的な状態において、特殊な領域と職能の観念性の要素を構成する。すなわち、いいかえれば、このような領域は、独立したものではなく、その目的と活動の仕方において自立したものでもなければ、自分自身に沈潜するものでもなくて、全体の目標(一般的に、それを私たちは「国家の福祉」という不確かな表現で呼んでいるが)についてのこれらの諸目的と活動の仕方に依存し、決定づけられるものである。


特殊な領域と職能の観念性の要素 das Moment der Idealität der besonderen Sphären und Geschäfte とは、三権分立を事例に考えるとわかりやすいと思う。

司法と行政と立法は、それぞれが特殊な領域と職能とを構成するが、これらの要素das Momentは、それぞれ独立したものではなく、相互に依存し規制しあっている。悟性的な意識で行われたフランス革命の後期には、三権がそれぞれ独立を主張し相互に対立を招いて、die Souveränitätの生命性der Idealitätを破壊し国家の崩壊を招いた。

ヘーゲルはこの観念性der Idealität という事態については、有機体における各器官や国家の各機関など、事物を構成する要素das Momentのそれぞれの相互依存性を考えている。国家にあっては、それがdie Souveränität(権威、威光、主権、明治憲法でいう、国家統治の大権)である。

 

 
 
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6月3日(日)のつぶやき

2018年06月04日 | ツイッター
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§278c[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht]

2018年06月01日 | 法の哲学

 

§278c[至高性(主権)をつくる観念論、Der Idealismus, die Souveränität ausmacht]

Der Idealismus, die Souveränität ausmacht, ist dieselbe Bestimmung, nach welcher im animalischen Organismus die sogenannten Teile desselben nicht Teile, sondern Glieder, organische Momente sind und deren Isolieren und Für-sich-Bestehen die Krankheit ist (s. Enzyklop. der philos. Wissensch. § 293), dasselbe Prinzip, das im abstrakten Begriffe des Willens
(s. folg. § Anm.) als die sich auf sich beziehende Negativität und damit zur Einzelheit sich bestimmende Allgemeinheit vorkam (§ 7), in welcher alle Besonderheit und Bestimmtheit eine aufgehobene ist, der absolute sich selbst bestimmende Grund; um sie zu fassen, muß man überhaupt den Begriff dessen, was die Substanz und die wahrhafte Subjektivität des Begriffes ist, innehaben. - Weil die Souveränität die Idealität aller besonderen Berechtigung ist, so liegt der Mißverstand nahe, der auch sehr gewöhnlich ist, sie für bloße Macht und leere Willkür und Souveränität für gleichbedeutend mit Despotismus zu nehmen.

主権die Souveränität を構成するところの観念論とは、動物の有機体においては、いわゆる部分といわれるものが、それは部分ではないのであって、むしろ肢体であり、器官という要素であって、それが切り離されて独立して存在するときは病的状態とされるものである。(『エンチクロペディー』§293参照)その原理とは、意志という抽象的な概念にあっては(次節§279註解参照のこと)自己を自己に関係づける否定性として、そして、それでもって自己を個別性へと規定する普遍性が現れるのであり(§7)、そこにおいては、すべての特殊性と規定性は一個の揚棄されたものであって、絶対的に自己を自己として規定する根拠である。その根拠を理解するためには人はおしなべて、概念の実体とその真の主体性が何であるか、その概念をうちにもたなければならない。なぜなら、主権とは全ての特殊な権限の観念性であるから、誤解されやすいし、単なる権力や空虚な恣意と主権とが独裁制と同じ意味のものとして捉えられることもふつうにまたよくありがちだからである。


世間で多くの「学者」「識者」たちが偉ぶって「それは観念論だ」というとき、彼らのいう「観念論 Der Idealismus」とはどういう意味なのか、問い直す必要があるでしょう。
主権、至高性 die Souveränität を成しているものは、一個の生命とおなじく、さまざまな要素 Momenteを統一する客観的な観念性である。Der Idealismus とDie Idealität  の違いは、観念を主体性の面から捉えるか、客体性の面から捉えるかの違いだろうか。

この個所はヘーゲルが「概念 der Begriff」についてどのように考えているか、彼の概念観を知るうえで参考になる。彼は「(意志など、すべての事物の)自己を自己として規定する根拠を理解するためには、概念の実体とその真の主体性が何であるか、その概念をうちにもたなければならない(概念そのものを理解していなければならない)」という。

彼の概念観によれば、すべての事物がその事物であるのは、それを規定する概念(普遍)を根拠としているからである。まず普遍が自己を自己と関係づけること、⎯⎯これをヘーゲルは自己否定という。⎯⎯によって、概念の実体としての普遍は、まず自己を特殊化する。否定することは規定することであり、特殊化することでもある。さらに主体でもある概念は、自己を個別性へと規定することによって現実的な存在となる。この一連の主体的な運動をヘーゲルは Der Idealismus 観念論と呼び、それを客体的に捉えたときに Die Idealität 観念性といったのだろう。

したがって、概念の立場は絶対的観念論の立場であり、哲学とは事物についての概念的な認識である。(小論理学、第三部 概念論 §160註解 参照)

 

 ※20180611追記

ヘーゲルの概念観を前提にすれば、当然に上記のような認識になる。また、この点については、マルクスなどの唯物論者たちが、ヘーゲルの絶対的観念論を「神秘化している」として批判する核心であるように思われる。彼らはヘーゲルのように事物の内的な活動性を「概念=思考規定」として捉えることができず、「対象のうちに内在する概念(観念)」を認めない。――この点については、いずれ再考する機会もあると思う。

 

 

 

 

 
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