夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

1月1日(水)のTW: 「誰かこの日本語をクリアーに・・・」

2014年01月02日 | Weblog

「 概念、存在、真理」

 

新しい写真をFacebookに投稿しました fb.me/6svXfQPZJ


現前するもの=概念、現前することとしての有る=存在、真であること=概念と存在の一致、これで判りますか?@Sukuitohananika


「真」=概念(潜在態)、「真であること」=真理(顕在態)、概念が実現されて存在するようになったものが理念=真理です。@Sukuitohananika


 
 
上記のツィートの記録だけでは何のことかよくわからないと思いますので追記しておきます。

http://goo.gl/gStnWJ
 
生 命学者として知られている森岡正博氏が、ハイデッガーの『杣径』の日本語訳を読んでおられるとき、その解読に格闘して「いらいら(^ ^)(^ ^)」して呟いておられるのを、たまたま眼にしたので、ユーモリスト森岡氏にツィートで返信したものです。今の所は私はハイデッガーはまったく知りません が、森岡氏が

>><<

誰かこの日本語をクリアーに解読してくれんかね→「現前するものの現前することとしての有ることとは、それ自身においてすでに真であることであるということである。」(ハイデガー『杣径』390) イライライライラ・・・・
 
>><<

と ツィートされておられるのを読んで(^-^)、すぐにハイデッガーが何を言わんとしているのかはわかりました。ここでハイデッガーはおそらく、ヘーゲル哲 学を踏まえて書いていると思います。ただハイデッガーはその詩的表現によっていたずらにヘーゲルを難解にしているだけだと思いました。森岡氏もヘーゲルに 通じていれば、解読にきっとイラつくこともなかっただろうなと思いました。
 
 
※20140102追記
 
 

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