夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

「山家集」私的註釈864

2019年06月24日 | 芸術・文化

 

「山家集」私的註釈864

こころざすことありて、扇を仏にまゐらせけるに、院より賜はりけるに、女房受けたまはりて、包紙に書きつけられける

864
ありがたき  法にあふぎの  風ならば  
    心の塵を  払へとぞ思ふ

仏道修行を思い立って、扇を仏様に献上しようとした折に、崇徳院から扇を賜りましたが、女房がそれをお受け取りになって、包紙に歌をお書きつけになられました

864
ありがたい仏法に出会うためにいただいた扇であおいだ風であるならば
   積もり積もった心の埃をお払いになったらよろしいかと思います


西行の和歌は単に花や雪、月などの自然の叙景や、死や別離、恋や孤独などを歌ったものばかりとは限らない。西行はまた真言僧でもあって、仏教の教えに関連する和歌も多く詠んでいる。と言うよりも正確には、西行にとって和歌を詠唱することそれ自体が、仏教の教えを実行する宗教的行為であったということができる。

 

 

 
 

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