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夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

国家による失業、貧困からの解放②

2008年12月19日 | 国家論

 

人類を失業や貧困から解放することは歴史的な課題であるといえる。失業や貧困に苦しめられているかぎり、人間の尊厳も何もないからである。先の論考でも触れたように、二十世紀の共産主義運動などは、貧困、経済格差、戦争などから人類を解放する試みであったといえるが、歴史的に見ても失敗に終わった。それは生産手段の社会的な所有と私有財産の廃止という社会主義経済、国家による計画統制経済という手段によって、失業や貧困、経済的な不平等などの問題の解決をめざしたものである。労働者階級の歴史的な使命もそこにあるともいわれた。

しかし、歴史的な事実として社会主義的な経済は自由主義市場経済、いわゆる資本主義の経済的な効率性において太刀打ちできないことがわかった。その反面において景気の循環を十分に統制することができず、今に見るような高度化した金融資本主義の恐慌を招き、その結果過剰な労働力が大量の失業者として労働市場にはき出されることになる。それは、みずからの労働でみずからの生計を立てるという人間らしい尊厳を人間から奪い、それが貧困となって他者に寄生して生きるを生むにいたる。

歴史的にもかってヒトラーが率いたナチスドイツなどは、国家社会主義労働者党がその正式な呼称であったように、労働者、農民の失業問題の解決を重要な課題としていた。そして、実際にもアウトバーンの建設や、自動車産業、軍需産業などによって完全雇用を実現したのである。

もちろん、私たちはヒトラーのような全体主義の立場に立つことはできないけれども、たとえ自由民主主義国家としてであれ、失業問題の解決が国家の最優先課題であることは言うまでもない。

ここでは失業問題の解決のために詳細な青写真を描くことはできないが、今日の政府は基本的には次のような二つの事業を国家政策の課題とすべきだと思う。二兆円の定額給付金はあまりにも能がなさすぎる。


失業者、生活困窮者一人あたりに月額7万円程度を住宅と食料の最低限の生活保護資金として支給する。また、これを年金最低補償額とすることによって、一時的な失業、傷病、離婚、倒産、老齢などによる生活の危機への対応が保証されることになる。それによって日本国憲法の規定にもある国民に対する最低限の文化的な生活の保証が単なるプログラム規定でなくなる。また、これがセーフティ-ネットとして機能することによって、国民の将来の生活に対する不安を解消することによって、貯金にまわって消費に向かわずに冷え込んでしまった国内の需要を、喚起するのに貢献するはずである。


二十万人の国防予備軍を創設して、18歳代から40歳代までの青年男女の志望者、また、一時的な失業者などを採用して、軍隊教育と職業訓練をかねた生活訓練の場を三年間提供する。それによって経済恐慌時などの青壮年者の失業者の吸収に活用する。また、そこでの、教育訓練を職業的な能力や国家意識の育成を含めた最良の社会的な教育の場にしてゆくことである。また、地震や台風、戦争時の避難所などの避難保護施設の建設や整備に従事する。そのほかに、ハイテク産業技術の訓練や現在の自衛隊基地の開発や整備に従事したり、あるいは災害支援活動、電気ガス水道などのライフラインの地中埋め込み工事など社会資本充実に役立てることもできる。政府、指導者たちの智恵の働かせ方次第であると思う。(現在の無能な国会議員、官僚の定数を半減し、国家の経費の無駄も削減してゆく必要があるのは言うまでもない。)

いずれにしてもおそらく、人類が革命などによって一挙に失業や貧困の不自由から解放されることはないだろう。引き続きこれからも、自由と民主主義を理念としてより深く追求しながら、生産手段の社会化や、国家や地域社会の共同体としての性格を深め強めながら、失業、貧困などの業病から人類を解放して行くしかないようだ。その前提としての生産能力も十分に高まってきているのではないか。その実現を妨げているのは、人倫的意識と必要な社会機構が人間に欠けているためである。

 

 


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