§207
— review (@myenzyklo) 2016年8月18日 - 22:09
個人が現実性を獲得するのは、それがただ一般的な定在のうちにあるに過ぎないものが、同時に規定された特殊性へと進み、それでもって自己を欲望の排他的な特殊の領域に制限することによってである。この(市民社会の欲望の)体系の中での倫理的な意義は、
したがって誠実であり職業的な名誉である。自己を、すなわち、自らの決意によって、自らの活動、勤勉と技能を通して、市民社会の要素の一つの手足として作り上げ、そしてかかるものとして身を保ち、そして、普遍的なものとのこの媒介を通じて、ただ自らに配慮し、および自らの表象と
— review (@myenzyklo) 2016年8月18日 - 22:35
他者の表象のなかに認められなければならない。道徳がその固有の立場を持つのはこの領域においてである。そこでは、自己の行為や特殊な欲求の目的や、そして福利に対する反省が支配的であり、そして、欲望の充足のなかにある偶然性は、また偶然かつ固有の支援を義務とする。
— review (@myenzyklo) 2016年8月18日 - 22:51
※市民社会における分業とその職業的な義務において道徳が自己自身の領域を占める。
— review (@myenzyklo) 2016年8月18日 - 22:51