大病をして
長期入院した経験はなく
物心つく前に
ヘルニアで入院したこと
そして
それが再発して
中学生になって入院したことがあった
そして人生で初めて
単独での交通事故で負傷して
入院
肩甲骨骨折と首の骨を折る大事故で
の入院もおおよそ三週間ほどで退院
入院生活を思い返すと
中学のときも
8年まえも
侘しくて
寂しくて
なんなんだろうな
あの味気ない病室の空間というのは
ベッドに寝かされた者だけが
味わう空虚感
それまでは
お見舞いで訪れる病院、病室が多くて
自分が健康で当たり前の側にいる時には決してわからなかった
感情が
その立場になって初めてわかる
そして
わからされた
お見舞いも来てくれるのか?
どうなのか?
寂しい思いをしたのは
中学の時
ちょうど進級したばかりで
誰にも知らされてなかった時だったから誰もお見舞いには来てくれなかった、
お袋が毎日顔を出すだけ
父親は一回も来なかったし
味気ない寂しいものだった
その時はおおよそ一週間くらいだったから
そんなもんだろうっていう
感覚だった
交通事故のときは
部下や上司、同僚も顔を出してくれた
それでも
あの人はきてくれない
とか
やっぱり気にしながら
待ち人来らずみたいな
期待して待ってたりした自分もいた
ただ、寝てるだけの病室から
少しずつ
歩けるようになり
そこまでになると
暇を持て余す
かといって
本調子ではないから
意外と不便さも感じながら
入院生活は続いていた
入院生活期間は特別な時間
体の再生と心の再生
暇を持て余しすぎて
色んなことを考えてしまう
もちろん
希望的なことも願望も含めて
退院したら…
あーしよう
こうしよう
って思うことが
心の支えと希望になっていた
元気になることへの
切望がこれだけ
普段健康なときには
出てこない感情に日々覆われて
白い無機質な病室の壁に向かって
独り言のように
呟いていた言葉は
(早くもとの生活にもどりたい!)だった
当たり前が
当たり前じゃなく
なにかの拍子で
違う場所にいることで
知る普段の大切さ
人はそういう経験をしないと
優しくなれない愚かものなところもあるし
同じ気持ちになれたり
心を寄せていったり
できるようになるのも
辛い思いを分かり合えた時なのかもしれない
それを求めすぎても
いけないのだけれど…
病院、病室には
入院者の言葉にできない気持ちが
いくつもいくつも あの白い壁に刻まれてる
元気に退院していける幸せが
また、次の幸せに繋がれて
いきますように
さだまさしさんの
第三病棟
この歌にも何故か心をほぐされて
そうなんです
僕の好きなリズム三拍子なんです
カントリーワルツなる
さださんにも
三拍子の作品の中でも
好きなものでもあります。